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はずれスキルの探偵社  作者: 山岸マロニィ
Ⅲ. 最後の晩餐はかく語りき
27/30

 スコットランド・ヤードを出た後、ジャックは、フルハタ警部の「探偵社まで送りますよ」という申し出を断り、一人、夜のロンドンを歩いていた。


 このまま探偵社を去るべきだろうと、彼は考えていた。

 仲間たちの顔が浮かぶ。

 こんな俺にも温かく接してくれた彼らを、これ以上傷つける訳にはいかない。


 自然と足がテムズ川に向かう。岸壁に立ってタバコを取り出し火をつける。

 ……このまま川の藻屑になれば、全て丸くおさまるんじゃないか。

 街の灯を映す川面を眺めていると、ついそんな思いが頭をよぎる。


 思えば、ノリッジの研究所にいた頃から、漠然と死を望んでいたように思う。

 自分の存在を数字でしか認識できない人間に、どんな価値があるというのかと。

 キングに救い出された(・・・・・・)後、ようやく居場所らしきものが与えられたが、それも、彼に適した死に場所を選別するためのものだと思っていた。

 数え切れない死別の中で、ここまで生きてしまった罪悪感が、ずっと心に居座っている。


 だから、「死ぬのは今だ」と認識すれば、命を捨てるのに躊躇などない……はずだ。


 すると、隣に気配があった。

 まるでニンジャのように、視界に入るまで気配を悟らせない……そんな芸当ができるのは、ジャックの知る限り一人だけだ。


「ジョーカー、何の用だ?」


 無骨な彼はボソリと答えた。

「川が、見たくなった」



 ジョーカーの本名は知らない。イクリプス時代は「エラリー・スペンサー」と名乗っていた。

 彼はキングと同期だが、管理官であるキングよりも階級は下。前線を渡り歩き、格闘の腕は帝国軍随一と言っても過言ではない。


 ――そして、そんな彼もまた、研究所の出身だった。

 とはいえ、その頃はまだ、「ノリッジ能力開発研究所」は存在しなかった。その前身となる組織で研究対象とされていたのだが、「視界に入ったスキルを無効化する」というスキルのせいで、研究が頓挫し、追い出された。


 長い前髪で隠している右目付近の痣は、研究を頓挫させた際の事故によるものらしい。

 眼帯で失った右目を隠し、左目だけで生きる彼が、探偵社に顔を出すことはない。 「スキル無効化スキル」が、クイーンが考案した事務所のセキュリティシステムを無効化するからだ。


 いつもひとり、人知れず街に潜んで、感情のない灰色の左目で、街の行末を眺めている。



 そんな生い立ちのせいか、彼は無口だ。

 ジャックと顔を合わせることもない。ジャックのスキルを邪魔しないよう、彼なりに気遣っているようだ。

 肩を並べて川面を眺めていると、ジョーカーはボソリと呟いた。


「悔しいんだ」

「何が?」

「あの男を、逃がしたの」


 『隻眼の死神』という異名の彼には、妙に子供じみたところがある。このセリフも、そんな負けず嫌いな一面から出たのだろう。

 ジャックは苦笑した。

「あぁ、悔しいな」


 ジョーカーは手すりに肘を置く。

「どうやったらあの男を倒せるか、ずっと考えてたんだが、一人では無理そうだ」

「確かにな」

「おまえの力が必要だ」


 ジャックは驚いてジョーカーを見た。彼は気まずそうに目を逸らした。

「おまえだけじゃない。探偵社みんなの力を合わせないと無理だ」

「…………」

「勝手にどこかに行くとか、そういうのは、ナシで頼む」


 口下手な狂戦士は、コートの襟を立てて首を竦める。そして逃げるように、街の闇へと消えていった。


「…………」

 幾多の戦場で互いに背中を任せた仲だ。ジャックの考えていることくらい、お見通しなのだろう。


 ジャックはタバコを捨て、テムズ川に背を向けた。

 ――確かに、あの男に俺の人生を支配されるのは癪に障る。

 それ以前に、あいつを野放しにしておいては危険すぎるのは、誰の目から見ても明白だ。


 どうせいつかは死ぬ。

 なら、あいつを葬って、自由になってから死んだって遅くない。


 そう考えると、未来を向けそうな気がしてきた。


 ジャックは小さく「サンキュ」と呟き、ジョーカーを追うように街に向かった。



 ――――――――



 その頃、『ベイカー通り探偵社』では、客人を迎えていた。


「はーい、マスター特製タルトタタンよぉ〜! 閉店準備をしてるところに無理矢理押しかけて、作ってもらったのよぉ〜!」

 クイーンが皿をテーブルに置く。


 キングは彼女に苦笑いを向けた。

「よくマスターが、フランス菓子を作ってくれたものだね」

「別に頼んでないわよ。『私が作るからキッチンを貸して』って言ったら、絶対に手を出すなって言うんだもの」


 キングの頬が引き攣る……クイーンは当初、喫茶ハドソンの従業員として雇われたのだが、彼女の料理に対する奔放さにマスターが音を上げて、探偵社で引き取ってくれと泣きついてきた経緯がある。


