EP 6
ユリウスの逆襲【信用崩壊】
ポポロ村が独自の経済圏を確立してから、一週間が経過した。
村はかつてないほどの活気に満ちていた。駐留兵たちは武器を置いて畑を耕し、村人たちは笑顔でどんぐりの木札を交わす。
誰もが、この小さな木切れに「絶対の価値」があると信じ切っていた。
その日の午後。
ルナキン・ポポロ支店のカウンターで、ニャングルが算盤を弾く手を止め、じっと手元の「ポポロ券」を見つめていた。
「……ソウマ先生」
バックヤードで大根の皮を剥いていた僕を、ニャングルが低く、震える声で呼んだ。
彼の顔から、いつもの飄々とした商人の笑みが完全に消え失せている。
「あんた、昨日までにポポロ券、全部で何枚発行した?」
「え? 昨日の夜に確認した時点で、市場に流通しているのはちょうど『800ポポロ』のはずですが……」
「……アカン」
ニャングルが、カウンターの下から木箱をドンッと持ち上げた。
その中には、山ほどのどんぐり木札が溢れんばかりに詰まっていた。
「今日の午前中だけで、ウチの店に持ち込まれたポポロ券や。……ざっと数えて、『1万ポポロ』を超えとる」
「なっ……!?」
僕は持っていた包丁を取り落とした。
そんなはずはない。木札は僕が徹夜で削り出し、一つ一つ手作業で焼き印を押しているのだ。1万枚も存在するわけがない。
僕は慌てて木箱の中の札を手に取った。
木の手触り、どんぐりの刻印の深さ、わずかな焦げ目の位置。
どれもこれも、僕が作った「本物」と寸分違わぬ精巧さだった。
「……偽造や。しかも、帝国の造幣局レベルの超一流の魔導職人が、国を挙げて全力でコピーしやがったんや」
ニャングルがギリッと牙を剥いた。
「アカン、ソウマ先生! これ以上この札で商品の交換はできん! 今すぐ『物価を100倍』に引き上げんと、ウチの店にある隣国からの密輸品が、全部ただの偽札で根こそぎ奪われる!!」
その時だった。
「おいニャングル! 肉のシチューを3つ頼む! もちろんポポロ券でな!」
「こっちはイチゴのタルトだ! ほら、ポポロ券だぞ!」
ドヤドヤと、村人や駐留兵たちが店に押し寄せてきた。彼らの手には、真新しいどんぐり木札が何十枚も握られている。
「……すんまへん。今から、全商品の価格を『100倍』に改定させてもらいます。シチューは1杯、300ポポロや」
ニャングルの悲痛な宣言に、店内が水を打ったように静まり返った。
数秒の空白の後、爆発するような怒号が響いた。
「ふざけるなァッ!! 昨日まで3ポポロだっただろ! 俺が一日中便所掃除して稼いだこの金が、紙屑になったって言うのか!?」
「騙したな! やっぱりこんな木切れ、ただの詐欺じゃねえか!!」
パニックは、一瞬で村中に伝染した。
「おい、お前が持ってるその札、偽物だろう! 俺の野菜を返しやがれ!」
「なんだと!? てめぇの札こそ偽物だろ! 泥棒!!」
昨日まで肩を組んで笑い合っていた村人たちが、互いの胸ぐらを掴み、殴り合いを始めた。
手押し車がひっくり返され、キャルルが運んできた大切な小麦粉が泥の中にぶちまけられる。
子供の悲鳴と、大人の怒声。
「やめろ……! やめてくれ、みんな!!」
僕が叫んでも、その声は狂乱の渦に呑み込まれて誰にも届かない。
理性が、道徳が、あっという間に獣の欲望へと堕ちていく。
(……これが、お金の正体)
僕は、泥にまみれて踏みつけられるポポロ券を見つめながら、絶望に打ち震えた。
みんなが「価値がある」と信じていた幻想が崩壊した瞬間、人間は一瞬で獣に戻る。
通貨のシステムとは、これほどまでに脆く、恐ろしいものだったのだ。
***
ポポロ村を見下ろす小高い丘の上。
特任監査官ユリウスは、村から立ち上る黒い煙と暴動の音を、冷ややかに見下ろしていた。
「……幻想は、幻想によって殺せる。簡単なことだ」
彼は手元の懐中時計をパチンと閉じた。
彼の背後には、帝国造幣局から極秘に持ち込まれた「超高速魔導印刷機」が置かれていた。そこで大量生産された精巧な偽造ポポロ券を、密偵を使って村中にばら撒いただけだ。
「草壁颯真。あなたがどんなに高尚な『徳』を説き、『信用』をデザインしようと、人間の本質は強欲な獣です。……自分の利益が脅かされれば、あっけなく噛み殺し合う」
ユリウスは銀縁眼鏡を中指で押し上げ、感情のない声で呟いた。
「チェックメイトです。あなたの作った砂上の楼閣は、内側から完全に崩壊した」
冷徹なる数字の刃が、ポポロ村の心臓を正確に貫いていた。
燃え上がる暴動の中で、武力も魔力も持たない僕の「教養」は、今度こそ完全に息の根を止められようとしていた。




