第十八席【ホールの悪魔】
午後の部は午前より人が多く、半分以上は確実に埋まっていた。
田浦さんの直前の出番は、大杉高校の三味線部。古典的なものをやった後で、誰でも知ってるような人気曲のメドレーなんてやるものだから会場はドッと沸く。そんな中でやってきたのが、田浦さんの出番。僕ら三人は、その姿を客席で見守った。
シャンとした姿はやっぱり田浦さんらしいと、そう思えるのはしかし……序盤だけだった。話が進んでいくにつれ、その様子がおかしくなってしまったのだ。いつものような声のハリは失われ、やや焦っている様子に……決定的だったのは、読み間違えだ。
いつもの田浦さんでは、少なくともなかった。
「ミーちゃん……」
そう呟く玉縄先輩同様、金沢先輩も憂い声だ。
「あぁ……マズいね。田浦ちゃん、完全に飲まれちゃってるなぁ。いいのに、気ままにやるくらいで。真面目さが足を引っ張ったかな」
「田浦さん……どうしてでしょう。はじめはちゃんとできてたのに、あんなミスまで……信じられないです」
この疑問に、金沢先輩が答えてきた。
「まぁそりゃ恐らくは。まわりを見てみ、中原君」
「え……?」
そこで僕は、田浦さんがこうなった原因に気づかされる。
人がパラパラ出て行ったり、スマホに視線を落としていたり、子供はほとんど聞かないで友達と何か話してる様子だったのだ。朝と客数が違うとはいえ、玉縄先輩のときは少なくともみんな前を向いていたし、子供ですら前のめりで聞いていた。
それはつまり――
「分かった? 観客が聞く姿勢になってない。極論、審査員さえ聞いてればそれで良いはず。けど、大勢の観客は実際そこにいるんだ。いれば当然、目に映る。いるからには、その反応は否が応でもダイレクトに伝わってくる。
観客一人が出ていくだけでも、きっといまの田浦ちゃんにとっては、何十人が出ていくのと同じくらいのプレッシャーになってるはずだよ。前から見ていると、客席で興味を示さない反応もしっかり見えるしね。そんな光景を前にすれば、誰だって気持ちに焦りは生まれる。いつもより、読むペースが速くなってるのはそれでしょ。
そんなにハイペースで読んだら、聞く方もストレスになるのに。まして、言葉も硬めなものが多いものならなおさら。そうなると、もっと客は離れる。だからもう、負の連鎖だな」
「そんな……」
結局、田浦さんは調子を崩したまま、初の大舞台であり初めてのアウェイとなる一席を、本望とは言えないであろう形で締めくくることとなってしまった。
⭐︎
「――部長。っすみません……わたし、こんな――」
廊下へ出てきた田浦さんは開口一番、見たことのない辛そうな顔で部長に謝った。
「田浦さん……謝らなくていいのよ。よくやったじゃない、初めてのホール。出ただけでも、それはたいしたものよ。決して本望ではないでしょうけど、これも練習と思って、肥やしにして欲しい。
なにより、間際で観客のことを考えて言葉を分かりやすくさせるために直しをしてしまったのも、良くなかったのかもしれないわ。枕(物語に入る前に観客を和ませる話題をすること)を入れるように、やっぱり組むべきだったかもしれない。私の配慮不足で、負担をかけてしまったわ……ごめんなさいね」
「そんなこと……そんなの言わないでくださいよっ! これは、私が……わたしが力不足だっただけなんですから。私は、わたし……っ」
顔を背けたと思うと、やにわに走り出してしまう。
「ちょっ、田浦さん……!?」
「ミーちゃんッ!」
「平気だよ、あの子は強いでしょ。こういうときは、一人にしてあげた方がむしろ良いんじゃないか」
そう言う金沢先輩に、二人はその場で見合わせる。しかし、僕はどうしてか放って置けなくて、すぐに彼女を追ってしまった。
⭐︎
探し回ったが、結局どこにも田浦さんを見つけられず。
「どうしよ……いない。田浦さん、どこ行ったんだろ……」
ロビーのベンチまで行くと、周りは他校の生徒や来場者でガヤガヤとしていた。ガラス張りの壁から日差しが差し込む。
僕が田浦さんだったら、どこに行くのか。一人になりたいとしたら、どこに向かうのか。そこで頭に浮かんだのは僕では入れないところ。女子トイレであった。
遠目に待っていると、まさかのまさか田浦さんが実際にトイレから出てきたので、僕はすぐさま追いかける。
「田浦さん……!」
振り返れば、目も鼻も真っ赤になっていた。
「っ、なに……」
「いや、その……えと」
「……はぁ」
何を言えば良いか分からないで吃る僕に、田浦さんが先に口を開く。
「のど、乾いた……何か奢って」
「え……うん」
そのあと自販機で買った飲み物を持って、ロビーの端っこにあるベンチへ。
僕が声をかける前に、またぞろ田浦さんの方から先に声が出る。
「ダメだった……うまくいくと思って、自信だってあったのに」
「うん……」
「合わせる顔がないの、こんな……去年は二位だったのにきっと今年はもう……ムリだもの」
結果を見るまで分からない、なんて無責任なことは言えなかった。
「先輩たちは、そんなの気にしないでいいって言うよ……きっと」
