第九席【声に頼るな】
七月十日。ジリジリと暑さが増した最近は、校内の緑も青々と。部室では練習が淡々と。
「――どうして、言ってくれなかったんだ」
玉縄先輩が、パンっと手を叩く。
「はいっ! そこもちょい違うかなぁ。声に頼らない! 声は勝手に出るもの。じゃあねぇ、こうしてみよっか。
『どうして、言ってくれなかったんだっ……』
こんなふう! もっと悔しさがぐわーんって湧き上がるようなさ。静かに滲み出てくるようにした方が良いんだよね。後に続くト書き、『何も言わずに突然去った親友の、苦悩を刻む手紙の一文。読んで湧き出る後悔は、彼の涙を枯らしていった』が際立つし、違和感なく繋げられるはずだから。
今の抑揚だと、切なさが消えちゃってるんだと思うんだぁ。少し怒ってるふうにも思える感じ? てゆーのかな。感情が強い場面なんだけど、声は抑えめの方が鮮明に伝えられるんだよね」
「分かりました」
「よーしじゃーもっかい!」
「どうして言ってくれなかったんだ……っ!」
「うむ……はいはいー、そんなふうでオッケーなんだけど、まだちょっと違うなぁ。固いね? もっと柔らかく出す感じでできるかな?」
「はいっ、やってみます――『どうして、言ってくれなかったんだっ……』」
「うんそれだっ! じゃあ次のとこねー」
玉縄先輩は、カチッとスイッチが入ったように顔つきを変える。
「『何も言わずに突然去った親友の、苦悩を刻む手紙の一文』――こんなふうに読んでみてね」
やっぱり玉縄先輩はすごい……なんて思いながら、僕が手本を頭に読んでゆくが、ここでも直しが入ってしまう。
「はいストップ! んーむ……まぁ声の高さも違うから、感じがどうしてもあたしとは違っちゃうのはあると思うんだけど。そこはもっと、声を上下させてから――」
こんな感じで、まさに地道……というか地味。しかしそれが大切なことは理解している。
このあと、小憩を挟んで続きをやるということで、僕は飲み物を買いに渡り廊下を使って一階に降り、食堂前の自販機コーナーへ。
お金を出す前に、出るのは意図せぬ溜息だった。
玉縄先輩が時間を割いて稽古をつけてくれているのに、声の上達がなかなかできないのは悔しいし情けない。いやダメだ、弱腰になるなと玉縄先輩は言ってくれた。いくらでも付き合ってあげるぞって。だからこそ早く良いところを、完璧なところを見せないと。そして、八月の合同会のコンペに参加するんだ。
決意と共に硬貨を取り出し前を向けば、消えてるものに気づく僕。
「あれ……あの変なジュース、無くなってる」
玉縄先輩がくれたあのジュースが消えていた。そんな光景に、いつかは玉縄先輩とも別れが来ることを勝手ながらにも連想し、後悔は握らないようにしないと……なんて一人考えた時である。
「――やぁ、君も休憩かい?」
隣からの落ち着いた声に振り向けば――
「あっ……おつ、お疲れ様です。星丸先輩」
とんがり帽子の下、吊り目をした小ぶりな顔が僕を見上げてくる。
「何を買うんだい、迷っていたのか? なんなら、奢ってやるのだ」
「あ、いえ……ありがとうございます。で、でも大丈夫ですそんな」
「遠慮はしなくて良いのだ。私のお勧めはコレだぞ」
なんて言って、黒猫モチーフのパスケースをかざしてしまう。
――ピピ!
