EP 3
禁忌の創造
ルナキン・ポポロ支店の薄暗いバックヤード。
棚から商品が消え、静まり返った店内で、僕はテーブルの上に数十枚の「小さな木札」を並べていた。
「……ソウマ先生、一体何してはるんや」
頭を抱えていたニャングルが、怪訝な顔で覗き込んでくる。その後ろでは、キャルルが僕の作業を不思議そうに見つめていた。
「帝国が金貨を使えなくしたなら、使わなければいい。僕たちの間でだけ通用する『お金』を、一から作ります」
「はぁぁぁ!?」
ニャングルが素っ頓狂な声を上げ、猫耳を逆立てた。
「あ、あんたアホか! 通貨の私造は帝国法で一番重い死罪やぞ! そもそも、金の裏付けがないただの木札なんか、誰も信用……」
「金なんて、元からただのピカピカ光る石でしょう」
僕は作業の手を止めず、静かに遮った。
「お金の価値を決めているのは、金そのものじゃない。みんなが『これには価値がある』と思い込んでいる、その【共同の幻想】です。……だから、僕たちが『別の幻想』を信じれば、この木札は金貨と同じ力を持つ」
僕は、木札の一つを手に取り、ニャングルに見せた。
表面には、不格好な「どんぐり」のマークが彫られている。
「名付けて『ポポロ券』です。……ニャングルさん。この木札一枚を、ルナキンのおでん一皿と交換してくれませんか」
「アホなこと言うな! ただの木切れとおでんを交換したら、ワイの店が大赤字や!」
「なら、僕がルナキンの便所掃除と、裏の畑の開墾を一日タダでやります。その【僕の労働】を、この木札一枚の価値の裏付け(担保)にする。……どうですか?」
ニャングルが、ピタリと固まった。
彼の腰にある算盤を持った手が、僅かに震え始める。
商人としての彼の鋭敏な直感が、僕の言っていることの「異常性」を理解し始めていた。
「……あんたの労働(信用)を担保にして、村のサービスを回す……? もし、その木札で本当に飯が食えるって村人や駐留兵が信じ込んだら……」
ニャングルは額から脂汗を流し、信じられないものを見るような目で僕を見据えた。
「帝国が発行する金貨の価値を完全に切り捨てて、この村の中だけで独立した経済圏が完成してしまう……! あんた、自分がどれだけ恐ろしいことしようとしとるか、分かっとるんか!?」
「ええ、分かっています」
僕は、テーブルに置かれた小さな「焼き印」を手に取った。
炉の火で熱せられ、赤く発光している鉄の印。これを木札に押し当てれば、僕と村の命運を賭けた「独自の通貨」が正式に誕生する。
(……怖い)
持ち上げた右手が、ガチガチと音を立てて震え始めた。
僕には、この「お金」というシステムが、過去にどれほどの血を流し、人間の心を醜く歪めてきたかを知る教養がある。
貨幣は、刃物や魔導ライフルよりもずっと恐ろしい、大量殺戮兵器だ。
使い方を一つ間違えれば、この村は帝国の軍隊に焼かれる前に、内側から欲望で腐り落ちて滅びる。
僕は今から、神の真似事をして、そのパンドラの箱を開けようとしているのだ。
「……ソウマ。手が、震えてるよ」
不意に、キャルルの冷たい手が、僕の右手をそっと包み込んだ。
「怖いなら、やめてもいいんだよ。私が全部、壊してきてあげるから」
彼女の赤い瞳が、僕の顔を真っ直ぐに見つめている。
その依存と暴力に満ちた、純粋すぎる眼差し。
僕がここで逃げれば、彼女は本当に村人を守るために、帝国の軍隊に向かって特攻し、凄惨な血の雨を降らせるだろう。
(逃げるな。僕が、この手で地獄の釜の蓋を開けるんだ)
僕はキャルルの手に自分の左手を重ね、ゆっくりと首を振った。
「大丈夫です、キャルルさん。……少しだけ、冷えただけですから」
ジュワァァァッ!!
僕は痙攣する右手に全体重を乗せ、木札の中央に、赤熱した焼き印を押し付けた。
焦げる木の匂いと、白い煙がバックヤードに立ち込める。
それは、剣を持たない無力な人間が、暴力で支配されたこの世界のシステムに対して突きつけた、明確な「反逆の狼煙」だった。
「……よし、完成です」
僕は、刻印の押された最初の『1ポポロ券』を掲げ、震える足を無理やり踏みしめながら、ニャングルに向かって不敵に微笑んでみせた。
「さあ、商売の時間だ。帝国が用意した冷たい数字の檻を、僕たちの作った『どんぐり』で食い破ってやりましょう」




