仲入り(番外)【大名花屋 前編】
田浦はその日、落語研究部へ仮入部に訪れた。ところが、予想とは全く違う実情に落胆する。というか憤った。
落語なんて冠しちゃいるが、実際は漫才やコントなどのお笑いばかりだったのだ。こんなの虚偽じゃないか、田浦は憤ったわけである。なにせ落語が好きでもっと学びたいと思っていたのだから、もう呆れてすぐに飛び出した。わけもなくノリで笑いを誘うような雰囲気も、彼女の肌に合わなかったと言えよう。
「なんなのアレ……なにが落語よ。なにが落研よ。アホくさ」
校舎裏のベンチひとり愚痴る。勧誘チラシをくしゃくしゃに丸めてもイライラはおさまらず、目についたゴミ箱へ投げつける。しかし折しも、通りかかる女子にぽんっと当たってしまう。講談探究同好会部長、衣笠だった。
「あら、これ落研の……」
「あ、すみません……ゴミ箱にいれようとしたらうっかり。ちゃんと捨てますから」
渡り廊下の脇、二人が向かい合う。
「あなた、ひょっとして落語に興味があるの?」
「え? まぁ……そうでしたけど」
「でした、ね。なるほど。落語研究部に行って、がっかりした口ね? 落語専攻している人、ほぼゼロだから」
「はい……しかも空気感が嫌いで。嫌なんです、うるさいだけの」
「ははは、すごいはっきり言うのね。じゃあ、講談っていうのは知ってるかしら?」
「講談……名前だけは分かりますけど」
「落語と似て非なるものなんだけれど、私その講談をテーマにした同好会の部長で、衣笠っていうの。
落語も講談も同じ話芸。どうかしら、ものは試しに聞いてみない? 講談」
田浦は興味本意で誘われるままに部室へ。落研のそれより狭く、長机一つに椅子数脚、立て掛けられた畳に、書棚とロッカー、窓の脇には文机。よくわからない道具が、段ボールから頭を出して壁際に並ぶ。
なんだこの小さくお粗末な部室は、という心の声を抑える田浦に衣笠は言う。
「実はこの同好会では、講談の話芸に着目しててね。その話芸をより現代的に落とし込んで楽しめないかを探究しているのよ。だから読み上げる物語も創作していてね。よかったら、私の創作講談を聞いて――」
「あの、だったら先輩。実際の講談演目も、できるんですか?」
「え? まぁ、私はやれるわよ。もちろんやれるだけであって、できるって言っちゃうと語弊があるかもだけれどね」
「じゃあ、講談ならではっていうの、やってみてください」
一年生にしては小生意気な物言いだったろうが、衣笠は余裕の笑みで話を受けた。母性が高い人柄もあったが、それだけじゃない。本当に落語が学びたかったのに、裏切られた。今度は裏切られたくない、そんな気持ちが彼女にはあり、それを衣笠も汲んだのである。
「じゃあそうね……決めたわ」
そう言って長方形の机上に置かれたメモ帳を取るとすらすらっと一筆。
『大名花屋』という達筆。
「今からやるのはこの演目。私が好きな話なのよね。少女漫画にもできそうなテラーで、会話だけじゃ難しい気持ちの表現が講談ならではと思ってるわ。
私なりの捉え方もあるから、まぁ素人講談として聞いてもらえれば幸いね。あと申し訳ないけど、わたし場所が整わないとできないから、畳とか一緒に準備手伝ってくれるかしら」
部室に敷かれる畳一枚。その上に文机一脚、座する衣笠。メガネをゆっくり外すとブレザーの中へ。張り扇の感触を確かめるように何回か握り直すと、釈台を打つ。
――パン、パン。
頭を下げる衣笠。
「恋ってなんでしょう。好きになることですよね。もちろんそうです。でも、一歩引いて考えてみてください。どうして好きなんですか?
なんて問うてみましたが、そんなもの丁寧に説明できる人なんて、いたらそれはあまりに適当というもの。
だって、言葉にならない気持ちの機微が、恋というものなのですから。恋が科学されたら、それは世も末にございましょ。
金と身分があるならば、手に入れられぬものはなし。金も身分もないのなら、手に入れられるものはなし。では恋があるならいったい何が、手に入る?
