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はずれスキルの探偵社  作者: 山岸マロニィ
Ⅲ. 最後の晩餐はかく語りき
29/30

 ――それから数日後。

 ネロは探偵社の面々と共に、エレーヌを見送るため、ロンドン・ブリッジ駅に来ていた。


 エレーヌはすっかりネロに懐いて、昨日などはネロの部屋に泊まったくらいだ。


 手を繋いで駅舎を進む。しかし、改札口の前にいる祖父母を見ると、

「おじいちゃん! おばあちゃん!」

 と目を輝かせ、老夫婦に駆け寄った。

「私たちの可愛いエレーヌ、大きくなったね」

 フランス訛りの英語が、彼女を温かく迎えたのを見て、ネロは寂しさを誤魔化すように、めいっぱいの笑顔を浮かべた。

「またいつでも会いに来てね。今度は手料理をご馳走するから」

 クイーンも大きく手を振る。エレーヌもこちらを見て、

「うん! また遊んでね!」

 と元気に手を振り返した。


 その横で、警備を任されたワットソン警部補が得意げに言った。

「ガルシア夫妻の経営するワイナリーのスパークリングワインが良いと聞いてね。パパに紹介したんだ。そしたら、資本提携をして専売にするって話になったんだよ」


 エレーヌの未来も明るそうだ。

 ネロは目尻の涙を誤魔化すように、改札口の奥にその姿が消えるまで、手を振り続けた。


「……さて、私たちも帰るとしようか」

 キングの声で、一同は改札口に背を向けた。


 ――その時。

 ふと何かが気になって、ネロは振り返った。

 そして、見知った顔を見つけて目を丸くした。


 孤児院時代、彼と共に「落ちこぼれ組」にいたマーロウだ。

 ネロより先に誕生日を迎えて孤児院を出ていたが、彼もロンドンに来ていたとは。


「すいません、後で戻ります」

 ネロはそうジャックたちに声を掛け、彼を追った。


 マーロウは改札口に向かっているようだった。人混みを縫うように進む彼を追いかけながら、ネロは声を上げた。

「マーロウ! 久しぶりだね!」


 彼はネロを振り返った――その顔は蒼白で震えている。

「どうしたんだい?」

 驚いたネロは駆け出した。するとマーロウは叫んだ。


「来ちゃダメだ!」


 彼は、まるでネロから逃げるように改札を抜けると、ホームの方へと走っていく。

 その先に、祖父母と両手を繋いだエレーヌの姿が見えた。


「どうしたんだろ……」

 改札の手前で立ち止まって、ネロはその背中を見送った。


 ――その時だった。


「伏せろ!!」

 ジャックの手が、ネロの頭を押さえつけた。

 転がるように床に倒れた彼の体に、ジャックが覆いかぶさる。その直後――。


 耳を裂くような轟音が響いた。

 地面が揺れ、柱が倒れ、バラバラと天井が崩れ落ちる。

 悲鳴や怒号がそこかしこから湧き起こった。

 しかしこの恐慌も、すぐに沈黙と入れ替わる。


 ……その数秒後。


 ネロが恐る恐る顔を上げると、静まり返った駅に、立っている人はいなかった。


 瓦礫の下から伸びた足。

 血の海に転がった首。

 助けを求めるように震える手。

 それらが、粉塵のスクリーンを通して、灰色に褪せて見えていた。


 動かない灰色の背中の下から、割れるように泣く赤ん坊の声が聞こえた。


「…………」

 言葉を発することもできずに、ネロはただその光景を眺めていた。


 彼の背中で、ジャックが動いた。

「大丈夫、か……」


 振り向けば、ジャックのくすんだアメジスト色の目があった。

 しかしその目はすぐに閉ざされ、彼はバタリと床に倒れた。


「……あぁ…………」

 行き場のない感情が、ネロの体を駆け巡る。

 死に満たされた空間で、ネロはそれをどうしようもできなかった。

 彼は頭を抱えた。


「うわあああああああ!!」



 ――――――――



 ブラウン先生の診療所。

 キングに運び込まれたジャックは、

「だから、心臓が止まる前に連れて来いと、何度も言ってるだろ!」

 と文句を言うブラウン先生に、心臓マッサージを受けていた。


 彼女のスキルは、キング曰く「直接手術」。

 彼女の手が皮膚を通過して、内部に直接、施術を施すのだ。

 皮膚を切らない分、回復が早い。けれど、骨や内臓を直接いじられるから、それ相応の苦痛はある。

「手が足りない時は口も使う。従軍医時代には『人喰いウィッチ』と恐れられていたよ」

 キングは笑ったが、その声に力はなかった。


 ブラウン先生のおかげで、ジャックの心臓も動きだしたようだ。

 彼女は汗を拭いつつ、ふうと息を吐いた。

「男の心臓は単純だから、キンタマを握り潰す勢いで揉んでやりゃ動く」


