第3話「勝て、ナガシマ」③
§ ふたつのナガシマ
街灯がつくころ、雨は本ぶりになった。
かわききった道路からは、鼻をつくようなにおいがしている。
健二は駅前に立っていた。から梅雨に油断した人たちが、カバンや上着をかざして走って行く。
改札口から茶色い上着がでて来た。
「父ちゃん」
「健二、おむかえか。たすかったぞ、父さんも傘無しだ」
父ちゃんが健二の手元を見る。
「おい傘はどうした。むかえに来てくれたのじゃないのか」
健二は声にならない。
あれから家には帰っていなかった。ずっと駅前で父ちゃんがでて来るのを待っていたのだ。
「どうした、母さんは知ってるのか」
父ちゃんの声が、どなり声のようにひびく。もうがまんできない。
「父ちゃぁぁん、うわああん」
声といっしょに、健二の目からも本ぶりの雨があふれだした。
松本家の茶の間。
健二がほんとうのことを全部話し終わったとき、すでに父ちゃんのゲンコツが三発落ちていた。さっきから、健二のなみだと鼻水はでっぱなしだ。
おまけに、ふっとんだいきおいで鼻血まででた。母ちゃんはあのヤレヤレ顔だ。
「まったく、この子ったら」
「ほら消防団長さんとこに行くぞ。そのあと交番だ」
父ちゃんが健二を引きずって茶の間をでる。健二の顔はぐっちょりで、頭はヒリヒリしていた。
もう健二には、この方法しかなかった。
子どもだからって、知らん顔されるなら、ゲンコツ百発でも、父ちゃんに言うしかない。
いたいけど、やっとすっきりした気分になれた。
玄関をでると雨はあがっていた。阿部旅館のガラスドアがガシャンと閉まる。電気のあかりに、おかっぱ頭のかげがうつっていた。
「またべべ子だ。なんだよ、いつもこういうときばっかり」
聞こえるように言って、あっかんべーをする。
――ゴチン。
また父ちゃんのゲンコツだ。
「なにを言ってるか。早く来い」
こんちくしょうだ。べべ子のおかげで、おまけのゲンコツまで落ちてきた。
つぎの日の商店街のうわさは、急展開になった。
健二と父ちゃんが帰ったあとの消防団と消防署の調べで、火事の火元はおばさんのうたた寝が原因だとわかった。火鉢のなかから、焼き鳥の竹ぐしが発見された。
火鉢のふちで温めなおしていた焼き鳥のくしが燃えて、火がついたまま下の座ぶとんに落ちたのだ。ねむってしまったおばさんは、気がつかなかった。
うわさが佐藤さんの放火だとひろまったから、おばさんも知らん顔をしていたそうだ。なかが悪かったので、ちょうどよかったと。
「なんでおばさんは佐藤さんがきらいだったの?」
学校でもこの話題だらけだ。健二同様の泣きはらした顔で、タンちゃんが聞いた。
タンちゃんもゆうべ、健二とおなじことをしてくれていた。父ちゃんと行った民謡酒場の前で、鼻水だらけのタンちゃんと、タンちゃんのおじさんと会ったのだった。
「それはね……」
健二がはなしかけたとき、よこからべべ子が口をはさむ。
「あそこのおばさんの息子が、やくざになっちゃったからよ。ひとり息子なのに家をでちゃって。どこでなにをしているのやら。だからやくざはみーんな、大きらいなの」
――バン!
