第3話 「勝て、ナガシマ」②
§ 町のうわさ
もうすぐ六月がおわる。まだ雨はふっていなかった。
通学路のコンクリート道路も砂にまみれて、ふむとガリリと音がした。あちこちの道路工事にくわえて、この天気だ。町中にほこりっぽい風がふいていた。
水でもまけば、すこしはいいのだろうが、今年はどの家も夏の水不足を心配して、水のむだづかいはしないようだった。
健二が教室に入ったとき、みんながべべ子のまわりにあつまっていた。きのうのボヤさわぎの話でもりあがっている。
どうやらゆうべの母ちゃんの情報から、もっと話が進んでいるようだった。さっそく健二もみんなのなかに入る。
「そんなわけで、交番からもどったのが七時よ。もうつかれちゃったわ」
べべ子のほっぺたは興奮してまっ赤だ。健二を見つけると、わざと目をほそめてよこをむいた。べべ子のそばにいるタケシを見つけた。
「おい、こんどはなんだ」
「どうやらさ、きのうのボヤさわぎは、火つけだったらしいぜ。べべ子が犯人らしき男を見たもんで、交番に呼ばれたんだとさ」
びっくりだった。あのとき、そんな人なんか、いなかったはずだ。
いつのまにか登校してそばにいたタンちゃんが声をあげる。
「うそだあ。だって、火は家のなかから……」
「うわああーー!」
健二の大声が、タンちゃんの言葉をさえぎった。
タンちゃんがおどろいた顔で健二を見る。そこへべべ子の声。
「なによ。わたしがウソついてるとでも言いたいの。それに、なんでタンちゃんがそんなこと言うのよ」
つぎは健二がこたえた。
「違うよ。ぼくの母ちゃんが消防団の人に聞いただけだ」
言ってから、すぐにタケシにむかう。
「タケシ、むこうでベーゴマ大会の日にちを決めようぜ」
「おう! とうとうやる気だな。よおーし、かかってこい」
ベーゴマ星人はすぐにのってきた。ほかの男子もまきこんで、教室のうしろへ移動する。べべ子から脱出成功だ。けれど、そばにタンちゃんはいなかった。
さっきまで得意顔だったべべ子が、ふくれっ面でとりのこされた。反対に大はりきりのタケシがその場を仕切る。あっというまに、大会は一学期さいごの土曜日に決定してしまった。
帰り道、健二はひとりで歩いていた。
健二のナガシマがなくなった。きっと民謡酒場の前か、ションベン横丁で落としたに違いない。
ほこりっぽい空気が、健二の口のなかに入ってきた。いやな予感がする。
家に帰らずに、きのうの場所へむかった。朝顔のすだれをくぐり、ションベン横丁を歩く。裏通りでは、どの店も戸を開けて、開店準備のまっ最中だった。
もう夕方だ、きのうのひっそりした感じとは、全然違っている。ガンさんの焼き鳥屋から、あまじょっぱいけむりがながれていた。
ボヤさわぎの民謡酒場のおばさんも、店さきでスルメを焼いている。健二をちらりと見たが、また七輪をはたきはじめた。それをいいことに、健二は石けりで遊ぶふりだ。足元でベーゴマをさがしていた。
けれどナガシマは見つからなかった。
しかたない。ほかのベーゴマに、もういちど細工をすることにした。
夜だ。
今日は父ちゃんも、国鉄の仕事から早く帰って来ていた。母ちゃんは商店街で仕入れたうわさ話の報告のまっ最中だ。ボヤさわぎの最新情報がはじまった。
「きのうの火事は、火つけだったらしいよ」
朝べべ子が言っていたのとおなじだ。健二はあのときのべべ子の顔を思いだして、チクワをはしでつついた。父ちゃんは、ちょっぴりうるさそうな顔だ。かわりに慎一兄ちゃんが、興味しんしんで聞いている。
ここで母ちゃんが声を小さくした。
「どうやら、金子シャーリングの見習いさんだって話さ、あの青森から来た。今日交番につれていかれたらしいよ」
チクワにさした健二のはしがころがる。
「うそだ」
「なんだね、この子はぎょうぎが悪い。うそなもんか、向かいの阿部旅館の尚子ちゃんが見たんだって」
