第二十五話 商隊が来る日
先送りされた北門の控え机は、銅貨を数える前に帳面の角から腐っていた。
簡易浴場へ湯を返した翌朝、北門の鐘がまだ二つ目を澄ませているうちに、門脇の兵が旧記録室まで私を呼びに来た。
「北回りの大きいのが来ます。昨日の三台どころじゃない」
門へ出ると、坂の向こうで布旗が二度、間を空けずに返っていた。見張り塔の鐘が遅れなくなってから、合図の速さだけで荷の多さが分かる。北風の中に、塩と獣脂と乾いた麻袋の匂いが混じっていた。
商隊頭が先に馬を寄せる。
「今日は八台だ。塩、油、厚布、石灰、麻縄、銅線、空樽、修理預かり。ここで昼継ぎと荷替えをしたい」
八台。門前の馬繋ぎ半列と水桶二つだけでは、道へ尻がはみ出す。
けれど私の目が先に止まったのは、その横の控え小屋だった。北壁の細窓から雨筋が入った跡があり、帳面を置く板台は角から膨れ、銅貨箱の蓋も反っている。これでは荷数を書いても濡れ、門銭を受けても乾いた紙へ残らない。次の関所へ渡す控えがなければ、商隊は大きい荷を安心して預けない。
「アルノルト」
呼ぶと、司令は門前の石を見たまま近づいてきた。
「詰まるか」
「馬繋ぎも足りません。でも先に控え小屋です。数える板と銅貨箱が濡れたら、今日は荷だけ通って金も控えも残りません」
「要るものは」
「乾いた板二枚、吊り金具三つ、細い庇板、石灰灰目地。あと、古い砦印」
商隊頭が眉を上げた。
「印まで残るのか」
「残します。残らないと次が続かない」
アルノルトはベルンへ顎を振った。
「杭をもう半列。水桶は西洗い場から一つ足せ。馬の鼻先が道へ出る幅は残せ」
ベルンは返事より先に地面を歩幅で切った。昨日まで仮宿で湯気を吸っていた手が、今日は杭を打つ間隔を迷わない。ネラはその後ろで桶の位置を見ている。ミアはもう控え小屋の反った蓋へ指をかけていた。
「りねっと、これ、閉めても隙が戻る」
「蓋は起こす。受け口は別に作るわ」
私は北壁の細窓を見上げた。雨筋は窓下の継ぎ目を白く痩せさせ、そこからまっすぐ板台へ落ちている。まず窓下へ石灰灰目地を細く詰め、継ぎ縫いを浅く入れて雨を外へ逃がした。次に反った板台の上へ乾いた板を被せる。吊り金具を三つ打ち、戸板の切れ端を下げた。
門銭。
昼継ぎ。
預かり。
ミアが炭を走らせ、ネラがその下へ縦線の刻みを入れる。桶と綱の印を書いていた手が、今日は荷の数を受ける板へ回った。
「銅貨箱は」
ミアが聞く。私は蓋を外した古箱の縁へ薄板を噛ませ、内側へ油を吸っていない布を敷いた。
「すぐ底を見たいから浅いままでいい。濡れた指で触っても張りつかないようにする」
そこへアルノルトが、小さな木箱をひとつ置いた。旧記録室の棚から出したものだった。角は擦れているが、蓋裏の砦印だけはまだ潰れていない。
「使えるか」
「十分です」
彼は印箱を私へ渡したまま、門前の兵へ声を飛ばす。
「先頭二台は南壁へ。塩と油を先に抜く。修理預かりは鍛冶場戸板へ回せ。鍋の列は食堂戸口から動かすな」
鐘がひとつ、間を置かずもうひとつ。
八台の商隊は、坂の手前で止まらずそのまま門へ下りてきた。先頭は塩樽、次が油壺、その後ろに厚布、石灰袋、麻縄束、細い銅線巻き、空樽、刃欠け鎌と外れた蝶番を積んだ修理預かり荷が続く。ベルンが増やした杭へ馬を順に掛け、水桶は三つとも溢れず回る。ネラは荷台の脇で、桶の減りと綱の返りを一本ずつ刻みに変えた。ミアは預かり戸板の村印の横へ、鎌二、蝶番四、鍬先一と追記していく。
控え小屋の新しい板台は乾いていた。銅貨が置かれるたび、濡れた木へ吸いつく鈍い音ではなく、硬い音が返る。
「門銭、八台ぶん」
商隊頭が袋を開ける。私は数を板へ落とした。
門銭 銅貨三十二。
昼継ぎ札 銅貨十六。
水桶と継ぎ場 銅貨八。
鍛冶預かり前金 銀一、銅貨九。
銅貨箱の底が、はじめて途中で見えなくなった。
アルノルトが板台の横へ立つ。
「石灰はどれだけ買える」
「今日入った分だけで、第一水門の座金と、西の物置の掛け金、それから保ちの銀線をもう一巻き取れます。麻縄も足せる」
「なら空樽を二つここへ残させろ。洗い場の溜めに使う」
商隊頭は私が書いた控えを覗きこみ、顎で砦印の箱を指した。
「その控え、押してくれ。次の関所と、北回り勘定へ回す」
「北回り勘定」
「王都の会計棚だ。昼継ぎ地で取った分と、ここで替えた荷は月末に束ねて上がる。今まで第七砦の欄は薄かったが、今日は嫌でも黒くなる」
私は一度だけ手を止めた。王都で、補修控えの紙ばかりが薄い棚へ押しやられていた光景を思い出す。けれどいま目の前にあるのは、濡れた報告ではない。塩樽の数で重くなった銅貨箱と、乾いた板へ残る荷数だった。
「お前の字で書け」
アルノルトが言った。
「数を見たのはお前だ」
私は頷き、控え紙の端へ書き足した。
北辺第七砦。
八台昼継ぎ。
塩、油、厚布、石灰、麻縄、銅線、空樽、修理預かり受け。
門銭、水桶、継ぎ場、預かり前金受領。
砦印を押す。古い波形の縁が、乾いた紙へはっきり残った。
昼を過ぎるころには、南壁の仮台へ厚布が積まれ、西庭には石灰袋と麻縄束が運ばれ、鍛冶場の戸板からは修理待ちの道具が減り始めた。食堂の鍋は塩を惜しまず使え、洗い場の老婆は油壺の栓を抱えて笑い、ミアとネラは控え小屋の板を見比べながら銅貨と刻みの数を揃えていた。西の物置の戸には、次に付ける掛け金の寸法をベルンが炭で書きつけ、空樽のひとつには洗い場へ回す水がもう薄く鳴っていた。
坂の向こうでは、また布旗が二度返った。今度は南へ下る荷だ。商隊頭が控え紙を乾かしながら、それを革袋へ差し入れる。
「次は十台で来る」
私は銅貨箱の重さを持ち上げ、旧記録室へ運ぶ手を考えた。北門の板台はもう濡れていない。王都へ上がるのは、見栄えのいい報告ではなく、今日ここで鳴った硬い音の数だ。




