第七十四話 公爵の願い
スエレ達が部屋を出た後、エレンシアはこれ幸いにとシガーケースから煙草を取り出す。
昔から数えきれないほど煙草を吸ってきた。エレンシアにとっては単なる嗜好品ではなくあらゆる場面を乗り越えてきた相棒と呼べる存在だ。
(不思議なものだ……)
最近では吸う本数が減っていた。理由は公爵であるエレンシアにも苦言を呈する存在……レティシア付きの侍女スエレだ。
お嬢様の前では吸わないようにと言われる事数回、健康に悪いから控えるように言われる事数百回……思い返せば今日も子供の前だから吸わないようにと注意された。
権力の頂点に近い位置ある公爵に意見を言える胆力はエレンシアとしては好ましく思っている。しかし、相棒とのひとときが亡くなる事は耐え難い苦痛であった。
好ましくも疎ましい。楽しいが辛い。故に抱いた複雑な感情を不思議と評する。
「そして、お前が来たか」
煙草を吸いながら来客を歓迎する。ヴァルナムシア帝国の頂点(元帥を除く)の一人、大教授である。
少し前まではエレンシアの部下であったが大将に昇格した事で立場は変わった。しかし、立場は変わっても互いに態度は変わらなかった。
余談となるが公女であるレティシアの師匠であるとかスエレと夫婦であるとか絡まる事情もあるが、エレンシアと大教授の関係性に於いては重要な部分ではなかったりする。
「どうだった?」
「第四皇子と皇妃に不穏な動きがある。魔人達は相変わらずだ」
互いに礼節を振る舞う必要がなく大教授は要点のみ答える。何処か和やかな雰囲気もある。
「そうか、変わらないようだ。気になる点はあるようだがどうした?」
「ディエレーズから私とスエレに招集命令が降った。明後日には皇城に呼ばれる」
「……問題だな」
和やかであった雰囲気が消える。
「狙いは分かりきっている。元帥は……お前に言うまでもないか。対策は?」
「ノルカを待機させておく」
「……奴には黙しておいてだな」
狙いはスエレの可能性が高い。だからノルカを巻き込むつもりだった。だが事情を説明すると余計な事をすると分かりきっているから待機命令だけ降すつもりだった。保険としては悪くはない判断とエレンシアも頷く。
「テアトルが居れば良かったが別件で出払っている。準備が良い」
「確かに露骨だな。……そこまで始末したいのか」
「そう考えている。だが腑に落ちない」
これまでもスエレを排除しようとする動きはあった。しかし、積極的な動きではなく可能なら排除したいぐらいであった。
「ふむ、皇后だな。あの女なら恐れを知らずに元帥に取引を持ちかけるだろうよ。忌々しくも元帥が求める取引材料だけは保有しているからな。……発端は貴様が皇后に恨まれてるのが遠因ではないか」
「理由としては的を得ていると思う。皇后は私を始末したいとしてもディエレーズが素直に動くと思えない」
取引が成立したとしてもディエレーズが大教授を始末する可能性は皆無に近い。そして、その発想は正しかった。
現ヴァルナムシア帝国の軍事を司る大将は替えの効かない存在であり余程のことがあっても消すつもりはなかったのだ。
「いつものパターンであれば取引の履行は半端に行い騙すつもりだな。誠実さ……いや、そもそも我々と視点どころか立つ場所が隔絶しているんだ。契約など無意味に近い。
一部の利害関係が成立した結果の騙し合い。皇后は元帥を出し抜けるつもりなのかと疑問は湧く……考えるだけ無駄か。
こちらとしては重要なのはお前がしくじった最悪の場合はスエレの件は任せておけ」
エレンシアの言葉は気休めに近いものであり、それは互いに理解していた。
「その時は任せる。今回は嫌な予感がする」
「私も同感だ。ああ、話は変わるが弟か妹は作らないのか?」
フロマージュとアイリッシュの下の兄弟(姉妹)という意味だ。
「あの双子は年齢の割に相当に聡い。手はかからないうえにレティシアの教育にも良い影響を与えている。下の子供がいればさらに良いと思ったわけだ。お前がどう思っているかは知らんがスエレの方は乗り気だろう」
沈黙する。それからエレンシアに近づく。
「そうだな……」
机に小さな箱を置く。中身を確認しなくてもエレンシアには分かっていた。
そのまま大教授は部屋を去る。その姿を見送ったエレンシアは箱の中身を取り出す。
煙草だった。市販品ではなく大教授のお手製だ。
「揶揄い過ぎたか……ふ、相変わらず器用だな」
気分良く煙草を咥え火をつける。
幼き日に先代の大教授から受け取った言葉を思い出す。
『生きていれば面白いものに巡り合う』
その言葉は正しかったと思える。
「ふ、本当に貴様達は面白い夫婦だな」
未来に希望を抱ける事が最大の幸福である。これからも幸福が続く事を心から願った。
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