表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
辺境修繕結界師 ~「地味な保全部は不要です」と婚約破棄された宮廷結界師、雨漏り砦を直したら最強の防衛都市になっていました~  作者: 小竹X


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

4/42

第四話 直す順番

先送りされた補修は、朝になると寝台の数でばれる。


南兵舎の二列目中央六床は、夜明けの薄い光の中でも空いたままだった。昨夜、毛布を寄せ合って寝た一列目と三列目では、起き上がった兵たちの肩が濡れていない。閉鎖した六床の真下に置いた桶だけが、まだ一定の間隔で水を受けていた。


私は桶の縁を指で叩いた。半分より少し下。夜明けまで保つ、という見立ては外れていない。


「眠れたか」


振り返ると、兵舎の入口にアルノルトが立っていた。扉は昨夜の位置で閉まり、足元へ冷たい風を落としていない。


「中央六床以外は使えています。次は、ここを今夜も保たせる順を決めます」


私は点検簿を開き、頁の上へ四本の線を引いた。


生存。

水。

食糧。

防衛。


「まず砦を一周します」


アルノルトは頷いたが、返事の前に兵舎の梁を一度見上げた。


「北面防壁も見ろ。見張りからひびの報告が出ている」


「はい。ただし、見る順は私が決めます」


彼の眉がわずかに動いた。そのまま何も言わず、先に外へ出る。試している歩幅だった。


最初に向かったのは井戸だった。


中庭の石畳には、昨夜の雨がまだ黒く残っている。井戸の縁石は片側が欠け、木蓋は半分ずれて、濡れた縄が泥の筋を引いていた。縁の外側には細い流れ込みの跡が三本ある。高い場所から落ちた雨水が、石を伝ってそのまま井戸口へ寄った線だった。


桶を上げると、縄の毛羽が手袋へ刺さった。


「雨の翌朝は、いつもこうですか」


近くで桶を洗っていた兵が答えた。


「底に砂が沈む日があります。飲めなくはないが、鍋に入れると舌に残る」


私は桶の内側へ鼻を寄せた。今朝はまだ土の匂いが薄い。けれど、この蓋では次の雨で流れ込みを止められない。


点検簿の水の欄に、仮蓋、流し溝、縄交換と書く。


次は穀倉だった。


扉を開けた途端、冷たい穀の匂いに、湿った藁の甘さが混じった。床板は乾いて見えるのに、踏むと靴裏へぺたりと吸いつく。壁際の通気口は内側から泥で半分埋まり、いちばん下の麻袋だけ色が濃い。


私はしゃがみ、端の袋を少し持ち上げた。裏面がじっとり冷たい。角を押すと、中の麦がさらさら崩れず、固まりでずれた。


「この列、下から何段目ですか」


「五日前に積み直してから、そのままです」


兵站係の兵が答えた。声に言い訳はなかった。ただ、人手が足りない現場の声だった。


「あと三度降れば、下二段は先に炊くしかなくなります」


私は通気口の泥を爪先で蹴った。乾いた表面の下から、昨夜の湿り気を含んだ黒い塊が崩れる。


生存の次に食糧を置きたくなる気持ちは分かる。けれど水が崩れれば、鍋も洗浄も止まる。私は書き直さず、そのまま食糧の欄へ濡れ袋の積み替え、通気口掘り起こしと記した。


最後に北面防壁へ上がった。


見張り台へ続く石段の途中からでも、ひびはよく見えた。胸の高さの欄壁に一本、白く乾いた筋が走っている。兵が不安になるひびだった。遠目に目立つし、砦の顔に入っている。


