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はずれスキルの探偵社  作者: 山岸マロニィ
Ⅲ. 最後の晩餐はかく語りき
16/30

 サウス・ケンジントンの大通りを脇へ入れば、入り組んだ路地が絡み合っている。

 サザークの宝飾店で聞いた仕立て屋は、そんな路地の一角にあった。


 強いフランス訛りの英語で、店主はジャックの質問に答えた。

「ええ。このドレスはうちで仕立てたものよ」

 ジャックに手帳を返し、彼女は作業に戻る。

「きちんとした身なりの紳士と来てね。家族の記念日を高級ホテルで過ごしたいから、ドレスを一着仕立てたいって」

「奥さんは知ってる人?」

「そこのフランス人街に住んでるらしいけど、フランス人を全部知ってる訳じゃないし」

「どんな人だった?」

 店主は顔を上げない。慣れた手つきでアイロンを動かしている。

「美人だけど、質素な身なりをしてたわよ。旦那さんの着てるものと不釣り合いだから、きっと愛人だろうと思ったわ」


 ジャックはネロと顔を見合わせた。


「家族は他に?」

「小さい女の子も一緒だった。その子のドレスの注文も受けたわ。お人形みたいに可愛い子でね。仕立て甲斐があったわ」

 ジャックは銀貨を数枚、アイロン台に置いた。

「――住まいは分かる?」


 ……注文票にあった住所を聞き出し、ジャックとネロはフランス人街に向かう。

「ジゼル・ガルシア。娘の名はエレーヌ。恐らく本名だ」

 手帳の名をジャックが読むと、ネロはうつむいた。

「……無事、なんでしょうか?」


 ジャックは大きく息を吐く。

「そう願いたいな」


 教えられた住所は、古い借家の一室だった。扉をノックしても、やはり返事はない。念の為にドアノブに触れてみると、鍵はかかっていないようだった。


「…………」

 ジャックとネロは顔を見合わせた。

 そしてそっと扉を引いた。


 リビングと寝室があるだけの狭い家は、無茶苦茶に荒らされていた。

「……こりゃ酷いな」

 そう呟いたジャックの横で、ネロは強く眉をしかめた。


 すると、二人に声を掛ける者があった。

「……もしかして、警察の人?」

 やはり強いフランス訛りの英語だ。ジャックは素知らぬ顔で、捜査協力依頼書を見せた。

「まあ、似たようなモンだ」


 近所の住人らしかった。小柄な老婦人は、園芸用のジョーロを抱えてジャックを見上げた。

「そこのお宅――ガルシアさんって言う母娘(おやこ)が住んでるんだけど、一昨日の朝に出てったっきり、戻ってないのよ」

「警察には?」

「身内でもないし、ご家庭の事情もあるから、私が騒いだところで、差し出がましいだけでしょ」

 老婦人は穏やかに、しかし好奇心を隠そうともせずジャックに顔を寄せる。

「……誰かの愛人だって噂もあるし。未婚の母に口出しはできないわ」


 噂好きの老婦人……情報源として最もありがたいタイプだ。ジャックは内心ニヤリとした。


 案の定、何も聞かずとも、老婦人は勝手に喋る。

「昨日なんて、ガラの悪そうなのが何人か来て、家に上がり込んでドッタンバッタンやってたのよ。さすがに警察を呼ぼうかとも思ったけど、仕返しに何かされたら怖いでしょ? 今朝だって、この辺りをウロウロしてたし。気持ち悪いわ」


 まだ話し足りなそうだったが、適当に話を切り上げ、ジャックとネロは大通りに向かって歩きだした。

「家を荒らしたのは、ジェフリー・ブラックマンを殺した連中か、ジゼル・ガルシア母娘を誘拐した連中か。どちらかは分からないが、ブラック・スワンの連中に違いないだろう。ということは、未だに奴らは、目的のものを手に入れられていない」

