第3章
回想
世界が白く染まり始める直前。
蒼真は、夕奈の温もりが消えていく感覚を、
ただ呆然と抱きしめていた。
夕奈の家のリビングは静まり返り、
階段の踊り場から落ちた衝撃の余韻だけが、
まだ空気の中に残っているようだった。
蒼真は夕奈の身体を抱きしめたまま、
震える声で呟いた。
「……なんで……
なんでまた……」
涙が頬を伝い、夕奈の髪に落ちる。
夕奈の表情は穏やかで、
まるで眠っているようだった。
(守れなかった……
また……)
胸の奥が焼けるように痛い。
呼吸がうまくできない。
喉が締めつけられる。
そのとき――
背後から、静かな足音が近づいた。
「蒼真」
ココだった。
その小さな姿は、いつもよりも影を落として見えた。
「……また、失敗しちゃったね」
蒼真は顔を上げ、涙で濡れた目でココを睨む。
「なんでだよ……
車は来なかった……
段差もなかった……
なのに……なんで……!」
ココは悲しげに目を伏せた。
「運命はね、一本の道じゃないんだよ。
“死”という結果に向かうためなら、
どんな形でも道を作ってくる」
「ふざけるな……!」
蒼真は拳を握りしめ、床を殴った。
「そんなの……そんなの運命なんかじゃない!
ただの……ただの悪意だ……!」
ココは静かに首を振る。
「悪意じゃない。
ただ……“強い流れ”なんだよ。
きみが抗おうとすればするほど、
別の形で押し返してくる」
蒼真は夕奈の手を握りしめ、
震える声で呟いた。
「……じゃあ、どうすればいいんだよ……
どうすれば……夕奈を救えるんだよ……」
ココは蒼真の隣に座り、
小さな声で言った。
「蒼真。
きみはまだ“原因”を見つけていない。
車でも、段差でもない。
夕奈の死は……もっと別のところにある」
「別の……?」
「うん。
夕奈の身体に起きている“変化”。
それが本当の原因だよ」
蒼真は息を呑んだ。
(夕奈の……身体……?
あの胸の痛み……
あのふらつき……
あの足の傷……)
ココは続けた。
「夕奈はね……
“死ぬ運命”に向かっているんじゃない。
“死ぬ理由”を抱えているんだよ」
蒼真の胸が冷たくなる。
「……理由……?」
「うん。
それを見つけない限り、
何度やり直しても、夕奈は死ぬ」
蒼真は夕奈の顔を見つめた。
(……夕奈……
お前は……何を抱えてるんだ?)
ココは立ち上がり、蒼真に手を差し伸べた。
「行こう、蒼真。
3回目の夏へ。
今度は“原因”を探すんだ」
蒼真は夕奈の手をそっと床に置き、
ゆっくりと立ち上がった。
涙はまだ止まらない。
胸の痛みも消えない。
だが――
その奥に、確かな決意が灯っていた。
「……行く。
何度でも……
夕奈を救うまで……!」
ココは微笑んだ。
「うん。
その覚悟があれば、きっと辿り着けるよ」
世界が白く染まり、
音が消え、
時間が巻き戻り始める。
蒼真は目を閉じ、
強く願った。
(今度こそ……
絶対に……夕奈を救う)
そして――
3回目の夏が始まる。
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世界が白く染まり、
音がひとつずつ消えていく。
夕奈の温もりが、
指先からゆっくりと離れていく感覚だけが残っていた。
(……また失った)
胸の奥が焼けるように痛い。
涙はもう枯れたはずなのに、
それでも頬を伝って落ちていく。
ココの声が、遠くで響いた。
「蒼真。
きみはまだ終わってないよ。
“原因”を見つけるまで、何度でもやり直せる」
蒼真は歯を食いしばり、
白い光の中で拳を握りしめた。
(原因……
夕奈の身体……
あの胸の痛み……
ふらつき……
そして、同じ場所の傷……)
すべてが繋がりそうで、
しかしまだ霧の中にある。
ココがそっと言う。
「蒼真。
3回目の夏は……
“前の2回”とは違うよ」
「違う……?」
「うん。
運命は、きみが抗うほど“強く”なる。
でも同時に……“ヒント”も増える」
蒼真は目を閉じ、深く息を吸った。
(……もう逃げない。
絶対に見つける。
夕奈を殺す“本当の理由”を)
光が収束し、
世界が再び形を取り始める。
蝉の声。
夏の匂い。
眩しい日差し。
そして――
「蒼真ー! 早くー!」
聞き慣れた声が、
まるで初めて聞くように鮮やかに響いた。
蒼真はゆっくりと目を開ける。
そこには――
制服姿の夕奈が、
あの日と同じ笑顔で立っていた。
ただし――
前の2回とは、ほんの少しだけ違う。
夕奈の笑顔の奥に、
一瞬だけ“影”のようなものが揺れた。
ほんの一瞬。
気のせいと言われれば、それまでのほどの小さな違和感。
だが蒼真は、見逃さなかった。
(……夕奈。
お前……何を抱えてるんだ?)
