第八席【音が命】
試験期間の六月中頃もあっという間に過ぎ去り、来たる七月初旬。入部から、早くも二ヶ月以上が経つ。
これまで毎日のように台本読みや発生練習、そして先輩たちの前での稽古をしていると多少はサマになってゆくもので、入部当初に録音された声よりだいぶ上達していた。
部長の言葉、『成長を実感できる』――をひしと感じている。とは言え、前に比べれば程度だが。田浦さんには置いてかれている感が否めない。
それでも、大きく前進できたと思える最大の点は、先輩達の前で読み上げることが出来ていることにある。読みに集中することでなのか、言うことが台本で決まっているからなのか、『緊張して吃る』ということが無くなったのだ。先輩たちの前では。
ところで、講談では『軍談』・『怪談』・『狭客』・『世話物』などの区分があるが、この同好会でもそういった区分が独自に存在する。
ホラーやオカルトがテーマの『怪談』。日常に起こるちょっとしたミステリーやホッコリできる内容がテーマの『世話もの』。恋愛や友情、義理などがテーマの『人情もの』。ギャグとしてオチのある内容がテーマの『滑稽もの』。御伽話や西洋風をテーマにした『御伽もの』。ちなみに講談の世界では、そういった創作物語を『新作講談』と呼称するらしい。
壁三列に渡って置かれるスチール棚には、先輩達が残した和綴の創作台本が寝かせて積まれているのだが、この和綴じ本は図書部に作ってもらっているんだとか。意外とこの同好会、他の部と繋がりを持っている。
そして当初、課題によってどういったジャンルに向いているのかをアドバイスされたわけだが、僕は世話ものや人情ものが声質や雰囲気に合っていそうということだった。一方で田浦さんは、御伽ものが勧められていたが、当人はこれを突っぱねていた。
僕に関しても、やりたいものができたなら、そっちを目指せば良いとされたが……いまのところそれは無い。玉縄先輩のように滑稽もので揺さぶってみたいし、金沢先輩のように怪談でジワリと引き込んでみたい。でも、あんなのを見てしまうともはや憧れ止まり……どうしても無理に感じてしまう。
だから別のジャンルでいければと考えている。そのため、今は世話ものの台本を借りて練習中だ。なかなか思いつきもしない創作をやりながら。
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長雨の真っ只中、校舎のガラスにてんてんと雨が当たるこの日は、七月定期会のミーティングがあるため全員集合予定。しかし、入ると田浦さんのみ。
「あれ……まだ、僕たちだけなんだね」
台本から離れた視線が、スッと僕に向く。
「衣笠部長は委員会の活動が長引いてるんじゃない? 他の人は知らない」
「そうなんだ……」
鞄を置いての座りがけ、チラリと見える台本に思わず僕は息を呑む。これがすごい……ビーッシリとメモ。付けられた付箋の数は熱量の高さ。あんなに上手いのは天性もあるだろうけれど、こうやって陰で努力を重ねているのが大きいのかもしれない。
「ところで中原君はどうするの、今度の定期会」
「あーうん……ちょっと、今回はやめとくよ」
「そ。でも、自分を変えたいって入ったんでしょ? 平気なの、そんな及び腰で」
「うん……そ、そうなんだけどね」
「三年生は受験がある。十二月以降の定期会は出ないはず。なら、玉縄先輩と私たちだけになる。今のうちから場数は多く踏んでおいた方が、私は良いと思うけど」
「そ、だよね……」
今の僕が、曲がりなりにも定期会の高座でできるかという不安。失敗したら、先輩達に迷惑をかけてしまうという恐怖。どうしても、一歩が踏み出せない。もちろん頭では分かっている……踏み出さなければ次に行けない。
「逃げてばっかいたら、あっという間に三年間終わっちゃうわよ。部長は楽しんでもらうことが大事って言う。私も良いと思う。
でも、中原君にとっての楽しいって何? そうやって逃げることが楽しいの? 違うんじゃないの」
「ん……」
ごもっともである。
あの日、衝撃を受けた玉縄先輩、先日刺激を受けた金沢先輩……そんなふうに、人を惹きつける話芸をやってみたいと思って、目指してここにいる。そのために、たくさん練習しているわけだ。
定期会に出るかどうかは、今日決めなければいけない。
そこで、誰が何の台本を読むのか、つまり長い話がやりたいなら誰かは短めにしなければならない。そういうのを、一ヶ月前に擦り合わせておくというわけだが、さて僕はどうするか……やはり出てみるべきなのか。
とりあえず鞄からお茶のペットボトルを出して、乾いてもない口を潤すのだったが、そこに入ってきたのは金沢先輩。いつも思うのだが、どうしてブレザーに絶対腕を通さないのか。
「「お疲れ様です」」
揃って挨拶した僕らに、先輩は相変わらず飄々とした面持ちで爽やかに言った。
「お疲れぇ。っていうか田浦ちゃん聞いたよー? ユミルに作ってもらったんだって? 張り扇」
「はい。私の家宝です」
「おやま、凄い信仰心だね。ねーねぇどんなんなのー? 俺にも見せて?」
「やです」
「えぇーちょっとだけ、先っぽだけでも良いから。先っちょだけは?」
「やです」
なんか変なやり取りに感じる。
「あららら……んー参ったねぇ、どーする金沢君?」
「え!? な、なんで僕ですか」
「見たくないの? 田浦ちゃんの守ってる大事なもの」
「そ、れは……見てはみたいですけど」
と言ってから思ったが、やっぱりニュアンスがおかしい。
「だってさ? 見たいって中原少年も」
