第2話「春のガマ大作戦」①
第二話「春のガマ大作戦」
§ はじまりの池
四月だ。
線路むこうの上野公園は、はなやかな季節をむかえていた。
空がかくれるほどの桜の下では、おおぜいの人が歌や音頭で花見をしている。ずらりとならんだ露店のすだれも、うすピンク色の花びらをかぶっていた。
不忍の池のほとりから、つぶれたような声が聞こえてくる。あっというまに、人だかりができていた。
「さあて、おたちあい」
両手をひろげるおじさんの前で、健二もおもわず息をとめた。
うしろにはお堂が見える。ちょうど夕日が八角形の屋根に反射したとき、おじさんの右手のさきがキラリと光ったからだ。
「ここに取りいだしたる一本の刀。この紙にあてれば、たちどころに一枚が二枚、二枚が四枚、四枚が八枚に切れてしまうよ、おたちあい」
みんなが歓声をあげる。すわっていた健二の鼻さきで、小さな紙が花びらのように落ちていった。そこでおじさんの声が、ひときわ大きくなる。
「この刀で、おのがかいな(わたしのうで)を傷つければ。さあ、おたちあいっ」
拍子をあわせて、なんとおじさんは刀を自分の左うでにあてたのだ。見物していた女の人が、両手で顔をおおう。
おじさんは歩きなから、傷つけたうでをみんなに見せている。健二の前で、赤い血が一筋ながれた。おそろしくておしりをうかせたとき、おじさんのかん高い声がひびいた。
「ところがご安心あれ! ここにあるこう薬は、そんじょそこらのぬり薬とは、ワケが違う。ガマはガマでも、筑波は四六のガマ。そいつを鏡でかこみゃ、タラーリ、タラリとながした油をつめこんだ、ぬり薬でござい。これをぬればたちどころに、さあ、おたちあい」
そう言って、さっきの傷に油をたっぷりとぬりこむ。あっというまに血は止まり、見物人は歓声をあげた。このおじさんは、ガマの油を売るのが商売だったのだ。
健二はズボンの土をはたいて立ちあがった。目にはまだ、さっきの血の色がやきついている。不忍の池もまた、夕日色に赤くそまっていた。
つぎの朝。寝坊した健二はあわてて茶の間にかけこんだ。きのうの血がわすれられなくて、よくねむれなかった。じつは、すこしパンツもぬらしてしまったので、はきかえていたらおそくなった。
母ちゃんがおみそ汁をよそいながら、首をふる。
「まったく、明日から五年生だっていうのに」
聞こえないふりで、健二は自分の髪の毛をなでつけながらすわった。けれど、母ちゃんゆずりの天然パーマの髪の毛は、すぐにくるりと上をむいてしまう。そのまま生タマゴをわった。
「すこし水でぬらすのがいいよ」
頭の上から声がした。
口いっぱいにタマゴかけごはんをほおばったとき、やっといつもと違う茶の間の光景に気がついた。
「兄ちゃん?」
声はいつもの慎一兄ちゃんだった。けれど、黒い制服を着たそのすがたは、まったく知らないおとなの人だ。
そう、兄ちゃんは今日から中学生だった。ごはんを食べおわった兄ちゃんが学生帽をかぶる。つめえりの上着には、金色のボタンがならんでいた。金メダルチョコレートみたいだった。
健二は、口にくわえたお茶わんをおろすのもわすれて、上目づかいのまま兄ちゃんを見あげる。そういえば、母ちゃんもよそゆきの顔をしていた。
「入学式、父ちゃんは仕事だから、あとでご近所といっしょに母ちゃんが行くね」
「きのうから泊まりだからな、しかたないよ。じゃ、いってきます」
ぼけっと見おくる健二をよそに、ふたりはそんな会話をしていた。まるでおとなどうしがはなしているみたいで、びっくりだった。そのとき、玄関から元気な声がした。
「おっはようございまーす。坂本でーす」
幼なじみのタンちゃんだ。健二がいそいで返事をする。
「ちょっと待ってて、すぐ行くよ」
大声で言ったので、口からごはんつぶが飛びでた。母ちゃんは、またヤレヤレという顔だ。
玄関の模様ガラスの引き戸は、いつも開けっぱなしだった。健二が外にでると、路地のわきからタンちゃんが忍者のまねで近づく。
「ねえねえ、さっきの慎一お兄ちゃんでしょ。おとながでて来たかと思ったよ」
「中学校の入学式だって」
「すごいなあ、かっこいいなあ」
タンちゃんが学生帽をなおすふりで、まねをする。野球グローブをのっけたような髪型がタンちゃんの特徴だ。その頭に健二は、空手チョップをしかけて走りだした。
§ 忍者とばんざいの木
