㉒
ジャックの付き添いとして、しばらく診療所で寝泊まりしているうちに、ネロは雑用係として使われることになった。
掃除、洗濯、皿洗い。薬袋を作ったり、ガーゼを切ったりと、ブラウン先生の手伝いもある。
「うちに入院する患者なんて、探偵社に何かあった時しかないから、探偵社の誰かに付き添いを頼むんだけど、あんた、一番要領がいいね」
包帯を巻きながら、ブラウン先生は感心している。
「赤毛の女はまだしも、男連中はクソの役にも立ちゃしない。目を離したらタバコを吸ってるか、他の患者をナンパしてるか。ロクなモンじゃないね」
彼女はそう言って、ネロに顔を寄せる。
「あんた、染まんじゃないよ。嫌になったら、いつでもうちで雇うからさ」
「は、はい……ありがとうございます……」
ネロは曖昧に笑っておいた。
それからネロは、喫茶ハドソンに昼食を取りに行く。
「なんでうちが病院食なんか作らなきゃならねえんだよ」
そう言いながらも、渡された飯盒からは、ネロの腹の虫も騒ぎだす香りが立っていた。
自転車のカゴに飯盒を入れて、ネロは石畳のベイカー通りを急ぐ。
パン屋に寄ってから診療所に戻る。キッチンで飯盒の中身を皿に盛り分けて、一室だけある病室に持って行くと、ベッドに座ってエースが待っていた。
「お、今日の昼飯はシチューか」
傷もだいぶ良くなり、少しなら動けるようになっていた。もう二、三日すれば退院していいと、ブラウン先生が言っていた。
エースは皿を受け取って、これ見よがしに隣のベッドへ声をかけた。
「やっぱマスターのシチューは最高だぜ」
そんな彼に、隣のベッドで恨めしい目を向けたのはジャックだ。
「うるせえ。黙って食え」
彼は寝返りをしてエースに背中を向けようとするも、痛みに顔をしかめて諦めた。
「ジャックさんはまだ、内臓の状態が戻ってないからパン粥ですよ」
ネロはそう言いながら、やわらかく煮たパンをスプーンですくって彼の口元に運ぶ。
気まずい顔をしつつも、ジャックはそれを口に入れて嘆いた。
「あー、マスターのコーヒーが飲みてえなぁ。ネルドリップの濃いめのやつがよぉ」
「そいつは聞き捨てならねえな」
そう返したのはエースだ。
「コーヒーはサイフォンのやつが一番うまいに決まってンだろ」
「は?」
ジャックは横目をエースに向ける。
「これだからガキは」
シチューをテーブルに置いて、エースが立ち上がった。
「知ってんだぞテメェ、ブラックを気取ってるフリして、角砂糖をコッソリ入れてんの。俺じゃなきゃ見逃すだろうけどな」
「なんだと?」
「砂糖で誤魔化してんじゃねえぞコラ。漢なら、ブラック一択だろうが!」
ネロは目を細めた……目が覚めてから、毎日こうだ。
この二人、探偵としての実力はあるんだろうけど、なんでこんなにガキっぽいんだろう。
すると、顔を付き合わせる二人の向こうで、
「うっせえぞチンカスども!」
と声が上がった――ブラウン先生だ。
彼女はスタスタと二人の間に入って、両手の人差し指を互いの胸に当てた。
「――この指先ひとつで、てめえらの心臓なんぞ簡単に止められるのを覚えておくんだな」
黙り込んだ二人からネロに視線を移し、ブラウン先生は言った。
「あんたに客だ」
――――――――
待合室に行くと、黒いコートの男が座っていた。
彼は顔半分を覆う長い前髪の隙間から、灰色の左目を覗かせている。
「ジャックは、生きてるか?」
誰だろう? と気にはなったが、ジャックを知っているようだし、物静かな話し方で、悪い人には見えなかった。
「元気にしてますよ。まだ、動けませんけど」
そう答えると、彼は「そっか」と、無表情に呟いた。
それから急に立ち上がると、彼はネロに言った。
「キングに伝えてほしい」
「はい……?」
「この前の自爆テロを企んだグループのアジトを潰してきた」
「…………はぁ?」
「後のことは頼んだと」
彼はそれだけ言うと、スタスタと待合室を出ていこうとした。
「あ、あの!」
ネロは慌てて呼び止める。
「あの、お名前は……」
男はキョトンとしてから、天井を見上げた。
「この場合、ジョーカーでいいのか」
「ジョーカー、さん……」
ネロに無感情な目を向けて、彼はそのまま出て行った。
――――――――
ネロからの報告を受けたキングは、すぐさまフルハタ警部に連絡をした。
「はいはい、今、大騒ぎをしていますよ。アジトの疑いでマークしていた料理店から、助けてくれと通報があったと思えば、全員半殺しで見つかるなんて……」
ジョーカーらしいと、キングは首を竦めた。口下手な彼は、誰かと協力をするよりも単独行動を好む。それだけの実力に裏付けされた行動とも言える。
そして、決して事務所に顔を見せない。こうして連絡があっただけマシなのだ。
診療所のネロを通してきたところを見ると、ジャックの容態を気にはしているのだろう。けれども直接見舞いに行かないのも、実に彼らしい。