江戸は中頃の、お話にございます」
――パン、パン。
「大名諸家に出入りを許された、それは大きな商家がございまして花屋喜兵衛と申します。本郷二丁目の大商人、これ界隈で知らぬ者は無し。
知らぬといえば、その家の娘もまた知らぬ者は無しでございました。喜兵衛夫婦が一人娘、名をお花と申しまして、十八の生娘でございます。玉のような肌に可憐な笑顔、くすぐる美声に魅了されぬ者は無し。見ればトキ、喋ればウグイス、籠の鳥……そう、婿を待つ身でございます。
平凡よりちょっと上、という程度でございましょうか、そんな夫婦からまぁよくもこんな小町が育ったもので。これには、喜兵衛たち自身が驚くほどでございました。
今でいう、黄金比のお顔立ちというのでしょうか。ノーメイクでコスプレイヤーが務まるそれと言えば、どれだけ美しかったかお分かりいただけますね。
歩けば集める熱い視線、座れば群がる色男、縁談なんかは星の数。されども気にいることは無し。汚れを知らぬ高嶺の花、いや孤高の華か」
釈台に一度、音が鳴る。
「そんな彼女には、よく一緒にいる大男がいた。彼は名を伝助といい、年の頃は二十五、筋骨隆々の力持ちにございます。
現代で言えば、総合格闘技をやるような体格でございました。しかしこの大男、ここでは飯炊きで働いております。
実はこの伝助、お花の父である喜兵衛に助けられた過去がございます。
数年前の、寒さ厳しい師走の候。雪降りしきる、静寂もたらす街外れ。茂みのそばに動く陰。喜兵衛は何かと視線やる。
何やら地蔵様でも拝んでいるのか、こんな寒い日にまたなんで……しかしどうにも様子がおかしい。こりゃあ苦しんでいるじゃねえか。
辛そうに呻く姿に、喜兵衛は大変だと連れ帰る。そこでお花は、自ら看病を申し出ては尽くしてやりました。
それでもって回復した後は、そのまま飯炊きの仕事についたというわけでございます。とはいえ、今やお花の用心棒という暗黙の仕事も任されてはいたのでございますが。
ついこの前の三月のことでした。浅草の観音様へお詣りにいった折も、茶屋にいたところ酔っ払いに襲われましたから、伝助はお花を助けてやりました。
これが実に頼り甲斐のある男。まぁ、どんな様子だったのかと申しますと、片手で酔っぱらった侍を軽く、ぽーんと放り投げてしまうほどでしたから、お花もびっくりでございます。
『ありがと伝助。怪我は……て、怪我してるじゃないの! ダメよ無茶をしては、早く腕を貸して』
『いやでーじょぶです、こんくらい何の怪我でもねえですから』
『だめっ! 変なものが入ってしまったらどうするの』
こうなれば羨望の眼差しを周囲から受けてしまうので、伝助やりにくいったらございません、思わず突き放して逃げてしまう。
『平気ですって! なら、けえってから手当をすりゃいい話ですよ』
拒まれたお花は、盛大にムスッとして言い放つ。
『じゃあ帰りますよ! 早く帰ってちゃんと洗います! はーやーくっ!』
小町に押される大きな背。こりゃまるで美女と野獣の構図でございます。猛獣は、美人に弱いのでしょうか」
――パン、パン。
「月日は流れて秋の暮れ。夜も長いが話も長い。この日はいつもより話が長引いておりました。
お花を呼びつけた喜兵衛。もちろん縁談の話し合いにございました。
とは言え、お花も縁談のことだろうと予想はしておりました。今度も適当にぬらりくらり断る方へ促そうと考えてはいたのでございますが……いや、これがどうやらそうはいかなさそうだということで、この長丁場。
相手が悪かったのでございます。
なんと、界隈では美男としてチヤホヤされている、湯島天神下の近江屋勘兵衛という古狸の倅、秀之助であるとか。
商売仲間である家だ。これ断っては今度こそ両親の顔になかなか頑固な泥を塗ってしまうかもしれない。お花はとても親思いですから……頑なに縁談を断ってきたお花を躊躇わせるのに、これは十分でございました。
とは言えども、お花は断りたい気持ちが強い。でも親のことを思えば、そりゃあ受けた方が良いのだろう。安心させることもできるし……その葛藤でございます」
――パパン!
