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はずれスキルの探偵社  作者: 山岸マロニィ
Ⅲ. 最後の晩餐はかく語りき
18/30

 ネロが現場に向かうと、ブラウン先生が彼を呼び止めた。

「先に言っておく……顔もズタズタに切り裂かれて、原型を留めていないほどだ。身長、体型、髪の色、状況を考慮して、身元を推定しているに過ぎない。それでも見ると言うのなら止めないが、見るからには覚悟しておけ」


 ネロはゴクリと唾をのみ、だが毅然と顔を上げる。

「大丈夫です。お願いします」


 ブラウン先生は小さくうなずいて、足元のシートをめくり上げた。


「…………」

 その瞬間、濃い血の匂いが鼻を突く。口元を押さえて堪えるが、目に入ったモノを見て、ネロはよろめいた。


「無理すんな」

 そんな彼の背中をジャックが受け止める。それでも体を支えきれずに、ネロはズルズルと座り込む。

 それでもネロはその場にとどまった――自分にできることは、それしかないから。

 胃の中身を何度も出しながらも、彼は彼女の最後の食事を言葉にした。


「……缶詰です。多分、ベイクドビーンズだと思います」

 ネロは再び、物言わぬ横顔に目を向けた。自分の情けない姿を客観視すれば、先程よりは気分が落ち着いた。そのまま意識を集中させる。

「彼女の前には、小さな女の子がいます。彼女の娘です。とても愛おしく……悲しい気持ちで、彼女はベイクドビーンズを女の子に食べさせています」


 自分は少しだけ、できるだけ多くを娘に食べさせながら、彼女は何かを娘に伝えようとしている。


 そうジャックに告げると、

「声は聞こえるのか?」

 と彼が訊ねた。

「はい……『美味しい? いっぱい食べなさい』……そんなことを言っています」

「伝えたいこととは?」

「監視の目があるので、言葉にできないようです……時々、彼女は後ろの方を気にしています」


 何を、何を伝えたいんだ――ネロは意識の中で、ジゼル・ガルシアに問いかける。けれどもネロが感じられるのは、彼女の主観のみだから、それを外れた範囲は分からない。そのもどかしさで、ネロはおかしくなりそうだ。頭を抱えて集中しようとして、だがその焦りが、ジゼル・ガルシアのものであると気付いた。

