第三十六話 破れた第一防壁
見映え優先の壁上班名簿は、裂け目がどこから次に走るかを見るためではなく、誰を先に防壁へ立たせたかだけを整えたがる。
西仕廊下を抜けて北東階段の下へ出たとき、白い札を下げた人間の列が、裂けた壁よりきれいに揃っていた。上へ上がっているのは近衛三、神殿付き二、補修班一。下では石工二人が座金箱を抱えたまま待ち、古い保全部の技師が銀線を膝に載せたまま、許可札の戻りを見ている。
防壁の方は揃っていない。第四継ぎ目の灰目地だけでなく、その南の第三と北の第五まで、細い白粉を吹いていた。裂け目がひとつだけなら、鳴くのも沈むのも一か所で済む。三つ並んで粉を吹くのは、どこかで負荷を逃がせていない音だ。
上から白布の端が一枚、濡れたまま垂れてきた。私は階段脇の石を指で撫でた。冷えた水筋が、継ぎ目の上ではなく、見張り台側の排水溝から横へ寝返っている。縁に打たれた細い留め金は新しい。祝祭の仮灯か光輪布を留めた跡だ。留め金の脇を塞ぐように白灰が詰められ、その下で水が逃げ場を失って第四継ぎ目へ落ち、痩せた第三と第五まで鳴かせている。
「第四だけじゃない」
私が言うと、ハンナが抱えていた綴りを開いた。
「朝の報告は第四だけよ」
「見出しが第四だけだから。上へ」
アルノルトが先に階段を上がった。私はその後ろで壁面へ耳を寄せた。第四は短く乾いた音、第五は遅れて鈍い音、第三はまだ小さい。けれど順に押さえたら、次に裂けるのは第五だ。
壁上通路には、白布を巻いた柱と祝灯線の残りがまだ寝ていた。近衛がそれを跨いで立ち、神殿付きの二人は桶で水を汲んでは意味の薄い場所へ撒いている。裂け目のすぐ上にある排水溝は、白灰と金糸の切れ端で半分塞がっていた。
「水を撒くのはやめて。撒くならそこじゃない。溝を開ける方が先」
「これは石粉を抑えるためだ」
近衛のひとりが言った。
「抑えているあいだに裏へ回ります。第三、第四、第五がもう繋がってる」
ユリウスが階段を上がってきて、眉を寄せた。
「第四継ぎ目の応急だ。話を広げるな」
「広がっています。あなたたちが見ていないだけで」
私は銀の筆先で第三の端を叩いた。白い粉が細く落ち、半歩離れた第五の根元でまた跳ねた。一本の線で引いている。
「第四だけ縫えば、次は第五が開く。第五を押さえれば、水が残って第三が鳴く。先にやるのは継ぎ目じゃなくて、塞いだ排水と壁の上の重しを剥がすこと」
セラフィナが足元の白布を見た。金の留め糸が水を吸って石へ貼りついている。
「……まだ祝灯の残りがここにあるの」
「ええ。継ぎ目より先に残されてます」
下ではまだ人が詰まっていた。私は階段の踊り場から声を落とす。
「ハンナ、札板。名前じゃなくて場所で切る。第三、第四、第五。あと溝さらい、布外し、座金打ち」
「分かった!」
木板がすぐ運ばれてきた。私は受諾条件書の端を思い出しながら、白墨で短く書く。第三押さえ、第四縫い、第五受け、溝さらい、布外し、座金打ち。身分札の列ではなく、裂け目がいま要る手の順だ。
「近衛二人は第五受け。神殿付きは布外しと溝さらい。補修班は第三と第四へ」
ユリウスが声を荒げた。
「近衛に楔持ちをさせる気か」
「第五が落ちたら、その下の列ごと潰れます。札で守りたいなら、まず壁を守って」
アルノルトがそこで振り返り、階段下まで通る声で言った。
「この場は危険度順で動かす。異論はあとで書け。いまは札を外せ」
近衛の若い二人が、一瞬だけユリウスを見た。けれど第五の継ぎ目から、ぱき、と乾いた音が落ちると、もう迷わなかった。ひとりが柱代わりの丸太を抱え、もうひとりが楔箱を引き寄せる。セラフィナは自分の手で白布の端をほどき始め、神殿付きの二人も留め金を抜いた。白灰を掻き出すと、詰まっていた排水溝から濁った水が一気に走る。
それだけで第四の鳴き方が変わった。短かった音が、少しだけ間を置いて返る。壁の裏に溜まっていた重さが逃げ始めた音だ。
「ハンナ、下の待ち人数を線ごとに書いて。上がった人数も」
「それ、いま要る?」
「あとでまた名札順に戻されるから」
クラウスが踊り場の下で筆を止めたのが見えた。見出しで潰される前に、止まっていた人数と動いた人数を残す。それも補修のひとつだ。
私は第四の裂け目へ筆を滑らせた。濡れた白粉を払い、縫うのは口を開けたところだけに絞る。全部を一度に固めると、逃げた水の先でまた別の継ぎ目が痩せる。第三は古い継ぎ線の残りへ座金を噛ませ、第五は近衛二人が抱えた受け木で落ちを止める。そのあいだに、補修班の年嵩の技師が第四の裏へ薄板を差し込んだ。
「そこ、止まる」
「四呼吸だけ」
「充分」
銀の細線が裂け目の中でひとつずつ光る。第四を縫い閉じるのではない。第三と第五へ負けていた力を、真ん中へ返す。壁の表面を這っていた白い粉が、指先ひとつぶん下で止まった。
下からハンナの声が上がった。
「北東階段、待ち十二から五! 溝さらい終わり!」
その数字と同時に、踊り場の詰まりが消えた。上る列と下りる列を片側ずつに分けたからだ。座金箱がようやく壁上へ届き、古い保全部の技師が第三の根元へしゃがみ込む。
ユリウスはまだ苦い顔をしていたが、もう「第一防壁が先だ」とは言わなかった。第五を抱える近衛の手元を見て、次の楔を自分で寄こした。遅いけれど、遅い手でも無いよりはましだ。
やがて第三の鳴きも細くなり、第五の粉は止まった。排水溝から流れ出た水は壁外へ落ち、さっきまで継ぎ目を伝っていた濡れ色が石の端へ戻る。壁上通路の封鎖縄は三張りから一張りへ減り、人が一列なら抜けられる幅が残った。
私は膝を伸ばして、北東面を見た。まだ終わっていない。第四の奥には夜まで保たせるための縫い直しが要るし、西棟側から上がる足場も足りない。けれど、さっきまで人が札の順で詰まり、壁が裂け目の順で壊れていた場所に、ようやく同じ順が通った。
セラフィナが外した白布を抱えたまま訊いた。
「次は何を切るの」
「灯りじゃなくて、夜の持ち方を決めます。継ぎ目は昼だけでは戻らない」
第四の内側で、今度は小さく低い音が返った。泣き声ではない。持ち直す前に、もう一度締め直せと告げる音だ。
私はその音を聞いたまま、ハンナの板へ次の札を書く。
夜番。継ぎ縫い具。替え座金。西棟足場。
夜が来る前に、壁の方を先に並べる必要があった。




