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はずれスキルの探偵社  作者: 山岸マロニィ
Ⅲ. 最後の晩餐はかく語りき
28/30

 その後、ネロはクイーンと一緒に、小さなプリンセスをアパートメントへ護衛した。

 とりあえず、家主に挨拶をしなければならない。


 彼女を出迎えたワットソン警部補は、大仰に両手を開いて見せた。

「君を歓迎するよ、マドモワゼル。ここはロンドンで最も安全な場所だ。何不自由のない時間を君に約束する。ゆっくり過ごしてくれたまえ」


「じゃあ、遠慮なく」

 クイーンがエレーヌを伴ってペントハウスへ上がり込む。

 すると、後に続こうとしたネロにワットソンが囁いた。

「廃車になったロールスロイスの補償を、警察ではしてくれないようだ。あのジャックとかいう探偵の指示で車を出したんだ。業務上の事故とは認められないって」

「はぁ……」

「もちろん、探偵社で補償してくれるんだよね? そこのところを、君のボスに確認してほしいのだが……」


「お宅の会社なら、保険にくらい入ってるでしょ?」

 ひょっこりとクイーンが顔を出した。聞いていたようだ。

「保険を使えば、新車を買ってもお釣りが来るんじゃない?」

 だが、ワットソンは頬を引き攣らせている。

「あんな使い方をして事故ったなんてパパにバレたら……」


 パパの脛をかじっているくせに、よほどパパが怖いのだろう。クイーンはニヤリとする。

「腕の立つ中古車ディーラーなら知ってるわよ。中身は別物でも、見た目は高級車に変身させちゃう凄腕のね」


 ワットソンは目を輝かせた。

「素晴らしい提案だ、マダム・マープル。是非取引をお願いしたい」

 彼にとっての価値とは、所詮ハリボテなのだろう。


 ワットソン家のリビングで軽く夕食を済ませ、クイーンとエレーヌは

「じゃ、おやすみ」

 とペントハウスを退出し、二階のクイーンの部屋へ入って行った。

 

 ネロもその先にある自室の扉を開けた。壁のスイッチに手を伸ばす。

 明るくなった部屋を見て、彼は目を疑った。


「あ…………」


 ガラクタが片付けられ、小綺麗になった室内に、小さなテーブルと椅子が置かれている。

 ベッドも、木箱から普通のものにグレードアップしていた。清潔なシーツと、やわらかい布団と枕が整えられ、洗いたてのパジャマまで置かれていた。


 ワットソン警部補はああ言いながら、ネロの働きを認めてくれたのだろう。


 ずいぶんと広くなった部屋を見て回る。

 壁際の棚に、ネロの体に合った服がいくつか置かれていた。お古のようだが、どれも仕立てがいいところを見ると、ワットソンが子供の頃に使っていたものかもしれない。

 棚の向こうには、ガラクタに埋もれていて気づかなかった扉があった。

 そっと開いてみる。そこには、簡素だけれど綺麗に掃除されたシャワールームがあった。蛇口をひねればお湯も出る。

 ネロに宛がわれたこの部屋、物置にしていたけれど、元々は使用人部屋だったのかもしれないと、ネロは思った。


 服を脱いでシャワーを浴びる。温かいシャワーを浴びるのなんて、何年ぶりだろう。

 孤児院では「はずれスキル」の落第生だったから、冷たい水で我慢しなければならなかった。


 清潔なタオルで体を拭いてパジャマを着る。まるでホテルみたいだと、ネロはベッドに身を投げた。

「…………」

 今日は長い一日だった。

 半分は事務所で伸びていて、ジャックほどは働いていないけれど……。


 そういえば、ジャックはどうしたのだろうか?