今日、母ちゃんが買い物に行くころには、商店街はこのうわさでもちきりだったそうだ。
窓がわれる音がしたので、ガンさんが外をのぞくと、酒場からけむりがでているのを発見した。店のなかに入ると、いつもは外にあるはずの、かれた植木ばちが燃えていた。だれかが、かれ木に火をつけて、はちごとほおりこんだのじゃないかと言うのだ。なぜなら、植木ばちは、いちばん燃えやすい座ぶとんの上にころがっていたからだった。
健二の手がふるえてくる。これじゃあ、ほんとうの犯人は植木ばちを投げた健二になってしまう。おもわず大声になった。
「だれかが見たの? 証拠は」
父ちゃんがじろりと健二を見る。すると母ちゃんはこころえ顔でこたえた。
「証拠もあるのさ。ベーゴマが店んなかに落ちていたらしいよ。植木ばちにまざって、ベーゴマも投げこまれていたらしい」
健二のからだがかたまった。
見つかったベーゴマは、鉄がはみでた、できそこないの形だった。なにかの手がかりになるだろうと、消防団の人たちがベーゴマを売っている店に持って行った。すると、だがし屋のばあちゃんに見おぼえがあった。
佐藤さんのポケットには、みょうな形のベーゴマが入っていた。そう言ったのだった。
佐藤さんといえば、夜の酒場でいつもけんかざたをおこしていることで有名だ。とくに、火事になった民謡酒場のおばさんとは、しょっちゅう言い合いになっているのを、たくさんの人が知っている。
「そこで尚子ちゃんのあれだろ。尚子ちゃんが火事のほうへ走っていたら、あわてて横丁のすだれから、あの男がでて来たって。あそこは酒場からの近道だからね、ふつうの人間はあんなくさい路地は通らないさ」
うそだ、健二はそう言いたいのに、できない。
「じゃあ、今までの仕返しに放火したってこと?」
兄ちゃんが言う。
「もうそのへんにしておけ、子どもの前だぞ。それに警察や消防の目だってふしあなじゃない。うわさだけで放火と決めつけるわけがなかろう」
父ちゃんがゆっくりと言った。
健二はもう、どうしていいのかわからない。今さらほんとうのことを言ったら、父ちゃんのゲンコツどころじゃない。
その夜はふとんにもぐっても、ねむることができなかった。
§ ほんとうの佐藤さん
一週間がたった。
犯人あつかいされている佐藤さんは、もちろん本人はやっていないと言っているので、事情を聞かれただけで交番からもどって来ていた。いつものように、金子シャーリングで仕事をしている。だけど、いつもおまわりさんが工場の外から見はっていた。うたがいがなくなったわけでは、ないようだった。
今でも健二は、金子シャーリングの前を通るときだけは、走ってしまう。
「よっぼうず。打倒アカールの練習はすすんでるか」
たまに佐藤さんに声をかけられるけれど、そのまま手だけをふって、走りぬけた。
「いつもいそがしそうだなぁ」
佐藤さんはつまらなそうな顔だ。考えごとをするように、空にむかってタバコのけむりをはいていた。
なん日かたった。
タンちゃんとは、まだはなせないままだ。
たまに休み時間などに目が合うときは、おたがいにびっくりしたような、どうしたらいいか、わからない顔になってしまう。きっと今まで、こんなことなかったから。
今日もひとりで、ベーゴマの練習をしている。あれからずっと、練習は上野公園だった。
なくしたナガシマのかわりに、新しいベーゴマを買った。パッチンふうに細工した、ナガシマ二号だ。これも投げにくい。それがよけいにイライラしてくる。
こんなデコボコなベーゴマなんて、はやくまわるのだろうか。
もしかしたら、みんなが言うとおり、佐藤さんはうそつきなのかもしれない。
健二の手が止まった。ゆるんだヒモがナガシマ二号からほどけて、コンクリート地面に落下する。
「ううん。違うぞ」
健二が声をだす。
あの日、はじめて会った日、佐藤さんは自分のパッチンベーゴマをまわして見せてくれた。あのはやさは、ほんものだった。
