第三十四話 戻る条件
先送り優先の同行目録は、裂けた継ぎ目を止めるためではなく、抜きやすい人手と材だけを先に数えたがる。
旧記録室の机に、クラウスが新しい羊皮紙を広げた。王都へ持ち出す想定目録。銀線四巻、座金二十、石灰二袋、兵十二、荷馬二。西棟第二接合部と第一防壁北東面第四継ぎ目の名だけは書いてあるのに、第七砦のどこがそのぶん痩せるかは一行もない。
私はその紙を持って司令部の当番板へ向かった。朝の板には、湯番、北門の昼継ぎ、冬囲い床の開閉、鍛冶預かり返り時刻、広場排水、北柵触診がいつもの幅で並んでいる。ここから兵十二と銀線四巻を抜けば、王都へ着く前に第七砦の方が先に痩せる。
「ミア、赤紐。ネラは黒紐。ベルンは門前の細板を一枚」
三人が走るあいだに、私は当番板の真ん中へ古い罫線を一本引いた。左へ残す。右へ持つ。曖昧なまま剥がされるのがいちばん悪い。
アルノルトが背後で訊く。
「分けるのか」
「ええ。王都へ持つ分と、第七砦で切らせない分を」
ミアが赤紐を、ネラが黒紐を持ってきた。ベルンは細板まで抱えている。私は細板の上へ短く書いた。
残す線。
持つ線。
それを当番板の上へ渡す。左の黒紐には、湯番、北門水桶三、馬繋ぎ一列、冬囲い床朝夕、広場排水、鍛冶預かり、北柵右四・五触診。右の赤紐には、王都西棟応急、第一防壁北東面継ぎ目、継ぎ縫い具、銀線二巻、座金十二、足場布、同行六。
「四巻じゃなくて二巻?」
クラウスが机の向こうからついてきていた。私は振り返らずに、北門水桶三の札を黒紐へ掛ける。
「第七砦の控え小屋と北門の綱を切らないなら二巻です。四巻持てば、ここの補修が空になります」
「王都は防壁が裂けている」
「この砦はまだ裂けたままの場所を抱えたままです。南兵舎の樋本体、第一水門の石枠、北柵の本交換。先に全部抜けば、次の雨でこちらも割れます」
ユリウスが不機嫌そうに腕を組んだ。
「小さい砦の都合を言っている場合か」
「小さい砦だから、抜き方を間違えるとその日のうちに止まります」
私は黒紐へもう一枚札を足した。門銭箱不移送。
ベルンがそれを見て、肩の力を少し抜く。ネラは「湯番」の札が左へ残ったのを確かめてから、赤紐の方の人数札を覗き込んだ。
「同行六って、だれ」
「私、アルノルト、鍛冶兵一、足場持ち二、伝令一」
「俺も入れるのか」
アルノルトの声はいつもどおり低かった。私はようやく彼を見た。
「護衛と、現場で止める線を読む人が要ります。王都で『上席確認後』をもう一度やられたら遅い」
ユリウスがそこで口を開く。
「護衛なら近衛で足りる」
「足りません」
私は赤紐の一番上へ、新しい札を掛けた。第七砦司令印同行。
「私は第七砦の修繕師として行きます。ここで切った線を王都で別の見出しに書き替えられたら困る。司令印が一緒に動かないなら、この右側は動かせません」
セラフィナが当番板の前まで来た。白い手袋の指が、黒紐の『冬囲い床朝夕』で止まる。
「これも残すのね」
「ええ。ここを閉じると、夜の鍋から青みが消えます。湯番を切ると、夜番と仮宿が冷えます。門銭箱を持ち出すと、石灰も麻縄も次に買えません」
彼女は黒紐から赤紐へ視線を移した。
「王都へ持つものは、もっと増やしたいのに」
「増やすなら、王都の見える物をほどいてください」
私は旧記録室へ戻り、照合板の下の青札を指した。要る資材、責任印。まだ空いている二枚だ。
「西棟の足場布は、仮回廊の白布を裂けば足ります。座金は祝灯架の飾り留めから取れる。供物列は止めると決めたんですから、もう飾りを立てておく必要はありません」
