第2話「春のガマ大作戦」②
§ ガマ作戦
日曜の朝、松本家はめずらしく家族四人そろっての朝ごはんだった。
国鉄につとめている父ちゃんは、仕事の時間が不規則で、ほとんど家族と食事をすることができない。今日は久しぶりにのんびりとお茶をすすっている。母ちゃんと兄ちゃんも、ゆっくりとごはんを食べていた。
健二は今日の作戦がばれないように、ゆっくりと納豆をかきまぜる。目だけがいそがしく動いていて、板の間のむこうの玄関と母ちゃんをかわりばんこに見ていた。
「ごちそうさま」
自分の茶わんを流し台へ入れる。湯のみ茶わんを片手に、父ちゃんが言った。
「日曜なのにいそがしいな。なにかあるのか」
「べ、べつに。いつもといっしょだよ」
これでもふつうにしていたつもりなのに、びっくりした。ごまかすように、水道の蛇口から水をながす。茶の間に背中をむけて、よこ目で玄関の鏡を確認した。
「ぼく、タンちゃんと約束があるから、もう行くね」
台所をでて、板の間を走る。
「やっぱりか。落ちつかないやつだなぁ」
「どうせまたお山よ。まったく、遊んでばっかりで、勉強もこれくらい熱心にやってくれるといいんだけどねえ」
父ちゃんと母ちゃんの声が、茶の間から聞こえてくる。兄ちゃんもまだ、ごはんが半分以上残っていたはずだ。今なら、だれも立ちあがらない。
健二はそおっと玄関のかべから鏡をはずした。だ円形の鏡をシャツのおなかにかくし、出発だ。
玄関をでたあと、いつもは開けっぱなしの引き戸をしずかに閉めた。
駅前商店街が観光客でにぎわうには、まだ早い時間だった。みやげもの屋のシャッターの前では、のら犬があくびをしている。
健二はほそい小路をぬけて、両大師橋へむかった。
橋のまんなかに立つと、大きな上野駅が見わたせる。長距離列車や寝台特急が、ゆったりとやすんでいた。その下にも、なまあたたかくて風のない地下の町がひろがっている。
小学校の方向を見ると、高速道路がすっぽりと小さな町をかくしていた。まるで巨大な屋根のようだった。
それを背景に、バケツをぶらさげたタンちゃんがやって来た。きのうふたりでつかまえたカエルだ。
不忍の池に行けば、いくらでもカエルはつかまえられた。そのなかで、いちばん強そうな茶色のカエルを選んだ。タンちゃんのうしろにはべべ子も見える。赤い手さげかばんを持っていた。
健二がシャツをめくると、太陽が鏡に反射した。タンちゃんも小さな鏡でこたえる。
あみだ堂のうらについた健二は、ばんざいの木を見あげた。左手のつけ根には、まだ手裏剣のあとがはっきりと残っている。
「だからあのとき、言ってあげたのに」
べべ子がまた、おとなのまねだ。
健二はさっそく玄関から持ってきた鏡をたてかける。べべ子も赤い手さげかばんのなかから鏡をだした。阿部旅館の名前が入った四角い鏡が二枚と、銀色の手鏡だ。
「これでどうするの」
べべ子の質問に、タンちゃんがバケツのフタを開けて言う。
「鏡でカエルをとりかこむんだよ、ねっ」
健二を見る。健二はべべ子の前でせきばらいをして、両手をひろげた。
「さあて、おたちあい――」
またあの口上だ。それを聞いているうちに、べべ子のほそい目がどんどん大きくなる。
「じょうだんじゃないわ。お気に入りの手鏡なのよ、ガマガエルをうつすなんて、いやよ」
キイキイ声のべべ子を引きとめる。なん度目かの問答のあと、手鏡はべべ子がずっとにぎったままの約束で、さわぎはおさまった。
健二とタンちゃんがなんとか持ちだした鏡と、べべ子の旅館の鏡で、土の上に鏡の囲いができあがった。タンちゃんはゆっくりと、きのうのカエルをまんなかにおろす。べべ子はお気に入りの手鏡を、しぶしぶフタのようにかぶせた。
すきまから、健二はカエルの様子を観察する。
「グルッ、ゲコ」
にぎりこぶしほどのカエルは、鏡のなかでひとなきした。鏡と鏡のむこうには、なん十なん百ものおなじカエルがうつっている。うしろ足を引きずるように歩いては止まり、またちょっと動いて鏡にぶつかる。
そしてすみのほうで動かなくなった。
「よし、くるぞ。これから油汗だ」
健二の声に、タンちゃんの目もくぎづけだ。べべ子もカエルをにらみつける。
三人はおにぎりのようにかたまってすわっていた。だれも口をきかない。やがてお寺には普段どおりのしずけさと、すずめの声がもどってきた。
どれくらい時間がたったのか。健二の足がしびれてきた。タンちゃんの顔も赤くなってきているようだ。
なのに、かんじんのカエルは、油汗ひとつもかいていなかった。それどころか、だんだんからだがかわいてきているみたいだった。べべ子が健二をジロリとにらんだときだ。
――カアーー。
――ンカアーー。
カラスがあみだ堂の屋根にとまった。おどろいたべべ子が声をあげる。それを合図に、カラスが大きな羽音をたてると、まわりのすずめたちも飛びたった。
しずかなお寺が、ひときわにぎやかになる。
その気配にカエルもおどろいて動きだした。ジャンプをして、べべ子の手鏡にぶつかったのだ。
「キャーーッ」
にぎやかなお寺の庭に、べべ子のキイキイ声も加わった。たまらずタンちゃんが耳をふさぐ。
べべ子がその場で足ぶみをはじめた。そのすきにカエルはもういちど脱出ジャンプだ。