駅前商店街や大衆酒場があつまるこの町全部が、健二たちの遊び場だ。
トタンや小さな板を組みあわせた長屋のすきまをぬけて、忍者ごっこやカンけりをする。長屋とは、なん軒かが屋根でつながっている家のこと。門や庭がないので、コンクリート道路にそって玄関がならんでいた。
このあたりで公園といえば、上野公園だ。大きな公園は、不忍の池とお山とに分けて呼ばれている。
川のかわりになん本もの線路をわたる橋は、両大師橋。そのさきのお寺に、健二とタンちゃんの秘密の場所のひとつがある。
あみだ堂とかねつき堂のあいだをぬけると、しめった草のにおいがした。まだ小さなしょうぶの葉かげで、むらさき色のすみれがさいていた。
さっそく健二はふくらんだズボンのポケットから、花切りばさみと缶詰のフタをとりだす。タンちゃんもマンガ雑誌と二枚のフタをだした。
「バレなかった?」
タンちゃんが聞く。
「うん。母ちゃんに見つからないように、きのうのうちにかくしておいたからね」
花切りばさみのことだ。ナイショで持ちだした。
忍者ごっこの手裏剣をつくるには、これがいちばんいい。これでかたい缶詰のフタも、自由自在に切れるのだ。
ふたりはあみだ堂の土台にこしかけて、手裏剣づくりをはじめた。マンガ雑誌を見ながら慎重にはさみを動かす。めざすは『忍者影丸』の伊賀手裏剣。影丸は子どもたちに大人気のマンガだった。
風ぐるまのような形ができあがると、さいごにとがったところを石でたたいて角度をつける。昔のかじ屋になったみたいで、わくわくする瞬間だ。
――コンカン、カン。
となりのかねつき堂の大きな鐘に、かじ屋の音が反響する。
「あー、手裏剣つくってるのね」
急にキイキイ声がしたので、ふたりの手が止まった。背中をむけていた健二がふり返って、またもどる。
「うわっ、べべ子だ」
「おしゃべりべべ子か」
はなしているあいだも、べべ子はどんどん近づいて来た。まっすぐに切りそろえた髪をゆらして、ふたりの前に立つ。
「忍者ごっこは、学校で禁止されてるのよ」
「ごっこはしてないさ、手裏剣をつくってるだけだよ」
負けずに言い返すが、べべ子の口にはかなわない。
「去年も手裏剣で子どもがケガをしたって、新聞にのってたもの。手裏剣がいけないのよ」
そうだ、べべ子は旅館に泊まるおとなたちから、いろんな話を聞くのが大すきだ。こんなお説教のまねはいつものこと。健二は、とりあえずこのキイキイ声をなんとかするほうに、いつも頭をつかう。
「わかったよ。それより、なんでここにべべ子がいるのさ」
べべ子のほそい目がさらにほそくなる。またなにか健二たちの知らないことを言いそうだ。
「このお寺のおふだはね、ぼけ封じにきくの。親せきにたのまれた、うちのおばあちゃんのおつかいで、受けとりに来たのよ」
「ボケフージン? なにそれ」
タンちゃんが首をひねる。健二が早口で言った。
「さすがべべ子だな。なんでも知ってるんだ」
うしろをむいてタンちゃんに舌をだして見せる。
「まあね」
べべ子が健二のペースにのってきたところで、タンちゃんが言った。
「じゃあ早くそのおふだ、持って帰んなくていいのかい。ばあちゃんのおつかいものでしょ」
「そうだわ、十時の列車よ」
べべ子がお寺の門を飛びでる。あみだ堂のよこを、サンダルの走る音が遠ざかって行った。
「やったな」
健二とタンちゃんが手をあわせる。すぐに手裏剣の仕上げにとりかかったとき、タンちゃんが思いだしたように言った。
「でもさ、おしゃべりべべ子だよ。ぜったいに言いつけるよね」
「さいごの手裏剣かもな。今日は思いっきり遊ぼう」
「よおーし、必殺忍法ボケフージンだ」
タンちゃんが手裏剣をかまえる。木の幹がふた股に分かれている、大きくてりっぱなイチョウの木だ。
両手をあげているように見えるから、ふたりはばんざいの木と呼んでいた。
健二は人さし指となか指で手裏剣をはさむと、ばんざいの木にねらいをさだめる。いきおいよく飛ばした手裏剣は、ウロコのようにがんじょうな木の皮にはじかれてしまった。
つぎはタンちゃんの番。ペロリと手裏剣をなめると、思いっきりなげつけた。やはりはじかれて、へんな方向へ飛ばされてしまう。
「むむむ、こいつは手ごわい。健二丸、ぬかるなよ」
「おう、三治丸こそ」
気分はすでに忍者だった。そうそう、三治とはタンちゃんの名前だ。坂本三治、これがほんとうの名前。