「おいしそう、食べていいの?」

 そうクイーンを見上げたのは、主賓である小さなレディー――エレーヌ・ガルシアだ。



 警察病院で診察を受けたところ、体に問題はなさそうだった。そのまま入院する手筈だったのだが、診察に付き添った看護婦が渋い顔をした。

「この子、お腹を見せてと頼んでも、見せてくれないのよ。何かを隠してるみたい」


「警察内部に内通者がいるとなると、警察病院も安全とは言い切れません」

 頭を悩ませるフルハタ警部に、キングが提案した。

「ロンドンで一番安全な場所を知ってるけど、そこで預かるのはどうかな?」



「そんじゃ、今夜はうちに泊まるの?」

 ファイブがソファーの上でピョンピョンと跳ねた。

「一緒にトランプしようよ。賭けとかないやつ。すごろくもいいな。ボクのとっておきのロボットも見せてあげる」


「残念ながら、ファイブ、うちじゃないよ」

 キングはクイーンに顔を向ける。

「『インド洋コンツェルン』の御曹司の家なら、ブラック・スワンと言えど、手は出せないよ」


「あら、楽しみね。一緒にお風呂入りましょ」

 クイーンはニコリと笑った。

「あそこのシェフはフランス仕込みなの。美味しいものがいっぱい食べられるわよ」


 口いっぱいにタルトタタンを頬張って、エレーヌ・ガルシアは首を傾げた。

「ママも一緒なの?」


 沈黙が一同を支配する。

 彼女には、母の死を伝えていない。


 キングは精一杯の柔らかい口調で言った。

「ママにね、おじさんがお仕事を頼んでしまったんだ。しばらくおうちに帰れないから、代わりに、そのお姉さんと一緒に寝られるかな?」


 エレーヌは大きな目でキングを眺めていたが、やがて「うん」とうなずいた。


 和やかな食事があった。ファイブとクイーンは遠慮なくタルトタタンに手を伸ばし、ネロが少し離れたところで遠慮がちに口にする。


 エースの姿はない。

 ブラウン先生の「神の手」による治療で一命は取り留めたものの、しばらくは入院になる。

 ジャックは……戻ってくると、キングは信じていた。


 一通り食事が終わると、キングはさり気なさを装って、小さなレディーに訊ねた。

「ママから預かっているものがもしあれば、なくさないよう、おじさんが預かりたいんだけど、いいかな?」


 途端にエレーヌは警戒する。

「ダメ。ママと約束したもん。『ブロンドの髪の毛のおにいちゃん』にしか渡しちゃダメって」


 ジャックから事情は聞いていた。エースのことだと、キングには分かった。

 しかし、彼は未だ昏睡状態だ。エレーヌと会話ができる段階にない。


「えー、おねえさんでもダメー?」

 クイーンが顔を寄せるが、エレーヌは口を尖らせる。

「おばちゃんもダメ」

「お、おばちゃん……」

 クイーンはショックを受けて白目を剥いた。


「じゃあボクは? おにいちゃんだよ」

 ファイブが名乗りを上げる。

「うーん……髪の毛の色が違う」


 すると、黙って様子を見ていたネロが立ち上がった。

「じゃあ、こういうのはどうかな? 渡さなくてもいいから、僕の宝物と見せ合いっこするのは」

 彼はそう言って、シャツの下からペンダントを取り出した。

「これは僕の宝物だよ。子ヤギの乳歯のペンダント」


 途端にエレーヌは興味を持った。

「おにいちゃん、ヤギ、見たことあるの?」

「うん。僕が小さい頃にいた場所は、ここよりずっと田舎だったから、ヤギを飼ってたんだ」

「ヤギ、かわいい?」

「うん、とても可愛いよ」

「ハイジのヤギみたいに?」

「そうだよ。とても可愛いし、賢いんだ。ほら、触ってごらん」


 ネロはエレーヌに近づき、ペンダントを差し出す。恐る恐る手を伸ばしたエレーヌは、ヤギの歯に触ってニコリとした。

「歯だ!」

「うん。これで草を食べるんだ」


 ……その様子を見て、キングは胸を撫で下ろす。

 どうやら、まだ若い彼に助けられたようだ。


 クイーンから、ネロの家族のことは聞いた。亡くなった妹とエレーヌを重ねているのかもしれない。

 優しすぎる嫌いはあるが、アクの強い探偵たちの中和剤になってくれそうな気配はある。


 キングの見込み通り、エレーヌがワンピースの胸元からネックレスを引っ張り出した。

「エレーヌのタラカモモも見せたげる」


 その小さな掌に、蝶をあしらったペンダントが置かれていた。

 ネロはそれを見て、

「これは凄いものだね。まるで宝石が生きてるみたいだよ」

 と目を輝かせる。エレーヌは得意げに言った。

「裏にね、パパのお手紙があるんだよ」


 ――一気に緊張がはしる。

 ペンダントを裏返す小さな手を、クイーンとファイブが覗き込むように凝視する。


 キングもまた、彼らが目にするものを固唾を呑んで見守った。


 そこにあるものを見て、首を傾げたのはファイブだ。

「eのiπ乗プラス1イコール0……オイラーの等式だね」

「オイラーの等式? 何ですか、それ」

 ネロが目を丸くすると、クイーンは腕を組んだ。

「理解する気があるのなら教えるわよ。三年はかかるけど」


 キングは苦笑した。

「世界で最も美しいと言われる数式……そういう解釈で、とりあえずはいいんじゃないかな」


 そう言ってから、キングは眉を寄せる。

 その数式に、何らか意味が込められているに違いない。

 恐らくは、意図しない者に見られた場合に意味が伝わらないよう、暗号的な意味合いだろう。

 しかし、このシンプルで奥深い数式に、どんな意味を込めたのか。キングには理解できなかった。


 そもそも、「ジェフリー・ブラックマン」というのは偽名で、ブラック・スワンの幹部であるというのも、ジャックの推察にすぎない。

 死の直前、この数式を妻に贈った彼は、一体何者なのか……。

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