第68話 憎悪の矛先
断ち切られた白銀の鎧が硬直し、やがて粒子となって消えていく。
残っていた黒の鎧兵士たちも、役目を終えたように溶けていく。
――勝った。
凄まじい強敵だったが、仲間たちと共に勝利を掴み取ったのだ。
己の呼吸音だけが静寂に添えられる中、突として周囲から歓声が上がった。
足止めされていた通行人、都市から駆けつけてきた野次馬、防衛線を敷いていた衛兵。多くの人々が声を上げながら集まってくる。
「さすが《光の剣》だ!」
「一緒に戦った剣士、誰だよ!? 度胸あるなぁ!」
「本当に助かったよ! 倒してくれてありがとう!」
周囲に目を向ける余裕がなかったが、彼らは固唾を呑んで戦闘を見守っていたのだろう。
街道の真ん中で派手に交戦していたのだから、こうなるのも仕方ないことだ。
「やれやれ……僕たちの苦労も知らないで、騒々しい奴らだ」
アインスが呟きながら苦笑いし、次いで彼の右手が目の前に差し出される。
地に腰を下ろして息を整えていたキョウヤは、その手を借りて立ち上がった。
「キョウヤ、疑って悪かったな。お前の覚悟は本物だった」
「アインスが背中を押してくれたおかげだ。最後、助かったよ」
「フッ、それはそうだ。もっと称えてくれてもいいぞ。ついでにミレイさんとの仲を取り持ってくれ」
「……そういうのは自分で努力しろ」
二人が軽い笑みを浮かべていると、ミレイやリーゼたちが駆けてくる。
皆で称え合い、労い合う。周囲で大歓声が沸き起こる。お祭り騒ぎのような時間はしばらく収拾がつかなかった。
やがて、浮かれていた人々はほとぼりが冷めたのか、徐々にその場から散っていく。
残ったのはキョウヤとミレイ、《光の剣》の四人。そして、離れた位置から静かにこちらを眺めるボロボロの黒ローブの少女。
シルヴァンが逃げ去り、《ヴォイドガーディアン》が消滅した今、フィノアの灰色の瞳は再び虚無と化していた。
「フィノア」
「……助けてくれて、ありがとうございました……」
キョウヤがゆっくりと歩み寄ると、彼女は無表情で淡々と言葉を紡ぐ。
その身に宿す絶望が取り除かれた様子はなく、心ここにあらずな状態だ。
「無事で良かった」
「……そうですね。あの男を殺すまでは死ねませんから……」
分かり切っていたことではあるが、フィノアの憎悪の矛先はシルヴァンに向いていた。
今の彼女であれば、たとえ刺し違えてでも成し遂げようとするだろう。その痛々しい姿に、キョウヤは口を開かずにはいられなかった。
「奴は危険だ。命を粗末にするな」
「……放っておいてください。あいつだけは、絶対に殺さないと……」
「頼むから復讐なんてやめてくれ。ランドだって、君が手を汚すことは望んでいないはずだ」
一瞬の後、彼女の目の色が変わった。明確な怒りの感情が浮かび上がる。
「……あなたが、兄さんを語るなっ……!」
フィノアの怒気を含んだ声とともに、氷の塊――《アイスミサイル》がこちらに飛んでくる。
「くっ……!」
石をぶつけられたような痛み、次いで冷えた感触が腹部を襲った。軌道は見えていたのに回避できなかった。
「煩いんですよっ……! あなたがしっかりしていれば、兄さんは死ななかったかもしれないのにっ……!」
「……ッ!」
何も言えない。ランドを殺めた魔物を倒したところで、その事実が変わることはないのだ。
「いいですよね……! あなたは沢山の仲間に恵まれて……大切に想ってくれる人もいる……! でも、私にはもう何もない……。何をしても、兄さんはもう戻ってこないっ……! 兄さんの存在が、私の全てだったのにっ!」
フィノアが怨嗟を口にしながら、何度も何度も氷塊を放つ。
肩、腕、脚――そこかしこに冷たい衝撃が走った。避けられないのではなく、己の心身が避けることを拒んでいる。
「キョウヤ! もうやめてっ!」
「おい、君! それくらいにしておけ!」
「……来るな! 俺は大丈夫だ」
ミレイとアインスが割り込もうとするが、手を突き出して制止した。
わざわざ威力のない下級魔法を選んでいるのは、まだ彼女に良心が残っているからだろう。
全部、受け止めなければならない。彼女の激情を軽減できるのなら、この程度は安いものだ。
「私はもう止まらない……止められない! 邪魔な魔物を殺して、殺して、殺して、殺してっ……! 兄さんを手にかけたあの男を痛めつけて、苦しませて、息の根を止めるっ……! ああ……そうだ。兄さんが冒険者になる原因を作った父……あの腐った領主とその周りの人間も、全部始末しないとっ……!」
だが、フィノアの憎悪が尽きることはない。それどころか膨れ上がる一方だった。
一度たかが外れてしまえば、彼女は躊躇なく人の命を奪うようになってしまうだろう。
そんな結末は絶対にあってはならない。それなのに、これ以上かけるべき言葉は思い浮かばなかった。
「……ああ、安心してください。あなたまで殺す気はありませんから……」
フィノアは最後にそう告げると、都市に向けてフラフラと歩き始める。
その背から漂う絶望は、あらゆるものを拒絶する深い闇のようだった。
「フィノア、待って!」
「……ミレイ、邪魔しないで」
ミレイが駆け寄って引き留めようとするが、フィノアはその手を振り解いて去っていく。
彼女はもう止まらない。結局、命は救えても心を救うことはできなかった。
強大な魔物を撃破した喜びは、瞬く間に失意に変わってしまう。
現実は、そんなに甘くはない。キョウヤはそれを改めて思い知らされることになった。