 彼女もまた、平静を装いながら必死になっていたのだ。


「焦るな。もっと周りを見渡せ。他に手がかりはないか?」

 ジャックに促され、ネロは娘――エレーヌに意識を向けた。そして声を上げる。

「蝶のネックレス……」


 母のものだったそれを、幼い娘が首から下げている。大きく翼を広げたデザインは、大人が身に付ければそれなりに見えるけれど、子供が付けると玩具のようだ。


 ――だから、監視の目を誤魔化せている。


 ジャックの声にも興奮が混じる。

「奴らが探しているのは、そのネックレスか」

「かもしれません……目的がネックレスだと、気づいていないだけかもしれません」


 しかし、あえて娘に持たせているということは、ジゼル・ガルシアはそれを、誘拐犯に渡してはいけないものだと認識しているのだろう。


 ネロは観察を続ける。

「娘は大人しくベイクドビーンズを食べています……母の手を握りながら」


 ジゼル・ガルシアは、幼い娘の手を開き、柔らかな掌を指でさする。

 ――そしてその時、彼女の心が大きく動く。


「…………」

 ネロは目を閉じ、脳内の彼女の心理を読もうとするが、「伝えたい」という気持ちが伝わるばかりで、その内容が分からない。


「お願いだ。僕を信じて。エレーヌは必ず見つけてみせる。だから、だから僕に、何を伝えたいのかを教えてほしい」


 ネロの口から思いがあふれる。

 しかし相変わらず、ジゼルは娘の手をさすっている。


 ――――いや。


 ネロはハッと目を見開いた。

「文字……」

「何だ?」

 ジャックがネロの言葉を聞き逃すまいと、彼に顔を近づける。

「彼女はエレーヌの手に、指で文字を書いてます」

「読めるか」

「やってみます」


 ネロは視線を、エレーヌの手に集中させる。どうやら、アルファベットのようだ。


「B……A……K……E……R……」


 ジャックの声が低く言った。

「――ベイカーか」


 ネロは続ける。

「HUD……SO……N」

「ハドソン……だと!?」


 そこでネロの意識が現実に戻った。

「ベイカー……ハドソン……彼女はエレーヌの手に、そう書いていました」

「間違いないのか?」

 彼を見るジャックの目は真剣だ。

「はい……絶対とは言えませんけど」


 その途端、ジャックは立ち上がった。

「フルハタ警部、至急、車を一台回してくれ。目的地は喫茶ハドソンだ」



 ――――――――



「いらっしゃい……って、あんたか」

 ジャックの顔を見ると、マスターはつまらなそうに、コーヒーミルに目を戻した。

 アフタヌーンティーにも、仕事上がりの一杯にも半端な時間。店内に客の姿はない。


 ジャックはツカツカとカウンターに向かうと、マスターの顔を凝視する。

「――ジゼル・ガルシアという女を知らないか?」


 マスターはコーヒーミルを回す手を止め、鼻眼鏡の上からジャックを見た。

「ジゼル……なんだって?」


 ジャックは手帳を開いてカウンターに置く。ここに来るまでの車内で、ネロが描いた母娘の似顔絵だ。お世辞にも上手とは言えないが、特徴を誇張した似顔絵としては良くできている。


 ジャックは繰り返した。

「ジゼル・ガルシア。サウス・ケンジントンのマーケットで働いてる」

「サウス・ケンジントンね。あそこはフランス料理の食材がほとんどだ。うちのメニューには合わないから、使ったことがないな」

「娘の名はエレーヌ。五歳だ」

「さあな。聞いたことがない」

「思い出してくれ。客で来たことはないのか?」

「おまえさんも知ってるだろ。ここにはむさ苦しいのしか来ねえよ」


 ジャックは言葉に詰まった。

 きっとマスターは、本当に知らないのだろう。


 ならば、ネロが読んだ文字とは、一体何を示しているのか?


 すると、扉が開き、現れたのはエースだった。

「うあー眠い……って、ジャック、来てたのか」


 彼はカウンター席に腰を下ろし、

「眠気覚ましに濃い目のやつを頼むわ」

 とオーダーする。

「あいよ」

 とサイフォンに手を伸ばすマスターの仕草を目で追っていたのだろう。ふとエースは、カウンターの手帳に目を止めた。

「あれ? この人、どっかで見たことあるぞ」


 そう何気なく呟いたエースに迫り、ジャックは彼の胸ぐらを掴む。

「いつ? どこで?」

「お、覚えてねぇよ……なにせ、日に十回はナンパするから……」

「ここの場所を教えた覚えはあるのか?」

「あ、そういや……」


 エースはジャックの腕を解き、手帳を眺めて遠い目をした。

「本屋で見かけたんだ。すっげー好みの顔してたから、お茶でもしないかと声を掛けたけど、子供がいるからと断られてさ。それでも諦められなくて、子供が好きそうな絵本を買って、探偵社の住所をメモしたのを挟んで渡したんだよ。母子家庭っぽかったから、困ったら頼ってくれってね」

「おまえ……」

 ジャックもさすがに呆れ返る。

「ナンパの相手に職場の住所を教えたのか」

「だって俺、あちこちの女ん家で寝泊まりしてるから、住所不定みたいなモンだし。連絡先っつったら、探偵社が一番確かだからな」


 ジャックは肩の力が抜けた気がした。大きく息を吐いて、気持ちを整理する。

 正体を伏せるため、互いをコードネームで呼び合っている探偵でありながら、見ず知らずの女に探偵事務所の場所を教えるのは、仲間を危険に晒す愚行だ。

 しかし、今回の場合に限っては、それがエレーヌ・ガルシアの生命線となっている可能性がある。

 とても「良くやった」とは言えないが、懲罰モノだと叱る気にもなれない。


 そんなことをジャックが考えていると、エースが察したようだ。

「もしかして、さっき言ってた、行方不明の母娘って……」

「そうだ、この人たちだ」


 途端にエースの顔色が変わった。

「あの美人が殺されて、娘が行方不明になってるってことか」


 コーヒーのことも忘れ、彼は立ち上がった。

「もうすぐ夕方だ。ロンドンの夜は冷える。明るいうちに探さないと、凍えてしまうかもしれない」

「その前に、ブラック・スワンの奴らに見つかれば、命はない」

「クッソ――!」

 そう吐き捨て、エースは店を飛び出した。


「あいよ……って、いねえじゃねえか」

 マスターがコーヒーカップを手に戸惑っている。そのカップを受け取り、一気に飲み干すと、

「こちそうさん」

 とカップを返し、ジャックも店を後にした。

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