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第1話「駅の人と上野の子」①

 昭和三十八年も、あと十日で終わろうとしています。


 町がにぎやかなのは、年末のせいだけではありませんでした。

 来年はいよいよ東京オリンピックの年なのです。定食屋さんのすりガラスには、大きなポスターがはってありました。


 東京のあちこちでは、空中で自動車を走らせるコンクリートの橋を、大いそぎでつくっています。

 電車だって負けていません。夢の超特急ひかり号が、まもなく完成します。去年の試運転では、一時間に二五六キロメートルも走り、世界最高速度を記録したばかりでした。


 いつかマンガ雑誌で見た未来都市のようです。おとなも子どももわくわくしていました。それと同時に、なぜか『いそがなくちゃ』と、だれかにせかされているような、そんなソワソワした気分でもありました。


 ここは上野駅のすぐ近くの町です。

 駅前商店街や大衆酒場があつまるこの町は、一年でいちばんいそがしい十二月をむかえていました。


 お正月にふるさとへ帰る人たちが、東京みやげを買っています。町のさきにあるアメや横丁という大きな市場では、たくさんの家族づれやサラリーマンが、両手に持ちきれないほど、年末の買いものをしていました。たたき売りや呼びこみのがなり合戦が、一日中聞こえてきます。


 そんなおおぜいの人が行きかう通りも、ひとつ角をまがれば、ほそい路地へとつづいています。



第一話「駅の人と上野の子」


§ 路地裏から


――カッカッシュー、カッカ。

――カーカツカツ。


 おもて通りのにぎわいもとどかない路地で、ロウセキの音がひびいていた。ロウセキは白いチョークのように、石やコンクリートに絵がかける、不思議な石だ。

 コンクリート道路に健二がかいていたのは、へんてこな火星人の絵。松本健二は今、下屋小学校の四年生だ。


――カッカッシューコン。

 タコみたいな長い足をかくたびに、ロウセキの音がまわりのトタン屋根にこだまする。

 通りかかったリヤカーの車輪が、火星人の頭をふみそうになった。リヤカーとは、大きな木の箱にふたつの車輪がついた人力の荷車だ。


「おっと、ごめんよ」


 リヤカーを引っぱっていたおじいさんが、言いながら向きをかえる。はずみでカチャカチャと、金属がぶつかる音が荷台から聞こえたから、くずてつ屋さんのようだ。

 コンクリート道路にひざをついていた健二が、頭をあげる。


「悪ものだからいいんだ。これからぼくも火星人退治をするところだぞ。おじいさんとぼくとで、鉄人二十二号連合軍だ。ガキューーン」


 健二がズボンのポケットからおもちゃの飛行機をだす。おじいさんは小さな飛行機をかわしながら通り過ぎた。


「くずてつ屋さん、ちょいと」


 走りまわる健二のうしろから声がする。

まもなく模様ガラスの引き戸が開いて、健二の母ちゃんがでて来た。手にかかえているのは、おととい穴をあけてしまったなべだ。


「毎度どうも」


 おじいさんは言いながら、リヤカーから天びんばかりを取りだした。天びんの片ほうの皿になべを入れると、手ぎわよくめもりを合わせて重さをはかる。

 それを見た健二が、またズボンのポケットに手をつっこんだ。でてきたのは、四本の鉄クギだ。きのう、空き地で発見したばかりの、お宝だった。すぐにそれをお皿に入れる。

ぐらりと天びんがゆれて、おじいさんはまた目もりを合わせなおした。


 くずてつ屋さんとは、こうやっていらなくなった金物をお金にかえてくれる人なのだ。

 母ちゃんがお金をうけとる。あとで健二もおこづかいをもらうつもりだ。


「またよろしくな、鉄人連合軍のぼうず」


 おじいさんは健二をひとなですると、母ちゃんのなべと健二の鉄クギをリヤカーにのせた。リヤカーのなかは、そんな鉄くずでいっぱいだ。

 おもて通りへむかう路地には、小さなあかりがつきはじめている。夕ぐれの早い十二月の町は、あちらこちらから、夕ごはんのしたくのにおいがしていた。


§ テント村のできごと


 健二の父ちゃんは国鉄につとめている。国鉄とは鉄道会社のことで、のちにJRと呼ばれる会社の名前だ。


 じいちゃんも国鉄だった。けれど戦争中に爆弾をはこぶ途中で、列車といっしょにふきとばされて、亡くなってしまった。健二が生まれるずっと前のことだ。

 日本のために死んだジュンショクシャなのだと聞いているが、むずかしいことはわからない。


 戦争がおわって二十年がたとうとしているけれど、戦争中の悲しい話は、まだあちこちで語られている。それを忘れるために、みんな東京オリンピックを楽しみにしている気がした。


 十二月も二十八日になった。

 駅前には、ふるさとへ帰る人たちが集まりはじめていた。たくさんの東北地方行きの長距離列車がでて行くため、上野駅は北の玄関口とも呼ばれている。人びとは駅前にテント村をつくり、泊まりながら列車に乗る順番を待っていた。


『年末はぶっそうだから、駅には行っちゃいけないよ』


 母ちゃんにそう言われていたけれど、健二は今日も駅前にいた。

 空は灰色の重たい雲でおおわれていて、今にも雪がこぼれてきそうだ。健二はジャンパーのエリに首をひっこめる。そして、今年最後の特別列車をひと目見ようと待ちかまえていた。


