第1話「駅の人と上野の子」②
§ 黒いおじさん
上野の地下通路は長く、そしてかなりいりくんでいた。こっちは探検をしたことがない。
健二はいくつもの階段をバラバラにおりたり、あがったりして逃げた。通路をぬけて、また階段をおりる。もうここがなん階なのかも、わからなくなっていた。
いったん立ち止まって、息をととのえる。古いコンクリートとタイルのカベに、健二の呼吸だけが反響していた。ほかになんの音もしない。ヘータイさんのツエの音も聞こえなかった。
「ハアアーー」
ほっとして深呼吸をする。
地下の空気は、自分がはいた空気をまた吸っているようで、なんかイヤな感じだ。
そう思うと、今背中をくっつけているカベも、じっとりとしめっぽい感じがしてくる。地面をほって、大きなコンクリートの箱をうめたような地下道だ。コンクリートのむこうがわの土に、じかに背中をくっつけているような気持ち悪さだった。
そのときだ。いきなりカベの切れ間から黒い手がでてきた。ものすごいちからで、健二はうでをつかまれた。
見つかった!
思ったのと同時に、ふとい声がした。
「こぞう。ここは子どもがひとりで来る場所じゃない。かくれんぼなら、上でやれ」
左うではつかまれたままだ。健二はジャンパーに首をすっこめた。つかまれている黒い手には、おや指がなかったからだ。
ゆっくり見あげると、するどい目が健二をまっすぐに見ている。
さっきのヘータイさんじゃない。けれど安心なんてできるはずがない。足のちからがぬけそうだ。こわさを重ねるように、黒い男の人がまた言った。
「返事はどうした。耳なしか」
健二のからだがまるくなる。なにか言わないと、手をはなしてもらえそうもない。息をはんぶん止めながら、ゆっくりとこたえた。
「ヘータイさんに追いかけられて、逃げてるうちに迷っちゃって。あの……おじさんの家だって知らなくて、勝手に入ってごめんなさい」
「はあ? オレの家だって。なんだそりゃ」
つかんでいた手のちからがゆるむ。健二のおしりが、ペシャリとタイルのゆかに落ちた。黒いおじさんは、わらっているようだ。
「だって、あんなにりっぱなイスがあるから」
おじさんのうしろを見ながら、健二が言う。
ここはまがり角だった。さきに行くと小さな食堂がならんでいる。今いるところはその入り口で、通路のわきにできた大きな行き止まりだった。
体育館の舞台を小さくしたような木の台の上には、モダンな西洋風のイスがふたつある。どちらもビロードみたいな緑色の布がはってあった。ほかにも、木箱やてぬぐいが見える。
「ここはオレの仕事場さ。くつみがき屋だ」
おじさんが言った。顔や手が黒かったのは、くつずみの色だった。
「りっぱなイスだね」
「あたぼうさ、お客さま用だからな。ニッポンをしょって立つ、ごりっぱな背広さんよ。さあ、子どもは上へけえれ」
「でも、ヘータイさんが……」
行き止まりからつづく階段をちらりと見る。もうすこし、ここでかくれていたい。
「けっ、ヘータイなんてケチなやつらさ」
さっきまでわらっていたおじさんが、はきすてるように言った。
そういえば、おじさんの手は四本指だった。そして、行き止まりへ歩いて行くうしろすがたは、片足をひきずっている。
健二は思った。
「もしかして、おじさんも傷痍軍人さんなの」
「その言いかたは、やめろ!」
せまいコンクリートの両カベに、おじさんの声がひびいた。健二はまた首をすっこめる。
「ごめんなさい。でもその指、戦争でなくしたんでしょ」
「ああシベリアでな。まったく、子どもってのは、なにも知らねえくせにペラペラとうるさいやつだぜ。だから地上のやつらに追いかけられるんだ」
またおこられた。戦争なんて知らない。健二が知っているのは、じいちゃんが死んだことだけ。