 ネロは気になりながらも、重くなってきた瞼に抗えなかった。



 ――――――――



 ジャックが事務所に入ると、キングはまだいつもの席にいた。考えごとをしているようだ。

 それでも彼はジャックに気づくと顔を上げ、「おかえり」と言って、また顔を机に戻した。


 その横のソファーで、ファイブが寝息を立てている。


 ジャックはいつもの椅子に座り、タバコを取り出した。火をつけようとライターを開き――ファイブの寝顔を見てそっと閉じる。


 火のないタバコを咥えたまま、ジャックは天井を見上げた。

「ブラウン先生のところに寄ってきた」

「……そっか」

「心臓が止まる前に連れて来いと、こっぴどく怒られたぜ」

 ジャックはそう言って、キングに視線を移す。


「プリンセスは?」

「クイーンに頼んだよ」

 その一言で察する……なるほど、あれほど安全な場所は他にない。

「で、あのネックレスに秘密はあったのか?」

「多分、ね……」


 キングが頭を悩ませている原因は、そのネックレスにあるようだと、ジャックは察した。

 タバコを咥えたまま、ジャックはキングの机に寄る。そしてキングの視線の先にあるメモ書きを見て目を細めた。


 ――e∧iπ+1=0――


「なんだこりゃ」

「なんだろうね、これは」


 キングは椅子に背を預ける。

「私にはさっぱり分からない。クイーンの講義を聞く気にもなれないしね」

 彼は苦笑しつつ、細い目をジャックに向けた。


「先程はすまなかった。目の前で起きた惨劇に動揺してしまった。あれは決して君のせいではない。この通り謝罪するよ」


 ジャックはキングに目を向け、すぐに彼方に顔を逸らした。

「それ以上言うな……墓場まで持っていけると考えた、俺の甘えだ」


 ジャックは、口のタバコをクシャッと丸め、話題を戻した。

「あのネックレスはどうした?」

「ミス・ガルシアが持ってるよ」

「いいのか?」

「彼女にとって、両親の大切な形見だからね。ジェフリー・ブラックマンが伝えたかったことは分かったんだ。彼女が持つべきものだと、私は判断した」


 それからキングは顔を上げた。

「つい先程、レンツ少将から電話があってね。ジェフリー・ブラックマンの身元が分かった」

「何だと!?」

 ジャックはキングの細い目に視線を戻す。


「――保安局の潜入捜査官」


 ジャックはしばらくキングを眺めていたが、やがてヨレヨレのタバコを口に戻した。

「なるほど、な……」

「本来なら、彼はブラック・スワンの幹部という立場のまま葬られていただろう。だが、レンツ少将は保安局にも顔が利いてね。もしやと突っ込んだら、渋々認めたようだ」


「――ならこれを保安局に見せれば、謎は解けるんだな」

 ジャックは指先を、数式の書かれた紙に置いた。だがキングは首を横に振る。

「レンツ少将を通して確認を取ったんだけど、彼らにも分からないようだ。ブラック・スワンでの立場が厳しくなっていたのか、ジェフリー・ブラックマンからの定期連絡が途切れがちだったようでね、彼の置かれた状況も把握できていなかったそうだ。彼らが使う暗号とも符合するものがない」


 ジャックはじっと、数式を目で追った。

「迷宮へ誘う数式、か……」


「でも、私はそこまで悲観視していないよ」

 キングはニコリと微笑む。

「ジェフリー・ブラックマンは、彼の正体を知らない妻にこれを贈ったんだ……恐らく彼は、妻と娘がその後も幸せに暮らすだろうと、疑っていなかったんじゃないかな」


 キングの言葉の真意を探ろうと、ジャックは眉を寄せた。

 そんな彼を見て、キングは笑った。

「難しく見えているだけで、案外、単純なメッセージかもしれない。私はそう考えている」


「しかし、ブラック・スワンの連中は、あのネックレスを血眼で探すだろうな」

「うん……その点も、フルハタ警部と打ち合わせしたよ。『ネックレスは警察が持っている』というメッセージを、明日の朝刊で発表するそうだ」

 そうすれば、ブラック・スワンの連中が、エレーヌに危害を加える動機がなくなる訳だ。

「ジゼル・ガルシアの両親が、ウエスト・サセックス州でワイナリーを営んでいるんだ。ミス・エレーヌはそこに引き取られることになると思う」


 ジャックは口の先でタバコを揺らしながら呟いた。

「とりあえず、事件は終わった、のか……」


 キングは再び、数式に目を戻す。

「そうであってくれることを祈るよ……」

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