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辺境修繕結界師 ~「地味な保全部は不要です」と婚約破棄された宮廷結界師、雨漏り砦を直したら最強の防衛都市になっていました~  作者: 小竹X


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第二十九話 聖女候補の巡察

見栄優先の供物箱は、中身を運ぶためではなく、止まったとき高く見えるように脚が細く作られている。


セラフィナの巡察車が北門へ着く前から、それは分かった。白塗りの箱車の後ろで、従者たちが金縁の箱を抱えたまま置き場を探している。脚の高い箱は石畳の継ぎ目でかたかた揺れ、継ぎ場の乾いた線の真ん中をふさいだ。坂の下では塩樽を積んだ荷車が二台、鐘の返りを聞いてもう上がってきている。


「そこへ置くな。馬の鼻先へ出る」


ベルンが綱を引きながら言ったが、白手袋の従者は困った顔で箱を抱え直すだけだった。濡らすな、泥を付けるな、でもどこへ置けとも聞いていない顔だ。


私は箱の脚を見た。四脚のうち一つがもう石の欠けへ落ちかけている。このままでは倒れるし、避けた荷馬が縄へ寄って、昼継ぎの列がまた坂へ戻る。


「ミア、広場の南壁から荷下ろし板を持ってきて。ネラは控え小屋の空樽ふたを二枚。ベルン、馬を半列だけ左へ逃がせる?」

「やる」


クラウスがすぐ横で眉をひそめた。


「新しい札の追加は禁止したはずだ」

「増やしません。ある板を持ってくるだけです」


言い終わるころには、ミアが板を抱えて走っていた。食堂前広場で使っている『荷下ろし』の戸板だ。ネラは空樽の丸いふたを二枚転がしてくる。私は北門の軒下へそれを並べ、上へ乾いた板を渡した。供物箱を石から離し、脚を全部板へ乗せる。もうがたつかない。


「こちらへ。見せる箱なら、濡れない方がいいでしょう」


従者たちは顔を見合わせ、それからようやく箱を移した。箱が乾いた板へ上がった瞬間、継ぎ場の真ん中が空く。ベルンが綱を引き、待っていた塩樽の荷車が縄の右を抜けた。二台目は止まらない。ネラの刻み板も途切れず、ミアは持ってきた戸板を軒柱へ掛けた。広場の荷下ろしは半刻だけ南壁へ寄せれば足りる。ここを詰まらせるよりずっとましだ。


そのあとで、白い外套が車から降りた。


セラフィナ・ルーミスは、王城の破れた防雨結界の前で見たときと同じように、杖の飾り糸だけが先に光を拾った。隣のユリウスは白銀の礼装を汚さない歩幅で石畳へ降りる。私を見るまで三つ数えるくらいの時間があったのに、最初に見たのは継ぎ場の板と、乾いた供物箱の方だった。


「まあ」


セラフィナが軒下の箱を見て言う。


「北辺でも、こうして見せ方を整えられるのね」

「止めない置き方に直しただけです」

「結果は同じでしょう?」


やわらかい声だった。責めるつもりではなく、本当に同じだと思っている声だ。


ユリウスの目がようやく私へ来た。


「君がやったのか。なら助かる。巡察記へ載せる文は、こちらで整える」

「文より先に、荷が通る形へ戻しました」

「そこは後でいくらでも書ける」


後でいくらでも書ける。王都で何度も聞いた言い方だった。裂ける前の結界も、落ちる前の漆喰も、そうやって後へ回された。


アルノルトが北門の縄の脇へ立つ。


「巡察は通す。門は止めない」

「司令官殿、上席の導線を乱す気か」

「乱れていたのはさっきまでだ」


ユリウスは口を閉じたが、納得した顔ではなかった。


巡察は北門から始まった。乾いた板へ上げた供物箱、欠け札で繋いだ控え、濡れを切った北側廊下。セラフィナは歩くたびに白い裾を少し持ち上げ、壁際の濡れ染みではなく、石畳の明るいところだけを見ていた。ユリウスは『通行右寄せ』の札を見つけると、杖でも抜くような手つきで外そうとした。