手渡されるミルクティー。
「え、すみません。お金……は、払いますね」
しかし、手のひらを向けて断ってきた。
「まぁまぁ、それは取っておきなさい。君には特別な友愛を感じる。未来への投資と言ってはなんだが、応援の気持ちなのだ」
「ありがどうございます……」
「君はしかしそうか、部内ではそんなふうにならないようだが、初対面や不意な出来事に対して吃る癖があるのだな」
「あぁ、はい……それを変えたくて入ったのも、実はあるんです」
「ふむ。それは素晴らしい心構えだ。
ところで部室の前を通るとき、たまにキミの声を聞くのだが、教えてもらっているのは玉縄君かい?」
「はい……」
「そうか。玉縄君はズバ抜けて声の域が広い。君は特に控えめな印象だから、玉縄君のような声を参考にすると、きっと得るものがあるはずだ」
あ……部長はそれを考慮し、僕に玉縄先輩をつかせたというわけだろうか。
「しかしどうやら、苦戦しているようだが?」
「そ、うなんですよね……セリフと、ト書きの声を使い分けるのが難しくて」
「思ったように声が出せないか? 聞いたところ、ト書きは淡々としてセリフはやや大袈裟な気もするのだが」
「まさに、です。それを先輩からも……もっと繊細に読むように、声に頼ってはダメだと」
声に頼るな……そう言われるが、それをどうすれば良いのかが分からず不完全燃焼中。だから、直しばかりが出てしまっている。
強く読むべきところを真似て読んでも、何か違う。ゆっくり読むべきところを真似てやっても、どこか違和感。その原因が分からない。何度かやっていると、オッケーはもらえるのだが……そのペースじゃ遅すぎるし、本当に理解ができているとは言えない気がして。かと言って、何が分からないのかがそもそも分からない。だから聞くのも憚られてしまい……といった具合だった。
星丸先輩は、手元でプシュッと爽やかな音を出す。
「ふうむ、そうだな……声質、声色、声量。いろいろな表現ができる声は、顔よりも表情豊かだと私は思う」
「そ、そうですね。先輩達のを聞いてると、そう思います」
「怒っている表現にしても、ふつふつ湧き上がる怒りと荒れ狂う激怒では異なる。泣く表現にしても、さめざめ泣くのと苦しく嗚咽するような号泣は違う。
台本にはそこまで細かく、きっと書かれちゃいないだろう。だから、そのときの感情の機微というのは、つまるところ読者次第になるはずなのだ。つまり答えはあっても、正解は無い。
だからこそ、はじめの読者である君がどう感じるかが、きっと大事なのではないか?」
「え……?」
「物語を読んで、君は何を感じたのだ?」
「なに……を」
衝撃だった。
『何を感じたか……?』――これは自分でも気づいていなかったのだが、言われてここで初めて気づいたわけだが、驚くことに僕は何も感じていなかった。台本をシステマチックにというか、セリフやト書きをここはこうあるべきという、記号的なニュアンスで読んでいたのだ。
「その顔……なるほど、何も感じていなかったのだろう?」
「そ……そうかも、しれないです」
「譜面のように。ここは強くとか、ここは緩やかにとか、ここはだんだんと弱く……そんなふうにしてしまったのではないか? そうすればやや機械的になり、聞いてる方もつまらない単調な、要するにわざとらしいものになってしまいがちだ。
講談というのは。その話芸というのは、嘘でも真実のように聞かせることという。であれば君はまず、自身で物語を体験すべきなのだ」
そうか……『声に頼るな』は、機械的に出して読めた気になるなという意味だったのではないだろうか。読んでいるときに、自分の内に感情が全く灯らない、声の上っツラだけでの擬似的な感情が乗っている……そんな読み方を先輩達はしていなかった。だから僕は感動したんじゃないか。
なんで、こんな簡単なことに今まで気づかなかったのかと、僕はミルクティーを握ったまま愕然。
「体験して、それを誰かに聞かせるのだよ。難しい話じゃあないはずさ。君の声は低くて耳に良い。はやく一席、聞いてみたいものだ。
さて……ではまた、星降る夜に会おうではないか」
午後5時20分――星丸先輩の中では、星が降っているようだ。
ともあれ、こんなところで大きなヒントを得られるとは。星丸先輩は不思議な人である。校舎で迷っていた時も、今も……こうして助言を提示してくれるのだから。なんだ、本当に魔女か?
角を曲がる後ろ姿に僕は慌てて声をかける。
「あの! あり、ありがとございます!」
星丸先輩は、ひょこっと角から手だけの返事をしてくるのだった。
この日以降、台本から自分が感じるものをまず意識して読むようにしてみると、これがびっくりするほど玉縄先輩から高評価を受けるようになって、僕は少しばかり自信をつけることに成功した。ちょっと玉縄先輩に恩返しできた気分であるが、気は抜けない……合同会に出るため精進しよう――