「ぼくのじいちゃんも、ジュンショクだって。列車といっしょに爆弾でふきとばされちゃったんだって、母ちゃんが言ってた」
「死ねてよかったじゃねえか。こんなからだで、はじをさらすよりかよ」
「よかないよ! 生きててくれれば会えたのに。いっしょに列車を見たり、お花見だってできたんだ」
これは健二がずっと心のなかにしまっておいたことだった。
まわりのおとなたちは、口をそろえて『おじいさんはえらかった』、『お国のためにはたらいた』と、死んだことをほめているようなことばかり言っていた。だから健二は思っていても、言えなかったのだ。
おじさんのするどい目がすこしゆるんだ気がした。そして健二に言う。
「いたかった、だろうな」
「えっ」
「ぼうずのじいさんだよ。指と片足やられただけでも、オレはものすごくいたかったもんだ。列車といっしょにふっとんだなら、さぞいたかっただろうよ」
「うん。きっとものすごく、いたかったんだ」
写真でしか見たことのない、じいちゃんの顔は、いつもわらっている。思いだしてから、健二は目の前の、黒くよごれた四本指の手を見た。
おじさんがすこしイヤそうに、木箱のなかへ手をつっこんだ。なかからボロ布とブラシを取りだす。
「四本指でも、くつはみがけるさ」
おじさんは人さし指となか指だけで、器用にブラシをよこにふった。健二は根元からでこぼこにちぎれた親指のあとに手をのばした。おじさんがびっくりする。
「こわくねえのか」
「うん。ちょっとこわい」
ほかの指も、両手でさわってみる。そして聞いた。
「すごく、いたかった?」
「ああ。泣いたさ」
それっきり、おじさんはなにも言わなかった。
すぐ手前の食堂から、会社づとめみたいな男の人がでて来た。高価そうな羊毛の背広を着ている。男の人は健二をよこ目で見ると、あのビロードのイスがおいてある台へとつづく、木箱の階段をのぼった。
どっかりとすわりこみ、大きく足を組む。慣れたように高い場所からおじさんへ言った。
「時間がない。いそいでくれ」
「へい」
それを合図に、おじさんが男の人の足元に立つ。
なげだした両足のかわぐつは、あまりよごれているようには見えなかった。それでもおじさんはブラシで汚れを落とし、くつずみをぬって布きれでみがきあげる。
なまあたたかくしめった地下で、おじさんのほっぺたにあせがながれていた。手でぬぐうと、くつずみがまたおじさんの顔を黒くよごした。健二はしばらくそれをながめていた。
「おいぼうず、もう上へ行け」
おじさんの声に、健二は息をのんだ。
せかすような言いかただった。
「早くしろ。その角をまがって、階段をふたつ上がると地上だ。あとはわかるだろ」
「う、うん」
走りかけて、おじさんをふり返った。
「おとなになったら、また来るね」
するとまた、おじさんの大声だ。
「来るんじゃねえ。それよりぼうずは、おやじさんのくつをみがけ」
すぐにおじさんは背広の男の人に『どうもすいません』と、小さく頭をさげる。男の人は本を読んでいた。
§ いろんな人の夕ぐれ
健二は地下道を走った。直角にまがった階段をあがったとき、小さな出口が見つかった。
正面には、公園の西郷さんが見える。やっと地上だ。
今まであたたかい地下にいたせいか、からだが寒さでブルルとふるえた。それでも外の空気は新しい。地下の動かない空気とは、くらべものにならないほどおいしかった。
つめたい空気で深呼吸をして、国鉄の上野駅へ歩いた。
もうとっくに特別列車は発車している時間だ。あきらめて、駅前をぬけて家へ帰ることにした。
すこし歩くと、さっきのテント村についた。夕方ちかくになって、さっきよりも人がふえたようだ。路上においてある大きな旅行かばんを飛びこえながら、健二はテント村を通りぬけた。
