第6話「正義の味方参上」②
§ 目標発見
ほかけ舟は、交差点をまがるたびに、その角のへいや垣根のふちに、小石をのせて置いておくのが、決まりだった。
それを追いかける隊員は、舟を回収しながら進むのも、ふたりで決めたルールだ。そうすれば、案内をした隊員にも、うしろの隊員がどこまで進んで来ているのかが、わかるしくみだ。
スパイブームのとき、こうやってついせきごっこをして遊んでいた。ナイショの特訓のひとつだ。
実践でつかうのは、はじめてだったけれど、タンちゃんはちゃんと健二を案内してくれた。
ふたりの隊員とべべ子が再会したのは、アメや横丁をぬけ、また駅方向にむかうとちゅうの路地裏だった。
「タンちゃん隊員」
健二がそっと声をかける。ふり返ったタンちゃんの顔が、ほっとしたのがわかった。べべ子はびっくり顔だ。健二が言う。
「目標に、まちがいないか」
「うん。べべ子が確認した。さっき目標がアメ横の自動販売機で立ち止まったときだよ。しっかりと顔を見たんだ、ね。べべ子」
「まちがいないわ」
「よし。それで、いまはどこにいるの」
タンちゃんが前方の空き地へ、指をさす。見ると、つみあげているビール用の木箱にこしかけて、男がジュースをのんでいた。ふといまゆげが、ここからでも見える。緑色のジャンパーも着ていた。健二がうなずく。
「うん、あいつだ。それで、ここまでのとちゅうで、だれかと会ったり、はなしたりしてたかい」
「ううん。ずっとひとりだったよ。あちこちジグザグに歩いてさ、けっきょくまた駅の近くにもどって来たんだ」
「スリだからよ。用心深いの」
べべ子が言う。
さて、これからどうしたらいいものか。健二とタンちゃんが、頭を動かす。べべ子は飛びだしたくてしょうがないように見えた。もういちど健二が言う。
「べべ子、まだダメだぞ。ここでスリの待ち合わせかもしれない。もうすこし待って、ひとりだってわかってから、声をかけるんだ」
「いつまで待つのよ」
「そうだな。どうやらあいつは、この町にいるみたいだし、顔もはっきり見た。もっと作戦をたてて、明日確実につかまえるって手もある」
健二は安全確実な提案をした。
「いやよ」
「だめだよ」
べべ子だけでなく、タンちゃんからも声があがった。
健二がタンちゃんのほうを見る。なぜかタンちゃんは、にこにこしていた。
「だめなんだ。明日はおおみそかでしょ、うちの神社はいちばんいそがしくてね」
それは毎年のことなので、健二にもわかっている。けれど、それはおとながいそがしいだけで、タンちゃんはいつも健二と遊んでいたはずだ。
タンちゃんが言いはじめた。
「ぼくね、今年は神社の火の番をまかされたんだ」
「火の番?」
「うん。おおみそかからお正月まで、ずっと神社では火をたくんだよ。みんなをあたためる火だけじゃなくて、夜はかがり火もね。灰や炭をかたづけたり、たき木をつぎたしたりしてさ、ひとばんじゅう、火を消さないんだ。明るくて、あたたかくて、参拝に来る人たちのためには、大事な役目なの」
健二も知っている。神社で、おふだのおたきあげの火であたたまりながら、おしるこを食べると、からだじゅうがぽかぽかになった。
それをタンちゃんが番をするなんて、びっくりだ。
「えへへ。とは言っても、ぼくはまだ子どもだし、はじめての火の番だからね。いとこのお兄さんたちと、いっしょにやるんだ」
わくわくがいっぱいの顔だ。
べべ子もはなす。
「すごいじゃない。そうやって覚えて、タンちゃんも神社の子どもらしくなるのね」
「そんなあ、まださきのことだよ」
タンちゃんとべべ子の会話に、健二は入れなかった。
どうしてだか、わからない。ついでに頭のなかがソワソワしてきた。頭をかきむしってから、ふたりの話に割って入った。
「それなら、今日じゅうに目標をつかまえて、べべ子の鏡を取り返すまでだ」
声が強くなる。
「うわあ、さっきまでの『安全に』は、どこへ行っちゃったのさ」
タンちゃんが頭つきでこたえた。
それを待っていたみたいに、まゆげ男が空き地をでて、歩きはじめるのが見えた。
三人は、ゆっくりとあとを追いはじめた。
このまま行くと、駅前にもどってしまう道だった。またスリをするのか。どちらにしても、あんなに人だらけの場所に行かれては、また見うしなってしまいそうだ。
相談した結果、この路地ではさみうちにすることにした。
べべ子とタンちゃんが男の前で声をかけ、うしろに健二がのこって道をふさぐ作戦だ。
タンちゃんたちが足をはやめて、まゆげ男を追いぬいた。男は口ぶえをふいていた。
それがカチンときたのか、べべ子がすぐに立ち止まり、まゆげ男の前で仁王立ちになってしまった。気づいたタンちゃんが、あわててべべ子にならぶ。うしろで見ていた健二が頭をかかえた。
「ああ、べべ子のバカ」
小声でうなった。相手をしげきしないように、ゆっくりと声をかけるはずだった。
タンちゃんがべべ子のうでを引っぱる。それをふりほどいて、べべ子がまゆげ男の顔を、まっすぐににらんだ。
そしてひとこと。
「あなた、スリでしょ」
健二がずっこける。
タンちゃんも泣きそうな顔だ。
さらにべべ子が言う。
「わたしの手鏡を返してください。わかっているのよ、あなたが駅前でぬすんだの」