「そりゃ言ってくれるでしょうね、責め立てるような人達じゃないもの。そんなの、分かってるのよ。だから嫌なの。裏でどう思われてるのか不安になる……そんな自分が嫌」
「田浦さん……」
「金沢先輩は最後の合同会。これだったら自分が出れば良かったって、思ってるかもしれない。玉縄先輩だって、一年生を出すんじゃなかったって思うかもしれない。衣笠部長も……あんなに教えてくれて、つきっきりで面倒見てくれたのに。ガッカリしてるかもしれない……そんなふうに思う自分がほんと嫌い。
どうしてよっ……こんなはずじゃ、なかったのに。なんで……っ」
「でもさ……いっぱい、頑張ってたじゃない田浦さん。人一倍、真剣に練習してた。台本も、びっしり書き込んで」
「なんでそんなこと……見てないようで意外と見てるのね、あんたって……」
「ごめん……見える時があって、その時に少しだけ。少なくとも僕は、目一杯に励んでたの知ってる……先輩たちも分かってるよ、だから」
ぐーっと俯く田浦さんの顔がどうなっているのかは、肩を見れば分かるというもの。
「くや、しぃの……わたし悔しいっ」
「うん……」
「くやしいぃっ……!」
僕は結局ろくに言葉をかけられずに、田浦さんに寄り添っていることしかできなかった。気丈な田浦さんでも、こんなに参るときはあるようだ。そこに僕は人知れず人間味を感じる。
少し経つと、田浦さんは内にある感情を発散できたのか、落ち着いた様子になるのだった。
「ありがと……ジュース」
「えっ、あぁうん」
「……ありがとう」
「……?」
後から思うと、二回目の『ありがとう』は聞いてくれてかあるいは励ましてくれて、もしくはそばにいてくれて、ありがとうの意味だったのかもしれなかった。
このあと、合流して閉会式にのぞんだのだが、やはり入賞とはならなかった。
一位は、大杉高校三味線部。二位は、橘花高校雅楽部。
問題が起こったのは、その帰りがけ。備品を車に運び終えた時、なんとアノ人がやってきたのだ。
「待ちなさい。あなた、田浦さんというのね」
ツンとした声、鋭い目つき。淡海部長だ。後ろにはまたあの子がいる。
田浦さんは淡海部長と口論したわけで、その仕返しというわけではないが、何か言いにきたのではと思ったのは僕だけじゃないようだ。
すかさず前に出たのは玉縄先輩……と、思いきや部長だった。
「何か用? 妙なこと言いにきたのなら、さすがに礼儀が無いわ。うちの田浦は命をかけてやったと思ってる。あいにく、何かを部外者に言われる筋合いはないわよ」
守るように立ちはだかった部長。カッコ良すぎて惚れてしまいそう。
「あら、何を言ってるの? ずいぶんと不躾な物言いをしてくれるわね。あなたにしては珍しい」
そこで田浦さんは、部長の横に並ぶ。
「言いたいことがあるなら、ここで言ってもらって構わないです。私は失敗した……醜態を晒した……それは全部、私個人の責任なので。だから、部員の人たちのせいじゃないので、そこだけは勘違いしないでください……」
しかし、これに対する言葉は予想とまるで正反対だった。
「わたくしは、他の部員の方などどうでもよろしいのです。あなたに話があっただけ。
田浦さん。素晴らしかったわ……講談を挑んだ、それだけでも評価に値すると私は思っておりますの」
「え……?」
「今まであなた方同好会からは一人も、あなたのような演目を演じた人はいなかった。創作の物語を、読むばかりでしたの。
でも、あなたは歴史伝統ある講談の一席に挑んでみせた。それはたしかに、まだこういう舞台に慣れていなかったせいか、見るに耐えない結果と言えるものでしたわ。
とは言え、あなたの読む姿を見れば、どれだけ一途に取り組んできたかはありありと分かりますもの。勤勉な姿勢、伝統芸能を重んじる意志、これを私は感じました。
ですから次回までには、ちゃんとできるように精進なさいね」
そう言い残して……というか、ある意味肩透かしされた僕らに、言いたいことだけ言い切ってその場を後にした。
背後で視線を泳がせていた女子は、入れ替わりそこで初めて口を開く。
「あのっ……! 淡海部長は、伝統を何より重んじてます。歴史が紡ぐ無形の財産は然るべき正しい形で、今に合わせるのでなく今を合わせることで、今昔不変にあるべきという考えをお持ちです。
そのっ……ですので、現代的な創作のお話はどうしても講談とは認めたくないみたいで。
でも、本日の田浦様の演目は『大名花屋』。そして講師の方がいないにも関わらず、いえだからこそなのかもしれません、しっかり学ばれていることが伝わりました。
それは確かに伝統を重んじたものですので、そこを淡海部長は大変嬉しく思っておりまして。田浦様が不完全燃焼に終わったことを、私たちも悔しく思っており――」
「ちょっと! 何をしておりますの! 早く行きますわよ苑田。また無駄口を叩いてないでしょうね」
「っあ、申し訳ありません……!
僭越ながら、私は苑田と言います。そ、それでは拙いご挨拶にて失礼致しますっ」
僕らはまるで狐に摘まれたような、妙な空気感となってしまうのだった。




