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黒のマントに包まれた痩身は、あの頃と変わらない。
儚げな白い肌に浮かぶ中性的な顔立ちは、貴公子然として高貴さすらある。
――しかし、その仮面の裏側にあるのは、壊れた自我。
いくつもの人格を内包し、彼自身、本来の自分が分からないのではないか。
知性、破壊衝動、愛玩的な微笑――様々な仮面を切り替え、彼は「自分」を保っている。
なぜ、彼がそんな特異な性質を得たのか、ジャックは知らない。
ただひとつ、ジャックは知っていた――彼は、その人格に接した者を狂わせる。
その美貌と妖しい魅力に囚われれば、地獄に引きずり落とされるまで、彼の虜となる。
……だから、彼に救いの手を求められた時、ジャックはその場から逃げたのだ。
全身で警戒する彼に、ファントムは微笑んだ。
「懐かしい名だな。でも、その名は捨てた。ロビン・クロウと呼んでくれないか」
ロビン・クロウはジャックに向き直る。
「久しぶりの再会じゃないか。そんなにつれなくすることはないだろ。君のことは、ずっと見ていたよ。元気そうで何よりだ」
「俺は驚いだぜ……まさか、生きていたとはな」
ロビンは目を細める。
「だって、君が言ったじゃないか――『生きろ』と」
頭がズキズキ痛むのは、傷のせいばかりだろうか。
ジャックはあの時の情景を思い出し、額を押さえて顔をしかめる。
そんなジャックに、彼は言った。
「僕はずっと、君のことを考えていたんだよ。『生きる』という呪いを僕にかけておきながら、僕を見捨てた君に、どんな苦しみを与えるのが相応しいか、とね」
サファイア色の瞳が光る。
「これから、君の全てを奪うことにする。地位も、名誉も、仲間も、ささやかな安らぎも……ひとつひとつ、皮膚を剥ぎ取るようにね。全ての苦しみを一身に受けて、絶望のうちに君は死ぬんだ――その事始めに、その女の子を、僕に渡してもらおうか」
言葉がジャックを支配する。
微動だにできない彼の視線の先で、黒い影が動いた――ジョーカーだ。
逆手に握ったダガーの迷いのない一閃が奔る。ところがロビンに届く目前で、ダガーは目に見えない壁に当たったかのように向きを変えた。
「…………?」
一瞬戸惑ったジョーカーに、痛烈な蹴りが入る。くるりとマントを翻したロビンは、受け身から立て直そうとするジョーカーを見下ろした。
「邪魔しないでくれる? 今は君の出番じゃない」
「どういうことだ……?」
困惑したのは、ジャックも同じだ。
ジョーカーのスキルは、彼の視野にあるスキルを封殺するもの。ファントムが干渉することは不可能だったはずだ。
それに答えたのはロビンだった。
「君の僕への理解がその程度だったとはね、残念だ――ファントムは、僕の別人格。スキル封じのスキルでは、僕の人格は抑えられない」
瞬時にジャックは理解した。
ジョーカーのスキルも無駄ではないのだ。ファントムの存在は制限できなくとも、ファントムの持つスキルは発動できない。
だからロビンは、ジョーカーの目の届かない場所から運転手を襲っておきながら、ジョーカーの目のある今は、切断スキルを使えずにいる。ファントムを盾にして身を守るのが関の山だ。
とは言え、ファントムを自在に操られては、こちらからの攻撃が当たらない。
ジャックは奥歯を噛み締める――どうすればいい?
そんなジャックを見て、ロビンは愉快そうに笑った。
「もうひとつ、君に伝えておくべきことがあったよ……さっき言ったろ? 君の全てを、ひとつひとつ剥ぎ取っていくと。実はすでに、その計画は実行に移されている――この電波塔の上でね」
全身の血が凍り付く。
ロビンが飛び下りたこの電波塔にはエースがいたはず。もし彼が逃げ出せず、まだその場にいたとしたら……。
ロビンの手が動く。マントの下から取り出したのは、血の付いた双剣だ。
生々しい血が滴るそれを軽く回し、彼は言った。
「トドメは刺さずにおいた。早く助けなきゃ、死んじゃうよ」
――――――――
ワットソンは、扉の影に身を隠して震えていた。
外で何をしているか見えないが、ヤバそうなのがいるのは分かった。
一方、キングは怯える女の子を膝に乗せ、背中をさすりながら外を見ている。まるで馬車でオペラハウスにでも向かうような、堂々とした姿勢で。
そして不意に、ワットソンの方に顔を向けたから、彼は「ヒッ」と声を上げた。
「ななななんですか急に!?」
だが、キングの声は穏やかだ。
「ひとつ、頼まれごとを聞いてくれないかな?」
「ど、どんなことです?」
ワットソンの声が裏返る。
キングはニコリと言った。
「フルハタ警部のところに、お使いに行ってほしいんだ。電話はダメだよ、うまく取り次げないといけないから。君が直接会って、こう伝えてほしい――フルハタ警部が信用できる捜査官だけを何人か、こちらに回してくれないか、とね。できれば、ちょっと急ぎで」
ワットソンはゴクンと唾をのむ。キングの目が薄く開いた。
「やれるかな?」
アクアマリンのような瞳が、ワットソンを射竦める。
穏やかな表情とは裏腹に、その目は有無を言わさぬ圧を持っていた。
ワットソンは首振り人形のようにうなずいた。
「行きます! すぐ行きます!」
「頼んだよ……プリンセスが眠そうだから、静かにね」
ワットソンはそっと、ジャックたちの反対側から車を降りた。身を屈めてしばらく進み、そこから一目散に駆け出した。
無我夢中で公園を出て大通りを走る。
通常なら、駅かバス停に向かうべきところだが、ワットソンはそうしなかった。
いつも自家用車で移動をしていて、地下鉄にもバスにも乗ったことがなく、乗り方を知らないから。
ワットソンはひた走る。前髪が後ろに流れ、ネクタイがよじれ、ジャケットが吹き飛びそうになっても構わずに。
「うりゃああああ!!」
一陣の風となった彼を振り返る者はなかった……常人の目では、残像すら残さない彼を認識することができない。
だがしかし、ワットソンは気づいていなかった。
足の速さ――これが彼の持つ本当のスキルであると。
馬車を追い越し、バスをぶっちぎる。
彼は瞬く間に、グレート・スコットランド通りへと駆け込んだ。