「折しも、部屋のそばを伝助が通るから、お花は思わず呼び止めた。
『伝助っ!』
『うわ……え? お嬢さん、いってぇなんですかい。そんな急に声だして』
部屋を覗けば、そこにはしかめっ面の喜兵衛。ああ、こりゃ縁談か……伝助もすぐ勘付く。
『伝助、そこに座って』
『おい、お花。どういうつもりだ、お前に話をしているのだぞ』
『分かっています。でもただ紹介なさったお人をお婿さんに迎えるのはいかがなものでしょう。
伝助なら、町の手伝いをもして、お顔が広うございます。いろいろな噂や実情も知っていますでしょう。だから、その男の人のことも何か知っていれば、ちゃんと素性を理解できようというものでございます』
『ったく……バカなことを言うんじゃない、あの近江屋の子息だぞ。滅多なこと言うもんじゃないよお前』
『聞くのが怖いと仰るのなら、私も無理にとは言いませんが』
『んーむ……もういい分かった。伝助や、入れ』
『あぁ旦那様、じゃ失礼して』
お花の隣に正座をするが、いやデカいんですね。喜兵衛は見上げなければなりませんから、思わずこう言います。
『おま……んだよ、でけえなおい。そんなデカかったか? まさか成長したかお前?』
『いやいや、旦那様。歯の抜ける子供じゃあるめーしんなこたありませんよ。冗談よしてくだせ』
『伝助、話は分かってるわね。近江屋の秀之助さんという方をあなたは知ってますか?』
伝助はもちろん、お花の気持ちを理解してます。この縁談を進めたくないという思いがあるからこそ、自分を呼びつけ助け舟を……つまりは、何か嘘でも良いから変な話をして欲しい、そんな魂胆があるに違いないと。そんな考えくらい、手に取るように分かっておりました。しかし伝助、その期待に応えるのは些か心苦しい。親の気持ちも理解できましたし、何より、助けてくれたお人に嘘をつくようなことは、言えないです。
伝助は二人の視線を受け、縫い付けられたように躊躇う口を開く。
『んあの……こんな、こたぁ言いたいわけじゃねーんですが……実は、俺が聞いた話じゃありゃあヒドイもんで――』
不思議でございますね。人は時として、頭で分かっていても心の声が勝手に紡ぎ出されてしまうことがあるようで。このときの伝助も、そうでございました。
伝助は散々悪口を言ってしまうのでございます。言うつもりなんてなかったのに、なぜか止まらない。女癖が悪い、陰湿な虐めを繰り返してる。金遣いが荒い。中にはもちろん事実もありました。しかし、色をつけて誇張した。
ろくでもない男だと言い終わってから、自分は何でこんなこと言ってしまったんだと、後悔に苛まれるのでございます。
伝助もまた、お花同様に縁談を進めさせたくはなかったのですね。口にはしないです。しないですけど、お花に気があったのでございましょう。誰かに取られてしまうなんて、耐えられなかった。その心の叫び、願望というものが口をついて出た。
しかし、それでも喜兵衛の意向で、縁談は進みましてございます。
儚いもので……昔ですからね。父の方針に従うのは、ごく当たり前だったわけにございます。今ならそれこそ、おかしな話。嫌だと言えば無理強いはできない社会でございましょう。それができないのが、この江戸時代でございます。
逆に申し上げれば、今の当たり前は昔の非常識だったわけにございます。それぞれに社会というものがあるわけで、しかしその中にも生き様というのは皆それぞれに、強く……それは凛々しく見出してゆくものでございました。
さあ、祝言は翌年の二月と決まります。半年もございません。お花は毎日元気が無い。案ずる伝助は、わざとらしく明るく振る舞うが内心穏やかではない。二人はかつてのように話すこともあまりしなくなってしまいます。何もできないのが悔しい伝助に、縁談をなんとかできないか苦肉の策を、したたかに頭で練るお花。
このさき待ち受ける運命とはいかに――」