「つまり……」

「ジゼル・ガルシアは、生きている可能性が高い」


 ジャックは足を早める。

「ここからは、肩肘張ってる場合じゃない。警察と協力して、ジゼル・ガルシアを捜索すべきだ」


 ――しかし、奴らは見逃してくれないようだった。

 ジゼル・ガルシアの家を出た時から、ジャックは気配を感じていた。いつか来るだろうと思っていたから、敢えて人目のない路地裏を選んだのだ。


「待ちな」

 という野太い声を合図に、男が五人、彼らの前後を取り囲む。いずれも手に拳銃を持っている。

「あの女を嗅ぎ回ってるようだな。話を聞かせてくれねえか?」


 ネロは「ヒッ!」と情けない声を上げて、ジャックの背中にすがり付いた。

「どどどうしますか!」

 ジャックは目を細めて頭を搔く。

「そうだな……俺が『行け』と言ったら、そこのゴミ箱の裏にでも隠れてな」


 そう言ってから、ジャックはリーダーらしき男に言った。

「こんなところで立ち話もナンだ。グレート・スコットランド通りスコットランド・ヤードにいい店を知ってる。椅子は硬いが、護衛がたくさんいるから安全だし、檻もある」

「ふざけんじゃねえぞ!」


 ジャックは叫んだ。

「――行け!」


 相手の人差し指が引き金に掛かるより早く、ジャックは動いた。三秒後の(・・・・)弾道を避けて前に飛び、右手首を正確に蹴り上げる。

「ウッ!」

 呻き声と共に、拳銃が手から離れた。それを受け止めると同時に、哀れな男の後ろに回る。リボルバーには弾丸が五発。十分足りる。

 ジャックは、分厚い背を盾にして、残る四人の腹を撃った。


 ――その時間、十秒。


 後に残ったのは、腹を押さえて呻く四人と、こめかみに突き付けられた拳銃を睨みつつ震えるリーダーだった。


 撃鉄を起こすとカチリと音が鳴る。「ヒッ……」と息を呑む男に、ジャックは囁く。

「ねえ、君たちのボス、教えてくれる?」

「そそそそ、それだけは……」


「――ロビン・クロウ」


 カマをかけてみると、男の喉がゴクリと動いた。

「ち、違う……」

「ふうん……」


 これ以上は聞き出せないだろう。

 ジャックは後ろから太い首に手を回して締め上げる。殺しはしない。拳銃を突き付けているもの面倒だから、眠らせるだけだ。後は警察に任せよう。


 ゆっくりと倒れる男から手を離して、ジャックはゴミ箱の影に顔を向けた。

 そこでネロは、愕然と目を見開いている。無理もない。「三秒後の未来が見える」ジャックにとっては、なんてことのない事だが、素人には魔法のように見えるだろう。


 遠くから鐘の音が近づいてくる。銃声に気づいた誰かが、警察に連絡をしたに違いない。

「面倒だが、説明はしないとまずいよな……」

 ジャックは口をへの字に曲げ、とりあえずネロのところに向かおうとした。


 ――その三秒後。


「ウッ……」

 小さな呻き声が背後で聞こえた。

 振り返ったジャックが見たものは、リーダーの太い首から、噴水のように血が吹き出る光景だった。


「しまった――!」

 六人目の可能性を逸していた。

 しかもこれは、奴らの味方ではなく、敵側――!


 ジャックの目に、三秒後の未来が見えた。

 左から順に、四人の男の頸動脈が切断されていく。犯人の姿は見えない。

 そして、五人目は――


「伏せろ!」

 ネロにそう叫び、ジャックは走った。そしてブリキのゴミ箱を、ネロの頭からすっぽりと被せる。


 ジャックの背後で悲鳴が上がった。殺戮が始まったのだ。ジャックにそれを止める術はない。

 ……ただひとつできるのは、未来分岐が入れ替わったルートにある、五人目の犠牲者となるべき自分の身を守るだけ。


 ジャックは知っていた――目に見えない殺戮者の正体を。


 ――ファントム。

 それを知る者は、その存在をそう呼んだ。


 精神分裂した人格を顕現させ、使役するスキル。

 ファントムには様々な種類があり、目に見えるもの、目に見えないものがある。

 それぞれのファントムが、攻撃や探索などのスキルを持つ。このファントムは、「切断」のスキルを持つ個体だろう。

 そして、そのいずれも、物理的な攻撃が効かない――人格だけが分離したもので、実体がないからだ。

 ファントムを止めるには、本体を攻撃するしかない。


 ジャックはそんなスキルを持つ者を、一人だけ知っていた――いや、一人しかあり得ない。


 ジャックの脳裏に、三秒後の未来が映る――ジャック自身が血を噴きながら、仰向けに倒れる映像。

 その視線の先で、滑らかな金髪が揺れている。建物の屋上から見下ろす顔――


「――見えた」


 ジャックは銃口を上に向ける。最後の一発を真上に発射するが、それと同時に、弾が虚しく彼方へ消える未来も見えた。

「…………」

 死を覚悟する。


 ところが、彼が見た三秒後の未来は現実にはならなかった。ジャックが発砲したことで、ファントムの主は攻撃を止めたようだ。


 全身を冷や汗が濡らしている。しばらく銃口を向けた先を睨んでいたが、視界で動く気配はなかった。

 ガクリと腕を下ろし、レンガ敷きの路地に膝をつく。情けないことに、体の震えが止まらないのだ。


 ――あいつ、生きていたのか。


 かつて寝食を共にし――見捨てた男。

 その彼が現れたことに、ジャックは強く動揺していた。


 何度か深呼吸を繰り返し、ようやく立ち上がる。ヨロヨロと路地の端に向かい、伏せたゴミ箱を持ち上げた。


 その下で、ネロも震えていた。大きく見開いた目に涙を貯め、焦点の定まらない瞳が細かく動き回っている。

 やがて、彼は小さく呻いた。

「うう……」

 何度か震える呻きが漏れる。そしてそれは爆発した。

「うう……うわあああああ!!」


 頭を抱えて叫び続ける。ジャックは

「しっかりしろ!」

 とネロの肩に手を置き顔を合わせるが、彼の視線は目の前のジャックを見ていない。


 まるで、ジャックの背後に屯する亡霊に怯えるように、ガタガタと身を震わせている。


 やがて悲鳴が細くなり、声が途切れた。

 ネロの瞳は裏返り、痩せた体がガクリと脱力する。

 慌てて受け止めたジャックの腕の中で、ネロは意識を失っていた。

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