キングは受話器に向かって苦笑した。
「すまないね、うちの探偵が迷惑を掛けて」
「とんでもない……我々は証拠がなければ動けませんから。私はあなたがたが羨ましい」
そう言いつつ、フルハタ警部は張り切っている。これから証拠を見つければいいからだ。
受話器を置き、キングは椅子に背を預けた。
死者は戻らない。けれど、ささやかな手向けにはなっただろうか。
「ねえ、キング」
その声に顔を向けると、ファイブが机にあごを載せていた。手にした車のおもちゃを走らせながら、彼は横目をキングに向ける。
「あの子、このまま雇うの?」
ネロのことだ。
キングは腕を組む。確かに、そろそろはっきりした方がいいだろう。
「そうだね……やらなきゃいけないね、入社試験」
「またアレをやるの?」
そう言ったのはクイーンだ。エースの狙撃銃の手入れをしながら、彼女はニヤリとした。
「今度は誰が筋書きを考えるの?」
「ボク! ボクがやる!」
ファイブが声を上げた。
「思い切り難易度が高いのを考えるよ!」
「いや……ほどほどにしておこうか」
キングは苦笑する。
「君レベルでないと探偵が務まらないとすれば、ここにいる全員がクビになってしまう」
つまらなそうに口を尖らすファイブの頭を撫でて、キングは言った。
「――ジャックが退院したら決行だ。それまでに、私が考えておくよ」
――――――――
――ロンドン塔にはカラスが似合う。
ドーム状になった尖塔の屋根に立ち、彼はロンドンの街を見渡した。
煌めく夜景は、世界で最も美しい輝きを見せている……だからこそ、壊し甲斐がある。
ロビン・クロウは、サファイア色の目を細めた。
『アレ』が警察の手に渡ったのは不本意だが、計画に変更はない。
――あの男が保安局のスパイだというのは、薄々気づいていた。しかし、証拠を掴めない。
下手に手を出して証拠がなければ、クロウの立場が不利になる。
そこで彼は、下っ端構成員を使って男を脅した。四六時中監視をさせて、仲間に連絡を取れなくしたところで、男は動いた。
娘の誕生日を祝う晩餐――。
身の危険を感じた男は、妻にメッセージを託したのだ。
下っ端構成員たちは、ホテルを出た男を誘拐し、拷問の末に殺した。
血の気が多いバカな連中だ。それが自らの立場を悪くするとも知らずに。
……まぁ、そうなるよう導いたのはロビンだが。
彼の目的は、あの男の妻。
このタイミングでの接触には必ず意味があると、彼は警察内部に潜入させている手下を使い、彼女を誘い出した。
案の定、何も語らなかったが。
娘が首に下げていた、玩具のネックレスに秘密があるとは、彼にも見抜けなかった。
母親の方が後生大事に持っていたロケットペンダントの方に秘密があると読んで、それを奪って安心していたのだ。
あの女にはしてやられたが、報いは与えた。これ以上執着する意味はない。
一方、あの男を殺したバカ共は……。
身元が分からないよう、死体に隠蔽工作をしたところで後の祭りだ。上から睨まれた奴らは、躍起になって証拠を掴もうと、妻の自宅を家探しした――その妻は既に、ロビンの手の内により無惨な骸になっているとも知らずに。
……まさかそこへ、ジャックがノコノコとやって来るとは想定外だった。
警察に捕まり、ロビンの関与がバレてもマズいと、手下は全員始末したが、同時に、ジャックに自らの存在を仄めかせたことで、彼の心は踊った。
――この三年間、温めていた復讐劇を、公演する時が来たようだ。
逃げた娘の捜索を手下に命じると同時に、ジャックの動向を観察する。
案の定、娘が見つかったという場所へ行ってみれば、ジャックも来ていた。
……しかし、あの化け物じみた狂戦士。
スキルを使えなくするスキルだけではない。あの素早さと戦闘力はまるでニンジャだ。
ジャックと共に、ノリッジにやって来た奴だと思うが、非常に厄介だ。何とか片付ける方法はないものか。
上質なシルクのような髪が夜風に揺れる。
だがともあれ、警察が無能なのは助かる。
何が仕込まれていたは知らないが、警察内部に潜ませた密偵の報告では、あの男が妻に託したメッセージの意味にたどり着いてはいないらしい。
ならば、警戒する必要もない。粛々と、『終わり』へのカウントダウンを続けるだけだ。
ロビンは目を閉じる。
その瞼に浮かぶのは、絶望に満ちたジャックの表情。
「いいよ、ジャック。その顔だ。それをもっと僕にくれよ」
ロビンは宙に身を躍らせる。すると彼の左右に影が湧き出し、両腕で彼を絡め取ると翼を広げた。
軒で眠っていたカラスが驚いて飛び立つ。
左右にカラスの群れを従えて、ロビン・クロウの姿はロンドンの夜景の中に消えていった。
ここまでご覧いただき、ありがとうございます!
コンテストを優先するため、こちらはここで一旦連載を中断いたします。
お付き合い、誠にありがとうございました!




