第七席 其の弐【『ナツメ花壇』後編】
母は遊びに出ているのか、家にはおらず。栞はひとり、自室に行くとゲームにアクセス。呼びかけます。
『ナーちゃん、いる?』
『おす、いるよー。どうだった?』
平日の朝、十時半です。この時間帯に、ナツメもまたアクセスしているということは、きっと向こうでも同じようなことが起こって休校になったに違いない。
『こっちはさ、三人とも……死んじゃったっぽいって。ねえこれ、私のせいだよね、どうしよ……』
『違うよ、自業自得って言ったじゃん。ミヤリなんもしてないし。逆に、なんか証拠あるの? メールしただけじゃん。それにメールももう無いでしょ? 履歴』
言われて確認すると……なぜか、送信履歴が全くありません。消した覚えは無いのに。
『え、なんで履歴が……で、でもさそういう問題じゃなくって。怖いのわたし。戻す方法っていうか、取り消す方法みたいなの……無いのかな?』
しかしそこで、よく喋るナツメの返事が珍しく返ってこない。クマは立ち尽くしたまま沈黙します。
『……ねえ、ナーちゃん?』
『…………』
『ねえ!』
『なんで?』
『え。な、なんでって……』
『その子達のこと、嫌いなんじゃないの』
『そうだけど……』
『嫌いなお母さんのことは? いつも酷いことしてくるのに。お怨みサマに呪ってもらわないの?』
『それは……だって、パパが悲しむから』
沈黙していたクマは、不意に肩を揺らして笑います。
『嘘つき。本当は死ぬほど嫌いだし、憎んでるくせに。こんな女を本当のお母さんが死んで、たった三年で家に入れるなんてって思ってるくせに』
え……と栞は固まる。だってそれもそのはず、三年前にやってきた後妻であることを、栞は話していませんから。
『ビックリした? 知ってるよ。ミヤリのことはなんでも。だって親友じゃん……ズッ友、でしょ?
宮坂栞……西梅津中学三年、射手座、B型。だって教えてくれたじゃん』
こんな具体的な情報もまた、栞は話した記憶が無い。
なぜ? どうして……? 自分のことを知ってる身近な誰かで、気付いていた? まさか同じ学校……?
『ウチのことも、全部知ってるはすだよ。だって教え合ったじゃない』
そんなの聞いたことありませんでした。ですから、当然知らない……はずだった。しかし、どうしてでしょう。頭に浮かんでくるのですね……知るはずのない事が、どうしてか次々と。
東梅津中学三年一組、夏目陽香。二月五日生まれの水瓶座、血液型A型……知らないはずのことを、どうしてか自分は知っている。
血の気が引く栞。理解が追いつかないままでいると――
『ねえ、栞……お怨みサマに、お願いしないとダメだよ。じゃないと、ウチらみたいなのは、虐げられ続けるんだよ? そんなのおかしいじゃん』
栞は震える指を、ここで頑張って動かしました。
『あの……ごめん……もうやめようよ、こんなの』
『だから……なんで?』
『良くない、と思うから……』
『あぁ……そっか……裏切るの? 一緒に乗り越えるって、親友だって言ったのに……裏切るんだ』
冷たく感じる無機質な言語の羅列に、栞は慌てて付け加える。
『ううん違うそうじゃなくて』
『うらぎりもの! うらぎりもの。うらぎりもの――』
際限無く繰り返される言葉。次の瞬間、ザーッ……! と画面にノイズが走り……
『きゃっ……!』
驚いた栞は、思わず床にスマホを落とす。勝手に立ち上がるメール画面。
ひとつずつ文字が入力されてゆく。ひらがな、変換、確定……その繰り返し。佐・久・間・康・則……担任の名前です。
栞が何を触ってもダメで止まる気配がありません。カチカチと指の爪が、しきりに画面で音を立てる。
宮・坂・美・代・子……ボタンを押し、何とか止めようと試みるが電源も落とせない。
次にまた、宮・坂……ここで栞――
『いやあ! やめてーっ!』
ピタっ……止まる文字列。しかし二人の名前は入ったままで、送信完了の表示。
『なんで……っ』
泣き崩れました……自分のせいで、また大変なことになってしまうかもしれない。栞は恐々として、その日は自室から出られません。