松本健二と坂本三治、ちょっとにている名前のふたりは、それがきっかけで、入学して以来の親友だ。
なぜタンちゃんかといえば、やや足が短いから。いつしかみんなは、親しみをこめて短足タンちゃんと呼ぶようになった。
――カツン。
健二丸からはなった伊賀手裏剣がイチョウの皮にささった。ばんざいの木の、ちょうど左手のつけ根あたりだ。
「やったあ。おやかた様、見事しとめましたぜい」
いつしか健二は、お屋敷がかえの忍者になっていたらしい。
「いたかろうなぁ」
ふいに声がして、ふたりは飛びあがった。
健二があわててばんざいの木から手裏剣をぬく。お寺の住職さんだった。
「ごめんなさい」
「わしにじゃない。イチョウも生きとるんじゃからな、さぞいたかったろうよ」
よく見ると、手裏剣がささっていたところだけ、きみどり色の傷になっていた。ほかのおうど色の木の皮とは、ぜんぜん違う、あざやかな色だった。
「いたそうだね」
タンちゃんがしょんぼり言う。
「うん」
健二がきみどり色の傷にさわった。じっとりとしていて、バナナの皮をむいたときとにていた。
住職さんはゆっくりと本堂へもどって行く。ふたりがばんざいの木に頭をさげた。
そこで健二が思いだす。
「そうだ。四六のガマだ」
「なに、それ」
タンちゃんには、さっぱりわからない。
健二はきのう不忍の池で見たおじさんのまねをはじめた。
「ガマはガマでも、四六のガマよ。この油をぬれば、こんな傷なんてすぐになおってしまうよ、おたちあい」
「よっ、日本一」
調子よくタンちゃんがあいのてを入れる。
「で、四六のガマってなに」
聞かれても、健二にだってわからない。
「とにかく、ガマだよ。ガマガエルの油をつけると、なんでもなおるんだ」
「すごいや。さっそくやろうよ」
「だめだめ、油をとるには、ちょっとしたしかけがいるのさ」
健二がもったいぶる。
「鏡だよ」
「そんなもの、ここにはないよ」
ここどころか、子どもが鏡なんて持っているわけがない。家から持って来なくてはいけない。それも、お寺の木を傷つけたことがバレないようナイショで。これはわくわくするには、じゅうぶんなスリルだった。
ふたりはもうすっかり忍者ごっこのことは、わすれていた。
§ ゲンコツ頭ころがる
五年生になって、最初の登校日だ。
健二は玄関の鏡で髪の毛をなでつけていた。天然パーマの髪の毛が、いつもよりもくるりとおでこの上でまるまっている。
「ほら、おくれるぞ」
まだ見なれない制服姿の兄ちゃんが、鏡のなかにわりこんで来た。胸ポケットからクシをぬきだし、前髪をとかす。仕事にでかけるときの父ちゃんみたいだ。
「どうせ学生帽かぶっちゃうのに」
健二が口をとがらせる。きのう母ちゃんからもらったゲンコツで、頭がひりひりした。もちろん、かくれて手裏剣をつくっていたことを、べべ子に言いつけられたからだった。
健二の小学校は集団登校だ。家をでて路地をまがると、大通りにでる。そこの質屋の前が集合場所だ。
目の前には、長い日かげがつづいている。できたばかりの自動車の空中橋だ。
『バカねえ、あれは高速道路っていうんだから。信号機だってないのよ』
以前、べべ子に言われた。それができる前は、都電が走っていた通りだ。
今は線路もなくなった大通りをわたって、五分くらいで下屋小学校につく。
新五年生の階には、すでに生徒たちがあつまっていた。ろうかにはりだされたクラス分け表の前で大さわぎだ。タンちゃんがかけよってきた。
「おなじ一組だよ」
「やったね」
四年のときは別々のクラスだったので、大よろこびだ。とは言っても、ふたクラス分の人数しかいないから、学年全員がすでに顔なじみではあるけれど。
一組の教室に入ると、べべ子もいっしょだった。タンちゃんがおおげさにおどろいた顔をする。ふふん、とべべ子は鼻をならした。どうやら、きのうのことを思いだしているようだ。
黒板の前では、男子がなん人かで円をつくっている。ときどき大声があがっていた。まんなかのひとりが、健二を見つける。
「おっ健二だ。うれしいな。またおなじクラスだね」
「うん。またやろうな」
べべ子の視線を注意しながら、こたえた。
「アカールのタケシか。楽しくなるね」
タンちゃんも言った。
