第三十八話 公開尋問
先送り優先の公開尋問席は、夜を越えた壁と消された見出しを並べて責任を確かめるためではなく、都合の悪い紙だけを先に畳み、朝まで立った防壁を「収まった」の一行へ押し込みたがる。
夜明けの薄い光が、第一防壁北東面の石肌をまだらに照らしていた。第四継ぎ目の縫い足しは朝風まで持った。第三の白粉も増えていない。第五の受け木は濡れ色を残したまま鳴かず、北東階段の踊り場には、夜のあいだ削れた替え座金の屑だけが細く光っている。
そこへ、維持局付きの若い書記が走ってきた。
「西棟裏の資材庭で、公開の聞き取りを行うそうです。上席方が」
公開、という言葉のわりに、資材庭へ下りると長机の上には閉じた綴り束しかなかった。王城維持局の上席書記が乾いた布を机へ掛け、会計棚の吏員が封蝋つきの袋を並べている。壁際には折り畳み椅子が二列、庭の入口には近衛が立ち、補修班も神殿付きも、その外で順番待ちをさせられていた。
見せるつもりはない並べ方だった。
私は庭の隅へ寄せられていた壊れた盾立てを見た。脚はまだ生きている。横木を二本渡せば、綴りを吊れる。
「ハンナ、麻紐は」
「ある。夜の壁輪で余った分」
「ミア、細板を三枚。アルノルト、盾立てを一本起こして」
上席書記がすぐ眉をひそめる。
「何をしている。聞き取りは机で足りる」
「足りません」
私は長机へ積まれた綴り束を指した。
「閉じたままなら、また『祝祭導線整備』で終わります」
アルノルトが黙って盾立てを起こし、足場持ちが横木を渡した。ハンナが麻紐を結び、ミアが細板へ字を書く。原本。回付本。振替票。夜番綴り。
庭の風に、まだ湿り気の残る紙の匂いが混じる。
「公開なら、同じ場所の紙を同じ場所へ並べます」
私は最初に、古い綴りを吊った。
『第一防壁北東面 第四継ぎ目 夜間持ち替え不足』
その隣へ、昨夜の綴りを掛ける。
『第一防壁北東面 夜番綴り』
待ち人数、持ち替え刻、湯差し回数、替え座金の減り方。夜の重みが、細い字で残っている。さらにその隣へ、原本報告書と回付本と振替票を並べた。裂け幅二分、滴下六十七、封鎖要。消された行が、朝の風へそのまま晒される。
庭の外で待っていた補修班の何人かが、近衛の肩越しにのぞき込んだ。自分の上げた紙の字を見つけた顔は、だいたい同じになる。驚くより先に、口元が固くなる。
上席書記が咳払いをした。
「では始める。昨夜の応急により、北東面の危険はおおむね収束した。まず確認したいのは」
「収束ではありません」
私は長机の前で止めた。
「朝まで持っただけです。次に要るのは、誰がどの見出しで止めるべき紙を潰したかの確認です」
ざわめきが一度だけ庭を渡った。けれど、もう綴りは吊ってある。閉じる手順へ戻しにくい。
ハンナが原本報告書の端を押さえた。
「受領印を見てください。同じ日付です。原本は『第一防壁北東面第四継ぎ目』、回付本は『北東角楼祝灯整備』。枝番も一致しています」
会計棚の吏員が顔を上げる。
「枝番だけで同一案件と決めつけるのは」
「振替票も同じ枝番です」
今度はクラウスが言った。彼は夜明け前から一言も挟まなかったのに、今日は綴りの前で声を濁さない。
「補修費は同日中に白布張替へ振り替えられている。書式上も別件扱いにはできん」
上席書記の指が机を叩いた。
「では、振替判断は誰の裁量だった」
視線が、ユリウスとセラフィナの方へ流れた。白い外套はもう昨日の石粉でくすんでいる。ユリウスの肩口には、第五受けへ入ったときの濡れ染みがまだ残っていた。
先に口を開いたのはセラフィナだった。
「神殿側から、春祷祭前の導線名目を求めたのは私です」
白い杖の石突きが、石畳へ小さく鳴る。
「供物列と巡察記に結びつく見出しなら、会計棚と維持局を動かしやすかった。場所の名前で上げるより、早いと思っていた」
私は彼女の顔を見た。言い訳の顔ではなかった。遅れてきた理解の顔だ。