アルノルトがその前で止まる。


「ここだ。皆、最初にこれを指す」


私はひびの縁へ指を差し入れた。石粉は落ちる。けれど内側の芯まで湿っていない。昨夜広がったものではなく、前からあった筋へ雨が入って表面を洗っただけだ。


「今日じゅうに崩れる割れではありません」


「見た目は最悪だ」


「ええ。だから測って、広がり方だけ先に押さえます。今ここへ人を貼ると、今夜また寝台が減ります」


アルノルトは腕を組んだ。


「ここは辺境の砦だ。防壁より兵舎を先にするのか」


「はい」


声が思ったより硬く出た。けれど引っ込めなかった。


「濡れた兵は二晩で咳をします。井戸へ泥が入れば腹を壊します。湿った麦は、見張り番の前に鍋で人数を減らします。壁は兵が立って初めて壁です」


風が、ひびの入った欄壁を舐めて抜けた。


アルノルトはすぐに返さなかった。代わりに、私の点検簿へ目を落とす。


「順を言え」


私は頁を彼に向けた。


「一番は南兵舎です。樋の交換、屋根谷の開放、本支柱への差し替え。二番は井戸。仮蓋を作って、流れ込みを外へ逃がし、縄を替えます。三番は穀倉。通気口を掘り起こして、下二段の袋を木台へ上げる。四番で防壁です。石の開きを測って、日没前に結界線の点検を入れます」


「北面の兵は納得しないぞ」


「なら、炊事場へ連れて行ってください」


階下へ戻ると、ちょうど朝食の仕込みが始まるところだった。大鍋の脇には、今朝運び出した麦袋が二つ置かれている。片方は上段から下ろした乾いた袋、もう片方はさっき私が触った下段の袋だ。


私は兵站係に断って、濡れた方の口を少し開けた。中の麦が、ざらりではなく、重くまとまって鍋縁へ落ちる。塊のまま落ちた粒が湯へ触れ、鈍く沈んだ。


「これを毎朝食べる兵と、乾いた寝台で起きた兵を、同じ数だけ壁へ立たせますか」


炊事場にいた何人かが黙った。鍋番の兵が、濡れ袋と乾いた袋を見比べてから、アルノルトの方を向く。


「司令官殿。下の袋は、今日は回した方がいい」


「回すだけでは足りません」


私は続けた。


「濡れ袋を先に炊くなら、今朝のうちに通気口を開けて、次の袋を濡らさない手当てが要ります。南兵舎も同じです。昨夜保ったからこそ、今朝の順が作れます」


アルノルトは鍋の湯気を見たあと、外にいた伝令兵を呼んだ。


「南兵舎に六人。井戸に二人。穀倉に四人回せ。北面は測りだけ先にやる」


言い切ってから、私を見る。


「お前が立てた順だ。昼までに形にしろ」


そこからは、人の足音が順番そのものになった。


南兵舎では、昨夜開けた排水へさらに泥を掻き出し、折れた樋の下へ仮の導き板を足した。井戸では、外した古い扉板を木蓋へ切り、縁石の外へ浅い逃がし溝を掘る。穀倉では、槍箱の空き木枠をひっくり返して台にし、下二段の袋を半日だけでも床から離した。


昼前、もう一度穀倉へ入ると、通気口から細い風が戻っていた。床に張りついていた湿り気が少し引き、朝に触った袋の裏も、冷たさが一枚薄くなっている。


炊事場の鍋から立つ湯気には、いつもの湿った酸い匂いが混じっていなかった。椀へよそわれた粥は余計な水で伸びず、匙を入れると粒がばらける。


井戸のそばでは、新しい縄に替えた桶が石へぶつからずに下りていった。蓋はまだ仮の板だが、口の半分を塞いでいるだけで、さっきまで見えていた泥筋が途切れている。


南兵舎へ戻ると、中央六床はまだ閉鎖のままだった。それでも一列目の足元へ流れていた細い水が消え、昨夜壁際へ積んだ毛布の下まで湿りが伸びていない。若い兵が、干していた寝具を指でつまんでから息を吐いた。


「今夜も外で寝なくて済みそうだな」


私は桶の位置を半歩ずらし、落ちる滴の筋を見直した。


「今夜を越えたら、次は支柱を替えます」


背後で紙の鳴る音がした。アルノルトが、私の走り書きを読み返している。


「夕刻までに、必要な釘、板、縄、人数を全部出せ」


彼はそう言って、砦の当番板へ私の頁を短剣で留めた。


板の下では、穀倉から戻った兵がまだ麦袋の位置を直している。井戸の新しい縄は、昼の光の中で乾いた毛を立てていた。私は点検簿の次の頁を開き、南兵舎の項目の横に、支柱四本、樋一条、釘三十六本と書き足した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