第五話 最初の見積もり
先送りされた補修は、夕方になると釘箱の底で音が変わる。
旧記録室の机に、私は長釘を六本ずつ並べていた。
南兵舎の本支柱に十六本。屋根谷の導き板に八本。井戸の新しい木蓋に四本。穀倉の木台に最低でも十二本。途中で一本でも折れれば、その分だけ寝台か麦袋のどちらかを諦める数だった。
箱を傾ける。
から、と軽い音がした。
使える長釘は二十九本。曲がったものが七本。錆で首の細くなったものが五本。短釘は別にあるけれど、梁と蓋に打つには心許ない。
私は紙の上に線を引いた。
南兵舎。井戸。穀倉。北面防壁。
その右に、必要数。さらに右へ、砦内転用。
王都では、必要数だけ書いても紙は戻ってきた。理由欄が足りない、緊急度が曖昧だ、来月の予算で見直せ。そうやって一枚ずつ遅れるうちに、現場だけが先に濡れた。
けれど北辺では、足りないものを足りないまま書いたら、今夜の寝台が減る。
私は棚の上の古帳面をひっくり返した。湿気で波打った紙の間から、去年の補給控えが三冊、さらに古い資材台帳が一冊出てくる。修繕材の欄は案の定、大雑把だった。
板材一式。
釘類。
縄。
腹が立つほど曖昧だ。
めくる手を止めず、もっと古い頁へ遡る。そこでようやく、書き手の違う細い字が目に入った。
秋巡察用査閲台。
板六枚、長釘四十、布掛け保管、西庭。
私は頁を持ったまま立ち上がった。
西庭は、兵舎の裏を回った先にあった。雨が当たらないよう粗い天幕を掛けられたまま、低い木組みが半分だけ傾いている。去年か一昨年の巡察で使ったのだろう。板は泥を吸っていない。角もまだ立っている。
指先で弾くと、乾いた音が返った。
これなら支柱の抱かせ板にできる。井戸蓋にも回せる。釘も抜ける。
「何を見ている」
振り返ると、アルノルトが外套の襟を払っていた。夕刻の湿った風が庭を抜け、粗布の天幕をばたつかせる。
「見積もりの最後の一列です」
私は資材台帳を見せた。
「買う分だけでは間に合いません。砦の中で、今すぐ剥がせるものを先に数えます」
アルノルトは査閲台と台帳を見比べた。
「それは巡察用だ」
「今の南兵舎は、巡察を待つ前に六床閉じたままです」
天幕の裾を持ち上げ、内側の板を一本引いて見せる。木目は詰まり、反りも少ない。南兵舎の濡れた仮支柱より、よほどまっすぐだった。
「この板二枚で抱かせ板が取れます。残り二枚で井戸蓋。長釘は抜き直せば、南兵舎の支柱と導き板まで届きます」
「次の巡察で文句が出るぞ」
「石畳の上でも報告は聞けます」
言ってから、少しだけ息を整えた。
「けれど濡れた寝台では眠れません」
アルノルトは返事の代わりに、査閲台の端を靴先で蹴った。ぐらりと揺れた拍子に、留めてあった長釘が一本、木から半分抜けて鈍く飛び出す。
「組んだまま腐らせる方が早いな」
彼は庭先にいた兵を呼んだ。
「槌と釘抜きを持ってこい。西庭の査閲台を解体する」
兵は一瞬だけ目を見開いたが、すぐに走った。
私は机へ戻り、見積もりを書き直した。
南兵舎。
仮支柱差し替え二箇所、抱かせ板二枚、樋受け導き板一枚、長釘二十四、短釘十二、人員六。
今夜閉鎖継続六床。完了で滴下停止見込み。
井戸。
蓋板二枚、縄一本、蝶番代用金具二、人員二。
完了で雨水流入減、夜間の落下防止。
穀倉。
木台六、泥上げ四、通気口清掃、人員四。
完了で下段十八袋の湿り進行抑制。
北面防壁。
石開き計測、印打ち、結界線点検、人員二。
今夜の崩落危険なし。監視継続。
最後に、外部調達と砦内転用を分けて書く。
外部調達は、樋一条、支柱材二本、縄一本、石灰少量。
砦内転用は、西庭査閲台の板四枚、長釘三十一本、布掛け一枚。
書き終えたところで、扉が二度鳴った。解体を終えた兵たちが、抜いた板と釘を抱えて戻ってくる。泥のついていない板が机の脇へ立てかけられ、釘は布の上へまとめて落とされた。
私は一本ずつ指でしごいた。首の細っていないものを選り、長さごとに分ける。数えるたび、紙の右端の空欄が埋まっていく。
三十一本。
南兵舎と井戸までは足りる。
「穀倉の木台は」
板を運んできた兵が訊いた。
「槍箱の空き木枠で足ります。今日は下段を床から浮かせるだけでいいです」
兵は頷き、次の指示を待たずに穀倉へ向かった。私の見積もりを横から覗いていた若い兵が、紙の上の数字を指した。
「六床って、あの閉じた寝台か」
「ええ」
「二本替えれば戻せるのか」
私は首を振った。
「今夜はまだ戻しません。滴が止まって、梁が朝まで鳴かなければ、明日から順に開けます」
兵は紙を見たまま、小さく唾を飲み込んだ。六床という数字が、ようやく寝台の顔を持ったらしい。
日が落ちる前に、南兵舎の支え直しが始まった。
昨夜は折れた寝台の脚で受けていた梁へ、解体した査閲台の板を左右から抱かせる。濡れた木へ布を噛ませ、長釘を斜めに打ち込む。打つたび、梁の奥で鈍く残っていた揺れが短くなった。屋根谷の真下には新しい導き板を差し込み、水の筋が壁の内側へ走らない角度を作る。
井戸でも、残りの板が蓋の形に切られた。ずれた古蓋の上から重ねると、口の欠けていた半分がようやく塞がる。縄も新しいものへ替わり、桶の縁が石へ擦れなくなった。
私は最後に、清書した見積もりを当番板へ持っていった。
炊事場の前を通る兵が止まり、濡れた手のまま紙を見る。
穀倉から戻った兵が、下段十八袋、という行で足を止める。
南兵舎の若い兵は、今夜閉鎖継続六床、の文字を読んでから、仮支柱差し替え二箇所、の下へ目を落とした。
アルノルトが短剣で紙の端を留める。
「この書式で毎日出せ」
彼の指が、外部調達の欄を叩いた。
「補給便には、俺の名で回す。砦内転用は、お前の判断を通す」
私は頷き、南兵舎の方を振り返った。
屋根を打ち始めた細い雨が、今夜は兵舎の外で音を変えていた。昨日までなら二列目の桶へ真っ先に落ちた雨筋が、いまは導き板を伝って外壁の樽へ落ちている。扉を開けても、中央六床の手前まで冷たい膜が走ってこない。
閉鎖した寝台の脇で、年嵩の兵が梁を見上げたまま息を吐いた。
「今夜は、音が少ないな」
私は桶の縁へ手を置いた。まだ空のままだった。