夕奈は手を振る。
「蒼真、どうしたの?
ぼーっとしてると置いてくよ?」
蒼真は歩き出しながら、
胸の奥に強い決意を宿した。
(今度こそ……
絶対に救う。
そのために――
“原因”を突き止める)
夕奈の笑顔の裏に隠された“何か”を。
そして、
運命の本当の姿を。
3回目の夏が、静かに始まった。
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「蒼真ー! 早くー!」
3回目の夏。
夕奈は、前の2回と同じ場所で、同じ笑顔で手を振っていた。
だが――
蒼真はすぐに気づいた。
(……声が、少しだけ違う)
明るい声。
元気な声。
でも、どこかに“かすれ”が混じっている。
ほんのわずか。
気のせいと言われればそれまでのほどの小さな違和感。
だが、蒼真の胸はざわついた。
「どうしたの? ぼーっとして」
夕奈が駆け寄ってくる。
その動きも、前の2回と同じはずなのに――
どこかぎこちない。
(……足?)
夕奈の右足。
歩き方が、ほんの少しだけ不自然だった。
前の2回で負った“同じ傷”。
それが、まだ“未来”にあるはずなのに。
(なんで……?
まだ何も起きてないのに……
もう違和感がある?)
夕奈は気づかないまま笑う。
「今日はどこ行く? 海? 公園?」
蒼真は夕奈の顔を見つめた。
(……目の下に、クマ?)
ほんの薄い影。
前の2回にはなかった。
夕奈は元気に見える。
笑っている。
でも――
身体のどこかが、確実に“悲鳴”を上げている。
蒼真はゆっくりと答えた。
「……海に行こう。
少し話したいことがある」
「え? 何かあった?」
「いや……ちょっとな」
夕奈は首をかしげたが、すぐに笑った。
「じゃあ行こっ!」
二人は並んで歩き出す。
海へ続く坂道。
前の2回と同じ道。
同じ景色。
だが――
蒼真は、また違和感に気づいた。
(……夕奈、息が少し荒い)
坂道を登るたびに、
夕奈の呼吸がわずかに乱れる。
「夕奈、大丈夫か?」
「え? うん、大丈夫だよ。
ちょっと寝不足でさ」
「寝不足?」
「昨日、なんか眠れなくて……」
夕奈は笑ってごまかす。
だが、その笑顔はどこか弱い。
(……寝不足?
それだけか?
それだけで、こんなに息が乱れるか?)
夕奈は気づかないまま歩き続ける。
蒼真は、胸の奥に冷たいものが広がるのを感じた。
(……夕奈の死の原因は、外側じゃない。
“身体の中”にある……)
ココの言葉が蘇る。
「夕奈はね……
“死ぬ運命”に向かっているんじゃない。
“死ぬ理由”を抱えているんだよ」
(……その“理由”が、もう始まってる?)
夕奈は振り返り、笑顔で手を振る。
「蒼真、早くー!」
その笑顔は、
前の2回と同じはずなのに――
どこか儚く見えた。
海に着くと、夕奈はいつものように裸足になって波へ駆け出した。
だが――
すぐに立ち止まった。
「……あれ?」
夕奈は胸に手を当て、
小さく息を吸った。
(……来た)
前の2回でも見た“胸の痛み”。
だが今回は――
前より早い。
夕奈は笑ってごまかそうとする。
「ちょっと……走りすぎたかな」
「夕奈、無理するな」
「大丈夫だよ。
ほら、海きれいだよ?」
夕奈は笑う。
その笑顔は、痛みを隠すための笑顔だった。
蒼真は夕奈の横顔を見つめ、
確信した。
(……夕奈の死の原因は、外側じゃない。
事故でも、段差でも、偶然でもない。
“夕奈の身体の中”にある)
そして――
それは前の2回よりも、
確実に進行している。
(……時間がない)
夕奈は波打ち際で笑っている。
その姿は美しく、儚く、
まるで夏の光に溶けてしまいそうだった。
蒼真は拳を握りしめた。
(絶対に見つける。
夕奈を殺す“本当の原因”を)
3回目の夏は、
前の2回よりもずっと早く、
運命の影を落とし始めていた。
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海辺の風が吹き抜ける。
夕奈は波打ち際で笑っていた。
その笑顔は、前の2回と同じはずなのに――
どこか儚く見えた。
蒼真は、夕奈の胸に手が当たる瞬間を見逃さなかった。
(……やっぱりだ。
夕奈の身体の中で、何かが起きてる)
夕奈はすぐに笑顔を作り、
「大丈夫だよ」と言うように手を振る。
「ほら蒼真、こっち来て!」
蒼真は歩きながら、
夕奈の足取りを観察した。
(右足……やっぱり少し引きずってる。
まだ何も起きてないのに……
“未来の傷”が、もう影響してる?)