「それは補助札でしょう。巡察時は不要だ」

「今外すと、控え持ちの肩が壁へ寄ります」


私が言うと、彼は札より先に私の手を見た。白灰ではなく樋泥の色がまだ爪の際に残っている。


「相変わらず細部だな、リネット」

「紙が濡れるのは細部ではありません」


セラフィナはそこで少しだけ振り返った。


「紙まで見ているの?」

「ここでは、濡れた紙の一枚で湯番も門銭もずれます」

「……そう」


旧記録室へ入ると、クラウスがもう綴りを並べて待っていた。見出しは大きく一つ。『北門臨時収受』。その下へ、私が昨夜から書き足した門銭、昼継ぎ、預かり、湯番影響、待ち時間、巡察線整備の内訳が並ぶ。


セラフィナは最初の頁だけを見て、目を細めた。


「思ったより整っているわ。なら王都へは、上席巡察受け入れ整備の成功例として回せそうね」

「それだと、先月からの記録が消えます」


私は中央段から点検簿を一冊抜いた。食堂前広場の沈んだ敷石を起こした日、鍛冶預かりの戸板を掛けた日、簡易浴場へ湯が戻った日、北門の控え小屋を乾かした日。全部、今日より前の日付で並んでいる。


ユリウスが薄く笑った。


「名目の話だ。誰が最初にやったかを、いちいち王都の書面へ残す必要はない」

「必要です。後から来た名目だけ残すと、次に壊れたとき原因が消えるので」

「君はまだそんな帳面の理屈を」

「その帳面で、ここは人を寝かせて湯を回しています」


アルノルトが私の横から点検簿を取り、セラフィナへ開いて見せた。冬囲い床の布開閉、湯番、鍛冶預かり、広場排水、見張り塔の雨後確認。短い文字ばかりの頁だ。


「ここの乾いた床も、夜の湯も、来る前から回っている」

「分かっています」


セラフィナは否定しなかった。けれど、指が止まったのは日付ではなく、頁の端に挟んだ青いしおりだった。


「だからこそ、私の巡察記へ結びたいのです。私の名で上がれば、神殿も会計棚も動かしやすいから」

「動くのが見出しだけなら、また同じです」

「けれど見出しが動かないと、何も届かないでしょう?」


そこで初めて、彼女の困り方が見えた。善意がないのではない。見える名を付けなければ王都が動かない、その仕組みの中でしか考えていないだけだ。


クラウスがそこで一枚の羊皮紙を広げた。王都式の巡察路図。北門、北側廊下、食堂前広場、簡易浴場の脇。細い金線が点と点を結び、要所ごとに『祝福杭』『光輪布』と書かれている。


「上席巡察に合わせ、明日までに仮設の祝福結界を入れる。記録上も分かりやすい」


私は紙を引き寄せた。祝福杭の位置が、食堂前広場の排水口脇と、北門の縄を張っている石目地へ重なっている。光輪布の渡しは、控え持ちが通る乾いた線の真上だ。ここへ見せ布と杭を入れれば、荷車は頭を下げ、雨はまた排水口へ落ちず、北門の流れが止まる。


ミアが私の袖を引いた。


「そこ、きのう起こした石」

「ええ。知ってる」


羊皮紙の端を押さえたまま、私はセラフィナを見た。彼女はまだ、善意で通ると思っている顔をしていた。ユリウスは、ようやく王都式の形へ戻せると信じている顔だった。クラウスは、見出しが増える前の静かな紙だけを見ている。


北門の鐘が鳴った。今度は北回りの荷車だ。軒下へ上げた供物箱は濡れずに済み、継ぎ場の縄の右を、荷車の車輪が止まらず抜けていく。


私は羊皮紙の祝福杭へ指を置いた。


「この配置には、署名できません」

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