「佐藤さんは、やくざじゃないぞ」
健二が机をたたく。
「健ちゃん、せっかく止まった鼻血がまたでちゃうよぉ。それに、もう町のみんなだって知ってるさ、佐藤さんは違うよ」
そう言うタンちゃんの鼻にも、ちり紙がつめてあった。
「ふん」
べべ子がスカートをはたいて自分の席にもどる。入れかえにタケシが近づいて来た。
「けーーんーーじぃーー」
うらめしそうな声だ。そのまま健二の首にうでをからめる。
「どうすんだよ。おまえらのせいで、ベーゴマ大会のことが、おとなにバレちまったぞ。これじゃオレがせっかく場所をさがしても、できやしねえ」
タケシの頭には、脳みそのかわりにベーゴマがつまっている。
「ごめん、ごめんよ」
「タケシも、ほかのみんなも、ごめん」
健二とタンちゃんがあやまる。それでもタケシはまだ、健二にからみついている。
べべ子が立った。
「やるわよ、うちの旅館の裏庭で。そのかわり、おとなもいっしょよ」
顔もむけずに、いっきにべべ子が言う。
「それほんとうか」
タケシがかん高い声をあげた。
「かけごとは無しよ。勝っても負けたコマを取っちゃいけないんだから」
「そんなの関係ないぜ。オレのアカールの強さが証明されればいいんだからな。いやっほーい」
すっかりごぎげんだ。べべ子は健二を見ることなく席にすわって、ほかの女子とはなしはじめた。
「べべ子も、ちょっと反省したのかな」
タンちゃんの言葉に、健二がわざと大声で「さあな」とこたえた。ふん、とべべ子の鼻息が聞こえそうだった。
ズボンのポケットには、あのとき佐藤さんからもらったベーゴマが入っている。これが今のナガシマだ。
健二が細工をしたさいしょのナガシマは、今ごろ上野をはなれた佐藤さんが持っている。警察から返してもらったあと、佐藤さんにあげた。友情のしるしの交換だ。
「さあ、練習しないとな」
健二の声に、タケシが耳をぴくつかせる。
「新しいコマだって、オレのアカールにかかればイチコロよ」
「もう、ベーゴマ星人タケシめっ」
タンちゃんが鼻からちり紙を飛ばす。
「げっ、タンちゃんきったねーぞ」
また教室は大さわぎだ。健二もタンちゃんといっしょにわらった。すごくわらって、うれしかった。
健二とタンちゃんの練習場所は、いつもの場所にもどった。お寺のせまいあみだ堂の裏でベーゴマをまわすのは、大変だったが、やっぱりここがいい。
健二の細工は終わっていた。佐藤さんが使っていたときより、もっと不安定にしてみた。バランスが悪くなったコマも、毎日の練習でコントロールできるまでになった。回転もはやくなった気がする。
タンちゃんはまるくなったコマの底に、うまくヒモを巻きつけられるようになっていた。秘密の細工をしたらしい。
重心が低いタンちゃんのコマは、健二のナガシマと互角に戦っている。これならふたりともアカールを倒せそうだ。
「新しい伝説のはじまりだぞ」
タンちゃんの鼻がふくらむ。たまにヒモをなめると、いつかの佐藤さんのことを思いだしているようだった。それは健二もおなじだ。
「うそつきべべ子のせいだ」
そう言って健二がベーゴマをまわす。つづいてタンちゃんがさけんだ。
「打倒べべ子攻撃ーー!」
ベーゴマをナガシマにぶつけてくる。
「打倒アカールだろ。あははは」
健二がわらったとたんに、ナガシマがはじき飛ばされた。タンちゃんの顔がにやりとする。
「よし、本番はこれで決まりだよ」
おそるべし、タンちゃんの『打倒べべ子攻撃』。健二もなにか必殺技を考えないと、本番もタンちゃんに負けてしまいそうだ。
§ アカール登場
民謡酒場のおばさんが金子シャーリングをたずねたとき、もう佐藤さんはいなかった。健二に言ったとおり、あのつぎの日には、町からでて行ってしまったのだ。
そのあと、おとなたちもすこし考えたようだった。
ベーゴマを禁止するから、かくれて子どもたちが遊ぶことになったのも、今回のできごとの原因のひとつだ。それで、おとながいるところで、取りっこなしのベーゴマ勝負ならやってもよい、ということになった。
七月、一学期がもうすぐおわる。
今日はベーゴマ大会の日だ。阿部旅館におなじクラスの男子が十人、ほかにも、うわさを聞いた打倒アカールに燃える上級生たちが十五人以上もあつまって、おおにぎわいだった。
「さっすがオリンピック記念大会だーー」
言いだしっぺのタケシは、もう気がくるいそうなほど大よろこびだ。さっそく本格的なベーゴマの床つくりをはじめた。
つけもの屋のまるい木タルをころがして来たのはタンちゃん。そこへ健二が荷車用のじょうぶな布をひろげる。みんなで引っぱって、ぱんぱんになったところで、中心にタケシがにぎりこぶしをのせた。
ちょうどいいたわみとはり具合になったところで、上級生たちが麻ヒモをかける。まるで太鼓のような、りっぱな床の完成だ。その手際に、見ていたおとなたちも、ちょっと感心しているようだった。
