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辺境修繕結界師 ~「地味な保全部は不要です」と婚約破棄された宮廷結界師、雨漏り砦を直したら最強の防衛都市になっていました~  作者: 小竹X


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第二十六話 雨漏り砦の新しい名

先送りされた北門の古看板は、もう「雨漏り砦」の字すら半分読めなかった。


八台商隊の翌朝、門前には昨日とは違う詰まりが出来ていた。馬が詰まるのではない。人が立ち止まる。昼継ぎに来た荷馬方がどこで門銭を払うのかを訊き、修理預かりの農夫が鎌をどこへ回すのかで振り返り、近村の女たちが塩樽と鍋の列のあいだで足を止める。ベルンが馬の鼻先を返しても、道の真ん中へ問いだけが残る。


昨日までは声で回せた。今日からは板で回さないと、また門が詰まる。


私は控え小屋の脇へ立てかけられていた古看板を拾った。水を吸って反り、角は欠け、表の塗りもほとんど剥げている。残った墨跡を指でなぞると、雨と漏の字だけが辛うじて読めた。王都から来る巡察役のためだけに掛けられ、直す順をずっと後ろへ追いやられていた板だ。


「それ、まだ使うのか」


アルノルトが門の石を見たまま言う。


「名前としては使いません。流れに使います」

「要るものは」

「麻縄、吊り金具、細板四枚。あと石灰を少し」


彼はすぐベルンへ縄束を、鍛冶場へ小さな輪金具を取りにやった。ネラはもう炭を持ち、ミアは古看板の割れ目へ指を入れて傷みの浅いところを探している。


まず古看板を縦に割らず、横へ三枚に取り分けた。板肌の死んだ部分だけ削り、石灰を薄く擦りこんで雨筋を止める。残りの細板へ、ミアとネラが字を書いた。


門銭

昼継ぎ

預かり


さらに控え小屋の庇から南壁の仮台まで、麻縄を低く渡す。問いに来た人が門の真ん中で止まらないよう、縄の内側を列、外側を荷の抜け道にした。ベルンが杭を半歩ずつ打ち直し、アルノルトが兵へ「鍋の列は縄の外へ出すな」とだけ言う。細い指示なのに、今日はそれで足りた。


一番上の板だけ、私は少し長く削った。消えかけた古い字の上へ、炭ではなく鍛冶場から借りた黒鉛で書く。


継ぎ場


ミアが顔を上げた。


「それ、砦の名じゃない」

「門で迷う人には、こっちの方が先に要るでしょう」


板を掛け終えるころ、北回りの小さな荷車が二台、坂を下りてきた。乾魚と豆袋を積んだ親子連れだった。父親は門の前で一度だけ板を見上げ、娘に預かり板を指さす。もうこちらへ訊きに来ない。門銭は控え小屋、修理待ちの鍬先は南壁の戸板、豆袋は昼継ぎの縄内へ、そのまま流れる。


洗い場の老婆がそれを見て、口の端を上げた。


「雨漏り砦じゃなくなったねえ」


鍋番が椀を抱えたまま笑う。


「直すものばっかり集まるんだもの。修繕砦だよ」


その呼び方は、妙に引っかからなかった。北門見張り塔の兵が鐘の下から「修繕砦、二台入る」と声を落とし、ベルンが「修繕砦の水桶はこっちだ」と返す。ネラは継ぎ場の板の下へ、小さく一本だけ継ぎ糸の印を描き足した。ミアはそれを見て、「じゃあ預かりにも要る」と言い、鎌の横へ同じ印を書いた。


昼までには、問い声で止まっていた足がほとんど消えた。門銭は乾いた板台へ先に置かれ、預かり荷は鍛冶場の戸板へ迷わず回る。西洗い場へ空樽を運ぶ兵も、縄の外を通るから鍋の列へぶつからない。名札ひとつで砦は直らないが、人の足が止まる場所は減る。


その夜、食堂では久しぶりに椀の中身が祝う方へ寄った。昨日入った塩を惜しまず入れた豆と骨の煮込みに、油で焼いた薄い平パンが二皿。祝宴というほど大げさではない。ただ、誰も急いで立たなかった。


アルノルトはいつもの席ではなく、食堂前広場が見える戸口脇へ立ったまま椀を持っていた。私は控え小屋から運んだ帳面を膝に置き、今日の門銭と預かり前金を写していた。ミアとネラは向かいで、刻み板の数と銅貨を照らしている。


「りねっと」


ネラが小さく呼ぶ。板の端を指していた。


「ここ、雨って字、まだ少し残ってる」


古看板を削ったときの取り残しだ。石灰の下から、旧い墨が細く滲んでいる。


「残しておきなさい」

「いいの」

「消えた方だけ忘れると、また戻るから」


そう言ったところで、北門の鐘がひとつだけ、短く鳴った。昼継ぎの合図ではない。見張り塔から兵が駆け込み、戸口の板へ封蝋つきの筒を置く。王都の紋章だった。


食堂の匙が二、三本、椀へ当たったまま止まった。アルノルトが封を見て、私へ渡す。


「読むか」

「読みます」


蝋は乾いて硬い。崩して紙を開くと、会計棚付きの赤い角印がまず目に入った。


北辺第七砦宛。

臨時監査通告。

門銭、昼継ぎ料、預かり前金、無届改修費流用の疑いにつき、七日後、王都より監査官を差し向ける。

帳面、控え、点検簿、命令書、預かり札を破棄改変なく保存せよ。

違反時は砦預かり収入の凍結を行う。


最後の一行だけ、紙が少し深く抉れていた。急いで強く書いた筆圧だ。


ミアが先に反応した。


「こおりつくって、銅貨箱、持っていかれるの」

「使えなくされる、の方が近いわね」


ベルンの手が椀の縁で止まっていた。さっきまで豆を潰していた指が、また朝の縄を持つ前の固さへ戻りかけている。ネラは湯気の薄くなった平パンを見たまま、板の上の刻みへ指を置いた。


アルノルトは通告を読み終えると、食堂の戸口から広場と北門を一度に見た。


「明日の朝から残すものを増やす」

「はい」

「継ぎ場の板も、鍛冶預かりの戸板も、湯番札も、そのままだ。消すな。差し替えるな。今日の数から繋げる」

「控えは二通にします。旧記録室と控え小屋へ一通ずつ」

「兵にも触らせるな。読むのは俺とお前から先だ」


食堂の鍋番が、戸口の外へ出しかけた洗い桶をそっと戻した。洗い場の老婆は薬草籠を抱え直し、ベルンは食べ残した平パンを布へ包んでから立った。誰も騒がない。ただ、さっきまで祝いのために開いていた手が、それぞれ持ち場の数を確かめる形に戻っていく。


私は膝の帳面へ、新しい行を足した。


北門古看板、案内板へ転用。

継ぎ場の縄、門銭、昼継ぎ、預かりの流れを分ける。

通称「修繕砦」の呼び声、門前と食堂で確認。

同日夜、王都より臨時監査通告着。


書き終えた紙の上へ、さっきの通告を重ねる。どちらも乾いている。だからこそ、燃えやすい。


北門の外で、見張り塔の鐘がもう一度、今度は長く返った。次に来るのは荷車か、人か、それとも王都の靴音か。私は蝋の欠片を指先で払って、控え小屋へ運ぶ帳面の枚数を数え始めた。

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