「やです」
「すげー頑固だ、はははっ」
金沢先輩はなんだか面白うそうだけど、田浦さんの顔が眉一本口元一つ変わらない。
「中原君は誰かに作ってもらった? もしまだなら、作ってあげようか」
「えっ、あぁとその……」
「この人は玉縄先輩に作ってもらうらしいですよ。同じこと三回も私に話してきたんで」
そんなに言ったっけ!? いや……言ったのかもしれなかった。
「そっかぁ。じゃあ中原君の記念すべき初めては、タマちゃんか」
そんなこと話していれば、部長と玉縄先輩がやって来て全員集合とあいなった。
さて、ミーティングではまず演者の決定をするわけだが、そこで早くもトラブルが。玉縄先輩は出る気満々だったのだが、出られないことが発覚したのだ。
「なんでっ!? なんであたしダメなのっ!?」
「いや、あなた修学旅行じゃない」
「ぬえっ……んんむー?」
「んーじゃないわよ、そんなひょっとこみたいな顔して。このまえ話したじゃない、定期会は無理そうねって」
「くッ……! そーいえばそんなこと、話したよーな気がしないぃ、でもない気もするなぁ!」
「やっ話したのよだからッ! ていうことで今回は私と金沢君、田浦さんに決定するわね。
本当に、中原君はいいの? 私は思い切って出てみるのもアリだと思うけど。いくらか読んでもらってる台本あるし、あの中からでもね。練習も兼ねてというのは、みんな分かってるから」
「は、はい……でも今回は、まだちょっと」
結局こうなった。
「あーあー! ミーちゃんの初高座は動画で見るだけかぁ。大名花屋やるなんて、聞いてみたかったのに」
実は、定期会は全て動画撮影が行われる。顧問の津田先生によって。メモリアル的要素というよりは、それを見返して勉強する目的だ。
そこで玉縄先輩は何を思ったか、鞄を取って机上へ無造作にボンっと置くと中身をゴソゴソ。金沢先輩が思わず突っ込んだ。
「おーいタマちゃん、何やってんの。おやつの時間じゃないよ?」
「違うよ、もう食べたもん五時限目の現代文で」
そこですかさず部長が一言。
「何やってんのちゃんと聞きなさいよ、学業が主体なのよ」
「そうじゃなくってさ……あれぇー持ってきたと思ったのに」
次々に机に出てくる体操服に靴下、物がはみ出てるポーチ、萎れたハンカチ、何かの破片。田浦さんがイカ耳の猫みたいになってる。
「あーっ! 良かったやっぱりあった!」
手にしたのは張り扇だったのだが、いつも先輩が持っているのより大きい。なんて思っていると……こちらに差し出されるではないか。
「ほいっ、ズッキー。約束のお品物でございましてそうろー」
なんと、僕への張り扇であった……しかし、今なのか。しかも出てきかた。だが喜びはもちろん頂点に。
「こ、これが僕の――」
一見、閉じた扇子のような形で白く細長い。しかしそれより、平たく大きめ。厚紙か和紙? そんなふうなのが巻かれてあるのだが、所々グラデーションがついているのがなんともオシャレ。
王から賜りし宝剣が如く両手に納めた僕だったが、そんな姿に玉縄先輩はケラケラと。
「約束すっぽかすと思った? ちゃんとやってきたさあ。そんな立派なものじゃないけど。しかも、ちょっと不格好だったかもしんないや、ごめんね」
「い、いえ、全然。なんか、つっ使いたくなくなっちゃいます……一生、大事にします!」
「いやいや使ってちゃんとッ! せっかく作ったのに意味ないわ!」
「あその……そういう意味じゃなくって。そ、それくらい嬉しいっていう」
そこで、金沢先輩が覗き込んでくる。
「ほーん、タマちゃんにしてはよくできたね。なに、どれどれー?」
なんて触れようとする手を見た僕は、無意識に後ろへ隠す。なぜ田浦さんが触らせなかったのか、なんとなく分かった。
「あらなんで? 見してよ俺にも」
「あの……見るだけ、ですか?」
すると金沢先輩は、何を思ってかニヤリ。
「あそうかぁ……ほーん、ふむふむ。そりゃ好きな子から貰ったら、よその男にゃ触らせたくないよねぇ」
なに言ってんだコイツ! とんでもないカミングアウトに血の気が引いた。しかし玉縄先輩は、予想を超えて鈍感だった。
「そりゃそうでしょっ! あたしの話が好きでなくちゃ、入会だってしてないんだから、あはははっ!」
金沢先輩は僕に耳打ちした。
「がんばれ中原君。こりゃ道のりは、いろは坂より険しいぞー?」
「えっ……や、なっななんの話ですか」
もう汗が止まらないわけだが、向かいで田浦さんがため息。
「くだらない。部長、次の話に進みましょう――」
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帰りがけに、玉縄先輩に改めてお礼を言いに僕は向かう。
「あのっ……玉縄先輩!」
「ほいほいー? なんぞ?」
張り扇を両手に握る僕に、振り返る先輩。
「ありがとうございます、これ」
「あーいのいの。ふふふ、ズッキーも来年は誰かに作ったげるんだぞー」
「はい。なんか、色味とかすごい、みんなと違うオリジナリティがあって――」
「あーはは……ごめんねぇ、作ってる時にマカロン食べてたら溢しちゃってさ。拭いたんだけど、そしたら今度は伸びちゃって……でも気持ちは込めたから! 見た目はアレだけど、音が命だから! ちゃんといい音出るから!」
「あ……はい」
「じゃまたねぇ」
そうか……さっきおしゃれだなと思ったこのグラデーションは、シンプルに食べこぼしを拭いた痕跡であったというオチがどうやらあったようだ。玉縄先輩は自身の行動も滑稽ものである。




