第75話 最高の相棒
どれだけの時間が経ったのか、胸に顔を埋める少女がすすり泣く音は聞こえなくなった。
身体が火照り、心臓が早鐘を打つ。部屋の静けさが余計にそれらを引き立たせている。
「ミレイ、落ち着いたか?」
「うん……」
堪らず口を開くと、か細い声が返ってくる。普段は芯が強い彼女も、今はガラス細工のように脆く感じられた。
「あの……そろそろ放してほしいんだけど……」
強く抱き締めたままであることに気付いたのは、そう言われた瞬間だった。
まだ少し潤んだ目で上目遣いに見つめられ、理性が崩壊しそうになる。
「……ッ! ごめんっ!」
咄嗟に離れようと後退した途端、全身に衝撃が走る。背後に扉があることすら失念していた。
跳ね返るようにしてミレイの元へ向かうが、ギリギリのところで踏みとどまる。
危うく押し倒してしまうところだった。そうなれば、もう自分に嘘は吐けない。
「大丈夫……?」
「色々と、大丈夫じゃない……」
「どこか痛むなら、治療する?」
屈んで顔を覗き込んでくる彼女の仕草に、またしても胸が高鳴る。どうしようもなく愛おしくて、一向に熱が下がる気配はない。
「いや……それより、不快なことをして、悪かった」
「……別に、嫌ではないけど」
「そ、そうか……。とりあえず座って、話を聞かせてくれるか?」
「うん」
やり取りに限界を感じたため、適当にはぐらかして部屋の奥へ移動する。純真な少女につけられた炎は、容易には消せそうになかった。
程なくして、コートを脱いだキョウヤの隣に、ケープを外したミレイが腰かけた。
「……なんで隣?」
「いいじゃない。椅子より柔らかいし、疲れたら寝転がれるでしょう?」
「そういう問題じゃないんだが……」
腕を引っ張られたと思ったら、なぜか彼女の寝台に無理やり座らされていた。右手の甲の上には相棒の掌が置かれ、無言の圧力を感じる。
また相手のペースに乗せられてしまうのを避けるため、もう深く考えるのはやめておいた。
「それで、どうやって助けてくれたんだ? リーゼやマリーは君のおかげだと言っていたけど」
「えっと、騎士団長を認めさせた……って言えばいいのかな」
「認めさせた……?」
「……話し合いで解決できなかったから、わたしの光の力を見せてあげたの」
キョウヤは相棒の顔を食い入るように見つめた。その表情に後悔の念は全く感じられない。
自身を誇示することを嫌っていた彼女が、自ら光の力を示した。正反対で大胆な行動に言葉を失う。
「ふふっ、今のわたしは王宮にも認められた、女神の祝福を受けし者。驚いた?」
「……そりゃ驚いたよ。でも、他に方法はなかったのか?」
「どうだろうね。一刻も早くキョウヤを助けることしか頭になかったから」
「無茶苦茶だ。目を付けられたらどうするんだ」
「もう付けられてるよ? しばらくはあなたの監視という名目で、一緒に行動することになっているから」
思わず腕に力が入り、ミレイの手を握り締めていた。本当は隠して過ごしたかったはずなのに、己の軽率な行動が全てを台無しにしてしまったのだ。
「なんで、俺のためにそこまで……」
「相棒だからに決まっているじゃない。あなたにだけ重荷は背負わせたくない。あなたに護られるだけは納得がいかない。お互いに支え合う、それが本当の相棒だと思うから」
「もう十分助けられていたよ。これは、君の負担が大きすぎると思う」
「別に、冒険者は続けられるから大丈夫。王宮からの情報も得られるから、悪いことばかりじゃないよ」
相棒はどこか誇らしげで、光のように眩しかった。それでも、彼女の生き方を根本的に変えてしまった罪悪感は消えない。
「ごめん、俺のせいで――」
「キョウヤ」
なおも謝ろうとすると、ミレイに強く遮られる。こちらをじっと見つめる赤い瞳には、強い意志が宿っていた。
「わたしは、あなたと世界を見て回りたい。そのために自分の力と向き合うことにしたの。分かった?」
「……ありがとう、ミレイ。俺も君と、一緒がいい……」
堂々と言い放つ彼女に答えるのは勇気が必要だった。どうにも気恥ずかしく、語尾は消え入りそうなほど小声になってしまう。
いつの間にか後ろめたい気持ちはどこかへ飛んでいき、残ったのは羞恥心だけだった。
「うーん? ごめん、なんて言ったの?」
「聞こえていただろう。言わせるなよ」
小さく笑うミレイに、キョウヤもまた微笑んで応えた。
彼女が決めた道を憂う必要はない。これからは、相棒として相応しい人間なれるように精進するだけだ。
静かな一室に和やかな空気が広がる。また一つ、彼女との距離が近くなった気がした。
「そうだ……!」
キョウヤは立ち上がると、机に置いていたポーチを漁り、中からある物を取り出した。
三日月形の金色の髪飾り――市場で購入したまでは良かったが、機会を奪われて渡しそびれていた物だ。
「それは?」
「……気に入るか分からないけど、ミレイには世話になっているから……良かったら、受け取ってほしい」
贈り物をする時の適切な言い回しが全く分からない。これでは挙動不審だ。
案の定、ミレイはポカンと口を開けて固まってしまった。失敗だっただろうか。
「気に入らなければ何か別の物を――」
「着けてくれる?」
「は……?」
「ん、早く」
言葉通りの意味なのか、彼女は頭を前に突き出してくる。もう逃げ道はない。
サラリと片側に流した前髪を纏めるようにして、耳の上辺りで髪飾りを留める。
正直なところ、これで良いのかは分からない。だが、想像していた通り見事に調和している。
「どう? 似合うかな?」
「ああ、よく似合ってる」
「それだけ?」
「……その、可愛いよ」
お世辞ではない。思っていても言えなかった一言を、ようやく伝えることができた。
普段なら下手なことを口にすれば機嫌を損ねそうなものだが、今だけは許される気がした。
「キョウヤ、ありがとう。凄く嬉しい。大切にするね」
やがて、ミレイはクスッと笑った後、僅かに頬を染めて口を開いた。
花が咲いたような笑みを浮かべる彼女は、世界の何よりも美しく見えた。