改札口の前を通ったとき、人ごみのなかでよけきれずに、だれかとぶつかってしまった。
「あっ、ごめんなさい」
そう言った健二の顔が、すぐにひきつる。
目の前にあったのは、右半分がただれ落ちた顔だったからだ。
あのヘータイさんだ。片方だけの目に見すえられて、健二の足はコンクリートのように動かない。
ヘータイさんがにやりとわらう。手でゲンコツをつくり、頭の上にふりあげてきた。健二は目をとじて、早口で言った。
「さっきはごめんなさい。べべ子が……ううん、あの女の子が言ったこと。でも気持ち悪いって思ったのは、ぼくもおなじで。あの、ごめんなさい。だからぶたないで」
健二が両手を頭の上にのせて背中をまるめた。目はぎゅっとつぶったままだ。
すこしの時間だけ、そのままの状態がつづいた。ゲンコツが落ちてこないので、そおっと目をひらく。
ヘータイさんの手は、健二の顔の前にあった。にぎりこぶしがゆっくりとひらく。手のひらにあったのは、おもちゃの飛行機だ。
いつもポケットに入れてある飛行機とおなじだった。健二はいそいでズボンのポケットに手をつっこんだ。
「ない。これ、ぼくのだ」
よく見ると、つばさのさきがかけているのもおなじだった。さっきべべ子がしがみついてきたときに、落ちたのかもしれない。ヘータイさんはひろってくれていたのだ。
はじめてヘータイさんがはなしはじめる。すこししわがれていて、聞きにくい声だった。
「飛行機、たいせつにな。わたしの友だちは、みんなこの飛行機で……いや。この飛行機が、大すきだったから」
とても大事な宝もののように、健二の手の上にのせてくれた。健二は父ちゃんの言ったことを思いだした。
『これは戦争で帰ってこなかった飛行機なんだ』
おまつりの縁日で、形がかっこいいからえらんだ健二に、父ちゃんがおしえてくれた。ヘータイさんは、これを返そうとして、追いかけてくれていた。
健二は飛行機をポケットにしまった。
「ひろってくれて、ありがとうございました」
お礼を言うと、ヘータイさんは木のツエをうしろにまわし、背中をむけた。
ズーーッコン、ズーーッコン。
足をひきずって歩いて行く。ハーモニカをふきはじめたようだった。ツエで拍子をあわせた、おかしな節まわしの曲がテント村のなかに消えて行った。
――カチカチ、カッチン。
――カルルルル。
また改札口の軽快なリズムが聞こえてきた。もうすぐ列車が来る。駅員さんがくるりと、ペンチをまわしている。
今日の夜行列車にのる人たちが、なん重もの列をつくって、改札口へと入って行った。手にはたくさんのおみやげぶくろと、ふろしき包みをかかえていた。
健二はポケットから飛行機をだして空にむける。
「鉄人二十二号連合軍だ。十万馬力光線はっしゃぁぁ! ガッキューン、ババババーー」
商店街にむかって走った。
「ガキューン、ガキューン」
自動車の空中橋の下をくぐり、へび屋にミサイルを発射する。お米屋さんの前で宇宙基地をつくって、健二と飛行機は家をめざした。
さいごの角をまがったところで、女子たちとのんきにゴムとびをしているべべ子を見つけた。
「べべ子星人発見、ミサイル発射」
女子たちのまんなかをかけぬける。のびたゴムがべべ子の足にからまった。
「もう、なにするのよ。健ちゃんのおばさんに言いつけるからね」
べべ子が髪の毛をぐしゃぐしゃにしておこっている。ほかの女子たちも、あっかんべーをしていた。
家の前の道路では、このあいだロウセキでかいた悪もの火星人が健二を待っている。
「ガキューン、ガキューン」
飛行機から十万馬力光線を発射した。
家のなかからは、母ちゃんの包丁の音が聞こえている。健二は夕ごはんのおかずを想像しながら、路地を走っていた。
第1話「駅の人と上野の子」おわり