 ……微妙な気持ちでそれを聞きながら、ネロはジャックに歩み寄った。


 静かに目を閉じた彼は、体じゅうに包帯が巻かれていた。倒れた柱の下敷きになるところだったネロを庇ってくれたのだ。


「バラバラだった骨と神経は繋いどいた。くっつくまで動かないように見張ってな」

 ブラウン先生はそうネロに言って、血まみれの手を洗いに行った。


 ネロの肩が震える。

「ごめんなさい……僕が、勝手なことをしたから……」


 そんな彼の肩に、そっと手が置かれた。キングだ。

「まだ彼は、しばらく眠っているだろう。少し、時間はいいかな?」


 待合室に場所を移す。

 キングはネロの正面に座って、糸のように細い目を彼に向けた。

「君が追いかけた少年について、詳しく教えてくれるかな?」

「はい……」

 ネロは顔を上げる。

「孤児院の仲間だったマーロウです」

「彼はどうしてロンドンに来たのか、知ってるかい?」

「知りません……けれど、孤児院の子供たちはみんな、ロンドンに憧れていたと思います。僕たちの世話をしていた修道士さんがよく言ってました……ロンドンは戦火に焼かれたことがない、素晴らしい街だって」


 キングは眉を上げる。

「君もそれを聞いて、ロンドンを目指したんだね?」

「はい。炭鉱で働くのは嫌だったし……そんなに素晴らしい街なら、僕の居場所があるんじゃないかって」

「彼のスキルは?」

「確か、『猫と会話ができる』だったと思います。なんの役にも立たないスキルだから、僕と同じ、落ちこぼれ組にいました」

「落ちこぼれ組、ね……」


 キングは腕を組む。

「彼も君と同じように、就職のための身分証を渡されたんだろうね」

「そうだと思います」

 ネロはキングの質問の意図が分からず、首を傾げた。

「それが何か?」


 キングは言葉を選ぶように、ゆっくりと答えた。

「彼は、アイルランド独立義勇軍の、自爆テロ要員だった可能性が高い」


 ネロは息をのむ。

「そんな……」

「言いにくいけど、君もジャックに出会っていなければ、彼と同じ境遇になったかもしれないんだ」


 その言葉は、ネロの脳裏をぐるぐると巡った。

 クラクラする頭を抱えて、ネロは呻いた。

「彼が、自爆テロ……」

「彼は悪くない。彼をそうやって使った大人が悪い」

 キングはきっぱりと断言する。

「そういう風に彼を追い込んだ、彼を取り巻く人たちも同罪だ」


 ネロの中で、何かがガラガラと崩れ落ちた。それは、孤児院という何の虚像だった。


 ……思えば、心当たりがある。

 スキルでの振り分けがあり、優秀な子供は里子に出されるのだが、迎えに来るのは必ず、独立義勇軍の兵士だった。


 それだけではない。定期的に射撃の訓練があった。

 一応は「職業訓練」という名目だが、渡されたのは軍用銃。

 はじめのうちは、板や藁束を的に練習をする。

 それが試験の時は、黒い布で覆われた人形だった。


 銃を渡されたネロは、けれど銃口を向けられなかった。

「どうした?」

 見下ろす兵士に、彼は答えた。

「撃てないよ。あの人形の中身は、生きてる人だもん」


 彼には見えていた――人形の中の人物が、怯えながらジャガイモを口に運ぶ様子が。


 それから、ネロは「落ちこぼれ組」に入れられ、冷遇を受けるようになったのだが、そこにはマーロウもいた……。


「ううう……」

 頭を抱えたまま、ネロは首を横に振った。

「そんな……僕は……」


 キングは、一見穏やかに見える表情を彼に向けている。

「私は、君と出会えたことを、心より幸運に思う」

「でも……でも……」

 ネロは涙で濡れる目を上げた。


「エレーヌは……」


 キングは手に握ったものを差し出す。

 それは、千切れた蝶のネックレスだった。


 口を押さえて長椅子に突っ伏す。

 悲鳴とも嗚咽とも分からないものが、ネロの口からあふれ出す。


 そんな彼に、キングは静かに語った。

「ジャックはね、少しだけ先の未来が見える。けれど、たった三秒では誰も助けられないと、いつも彼は悔しがっていた。でもね、それは私も同じなんだ。探偵として、いつも未来を見ようとしている。けれど現実では、予期できないことばかりが起こる。悔しいのは、私も同じだ。何もできず、ただ立っていただけの私には、君を助けられたジャックが羨ましい」


 ネロは顔を上げられない。身をよじって、持っていき場のない感情を抱えているのが精一杯だった。


 キングは立ち上がった。穏やかな足音が立ち去った後、ネロは声が枯れるまで叫んだ。

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