第十三席【落語と講談】
寄席に行くこと、生の落語を観ること、そして玉縄先輩と二人で座席に隣り合うこと――これら全てが初体験。
玉縄先輩の茶髪はとても細くて艶やかで、ああこんなに綺麗なんだ……なんて思いながら。その笑う顔に勝手にドキリとしながら過ごす時間は、至福であると同時にそこはかとなく後ろめたくなる時間でもあった。
さてとは言え、見惚れたせいで本来の目的を見失っていた……なんてオチは僕にはない。
まず噺家さんに学んだのは、良い意味でふざけているといったこと。それはたぶん、うちの同好会でも行われてるものだ。時事ネタや何気ない話をして和ませ、演目の最中もちゃんとアイスブレイクみたいなのを入れたりする。そうやって話を聞く姿勢というものが、こちらとしては意図せず、整ってゆくのだ。
中身の方はというと、先輩達の言っていた通り会話が地続きになっていて、講談より全然ト書きが、つまりセリフ以外の言葉が少なかった。
あたかもそこに何人もいて、その中の一人が自分であるかのような。輪の中に入って聞いているような感じ。そんなふうに、ごく身近にすーっと引き込んでゆく巧みな技を垣間見るのと同時に、最後のサゲと言われるオチもひねりがあって、最後にアッと思わせるのもまた魅力。
とは言え、玉縄先輩はこう言っていた。
『別に、前のめりで学ぼうなんて思わなくって良いだからねぇ。楽しいと思えば、それがきっと一番の学びですから!』
楽しいと思ったら、真似してみたいと思う。そんなことから、気づけば学んでいるということなんだろう。実際、僕の気持ちがそうだった。そして、そうやって楽しめたのは、他でもない、玉縄先輩がいたからこそである。
⭐︎
浅草の寄席も早々に切り上げ、次に向かうのは御徒町。玉縄先輩が、そこは予約してくれている。五時半開場の六時開演。
場所は御徒町駅から徒歩三分。片側二車線、大通りの交差点。そこに面したすぐ脇に、見た目は普通のビルがある。しかし、エントランス横には木札で演者の名がズラリ。ここが目的地、お江戸上野広小路亭。
中へ入ると靴を脱いで上がり、二階のロッカーにしまう。三階に上がるとロビーがあって、その先に会場の扉が見えるといった具合。こっちの座席は、折り畳み椅子だった。中はさっきよりこじんまりした雰囲気で、キャパシティ少なめ。
今から行われるのは、寄席と言っても講談祭。だから、他の芸は出ない。
釈台の置かれた高座は、さっきよりコンパクト。前座から始まり、講談師が五分から十分で次々と読み聞かせをやっていき、約十五人もの講談師の講談を聞ける。
その前半で、既に学びがたくさんだった。つい聞き入ってしまう、生き生きと滑らかな流れる言葉の数々。声を出さない時間、その間の使い方。息一つで演出できる空気の操り方。場面毎に張り扇を駆使して、臨場感やテンポを刻むその姿……挙げればキリがない。
時間の流れやリアルな場所を、ごく自然と脳内にインプットしてくるプロの講談はやはり凄かった。まるで一本の映像を、脳にダイレクトに出力されるような感じで落語にはない、まさに物語を読み聞かせさせられているという立体的な印象を受けた。
落語より、俯瞰して物語を見ている感じというのだろうか。江戸時代の言葉をある程度覚えたというのも、楽しめた要素かもしれない。より深く世界観を、物語をしっかり咀嚼できた体感。
きっと落語を漫画とするなら、さしずめ講談は小説と言える。どちらが良いではなく、どちらが好みかになるのだろう。僕はやっぱり、世界観を深く掘り下げてゆく、奥行きのある講談が好きだ。
さて前半が終わると、お仲入りといって休憩を挟む。僕らはそこで弁当を食べるのだが、玉縄先輩はこんなことを聞いてきた。
「ズッキーどだったー? 初生講談! 誰がいー?」
おにぎりを一口、美味しそうに頬張る先輩。
「僕はぁ……そうですね」
そう問われて、自然に頭に浮かぶ名前。
「神田櫻山っていう最後にやった人がすごく魅力感じました。動画でも見たことあるからかもしれないですけど」
「おーっ、今波に乗ってる人だね。動画も上げてるし、積極的に! いいよね、カジュアルさもあって垢抜けて。言い回しとか調子、あたしも好きー!
あたしはねぇ、神田立花さんが好きなんだ。どっか、あたしと似てる気がしちゃって」
「似てる……ですか?」
「ああっ、顔とかじゃないよ?
