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はずれスキルの探偵社  作者: 山岸マロニィ
Ⅲ. 最後の晩餐はかく語りき
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15/30

 ワットソン警部補のアパートメントは、ベイカー通りの一番街。二番街にある『ベイカー通り探偵社』までは、歩いて五分の距離だ。

 いつまでもクイーンに頼っていてはいけないと、ネロは一人で探偵社に出社する。


「おはようございま……」


 ネロが最後まで挨拶を言いきらないうちに、絶望的な叫び声が事務所に響いた。

「うわあああ! 全部持ってかれたああ!」


 何事かと顔を向ける。そこには、頭を抱えるエースがいた。

 ……そして、トランプ台を挟んだ向かいに、ジャック。

 彼はトランプをまとめ、台の中央に散らばった硬貨や紙幣を広い上げてポケットに納める。


 ネロは一瞬で理解した……昨日、ブラウン先生が言っていた言葉を。

 ――あいつからギャンブルを持ち掛けられたら断るんだ。破産したくなきゃね。


 そりゃ、三秒先の未来が見える相手に『ババ抜き』を挑んだところで、勝てる訳がない。


 しかし、仲間だろうに、エースはジャックのスキルを知らないのだろうか……?

 そう考えていると、急にジャックが振り向いた。

「おはよう、少年。今日は気分がいいから、ハドソンのモーニングセットを奢ってやる」


 断る理由はない。ネロはジャックに従った。


 喫茶ハドソンは、朝七時から夕方六時までの営業らしい。

 仕事前の一服、ブランチにランチ、アフタヌーンティー、そして、仕事終わりの一服に、マスターに胃袋を掴まれた男たちがやって来る。

 ほとんど常連ばかりだけれど、時間によってはそこそこテーブルが埋まっているようだ。


 端のテーブル席でジャックと向き合う。フル・ブレックファストの皿とコーヒーをテーブルに置いたマスターに、ジャックはお金を渡した。

「百五十ポンドある。これでしばらく、遠慮なく通えるな」

「その都度払えばいいだけだろ」

 マスターは冷めた目で金を受け取り、「おまけだ」と、ネロの前にチーズの盛り合わせを置いた。

「成長期なんだ。しっかり食え」

 ぶっきらぼうに見えて、優しいところがあるようだ。ネロは「ありがとうございます」と受け取った。

 すると、ジャックが

「俺にはないの?」

 と聞くから、マスターはしかめ面をした。

「ピクルスなら持ってきてやる」

「……いや、やめとく」


 穏やかな朝食。幾人かが慌ただしく、トーストをコーヒーで胃に流し込んでいく横で、二人は優雅に皿に向き合う。


 やはり、マスターの料理は最高だ。どれも美味しいけど、特にブラックプディングは、パブで食べたものよりまろやかで、いくらでも食べられる。


 ジャックはフォーク片手に新聞を眺めている。毎朝こんな感じなのだろうと思いつつ、ネロは気になることを聞いてみた。

「エースさんは、ジャックさんのスキルを知らないんですか?」

 ジャックはギョロリとネロに目を向ける。

「あいつは俺の財布なんだから、教える訳ねえだろ」


 ……ネロはエースの軽薄な顔に、心から同情した。


「ズルくないですか、それは。エースさんが可哀想です」

「まぁ、知らない奴はそう思うだろうがな。女に貢ぐか俺に貢ぐかの違いだけで、あいつの財布はいつも空さ。たまには奢ってやる俺に貢いだ方が、合理的ってモンだ」


 よく分からない理屈だけれど、探偵社のみんながそんな二人の関係を知らないはずがないし、誰も不幸になっていないのなら、まあ、いいのだろう。


 ネロは皿を平らげ、チーズを口に運ぶ。

「今日は、サウス・ケンジントンに行くんですよね」

 すると、ジャックは新聞を畳んだ。

「行く。行くんだが、ちょっと事情が変わってだな……」


 ジャックは言った。

 昨日、あの後、「ジェフリー・ブラックマン」なる人物の妻が身に付けていた蝶のネックレスと、サザークの宝飾店のネックレスが同じものかを、リッチモンド・リバーサイド・ホテルに確認しに行ったらしい。