帰宅した父は、学校での一連の騒動を聞いて知ってましたから、きっとショックだったのだろうと、敢えて放置します。母は心配するフリだけを見せる、そんな具合でした。
翌日……学校は未だ休校です。母の美代子はと言いますと、不自然な形で姿を消しました。金品はもちろん、所持品は全て残したまま、靴もそのまま。忽然と……それは怪奇的に、消えてしまったのです。神隠しにあったように。
担任の佐久間もまた行方不明となりましたが、それを栞が知ったのはひと月後に登校した日のことです。
もはや、イジメが起こる雰囲気でもなく、妙に冷えた空気感のクラスでは、ヒソヒソと根も葉もない噂がたち始める。学校が建つ前は墓地だった……過去にもおかしな事件が起こっていた……などなど。
こんな様子ですから、周囲の興味はそちらに向き、栞へのイジメもまた姿を消しました。
そんな経験をしてから一年も経つと、栞は高校生になります。
入学した下畷高校では、リアルの友達が二人もできました。似たような控えめな女の子達です。
ナツメはどうなったのかと言いますと、実はあれから一切ゲーム内に姿を見せなくなりました。栞は不安でした。親友として、仲良くしていた人物なのですから、あんな仲違いの終わり方では不安が残るというものです。
行方不明となった美代子はと言いますと、実はあのあと半年後に家のそばで見つかります。雨のなか突っ立っているところを、近所の人が見つけたという具合です。
ただ……無事に見つかったとは言えませんでした。美代子は、記憶の殆どを失っていたのです。はじめなんて、まるで魂が抜けたように、ぼーっとしているばかりで。
今はかろうじて言葉が話せますが酷く朧げで、日常生活を遅れるレベルとは言い難く、未だに入院しています。
栞の学校生活はというと高校でのイジメはなく、ごく平穏に過ごせていました。しかし、心に蟠りはあるわけです。自分のせいで亡くなった人がいる。そして、傷付けた親友がいる。そんなことは、彼女の心の深い深い場所で、イバラのように絡みついて離れはしませんでした」
――パパン。
「十月二十九日、暑さも落ち着いてきた頃です。いつものように仲良く固まって、校舎が三方囲む中庭、緑が並ぶベンチに行くと昼食をとる栞たち。
栞の隣は、クラスメイトの平田友美。ショートで眼鏡をかけた、きちっとした印象の子です。その向こう、同じくクラスメイトの中澤えれな。ふわっとした性格で、くるりとした髪が肩にかかります。
彼女たちは、それまで母校の話題をしていたのですが……さぁ、そこで出たのが、東梅津中学という言葉。平田がその出身者だったのです。
『栞は、どこなんだっけ?』
平田が問います。
『わ……たしは、西梅だよ』
『え! そうなんだ、じゃあ近かったんだね私たち』
平田は笑顔でそう言って、サンドイッチを頬張る。
ここで栞は違和感を感じます。あの事件、同じように東梅中でも起こっているはず。そうでなくとも、西梅のことは知られていておかしくはない。まさか知らない? それとも、わざと触れないだけ?
そこで中澤が言う。
『ねえ、平気? なんか、めちゃ顔っ怖くなってるけど栞ちゃん』
『え……うん。まあ、ちょっと嫌なことを思い出しちゃって。すごい変な事件があったでしょ西梅で。東梅でもあったんだよね?』
『えー? 変な事件? あったかな……』
『ほら、人が……死んだやつ』
『え? そうなの、知らない。なんで? 事件? 事故?』
『人が不可解な死に方して、警察の人とかすごい来たんだよ、三年の九月ごろに』
しかし笑い飛ばす中澤。
『うっそだぁ、またまたぁ。怖い話する季節もう終わったよ栞。
聞いたことないし。そんなことあったら、すぐSNS載るでしょ』
『いや、本当に大騒動で……ねぇ、トモちゃんの東梅でも三年生の秋頃、何か無かった?』
『えー? いやぁ少なくとも私は知らないけど。至って平穏。先生たちが文化祭でまさかの仮装出し物やったことは、かなり話題になったけどね。真面目系な先生たちだったから』
おかしい……あんな大事件が付近の中学校に知られないわけがない。それにナツメは確かに東梅津のはず……あの記憶が正しければ。ならナツメは嘘をついていたのか?