去年クンさんに連れてきてもらったとき、ちょうどこの人が二つ目に昇進したときだったんだ。二つ目っていうのは、前座修行を終えてなるもので、真打の手前なんだけど。オーラがなんか共鳴するものがあってさぁ、勝手に。自分なりの芸を、必死にこさえようとしているハングリー精神みたいな?
見てると、所作とか演出がやっぱり真打の人とは違ってまだ若々しいっていうか、ぎこちない探り探りみたいな感じあるでしょ? でも、すっとハマった時って自分でもたぶん感じてるんだろうけど、見てる方も分かるというか。だからあれかな、応援したくなるっていうのかな? そんな感じで、自分のスタンスを模索しながら頑張ってる姿に親近感覚えてるのかも。あたしも、模索してるんだろうなぁ」
食べる手を止めた玉縄先輩の表情が、ちょっぴりおとなしいことが気になってなのか、僕はこんなことをふと聞いてしまった。
「……どうして、玉縄先輩はこの同好会に入ったんですか?」
「うーん……どうしてだろね。
あたしって、中学の時にあんまり友達出来なくってさぁ」
明るくて友達がたくさんいそうなのに。まさか金沢先輩のように嘘偽りというわけではあるまい。
そんな何気なく出された言葉に、どう反応すべきなのか迷ってまごつく僕は、しかし取り越し苦労だった。
「落ち着きないし喋るのが好きでつい喋っちゃうから、まぁそれがいけなかったのかなって思うんだ。でもそこはもう、あたしの気質だからどうやったって変えられないし。気づけば喋っちゃってるんだよねぇ。
高校に入って、大人っぽく落ち着いた感じでやろーと思いはしたのさ。でもなぁ、ダメだったね。やっぱりうるさくなっちゃう。話したくて仕方なくなっちゃって……そんで気付けば、他の人の話も聞かずに遮っちゃってたり、あたしだけ勝手に楽しんでるみたいな、あっはは。
で、ああーやっちゃった。これが後から気づくんだよねぇ、みんなの顔見て。
女子って譲り合いだからさ。みんなで一歩、だからさぁ。こういう勝手に二歩三歩進んじゃう人ってたぶん、嫌われるんだよね。分かってんだよあたしもさ? 分かってんだけど、偽ってまでみんなと同じじゃなくても良いかなーって思ったし。だから、今があるしぃ。
ある日ね、部長が部活勧誘の掲示板の前で独り言喋ってるあたしに声かけてくれたんだ。
なんて言ったと思う?」
「え、なんですか……?」
「一人で楽しそうだねーって言われたの。あたしそのとき、部活いろいろあって見てるだけで楽しくて、勝手に興奮して喋っちゃててさ。で、迷ってるなら講談聞いてみないって言われて、そんでついてって聞いてみたら……うわぁーなにこれ楽しそう! って思って。うん……そっからなんだよねぇ。
面白そうって思ったから入ったんだ! そんなもんで、たいしたこと、だから考えてないよ。あっはは」
滑稽もので賑やかな芸風というのは、本人の個性を活用した形でどうやらあるようだ。
いつか部長が、先輩が学校で浮いているとか言ってたっけ。僕とは真逆のコンプレックスが、先輩にはあったということか。
僕は人知れずこのとき、無理に変えなくてもいいという勇気を、変えるのではなく生かせばいいということを、勝手ながらに教わった気がしていた。
玉縄先輩の推しが神田立花なら、僕の推しはきっと玉縄先輩だ。
「思い返せば、最初は苦労したなぁ。台本に無い余計なことまでついつい喋っちゃって、なんかほぼ雑談みたくなっちゃったり。あと騒ぎすぎちゃって、それは話芸じゃないって叱られたり、あはは。やー懐かしいやぁ」
そんなことを終始、問わず語りを続けた玉縄先輩。
一つ話せば、芋蔓式にどんどん話が掘り起こされる。立板に水の雑談めいた話の数々。そんな世間話を聞いている時間は、誰かにとってはきっと退屈なのだろう。しかし、少なくとも僕にとっては居心地の良い、すこぶる楽しい時間に他ならなかった。
そしてこう思うのだ。そういった人間ドラマを聞くのはとても面白いことだと。この感覚と価値観が、その後の僕の芸風に直結してゆくことを、しかしこの時の僕はまだ知る由もない――
⭐︎
帰宅した僕は後悔した。今日のお礼しか言えてなかったからだ。
服のこととか、いつもと違う髪型のこととかを、やっぱり褒めるべきだったんじゃないだろうかと……そんな後悔が、僕の入浴時間をいたずらに伸ばしていくのだった――