夕奈は気づかないまま、
海に足を浸してはしゃいでいる。
その姿が、
痛いほど愛おしくて、
同時に恐ろしく感じた。
海から上がった夕奈は、
タオルで髪を拭きながら言った。
「ねえ蒼真。
今日、なんか変だよ?」
「変って……何が?」
「なんか……すごく私のこと見てる。
心配してるっていうか……
なんか、怖い顔してるよ?」
蒼真は息を呑んだ。
(……気づかれてる)
だが、言えない。
「お前は何度も死んでる」なんて。
「……ごめん。
ちょっと考え事してた」
「そっか。
でも、なんか……蒼真、優しいね」
夕奈は照れたように笑う。
その笑顔の奥に――
また、あの“影”が揺れた。
ほんの一瞬。
胸の奥に痛みが走ったような表情。
(……隠してる。
夕奈は、自分の身体の異変に気づいてる。
でも俺には言わない)
その確信が、蒼真の胸を締めつけた。
夕暮れの坂道。
前の2回と同じ道を歩く。
だが――
夕奈の歩幅が、明らかに小さい。
「夕奈、疲れてるだろ。
休むか?」
「え? ううん、大丈夫だよ。
ちょっと……ふらっとしただけ」
その瞬間、
夕奈の身体がぐらりと傾いた。
「夕奈!」
蒼真は咄嗟に抱きとめた。
夕奈は胸を押さえ、
苦しそうに息を吸う。
「……ごめん。
ちょっと、目が回って……」
(……もう隠せてない)
蒼真は夕奈の肩を支えながら歩く。
夕奈は笑おうとするが、
その笑顔は弱々しい。
「蒼真……
なんか、今日……変だね。
私、こんなに疲れやすかったっけ……?」
蒼真は答えられなかった。
(……原因は“病気”だ。
事故じゃない。
外側じゃない。
夕奈の身体の中にある)
だが――
何の病気なのかは分からない。
そして、
夕奈はそれを“隠している”。
夕奈の家の前に着く頃には、
夕奈の顔色は明らかに悪かった。
「今日は……ありがとね。
なんか、変なとこ見せちゃった」
「夕奈、本当に大丈夫か?」
「うん……大丈夫。
ちょっと寝れば治るよ」
そう言って笑うが、
その笑顔は痛々しいほど弱い。
蒼真は言った。
「夕奈……
何か隠してるだろ」
夕奈の表情が、一瞬だけ固まった。
「……え?」
「身体のことだ。
何かあるんだろ?」
夕奈は視線をそらし、
小さく首を振った。
「……ないよ。
そんなの、ない」
嘘だ。
蒼真には分かった。
だが――
夕奈はそれ以上、何も言わず家に入っていった。
蒼真は家の前で立ち尽くした。
(……今日は大丈夫だ。
階段も、車も、何も起きない)
そう思った瞬間――
家の中から、
何かが倒れる音がした。
ガタンッ!!
蒼真の心臓が跳ねる。
(……まただ)
だが、前の2回とは違う。
音の方向が――
階段ではない。
蒼真は玄関へ駆け込み、
家の中へ飛び込んだ。
「夕奈!!」
返事はない。
リビングの奥。
夕奈が倒れていた。
胸を押さえ、
苦しそうに息をしている。
「夕奈!!」
蒼真は駆け寄り、夕奈を抱き起こす。
夕奈は震える声で言った。
「……ごめん……
なんか……胸が……」
(やっぱりだ……
原因は“病気”だ……!)
だが――
蒼真はまだ、その正体を知らない。
夕奈の呼吸はどんどん浅くなり、
手が冷たくなっていく。
「夕奈!
しっかりしろ!!」
夕奈はかすかに笑った。
「……蒼真……
今日……楽しかったよ……」
「そんなこと言うな!!」
「……また……海……行こうね……」
その言葉を最後に、
夕奈の身体から力が抜けた。
蒼真は叫んだ。
「夕奈ぁぁぁぁぁ!!」
だが――
運命はまた、夕奈を奪った。
形を変えて。
理由を変えて。
逃げ場をなくして。
背後から、静かな声がした。
「蒼真。
3回目も……ダメだったね」
蒼真は涙を流しながら振り返る。
「なんでだよ……
なんで……何をしても……!」
ココは静かに言った。
「3回目で分かったこと。
夕奈の死の原因は“外側”じゃない。
“身体の中”にある」
蒼真は拳を握りしめた。
(……絶対に見つける。
夕奈を殺す本当の理由を)
ココは手を差し伸べた。
「行こう、蒼真。
4回目の夏へ」
世界が白く染まり始める。
蒼真は夕奈の手を握りしめ、
強く願った。
(今度こそ……
必ず近づいてみせる)
そして――
4回目の夏が始まる。