さあ、いよいよ勝負のはじまりだ。じゃんけんをして順番を決める。今日のルールは、ふたりずつの勝ちぬき戦だ。負けたらそれで終わり、勝ったらずっと戦いつづける。
さいごに残ったひとりが、タケシのアカールと対戦して、勝ったほうが優勝だ。そんな特別ルールにだれも文句を言わないほど、タケシのアカールは無敵だった。
順番がすすんで、勝者がどんどん入れかわってゆく。五番手のタンちゃんのベーゴマは、打倒べべ子攻撃がさくれつした。六年生をふたりも負かして勝ちつづける。さらに三人ぬきをしたが、つぎの中学生にちから負けをしてしまった。
「あーん、もうちょっとで健ちゃんと対決の番だったのに」
タンちゃんがくやしがる。
「タンちゃんのカタキは、ぼくがとってやるぞ」
健二の言葉に、中学生もむかえうつ。健二はヒモをペロリとなめて、ナガシマに巻きつけた。佐藤さんにもらってから、さらにけずって調整した。もうすっかり健二のナガシマだ。
「よおい、はじめ」
ふたつのベーゴマが床の上に投げだされる。健二のナガシマが、あっというまに中学生のコマをはじき飛ばした。タケシがおもわず声をだす。
「おっやるな」
「アカール戦までは負けないよ」
そう言ったとおり、のこりの勝負は健二のひとり勝ちだった。
「すごいや。健二のナガシマならアカールに勝てるかも」
「ナガシマ伝説か」
まわりでいろんな声がではじめる。健二も負ける気がしなかった。
とうとうタケシの出番だ。
ここにいる全員が、過去になん度も負けているアカールの登場だ。赤ペンキをぬった表面に『R』の文字、それをタケシは健二にむかってかざした。
健二も負けていない。
「これがぼくのナガシマだ」
秘密兵器のパッチンと、細工はかくして見せる。もちろんアカールも細工はタケシの指でかくされていた。
「さあ準備だよ」
タンちゃんが声をかける。
タケシがヒモをなめた。健二もなめて、しっかりとしごく。みんながシーンとなった。いつのまにかおとなたちも、ふたりのまわりに近づいている。
緊張した声でタンちゃんが言う。
「ふたりとも、用意はいい?」
「うん」
「ああ」
タケシは今日いちばんのいい顔をして、かまえていた。ほんとうにベーゴマがすきなんだ、健二は思った。
でも必ず勝ってみせる。
「よおい、はじめぇ!」
タンちゃんの合図だ。
アカールとナガシマがものすごい回転で飛びだす。ふたつとも同時だった。
――カチッ。
――カチチッ。
いきおいよくぶつかりあう。
どちらもはじかれない。あたってもすぐに布地のたわみにもどって、またぶつかり合いだ。
「よし、そこだアカール行け」
タケシがアカールを応援する。
健二もナガシマに声をかける。
まわりからも、「アカール」「ナガシマ」のかけ声がひびいていた。そのときだ。
健二はタケシがにぎっているヒモに気づいた。
「タンちゃん見て。あれ、黒ヒモだ……」
それは健二のナガシマが高く飛んだ瞬間でもあった。
「佐藤のおじさんとおなじだね」
しずかにこたえたタンちゃんの声と、ナガシマが床からはじき飛ばされる姿が、ゆっくりと健二の前を通り過ぎて行った。ほかの音はなにも聞こえない。
ナガシマが地面に落ちたとき、タケシの歓声が健二の耳に飛びこむ。
「アカールよくやったぞ」
まだまわりつづけているアカールをつかんで、タケシが自分のほっぺたにこすりつける。健二はゆっくりとナガシマをひろい、砂をはらってあげた。
「負けたよ。やっぱりタケシとアカールは強いな」
「ありがとう。健二のナガシマもなかなかだったぜ」
ふたりが握手をする。まわりから拍手がおきた。
健二にはわかった。アカールも強いけれど、いちばんすごいのはタケシだった。ただのベーゴマ星人だと思っていたけれど、あの黒ヒモはタケシの練習の結晶だ。
「さあて大会は終わりよ。ほら、早くかたづけて、商売のじゃまなんだから」
健二の感動をぶちこわすのは、いつもべべ子だ。
タンちゃんも口をとがらせる。
「べべ子だって、さっきまで夢中でナガシマとアカール戦を見てたくせに」
タンちゃんが舌をだす。あっと言ってべべ子がさけんだ。
「それよりタンちゃん。さっきの打倒べべ子攻撃って、あれいったいなんなのよーー」
「うわっ、いけね」
「待ちなさいよ!」
タンちゃんが走る。べべ子のキイキイ声が、タンちゃんを追いかけて行った。
健二が空を見あげる。
「また来るかな」
そうつぶやいた。
「こんどは負けないよ。佐藤さんにも、タケシにも」
タケシにナガシマをむける。ニカッとタケシも歯をだした。
梅雨をわすれた空は、今日も雲ひとつもない。逃げまわるタンちゃんの足元から、かわいた砂がまいあがっている。せきこむべべ子も、なんだか今日は楽しそうに見えた。
第3話「勝て、ナガシマ」 おわり