「逃げた。つかまえなきゃ」
タンちゃんがカエルとびで追いかける。健二は正面へ走りこんだ。カエルがもういちどジャンプしたとき、つかまえた。
「やったぞ、逃がすもんか」
カエルが手のなかでブガブガもがく。まだ足ぶみをしているべべ子に、カエルのおしっこが飛んだ。
「ンギャアアアーー!」
べべ子が気のくるいそうな声をあげている。おかまいなしに、タンちゃんが健二とカエルに近づいた。
「油汗、かいてるの?」
「わからない。でも、せっかくいいところまでいってたんだ、ちょっとくらいかいてるかもよ。よし、こうなったら」
健二はばんざいの木に走った。
カエルをひっくり返して、手裏剣の傷にあてる。背中をおしつけられたカエルは、四本の足をめちゃくちゃに動かしていた。白いおなかもふくらんで、今にも油汗がでてきそうなかっこうだ。
「いいぞ、いいぞ。その調子だ」
タンちゃんが言ったとき、住職さんの声が飛ぶ。
「こらっ、また殺生か! イチョウのつぎはカエルとは、あきれたイタズラこぞうだぞ。やめなさい」
ぴたりと三人の動きが止まる。
「違うよ、木に薬をぬってるんだ。ガマの油だよ、四六のガマだ」
健二が言い返す。
「ほほう」
住職さんの声色が変わった。
タンちゃんはからだをまるめて、健二を見ている。健二はまだ、ばんざいの木から動かなかった。
「まずは、そのカエルをはなしてやるんじゃ。ほれ、ぐったりしておるぞ」
カエルはダラリと手足をのばしきっていた。
バケツのなかにカエルをもどす。いそいでタンちゃんがフタをしめた。べべ子がそおっとうしろをむく、しのび足で逃げるようだ。けれど、住職さんの声が、べべ子の知りたがりの性格をくすぐった。
「四六のガマはな、伝説のガマじゃよ。指が前足に四本、うしろ足に六本もあって、特別なちからを持っておる。それで四六のガマというわけだな」
健二がおどろく。そんなカエル、いるはずがない。
「ガマの油は、うそなのか」
ちらりとばんざいの木を見る。それに住職さんが気づいた。
「イチョウならだいじょうぶじゃ。ちゃんと自分でなおす薬を持っとるからな」
そういえば、このあいだはきみどり色だった傷が、今はすこしはだ色っぽくもどったように見える。
「それとも、ガマの油がきいたのかの」
「うそっ」
住職さんのひとことに、べべ子がかけよる。住職さんは、しわしわの口を大きく開けてわらった。
「伝説のガマだからの。あるいは、このあたりにもばけておるかもな。ふぁっはっは」
しょんぼりと健二が言う。
「もうばんざいの木にイタズラしないよ」
「はて、わたしはずっと、このイチョウはさか立ちの木だと思っておったが、ばんざいとはいいのお」
「うん」
やっと元気に健二がこたえた。
「さあ三人には、あみだ堂の草むしりをしてもらおうかの」
住職さんが言う。
「うえーー」
健二たちの声がそろった。住職さんはばんざいの木をなでている。
「なにを言っとる。この木を傷つけ、寺のなかでカエルをいじめた仕置きじゃ」
口をぽかんと開けっぱなしなのは、べべ子だった。その前を、住職さんは平然と本堂にむかって歩いて行った。べべ子が健二をにらむ。
ものすごく、なにか言いたそうな顔だ。べべ子にまでお説教をされないうちに、健二とタンちゃんはあわてて草をむしりはじめた。
§ 今日も公園で
草むしりのあと、住職さんがお茶をごちそうしてくれた。ガマの油についてもはなしてくれた。
昔の人が、川辺にしげるガマの穂を薬がわりにつかっていたこと。漢方薬にはカエルやトカゲの干物もあること。もしかしたら、ほんとうに四六のガマの油もあるかもしれない。など、いろんな話がごちゃまぜになって伝えられているらしい。
それから筑波地方のみやげもの屋には、ほんとうに四六のガマのお守りやキーホルダーが売られていることまで教えてくれた。これには、べべ子も興味がわいていたようだった。
お寺の門をでるとき、べべ子が言った。
「今日のことはナイショにしてあげる。わたしまでお寺でお仕置きされたなんて、はずかしいもの」
さあ、おしゃべりべべ子のナイショなんて、信用できるのだろうか。健二はにがわらいだ。あたりは、ほりかえされた土のにおいでいっぱいだった。
べべ子とわかれたあと、健二とタンちゃんは不忍の池にむかった。
池に到着すると、あたりを見まわしてからバケツをおろした。タンちゃんの手をはなれたカエルは、しばらく水のなかで動かない。健二が指でつつくと、いそいではすの葉まで泳ぎはじめた。
健二がポケットからベーゴマをだした。タンちゃんもうなずく。
「オリンピックでいそがしいのは、おとなばっかりじゃないぞ」
はりきって立ちあがったはずみで、健二のひざから鏡がすべった。
「ああーっ」
ふたりが言ったのと同時に、鏡は池のなかへしずんでしまった。健二がいそいで池に入る。
「見つけないと、また母ちゃんのゲンコツだ。おこづかいぬきだよ」
なさけない声で言った。タンちゃんが池のふちにすわる。
「子どもは遊びと、ゲンコツ山のほととぎすで、大いそがしだね」
「うへへ」
すっかり観光客だらけの上野公園に、健二の声がこだました。今日もどこからか、東京音頭の手拍子が聞こえていた。
第2話「春のガマ大作戦」おわり




