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はずれスキルの探偵社  作者: 山岸マロニィ
Ⅲ. 最後の晩餐はかく語りき
20/30

 ハイドパークの一角にある電波塔。

 エースはその頂上近くにある足場に着くと、すぐさま作業に取り掛かった。

 電線から電気を拝借し、無線機に繋ぐ。ヘッドホンを装着し、ダイヤルを回す。


「――こちらエース。クイーン、聞こえるか」

 受話器に呼び掛ければ、すぐに返事があった。

「こちらクイーン。音声もクリアよ。今どこなの?」

「ハイドパークの電波塔だ。この辺りじゃ一番高い。これから捜索を開始する」

「了解。ずっと繋いでおくから、状況を逐一報告して」

「オーケー」


 エースはヘッドホンをそのままにして、額のゴーグルを目に当てた。クイーンが開発したもので、逆光や乱反射などのノイズを調整し、視界をクリアに保つ機能がある。


「――麗しのプリンセス、ここで白馬の王子さまが待っているんだ。姿を現してくれ」

 エースはそう呟くと、眼下に広がるロンドンの街並みを見下ろした。


 隙間なく続く建物の列。その隙間を、バスや馬車が行き来するさまは、ワラジムシの群れのようだ。

 人はと言えば、小さな蟻。ワラジムシの列の左右に、律儀な行列を作っている。


 ――その中から、必ずプリンセスを見つけてみせる。


 エースは身を伏せ、褐色の目を大きく見開いた。



 ――――――――



 ――スコットランド・ヤード。

 捜査本部の置かれた室内で、ワットソン警部補は所在なく立っていた。


 ネロ・ネルソン少年との勝負だったはずが、いつの間にか、警視庁全体を巻き込む大捜索になっている。


 責任者のフルハタ警部はかつて、帝国軍の幹部コースをひた走っていたエリート士官。胃が弱くなければ、今頃は将官になっていただろう。

 スコットランド・ヤードに来てからは、上司と部下――主にワットソンのことだが――の板挟みとなって、本来の能力が活かせずにいた。


 それが、ワットソンを一発殴ってから、憑き物が落ちたように動きだした。

 各部署から入る連絡を瞬時に判断、適切な指示を出していく。


 彼のスキルは、機械のごとき情報処理能力。

 その仕事ぶりは、本来なら彼の補佐をすべき立場にあるワットソンが、口も手も出せない勢いのものだった。


 そんなフルハタ警部の周りでは、電話や無線を取り次いだり、報告に上がったり、書類を調べたりする捜査員たちが、働き蜂のように動き回っている。

 ……とてもじゃないが、ワットソンの出る幕がないのだ。


 彼の存在に誰も目を向けない空間にいるのがいたたまれなくなり、ワットソンは捜査本部を後にした。


 誰かの視線に入るのが辛くて、そのままスコットランド・ヤードを後にする。

 すると、門の傍らで待機している用心棒がすかさずやって来た。

「お坊ちゃま、お帰りですか」

「うん……」

「車を回します。どうぞこちらに」


 ロールスロイスの後部座席から、ワットソンはロンドンの街並みを眺める。

 人々は散歩し、喫茶店でお茶をし、マーケットで買い物をする。ごく当たり前の日常が、この時のワットソンには羨ましかった。


 ――つい先程まで、彼らのような低級市民は、働くためだけに生かされている、哀れな生き物だと思っていたのに。


 無言のまま、ロールスロイスはベイカー通りに入った。二番街に入ったところで、ワットソンはこのまま家に帰るのが虚しくなった。

 咄嗟に運転手に声を掛ける。

「車を停めて」

「かしこまりました」


 路肩に停車した車の中で、しかしワットソンに目的があった訳ではなかった。

 けれども、自分の『負け』を認めるのが悔しくて、彼は適当に答えた。

「お茶がしたいんだ……そうだ、あの喫茶店に寄るよ」


 車を降り、彼が向かったのは「喫茶ハドソン」の看板がある店だった。


 質素なガラス扉を入ると、鼻眼鏡のマスターが、

「いらっしゃい」

 と無愛想に彼に目を向ける。

「どうぞ、お好きな席に」


 なんとなく、一番手前のカウンター席に座る。その動きに合わせて、マスターがメニュー表を彼に差し出した。


 コーヒー、か……。

 低級市民が飲むものは、この程度の値段なのかと、ワットソンは期待もせずに注文する。

「コーヒーと、ミートパイを」

「あいよ」


 マスターは、ネルの袋に湯を注ぐ。途端に香り立つ芳香が、間もなくワットソンの前に差し出された。

「どうぞ」


 安物の白いカップを手に取る。それに口を付ければ、苦い液体が舌を刺す――はずだった。


 ワットソンは目を見開く――これほどまでに深い味わいのコーヒーを、飲んだことがない。

 ありとあらゆる美食を極め、日々の食事は厳選したシェフの調理したものしか口にしない。それが上級市民の当然の権利であり、下級市民を従える立場にある者の教養だと思っていた。


