仲入り(番外)【大名花屋 後編】
――パパン!
「『火事だぁーっ!!』
町内、人が泡食ったように表へ出る昼下がり。どこで火が出た、あっちで火が出た! 火消しを呼べッ! カンカーンと鐘が鳴りしきる。一斉に町人足と鳶人足が火事場へ向かいまして、火消しに尽力します。大変な騒ぎです。
江戸時代というのは、ご存知の通り木造家屋が所狭しと建てられていて、今みたいに建築基準法なんてございませんから、火が出たら一気に広がってしまうし、風に煽られた折には、もうあっという間に火の海の大惨事。ですから当時の人はまずどうしたのかと申しますと……破壊をします。壊して、それ以上燃え移らないように防ぐのでございます。
花屋喜兵衛はどうだったのかと申しますと、これが火が燃え移ってしまい時すでに遅し。手遅れでございました。
しかし喜兵衛夫婦は、近所の手に助けられ顔を真っ黒にしながらも表へ出ることができました。
そこへ伝助、騒ぎを聞きつけ飛んでくる。近場の家の修繕をやっていたのでございましたが、火の手がぼうぼうと上がる喜兵衛宅を見て言葉を失う。しかし、わらわら集まる野次馬の中、助け出された様子の喜兵衛夫婦を見ると一安心。
ところが、何やら騒いでおりまして。
『旦那! 無理だもうダメだありゃ。分かるだろ!』
肩を抑える男。その腕を掴み泣きじゃくる喜兵衛。
『た、頼む……まだあいつが、行かせてくれ。お花がぁ……!』
伝助は抑える町人をどかして詰め寄る。
『旦那さん!! お花はまだ中か!?』
『でんすけ……そ、げほげほっ……そうだ、まだ中に。頼む助けてくれぃ……』
これを聞いた伝助、すぐさま駆け出した。井戸水かぶり、手拭い巻いて向かうは火事場。怒るように火を噴く家屋の中だ。それを止めるは、火消しの男五人衆。
『おいおい何考えてやがるてめえ! 物は諦めろい、命があんならそれでいいだろうが』
『うるせえ!! 俺の命より大事な命がそこにあんだってんだ放しやがれいッ!!』
男らはパーンと跳ね飛ばされる。伝助、迷わず突っ込んだ。
『おはなァ! オハナァァァーッ!!』
例えば、今ここの部屋の窓際からドア付近までがだいたい六メートル。それだけ離れていても、焚き火やキャンプファイヤーでお分かりかもしれないですが、熱いですよね。かーっと熱が伝わります。それを、何十倍にもしたものと思ってください。えらいことでございますね。
住宅に火災が起きると、だいたい火元付近の室内温度は五分もすれば五百度にまで上がると聞きます。天ぷら油が発火する温度でございます。それだけじゃなく煙が出るので呼吸がしにくい。吸うと息がつっかえちゃうんですね。煙に巻かれるとある通り、視界も悪く下手すれば方向感覚を奪われます。くわえて、一酸化炭素中毒というのもございます。
ですから当然、伝助も命の危険は大いにございました。しかしバカじゃございません。お花を助けるために自分が倒れちゃいけない、ちゃんと動き方を考えながら探したわけにございます。キモが座っておりました。高い位置の煙に気をつけ、呼吸を落ち着かせ、火の流れを読み、倒れてくる建材を見極める。そんなことで、やっと見つけたお花はというと、倒れた柱の下敷きになって意識を失っておりました。柱をどかし、助け出すことに成功します。
ですが……運命とは酷なものでございまして。お花は半身大火傷。あの見目麗しい顔が見るも無惨な姿へと……変わり果ててございました。もちろん、伝助もあちこち火傷と傷だらけ。そして忘れてはならないのが、店は燃えてしまったということでございます。持ち出す暇なんてありませんでしたから、全財産は灰となり残ったものは僅かの燃えさしと負債だけ。
それでも、お花は一命を取り留めた。それだけは救いでございました。喜兵衛も女房も伝助も涙して、それは喜んだ」
――パンパン。
「それからは当然家もありませんから、縁談の進んだ近江屋へと身を寄せ世話になるのですが……お花を見た秀之助は一度見舞いに行ったきり。ある日、隠れるでもなくそこらの廊下で立ち話の見た目でもって、父である勘兵衛にこう言います。