――カチカチ、カッチン。カルルル。


 お客さんがキップをわたすと、駅員さんが黒いペンチで切れこみを入れてもどす。お客さんが来ないときも、楽器のようにペンチでリズムをきざんでいた。たまに人さし指でくるりとペンチを回すところは、かっこよくて、駅員さんは子どもたちのあこがれだった。


「あれ、ほんとうはペンチじゃなくて、改札鋏って言うのよ。駅によって切れ型が違うの」

 女の子の声がした。


 おなじ下屋小学校四年のべべ子だ。ほんとうは阿部尚子という名前だけど、みんなはべべ子と呼んでいる。


「へえ、そう」

 健二はわざとそっけなくこたえた。あまりいっしょにいたくないからだ。


 べべ子の家は、健二の家のななめ向かいで旅館をやっていた。べべ子は泊まったお客さんから、いろんな話を聞くのがすきな子どもだった。


「やっぱり旅館はもの知りだよな」

 早く追いかえそうと、べべ子が喜びそうなことを言った。これで満足して帰ってほしい。

 あんのじょう、べべ子はまっすぐに切りそろえた前髪をゆらして得意顔だ。ひとが知らないことを知っているのが、なによりもうれしい性格だから。


 けれど今日にかぎって、べべ子がねばる。

 あれこれ考えるのは面倒くさいので、健二は言った。


「年末はぶっそうだから、小学生がひとりで駅に来ちゃいけないんだぞ」

 母ちゃんのまねだ。


「なによ、自分だっておなじ四年生のくせに」

 すぐにきりかえされた。


 あきらめて、健二はテント村のほうへ歩きはじめた。あそこなら人がおおぜいいるから、べべ子から逃げられる、そう思ったからだ。


 健二には、べべ子にぜったいに知られたくない場所があった。駅の外から長距離列車の停車場が見えるカベのすきま。秘密の場所だ。早くそこへ行かないと、特別列車が発車してしまう。

 健二はふとんや毛布のなかを、ジグザグに歩いた。


 だんだん秘密の場所から、はなれてしまう。考えているうちに、テント村を通りぬけてしまった。


「キャーー!」

 べべ子のさけび声が聞こえたのは、そのときだ。


 びっくりする健二の背中に、ものすごいいきおいで、べべ子がしがみついてきた。

「健ちゃん、ヘータイさんよ。気持ち悪い、顔が半分とけてる」

「バカ、べべ子。指さすな」

 あわててべべ子の人さし指をはたき落とす。


 ふたりの前には、おうど色の軍服を着こみ、足にゲートルを巻いた軍人さんが立っていた。戦争中に傷をおい、からだの一部をうしなった傷痍軍人だ。


 その人の右半分の顔はヤケドのあとでただれ落ち、ゲートルを巻いているはずの右足のズボンは、ひらひらと風になびいていた。うしなった右足のかわりに、木のツエをついて立っていたのだ。


 こういう人のことをおとなたちは、お国のために傷ついたヘータイ(兵隊)さんなのだと、子どもたちにおしえていた。そう言われても、そのすがたはおそろしいから、子どもたちはヘータイさんを見ると逃げた。なるべく目をあわせないようにしていたほどだ。


 ヘータイさんたちは、傷ついた自分のすがたをさらし、なかには楽器をならしながら、人びとからのほどこしを受けていた。不自由なからだで仕事につくこともできないヘータイさんの前には、お金を入れるためのあき箱がおいてあった。けれど、それも戦争がおわってから、なん年かのあいだだけだった。


 町がどんどん新しくなってゆくなかで、最近はあまりヘータイさんを見ることもなくなっていた。

今でもおおぜいの人があつまる場所には、こうやって立っていたのだろう。年末の上野駅などは、ちょうどいい場所だったのかもしれない。


 健二のかげでべべ子が言う。

「気持ち悪い。健ちゃん、早く行こうよ」

「うん」

「ヘータイさんはずるいんだって、お父さんが言ってたもの。戦争をひきずってるつもりでも、ほんとうは働きたくないだけなんだって」

「バカ、聞こえるよ」


 ヤケドでただれたヘータイさんの顔が健二に向く。


「キャッ」

「ほら、聞こえちゃったんだ」


 おしゃべりべべ子が、恐怖のせいでわけのわからないことを言いだした。

「いっ…今は、超特急ひかり号なんだからね。今どき軍服なんてはやらないのよ」


 健二のからだがかたまる。なんてことを言うんだ。これもどこかのおとなが言っていたことのまねかもしれない。


 健二はヘータイさんに見えるように、おおげさに首をふった。けれどおそかった。


 言うだけ言って、べべ子がテント村のなかに逃げこんでしまったのだ。


「ぼ、ぼくが言ったんじゃないよ」

 あとずさりながら健二が言う。するとヘータイさんのひとつ目がカアッとひらいた。ものすごいいきおいで近づいて来る。


「うわぁ、たすけて」

 健二もかけだした。


 そのうしろを、片足とは思えないほどのはやさで、つかみかかってきた。

 あと一歩のところで健二がかわす。それでも木のツエをすばやく動かして、ヘータイさんは追いかけて来た。


 かなりおこっているみたいで、顔がまっ赤だ。

 ただれ落ちた右半分の顔色が変わっていないのが、よけいにこわい。


 もう特別列車どころではない。ちゃっかりさきに逃げたべべ子のかわりに、健二がヘータイさんに追いかけられるはめになってしまった。


「なんでぼくが」

 そう言っても、ツエの音は健二を追いかけて来る。健二は国鉄とは逆の地下鉄入り口に飛びこんだ。

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