 こんなに美味なるものが、このような安価で下級市民に供されていようとは。


 そんな彼の目の前で、オープンから出されたばかりのミートパイが切り分けられる。

「あいよ」

 と、その一切れが彼の前に置かれれば、たまらずワットソンはフォークを付けた。

 切り分けた一口を舌に乗せれば、芳醇な肉汁とまろやかなスパイスの風味が、直接的に食欲中枢を支配してくる……美味い。


 まさか、この僕が、支配される側に回ろうとは――!


 瞬く間にミートパイを平らげ、二皿目を注文する。

 それもすぐさま皿から消え、食べ終わるのが惜しい思いで三皿目をもらうと、その美しい色艶に感動して、ワットソンの目から涙があふれ出した。


 その時、ガラス扉が開いた。

 入ってきたのは、ジャックと名乗る探偵だった。

 彼はカウンターの前でオイオイと泣きじゃくるワットソンを見てポカンとした。

「何してんだ、こいつ?」

「さあね」


 マスターは注文も受けずに、コーヒーの用意を始める。

 ジャックはワットソンの横に腰を下ろすと、無言で前を見ていた。


 涙が枯れるまで泣いて、ワットソンはハンカチで目元を拭った。

 そして、

「恥ずかしいところを見せてしまったね」

 と呟く。ジャックは前を見たまま、

「人が感情を持つのに、恥ずかしいも何もあるもんか」

 と答えた。


 ジャックの前にコーヒーが置かれ、二人は黙って味わった。


 先に無言に耐えられなくなったのはワットソンだ。

「君は女の子の捜索に加わらないのかね?」

 とジャックを見る。彼は死んだ魚のような目をして、

「今、警察が必死になって動いてるんだ。俺の出る幕はねえよ」

 とコーヒーを啜っている。

「お互い、居場所がない、ってこと、か……」

 ワットソンは呟いた。


 すると、ジャックがキッと、ワットソンを睨んだ。

「勘違いするんじゃねえぞ。居場所ってのは与えられるモンじゃねえ。自分で作るモンだろ」


 何も言い返せない。

 ワットソンは褐色の波紋に目を落とす。

「僕はこれから、どうしたらいいのだろうか……」


 ジャックは静かにカップを空ける。

「パパに頭を下げるか、フルハタ警部に頭を下げるか、ふたつにひとつだ」

「…………」


 朧げながら、ワットソンには分かっていた。

 インド洋コンツェルンを率いる彼の父は、彼に冷たい。

 コネを使って彼をスコットランド・ヤードに入れたのも、アパートメントを与えて家から追い出したのも、彼を相続争いから遠ざけたかったから。


 口では虚勢を張っているが、彼が父の跡を継ぐことはないだろう。

 父が見込んだ優秀な社員か、あるいは彼の知らない愛人の子が、ワットソン家を継ぐに違いない。


 ――ならば、ここで父に平身低頭したところで、彼の未来は見えている。

 それよりは、無能を晒して市井で生きた方が、少しはマシな未来が見えるんじゃないか。


 そんなことを考えていると、急にジャックが立ち上がった。

「来た」

「え?」

 戸惑うワットソンの首根っこを捕まえて、ジャックは通りに目を向ける。

「ハイドパークだ」

「…………?」

「ロールスロイスの馬力は何のためにある。早く走るためだろ」


 そのまま引きずられるように、ワットソンは店を出る。

 そこに現れたのは、ステッキを持った、身なりのいい長身の男だった。

「キングも行くのか?」

 そう問われ、男はニコリと笑みを見せた。

「久しぶりにジョーカーと連絡を取ったんだ。声を聞いたら、会いたくなってね」


 用心棒が駆け寄るが、ジャックは相手にしない。ワットソンを後部座席に押し込み、自分は助手席に腰を据える。

 ワットソンの横に、キングと呼ばれた男が座ったところで、ジャックは運転手に叫んだ。


「一分でハイドパークに行け。『白銀の亡霊(シルバーゴースト)』の気概を見せてみろ!」

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