 すると、昼間、ジャックたちに証言をしたあのボーイが、申し訳なさそうにこう言った。


「先払いされていたので、手続き上はチェックアウトとなっていたのですが、実は、夜間に姿を消していたようです」


「えっ……!?」

 ネロはチーズをつまんだ手を止めた。

「それじゃ、奥さんと娘さんも、まさか一緒に……」

 最悪の想像に血の気が引く。

 しかし、ジャックは首を横に振った。

「いや、ジェフリー・ブラックマンと妻子が別行動を取ったのは確かだ。ドアボーイの証言もある。それに、夜の十時頃、フロントに電話がかかってきて、妻に取り次いでいる。その頃までは、母子が部屋にいたのは間違いない」

「つまり、その電話に呼び出されて、彼女たちはホテルを抜け出したと」

「多分、そういうことだ。非常階段を下りれば、テムズ川の岸壁だ。目撃者探しは難しいだろうがな」

「電話の主は、ジェフリー・ブラックマンなんです?」

「いや、別人だ」


 ジャックはトマトをつまみ、口に放り込む。

「――ロビン・クロウ。そう名乗ったらしい」


「誰ですか?」

「俺もその時は知らなかった。だが、さっき、エースに聞いたんだ」


 ジャックは説明した。

 エースは探偵社に来る前、騙されてブラック・スワンの構成員になっており、組織の内情にある程度通じていると。


「エースの話じゃ、幹部クラス――それも、かなりトップに近い地位にいる奴だそうだ」

「えっ……!」


 話がどんどん大きく、複雑になっていく。目眩がする思いで、ネロはコーヒーに口を付けた。ネロの年齢に合わせて、軽めでまろやかに仕上げてあるコーヒーが、彼の意識を鮮明にした。


「――つまり、この事件には、同じブラック・スワンでありながら、二つのグループが関わっている」


 ジャックは呆気に取られた顔をした。

「おまえ、意外と頭の回転が早いな」

 そう言われて、ネロは恐縮して首を竦めた。

「たまたま頭に浮かんだだけです……」

「まあいい。おまえの言う通り、ジェフリー・ブラックマンを殺した一味と、彼の妻子を呼び出した一味は、別だと考えた方が自然だ」


 妻に電話が入ったのが十時。

 ジェフリー・ブラックマンの死亡推定時刻は深夜零時。


 ジェフリー・ブラックマンは暴行の末に死亡したと考えられるから、彼の身に自由がなくなったのは、それより何時間か前と思われる。

 なぜすぐに殺さず、暴行の末に殺したのか。

 最も合理的な理由は「拷問」だ。

 ジェフリー・ブラックマンが何かを隠しており、それを明かすために拷問をした――その方法は、水責め。

 そして、答えが出る前に死亡したため、テムズ川に捨てたのだ。


 しかし、彼の妻子は、彼が死亡するより前に連れ出されている。

 得られなかった答えを、直前に接触した妻子に求めるのなら、彼が死亡した後のはずだ。


 その点から、ブラック・スワンの中で、ジェフリー・ブラックマンが持つ「何か」を奪い合うグループが複数あると考えられる。


 ジャックが言葉で説明して、ようやくネロは直感の意味を理解した。

 「なるほど」とうなずく彼に、ジャックは細い目を向ける。

「ひょっとして、それもスキルか?」

「分かりません……けれど、ジェフリー・ブラックマンって人の思考というか……そういうのがずっと、頭から離れないんです」

「共感性の高さ、ってやつか」

 ジャックはそう言って、コーヒーをグイッと空けた。


「とりあえず、蝶のネックレスの確認は取れた。レストランのボーイが、ジェフリー・ブラックマンの妻が付けていたものに間違いないと証言した。明確な証拠と言っていいだろう」

 ネロはコーヒーを飲みながらうなずく。

「それから、ジェフリー・ブラックマンの妻はフランス人のようで、フランス語で会話をしていたとも言っていた。サウス・ケンジントンにはフランス人街がある。恐らく、本人には会えないだろうが、そこに行けば、何か手がかりが掴めるかもしれない」

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