「その早さで、裂け目は遅れました」
彼女は頷いた。逃げなかっただけ、昨日までよりましだった。
上席書記は次にユリウスへ向き直る。
「近衛側の受け取り印は、お前だな」
ユリウスは古い綴りの端へ目を落とした。夜に肩で受けた同じ壁の、ずっと前の不足だ。受け取り印の横に、彼自身の細い署名がある。
「……俺だ」
「なぜ夜間持ち替え不足を祝灯整備へ回した」
彼はすぐには答えなかった。庭の外では、補修班の誰かが息を呑み、神殿付きの若い術者が持っていた紙束を抱え直した。
「北東角楼の信号と祝灯を同時に立てろと言われていた」
やがて、ユリウスは低く言った。
「第四継ぎ目の持ち替えは、朝の班で繋げば足りると見た。見映えを落とす方が先に咎められると思った」
その言葉は、庭にいた何人かの顔色を変えた。知らなかったのではない。知っていて、順番を間違えたのだと、本人の口から出たからだ。
私は昨夜の夜番綴りを指した。
「同じ壁で、昨夜は待ち十二から一まで減りました。人数が急に増えたわけじゃありません。名札順を剥がして、第三、第四、第五と、作業の順で切っただけです」
アルノルトが一歩前へ出る。
「西仕廊下を開け、旧詰所を中継点にした。乾いた布、替え座金、湯差し、上り下り刻みを分けた。止まったのは壁じゃない。順番の方だ」
上席書記が不快そうに目を細めた。
「つまり、維持局と近衛と神殿の運用が壁を裂かせたと言いたいのか」
「言いたい、ではなく」
私は振替票の行を指で叩いた。
「裂かせました」
石庭の空気が、そこでようやく止まった。誰も咳払いをしない。紙の端が鳴る音だけが残る。
クラウスが机の中央へ、新しい羊皮紙を一枚置いた。
「監査官として提言する。応急復旧のあいだ、場所名の改題を禁じる。原本、回付本、振替票、夜番綴りは西仕廊下脇で公開照合。責任印のない停止命令は無効」
上席書記が顔をしかめる。
「公開などすれば、庭先へ苦情が溢れる」
「溢れた方が早いです」
私は庭の入口を振り返った。もう順番待ちの列ができている。けれど今朝の列は、昨夜までと少し違った。補修班の若い技師が抱えている紙の見出しは、『西棟第二接合部 滴下四』だった。隣の神殿付きが持つのは、『礼拝回廊北樋 詰まり再発』。誰ももう、『祝祭導線整備』とは書いていない。
「見出しを潰さなければ、人は並び直せます」
ハンナが空いた細板を一本差し出した。
「掛ける場所、作る?」
私は頷いた。資材庭の戸口脇、いままで白布の巻きが積まれていた場所が空いている。そこなら西仕廊下からも見えるし、防壁へ上がる前に紙を掛けられる。
アルノルトが長机を半間ずらした。足場持ちが盾立てをもう一本起こす。ミアは細板の古い字を削り、白い木肌を出した。ハンナが麻紐を渡し、クラウスは新しい羊皮紙へ監査印を押す。
臨時の受付は、半刻もかからず形になった。
上席書記は最後まで渋っていたが、庭の外で待っていた列が実際に減り始めると、止める理由を失った。『西棟第二接合部』『第一防壁北東面』『礼拝回廊北樋』。場所の名で掛けられた紙は、読むだけで持っていく先が分かる。机の前で説明を繰り返さなくていい。若い技師が一枚掛け、神殿付きが一枚受け取り、近衛が停止札を脇へ移す。そのたびに、庭の入口の肩がひとつぶんずつ空いた。
ハンナが、削ったばかりの細板を私へ渡した。
「見出し、何にする」
木肌はまだ白い。昨日までなら、ここへまた別の飾り名が乗ったのだろう。
私は炭筆を取り、その真ん中へ書いた。
『臨時保全部受付』
書き終えた板を吊るすと、庭の外にいた古い保全部の技師が、初めて顔を上げた。若い神殿付きも、近衛の書記も、その字を見て足を止める。止まったのは、それを読む一息だけだった。次の紙はもう、『西棟第二接合部 足場要』の見出しでこちらへ渡ってくる。
私はその紙を受け取り、乾ききらない朝の風の中で端を揃えた。
午後は、西棟の継ぎ目と足場を直す。