栞は意を決して聞く。
『ねえ……東梅に、夏目陽香って女の子いた?』
すると、心当たりがあったか、平田は食べる手を止める。
『あれね……私のお姉ちゃんから聞いたんだけど、酷かったよね。それから先生達厳しくなったんだもん』
『えっ……なに、どういうこと』
『夏目さんっていう女の子が、お姉ちゃんが一年の時だから、今から六年前かな。校舎から飛び降り自殺したって』
『え……』
妙なこと……六年前の在校生と言いますと、栞と世代が明らかに異なります。
えれなが口に手を当てて驚く。
『こわっ……死んじゃったの?』
『うん、みたい。東梅って、校舎と校庭の間のすごい変なとこに花壇があるんだけど、生徒間ではナツメ花壇なんて呼ばれててね。当時、血痕がいくら洗っても消えないし、コンクリし直してもまたシミができるものだから、コンクリ全部剥がして花壇置いたって噂なんだ。たまに、授業中に誰かがそこに立ってるのを見るって噂もあってね。私は、そういうの信じないけど』
『うわぁー、なんか祟りっていうか……怖いね』
なんていう会話を聞きながら、栞は思います。あの夏目陽香とは、なんだったのか。偽るにしても、その名前を使う意味がどうしてあるのか。しかもそれは、教えてもらったわけじゃないのですから。勝手に脳に浮かんだ記憶なんです。
栞は帰宅すると、卒業アルバムを取り出しまして、パラパラと捲ってゆきますが……ここからが怖い。
アルバムに、亡くなったはずの三名は載っていないんです。それどころか、行事写真も不自然に空いていて、本来そこに写っていただろう彼らは写っていなかった。いやそんなはずがない、と栞は何度も探す。しかし、名前も姿も無いんですね。
返ってきた父親に、昔の事件のことを聞きます。が……信幸はこう言いました。
『そんな変な事件、起こってないだろう? どうしたんだいきなり』
『いや、じゃあ……美代子さんは、どうして入院してるの』
『どうしって……家の階段で足を滑らせて頭を打ってしまったんじゃないか、忘れたのか? 栞が通報してくれたから、命は助かったんだぞ』
栞の知っている事実じゃない。まるで悪夢でも見ていたかのように思わされる栞は、過去の手がかりになるものを家の中で漁りますが、何も出てこない。
その夜、デスクライトだけ点けて、眠れない深夜に、ぼーっと卒業アルバムを再び見返します。
メールで送った三人は、まるで存在がはじめから無かったかのようになってしまっている。美代子に関しても、捻じ曲げられてしまった真実がある。
自分だけ、周りと違う認識でいるというのは、痛く気持ちが悪いです。
そして何より、夏目陽香は同級生と思っていたがそうではなかった。もう死んでいた。何年も前に。
スマホのゲームを立ち上げるが、そこにナツメはいません。検索しても、アカウント自体無くなっていました。画面では、ウサギがひとり過ごします。
ウェブを開いて、お怨みサマと検索しても、ヒットするものは関係の無いものばかり――いったい、あれはなんだったのか?
『どういうことなの……どうして、私だけ』
スマホを見るのをやめ、ふと窓ガラスに目が行きました。そこに感じる異変。
『え……?』
目を擦るが、確かにいる――自分の背後に、大きな影。
『ミヤリ……恨む人、できた……?』」
――パパン!
「振り向けば血まみれの少女、クマの着ぐるみが笑ってる。
『いゃァアーーッ!!』」
釈台にどてっと前屈みになった先輩。しーーんと静まる会場。徐に起き上がった先輩は再び口を開く。
「さあ……ネットで繋がった誰かは、本当にいま現実世界に生きている人間ではないのかもしれません。今の時代、身近に恐怖は潜んでますから怖いですね。現代の怪談噺は、このあたりで失礼を致します――」
声の強さや高さだけじゃなく、わざと間を置いたり、籠るように喋ったりする。玉縄先輩とは別種の話芸を僕は知った。