『縁談は無かったことにしてくれ。あの顔……見ただろ気持ちの悪い。あんなじゃ連れ回しても、恥晒しも良いところさ。ほら、向こうの茶屋の娘がいたでしょ。あそこらへんを嫁にしよう。もとより店もないんだから、婿入りの意味もないさ』
『ううむしかし、喜兵衛には借もあってだな……』
『もう返したじゃないさ。住居に飯、服や薬も。もういいでしょ。これで図々しくつけ上がってこられたらどうすんの』
『まぁ、そうだな。なら……喜兵衛に話をしてくるか』
『あーやだやだ。あんな顔したのが家の中を幽霊みたいにトボトボと動かれちゃ、悪い夢でも見ちまいそうだ。数日のうちに早く追い出してくれ。俺はあんなの見ていたくないから』
これを受けて勘兵衛、喜兵衛らを五日ばかり経ったときに、追い出してしまいます。
さぁ……そこで怒り狂ったのが伝助です。実は、聞いていたのですね、あの話をお花が。そして、そんなお花が部屋に戻ってひとり泣いてるのを伝助は、その後ろから一部始終見ていたわけにございます。
だからもう顔面真っ赤に眉間を縦に、雷鳴が如く叱り飛ばします。
『おい秀之助! てめぇはお花の何を見てた! 顔が悪くなりゃさっさと捨てるだ? ざけんじゃねえ……どんな気持ちでここにいるかもわからずに、そんなふざけたこと抜かしやがって。
お花は……一度だって自分を綺麗だのと気取ったことなんてねぇ。一度だって誰かを悪く言ったことはねぇ。いつだって相手を思い遣れる奴だ。清流のように澄んだ心を持ってる奴だ。そんな綺麗な川に、てめぇみたいな野郎が汚れた言葉を投げ捨てやがって!』
『待て! 何を言ってる、俺は何も言ってない。しかも何を飯炊の分際で』
『うるせえ黙ってろい!! 口開けねーで、聞きやがれ!』
この気迫に伝之丞、壁にピンと張り付いたまま動けません。
『知ってんだぞ? てめぇが父親とそこで話していたことは。それだけじゃねえぞ。てめぇが泣かしてきた女のことも、虐めてきた弱い商人のことも。それらは、お花の婿になるかもしれねぇってんで黙っていたが、もう堪忍ならねえ! てめぇは一度いてえ思いをしねえと直らねえ病気にかかっちまってんだ!!』
怒った伝助は、コテンパンに秀之助をのしてしまいます。
これに町の者らは、まずこう思うのですね。あの伝助がここまでするのは、何か理由があるに違いない。普段温厚で、滅多なことで手はあげない。そんな男がここまでのことをするなんて。
さあ……噂とは、火よりも早く広がりますから。喜兵衛一家への仕打ちを、町の者らが知るまでに一日もかかりません。
町の者らは白い目で秀之助を見始めた。中には罵詈雑言浴びせる輩もいた。もうこうなったらどうにもなりません。町民にとって、彼らは悪と捉えられてしまった。なんて残忍酷薄な奴だと、村八分でございます。
して、喜兵衛らはどうなったかと申しますと……実は伝助、長屋を借りておりました。追い出されるかもしれないと分かっておりましたから。
そこへ喜兵衛一家を住まわせて、必死に世話をして参ります。お花だっていまだ火傷の手当てが必要でございますから、寝ずにうなされるお花を看病してやりましたし、夫婦の食事や洗濯なんかも毎日やって、商売に繋がる話を持ってきてと、それは一所懸命に働きました。
そんな伝助を見ていた喜兵衛夫婦は、伝助を婿に入れたいと思うようになり、ある日それを伝助に伝えます。なにもお花が酷い見た目になってしまい、もう縁談は生まれないだろうと諦めたからではございません。
実は喜兵衛も薄々勘付いてはおりました。お花は伝助に気があると。当時は、いっときの気持ちと思ってもいましたし、まして家のことや今後を考えれば家柄を重視せざるを得なかったのです。これは子を思えばこそ。
ところが、今回の一件でそんな考えは間違っていたと知らしめられたわけでございます。この献身っぷりと、安心して身を委ねるお花の姿、相思相愛とはこれを置いて他には言えませんでした。お花のことを思うなら、どうすればいいのか……こりゃもう迷うことはございません。親というものは誰だって、子に幸せになって欲しいと思う。お花の幸せは何かといえば、伝助といることに違いない。そう、考えたからこその決断にございました。
ところが……」
――パン、パン!