セラフィナがゆっくり息を吐いた。
「……神殿印で書きます。仮回廊白布転用可。供物留め金転用可」
クラウスがすぐ筆を取る。青札の『要る資材』が埋まり始めた。銀線二巻、座金十二、足場布四反、排水開け人足六。王都側で出す分と、第七砦から持つ分がようやく分かれた。
残るのは責任印だけだった。
私は王城維持局の緊急通達を、もう一度机へ開いた。『即時帰還』の字は相変わらず白い。けれど、その下に青札が揃ったいま、その白さの方が浮いて見える。
「保全部門の独立。原本と回付本と振替票の公開照合。第七砦の門銭、預かり、人手、資材の不凍結。この三つが入らないなら受けません」
クラウスが眉を寄せる。
「独立まで書かせる気か」
「また近衛と神殿と会計棚で順番待ちをするなら、西棟も防壁も間に合いません。応急だけでも保全部の指示を先に通す欄が必要です」
ユリウスが机の端を指で叩いた。
「そんなもの、王都で前例がない」
「だから裂けたんです」
返すと、今度は誰もすぐには口を挟まなかった。照合板の左には原本、右には回付本、下には振替票が揺れている。見出しだけで閉じた結果が、もう壁に下がっている。
セラフィナが先に杖を置いた。
「私の名で書くわ。応急復旧期間中、王城維持局内に臨時保全部を置く。切る線と残す線は、そこで先に通す」
クラウスがその文を拾う。
「公開照合は」
「俺が書く」
意外だったのは、ユリウスがそう言ったことだった。けれど彼は照合板の右に吊った、自分たちの失策へ繋がる紙を見ていた。
「原本、回付本、振替票の三種を閉じずに並べる。北東角楼の祝灯線停止命令もそこへ残す」
逃がさないための文になっているかを確かめてから、私は最後の行を足した。
『第七砦の門銭、預かり、人手、資材は、第七砦司令印なく移送および凍結不可』
アルノルトが机の横へ来た。古い印盒の蓋を開ける。乾いた朱肉が、昨日より少しだけ柔らかく見えた。
「護衛は俺が出す、じゃないな」
彼は私の書いた最後の行を読んでから、短く言った。
「俺が行く。第七砦現場責任者兼護衛。左の黒紐は副長へ渡す」
私は頷いて、赤紐の『同行六』の下へ彼の名を書き足した。ミアがその札を受け取って掛ける。黒紐の方では、ネラが『門銭箱不移送』をもう一度指で確かめ、ベルンが北門水桶三の札を真っ直ぐに直した。
さっきまで、王都へ引かれる右側しかなかった板に、いまは左側が残っている。湯番も、冬囲い床も、北門の綱も、鍛冶預かりも、ここに留まる形で読める。
クラウスが清書した受諾条件書を机の中央へ置いた。
一、応急復旧期間中、王城維持局内に臨時保全部を置く。
二、原本、回付本、振替票を公開照合し、改竄箇所を閉じずに残す。
三、第七砦の門銭、預かり、人手、資材は、第七砦司令印なく移送および凍結を行わない。
四、同行者は第七砦修繕師リネット・アルヴァ以下六名。現場責任者兼護衛としてアルノルトが同行する。
セラフィナが神殿印を押し、ユリウスが近衛印を重ね、クラウスが監査印で受領欄を閉じた。最後に、私は第七砦の古い印盒を受け取り、三つの印の横へ砦印を置いた。
王都の紙の端へ、辺境の角印が並ぶ。
ミアが小さく息をつく。
「今度は、消されない」
私は乾く前の印を見たまま、赤紐と黒紐の両方が残る当番板を思い浮かべた。抜くだけの目録ではなく、残す線ごと読める紙になったなら、やっと出られる。
次は、王都の裂け目を止めに行く。