健二がヒモをひろいあげる。ぶらさがったヒモと、佐藤さんの黒いヒモが目の前でかさなった。そのむこうに、タンちゃんの顔が見える。あのときはいっしょにいた。
いつもいっしょに考えて、遊んで、いたずらして、おこられて、ゲンコツをもらって。
思いだしていたら、いつのまにか、わらっていた。
いつもいっしょに、楽しくて……
『そうじゃないよ、ぼくが言いたいのは!』
『もう、いいよ』
タンちゃんの声が、耳のなかから聞こえてくる。
そばにタンちゃんもいたのに。
ふるえながら、洗面器に水をくんでくれていた。
いっしょに考えれば、もっといい方法が見つかったかもしれない。おばさんを助けたい気持ちは、タンちゃんもおなじだったのに。
ひとりじゃ、うまくいかない。
ベーゴマだってそうだ。タンちゃんのコマがいっしょにまわってなきゃ、自分が強いのか弱いのかもわからない。
ひとりじゃ、わからないままだ。
健二は走りだした。
うそつきは佐藤さんじゃない、自分だった。
「ほんとうのことを言おう。おこられてもいいさ。そのあと、タンちゃんのところに行こう。ごめんって、言うんだ」
ションベン横丁の入り口が見えたとき、すだれをめくっているうしろすがたがあった。ちらちらとめくっては、すだれをもどしている。タンちゃんだった。
健二の足が止まる。
タンちゃんも健二に気がついた。
「タンちゃん、あの……」
さきに声をだしたけれど、あとがつづかない。タンちゃんも下をむいたままだ。そのうち、小さな声が聞こえてきた。
「べべ子からさ、佐藤さんが仕事をやめるって聞いたんだ。ほんとうは佐藤さんは犯人じゃないのに。ぼくは、それを知ってるのに。今さらこわくて言えなくて。でも、どうしたらいいか、わからなくて」
タンちゃんのグローブ頭がふるえていた。タンちゃんはずっとしゃべりつづけている。
「健ちゃん家に行こうとも、思ったんだけど。ひどいこと言っちゃったから、行けなくて……」
健二はタンちゃんのほっぺたを、両手ではさんだ。グローブ頭が上をむく。
「タンちゃんは悪くない。ぼくが、ひとりで勝手にやって、逃げて、知らん顔して、ずるいことしたから。せっかくタンちゃんがおしえてくれたのに。だからゴメン。ほんとうに、このとおりだよ。ごめんなさい」
タンちゃんをつかんだまま、頭をさげた。
ほんのすこしの時間だったかもしれないのに、健二は息が苦しくなった。
タンちゃんがほっぺたの手をにぎってくれた。そして下から健二の顔をのぞきこむ。その顔が、健二にはひさびさだった。
そこではじめて自分が息を止めていることに気がついた。
「ぼくこそごめんね。意地っぱりしちゃった」
「はあああーー」
タンちゃんの声を聞いて、やっと息をすった。それを見たタンちゃんがわらう。
「息、止めてたの?」
「わからない。知らないうちにね」
「へんな健ちゃん」
「そうさ、へんだらけだ。なにもわからない。はじめてばかりだったよ」
「うん」
またふたりでわらった。
そのあと健二は、これからおばさんの店に行くところだったことをはなした。タンちゃんが言った。
「ぼくもいっしょに行くよ」
「タンちゃんは悪くない。行くのは、ぼくひとりでいいよ」
「ううん。いっしょに行くもん。ベーゴマの練習だってさ、ひとりじゃ全然練習にならないの。だから、こんどもいっしょに行く」
「あっそれ、ぼくも思っていたところ」
タンちゃんもおなじだった。
「そうだよ。やっぱり、健ちゃんのコマをふっとばさないと、ぼくが強いかどうかも、わからないからね」
「はあーー? それは逆だろ。ぼくが、はじきとばすんだ」
「違うもん」
「よし。どっちがほんとうか、あとで勝負だ」
「うん」
ふたりでむきあう。それからいっしょに、すだれをめくった。
民謡酒場のおばさんの前には健二が立った。タンちゃんはすぐうしろにいる。
健二が言った。