「伝助、何を考えてのことか、突然家を出て行ってしまいまして。それからしばらくの間戻ってはきません。喜兵衛夫婦、頭を抱えます。
『あいつ……こんなにやってくれたもんな。そりゃ、嫌気の一つもさすってもんか。散々尽くしてくれて、それでいて何も返すことができねえで。しめえには婿になってくれだなんてそんな都合のいい……見限られても、愛想尽かされても文句なんて言えるわけもねえな。申し訳のないことをしたな……』
『そうですね……こんな迷惑かけてしまって。申し訳ないことをしたね、伝助には。ちゃんと礼をしたいものですけれど』
辛い顔を突き合わせる喜兵衛と女房。すると、布団の方から聞こえる小さな声。
『伝助は……そういう人じゃ、ありません……伝助は、戻ってきます――』
影って入らぬ月明かり、ほんのり照らす行燈の、寝床で流れる寂しい涙。
あの人は飽きて裏切るようなお人ではない、そう信じている。でも怖い。いなくなってしまったらと思うと、怖かったのでございます。口ではこう言ってはいても、涙は正直でございました」
――パンパン。
「それから数日。お花も日常的に歩けるくらいには回復しました。そこで長屋に訪ねてきた男が一人。ただの男にございませんで、紋付き袴の武士にございました。
実は彼、大名の松平右京大夫の用人で、名を山田孝右衛門と申します。今しも、持っていた重そうな風呂敷を開くと、まあびっくり……中には千両が包まれているではございませんか」
――パンパン!
「さてさて、ここからが驚愕の真実にございます。
実は伝助、大名の子息で本当の名を伝之丞と言いまして、今は亡き奥方から生まれた子。今の奥方にも子はおりますから、それは腹違いの弟でございます。ゆえに伝之丞は今の奥方に遠慮をする心から出奔してしまい……という経緯がございまして。
では、この千両は何なのかと申しますと……実は伝助、屋敷へ戻り父親である右京大夫にお花との縁組を申し出たのです。父、右京大夫はその退っ引きならぬ訳を聞いて、快くそれをお認めなさいました。それでもってこの日、結納金を武士が持参したという次第でございます。
千両です。一両は、ざっくり申しますと現代で、およそ数万円でございます。ですので、これを元手にまた店をやるには十分でございますね。その後、伝助もとい伝之丞は二代目花屋喜兵衛を継ぎ、お花と手を取り二人で店をやってゆきました。よく息の合った、互いを大事にする理想的な夫婦となったのでございます」
釈台が一度打たれた。
「人を助ける手が生むものは、真実の愛、富の縁。欲に塗れぬ愛あれば、そこに惹かれる愛もある。
芯とは草冠の下に心と書きます。普段は草で覆われて、なかなか気づきにくいものですが、それはわざとそうしているのでしょう。大切な人になら草を取っ払って心を見せられる、その時まで大切に隠しているのです。本心を分かり合える仲とは、羨ましいものですね。
さてそんな、芯というものを持った二人がハッピーエンドを迎えましたところで、本日は読み上がりでございます――」
田浦の目は、満天の星を見つめるが如く、数多の輝きに満ち溢れていた。これが、彼女と講談の出会いである。