アカールとは、あのタケシが持っているベーゴマの名前のこと。ローマ字のRマークに赤ペンキで色をつけたタケシのベーゴマは無敵なのだ。下屋小学校ではアカール伝説とまで言われている。
学校にはベーゴマを持ってこれないので、今日は画びょうをひっくり返したコマで勝負中だった。画びょうゴマにもタケシは「R」と書いているようだ。
見事画びょうゴマでも勝利したタケシが、教室中にひびくような大声をあげる。
「よおーし。ベーゴマ大会やろうぜ、オリンピック記念大会だ。オレのアカールに、みんなかかってこい!」
男子たちは大歓声だ。健二もうでをふりあげる。アカールにはなん個もベーゴマを持っていかれていた。ベーゴマ勝負は、負けると相手にコマをあげるのがルールだった。
健二は窓から新しい景色をながめた。はじめての三階の教室だ。見おろすコンクリートの校庭も小さく感じる。体育館の四角い屋根を見たのもはじめてだ。
屋根には、かれたコケが茶色くこびりついていた。それを見ていると、きのうのばんざいの木を思いだしてしまう。あざやかなきみどり色の傷が、健二の心をちくちくさせる。それなのに、新しい遊びの発見にもわくわくしていた。
健二の家にある鏡はふたつだった。玄関のかべかけと、母ちゃんの手鏡だ。
「こりゃアカール以上に手ごわいかもしれないぞ」
ゲンコツのあとをなでながら思った。
五年生最初の一日は、あっというまに下校の時間になる。帰りの校門で、健二とタンちゃんは目を合わせてうなずいてから、わかれた。
夕ぐれのとき。
「こらっ。またあんたは、なにをするんだい」
しずかな下町に、母ちゃんの声がひびきわたった。
三軒つながった長屋のまんなかが健二の家だ。うすい板かべとガラス窓から、となりのとなり、そのずっとさきにまで聞こえるような大声だ。
あやうく健二は、持っていた母ちゃんの手鏡を落とすところだった。
「まったく、すぐに兄ちゃんのまねをするんだから。いろけづくには、まだ早いよ」
母ちゃんがタンスの引きだしにカギをかける。鏡捕獲計画は失敗だ。
つぎの日、学校三階の教室の窓には、ごろんところがった野菜のような頭がふたつならんでいた。
野球グローブをかぶせたような頭のタンちゃんと、角がりにあこがれる天然パーマ頭の健二だ。ふたりは窓わくにアゴをのせて、ボーっと空をながめている。
「はああ」
健二が息をはくと、タンちゃんもため息だ。健二同様タンちゃんも、きのう姉さんの鏡をこっそり持ちだしたところで、ゲンコツを二発もらったのだった。どうすれば鏡をあつめられるか、ふたりはひりひりする頭で考えていた。
――パン、パン。
おしりをたたかれ、ふたりが顔をあげる。タケシだ。
「なんだ健二。母ちゃんにおこられたからって、そんなにしょぼくれんなって」
「そんなんじゃないよ」
きのうの母ちゃんの声は、ななめ向かいの阿部旅館のべべ子にも聞こえたのだろう。朝だっていうのに、すっかり一組中に知れわたっていた。
タケシがニカッと歯をだす。
「じゃ、あれだな。打倒アカールの秘策を考えてるんだろう。オレだって負けないからな、ガハハ」
きげんよくひとりで納得したタケシが、ベーゴマをまわすふりをする。行ってしまうと、タンちゃんがつぶやいた。
「タケシの頭のなかって、ベーゴマ星人だ」
「あはは」
健二もわらう。
「まったく、いつまでたっても男子って、そればっかり」
こんどはべべ子だ。健二の口がとんがる。
「べべ子。よくもきのうのこと、言いふらしてくれたな」
「あーら、わたしが言わなくたって、ご近所中に聞こえたわよ。いつものことじゃない」
健二はなにも言い返せない。タンちゃんはわらいをこらえるのに必死だ。べべ子はシラーッとよこをむいて、髪の毛に指をからめている。おとなの女の人のまねをしているようだ。
ここで健二に名案がひらめいた。
「べべ子、ガマの油って知ってるかい」
これはべべ子の性格なら、かならずこう言う。
「知ってるに決まってるじゃない。ぬり薬よ」
よし、あたりだ。ここからはまた健二のペースだった。すかさず言う。
「どうやってつくるんだろうね」
「ど、どうかしら」
いつもは物知り顔のべべ子が、はぐらかす。
「べべ子、鏡持ってるか」
「なによ、それ」
こうなったら、女の子のべべ子に協力してもらうしかない。このあと知りたがりのべべ子をさそうのは、かんたんだった。こんどの日曜日は、両大師橋に集合だ。