「窓ガラスをわったのは、ぼくです。ごめんなさい」
火事を知らせたかったこと。おばさんを起こすために、植木ばちを投げこんだこと。そのとき、健二のベーゴマがなくなったこと。きっとお店のなかに落ちていたのは、健二のベーゴマだろうこと。
こわくて、今までだまっていたこと。ぜんぶはなして、頭をさげた。
するとおばさんが言った。
「知らないね。子どもがなにを言ってんだい。そのことは、ちゃんと警察がやってくれてるんだから、あんたたちが首をつっこむことじゃない。さあ、帰ってくれ。もうすぐ店の時間だからね、準備のじゃまをしないでおくれよ」
めんどくさそうな声だった。
目の前で戸が閉まる。もうおばさんがでてくる気配はなかった。
びっくりなのは、健二たちだ。
直立で立ったままの健二は、そこから動けない。知らないうちに、目とほっぺたがあつくなった。
「子どもだからって、うそは言わないのに」
あついのは涙だった。くやしい。
健二はタンちゃんを見た。タンちゃんもうなずく。
今日はここでわかれることにした。ベーゴマの練習は、ぜんぶおわってからだ。
健二は駅にむかって歩いていた。
東京みやげ屋の前を通ったとき、お店のなかから佐藤さんがでて来た。
「おお、ぼうず。いや健二くんだったな」
「こ、こんにちは」
健二は下をむいたまま、あいさつをした。気にせず佐藤さんがはなしかけてくる。
「これ、おまえにあげようと思ってな」
佐藤さんがポケットからだしたのは、傷だらけの古いベーゴマだった。それを健二の手にのせた。
「これは、おじさんのだ」
「健二くんのナガシマは、オレのものってことになってるからな。警察で保管されているから、たぶんもう、もどってこねえな。だから交換だ」
びっくりだった。佐藤さんは気づいていたのだ。
きっと近くにいるに違いないおまわりさんに聞こえないように、佐藤さんは小さな声で言っていた。健二はどうしていいのか、わからない。けれど、もううそはつかない。
「ごめんなさい。ぼくが、ずっとだまっていたから――」
「打倒アカールの秘策をおしえたのは、健二くんたちだけだ」
すかさず佐藤さんが言った。
「へりの細工とかさ、これとおなじようなギザギザがついてたよ。うまいもんだ」
健二の手の上のベーゴマを、佐藤さんが指でつつく。だまっていると、佐藤さんがやさしい声ではなしはじめた。
「うれしかったんだよな、警察であのベーゴマを見たとき。オレの言ったことを信じてくれたんだなぁって」
「えっ」
「オレの手、見た目がこれだろ」
佐藤さんは、機械ではさまれて四本指になってしまった右手をひろげた。
「なに、たいしたことない。得意のベーゴマは左手でもできるし、たかが指一本、そう思っていたんだけどよ」
佐藤さんの顔は、商店街のさきの上野駅にむいている。目をほそくして、遠い青森まで見ているようだった。
「世のなか、なかなかうまくいかないもんだって、いつも思っててよ。ほんとうのことなんて、だれも信じちゃくれない。悪人あつかいだ。ありもしないうたがいで交番につれていかれるなんて、しょっちゅうだよ。いよいよ放火もかって、思ったときにな、あのベーゴマを見たんだ。まあ、むずかしい話は無しだ」
佐藤さんが健二の肩をぽんとたたいた。健二は胸がぎゅっとなった。
「アカールに負けるな。こいつにもっと細工をして、おまえのナガシマにしてくれ。オレは明日、上野をでて行くけどよ」
「うそ、なんで。佐藤さんはなにも悪いことしてないのに」
佐藤さんが手をしずかにおろした。
「金子シャーリングには世話になったからな、親方に迷惑かけたくない。じゃあな」
「待って、大会は七月なんだ。見てってよ」
佐藤さんがふり返らずに手をふった。そのあとをふたりのおまわりさんが、ゆっくりとついて行く。
健二はベーゴマをにぎりしめた。肩がひんやりと冷たくなる。梅雨らしい霧雨が、ひさしぶりにふりはじめていた。