まゆげ男が口ぶえをやめた。つながりそうなまゆげをななめに動かして、べべ子の顔に自分の顔を近づける。開いた口からは、タバコのヤニで黄色くなった前歯が見えていた。
「おじょうちゃん、なにを言ってるのかなあ。証拠はあるのかい」
「あるわ。あなたとぶつかる前までは、ポケットのなかにあったもの。わたしが証拠よ、目げき者よ」
「はあああ~?」
まゆげ男が右手をポケットに入れる。左手では、さっきのみ終えたジュースのびんをぶらぶらさせていた。足がへんなリズムをとって、からだごとでおどしているように見えた。
これ以上ほおっておくと、べべ子とタンちゃんが危険だ。ゆっくりと健二が近づく。
それを確認してから、タンちゃんがまゆげ男にはなしかけた。
「ほかのものはいらないもん。鏡だけ返して」
すると男が、自分のジャンパーをひっくり返して言った。
「そんなもの。ありませーん。善良な国民に、失礼なことを言わないでくださーい」
おとなのくせに、ふざけているような言いかただ。べべ子が前にでる。
「おねがい、返して。いとこのお姉さんにもらった、大切な鏡なの」
「だーかーらー、知りませー……」
ここで健二がつかみかかった。
からだ全部をおもりのようにして、男のベルトあたりにぶらさがる。
「なんだこいつ。はなせ」
まゆげ男が、からだをよじる。そのすきに、健二がさけんだ。
「いまだタンちゃん。目標のジャンパーのポケットを調べろ」
「うん」
タンちゃんが緑色のジャンパーをつかむ。べべ子もつづいた。まゆげ男はあばれて、大声をあげている。
「こんなことをして、ただじゃすまないぞっ」
タンちゃんも声をだす。
「ない。なにもないよ」
まゆげ男が健二をふりほどいた。そして、手にぶらさげていたびんを、おもいっきりコンクリート地面にたたきつけた。
――ガシャーン!!
くだけたガラスへんが、四方に飛びちる。あわてて三人がはなれた。男は、健二をにらんでいた。
「いいかげんにしろよ。ほら、いったいどこに、なにがあるってんだい」
ジャンパーを両手で左右に開いてすごまれた。スリは取ったものは、すぐどこかへかくすか、なかまにわたすものだと聞いたことがあった。健二もまけずに大声をだす。
「かくしたのに決まってる。返せよ、ドロボー」
「うるさい。どけ!」
健二がよこにたおされた。そのすきにまゆげ男が走りだす。こんどは駅とは反対方向だ。
「待て」
健二がよろけながらも、声をだす。と、そのすきにべべ子が走った。
「べべ子!」
「まったくもう」
ふたりもあとを追った。
§ 公園の対決
まゆげ男は、たまにうしろをふり返りながら走っていた。路地をメチャクチャにまがり、ときにはお店のなかを通りぬけて、逆側の道へでた。
けれどこっちも路地裏のベテランだ。あちこちではさみうちをして、まゆげ男をあせらせていた。べべ子が言う。
「こんなふうに逃げることが、あやしいのよ。自分は悪ものですって、言ってるみたいじゃない」
「さすがべべ子。ブルーインパルス隊の指令ぐんそうだ」
タンちゃんが調子のいいことを言っている。べべ子がいやそうな目で頭をふった。
「あなたたちと、いっしょにしないで」
そして転倒。
「ぐんそう!」
タンちゃんもつまずきそうになった。健二が言う。
「タンちゃんは、べべ子をたのむ。ぼくはこのまま、ついせきするから」
「わかった」
こたえたタンちゃんの声は、もう遠くなっていた。健二は走りつづけた。
それを見たまゆげ男の顔が、すこしにやけたようだった。追いかけているのが、健二ひとりになって、わらっているのかもしれなかった。
男は上野公園方面に走っていた。角をまがる前、健二がタンちゃんをふり返る。タンちゃんがにぎりこぶしを空にむけたのが、小さく見えた。健二もおなじく手をあげた。
まゆげ男が逃げこんだのは、公園のお山側だった。ここにも人があつまっていた。通路に露店がならび、おいしそうなにおいと、いまだにオリンピックの歌がながれている。
そこの人たちにぶつかりながら、まゆげ男が走るので、あちこちで声があがっていた。いそいで追いつかないと、見うしなってしまいそうだ。
人のすくないほうへ、追いこみたい。足もつかれてきて、そろそろまずい状態だった。
健二はまた作戦を考えついた。おもいっきり息をすいこみ、大声をだす。
「その人、スリだよ。ドロボーだ!」
まゆげ男を指さしながら言った。それに反応して、歩く人がキャーと言っているのが聞こえる。男につかみかかろうとする人もいたが、すべてはりたおして、まゆげ男は走りつづけていた。やがて露店の裏にまわり、人のあまりいないほうへと進路を変えた。
作戦は成功だ。
まゆげ男は、手入れのされていないしげみをかきわけ、植こみのなかを走っていた。公園の全部が遊び場の健二には、この小山をのぼったさきに、お池があることを知っている。行き止まりだ。
「もう逃げられないよ」
まゆげ男に言った。すると急に男が立ち止まった。もうすこしでぶつかりそうなところで、健二も止まる。
まゆげ男の息が、ハアハアと音をだしていた。両手を自分のひざにあてて、からだをおりまげているが、目は健二をにらんだままだ。まばたきもしていない。
健二はすこしうしろにさがって、まゆげ男との間をとる。とたんに、男がつかみかかってきた。
健二のシャツを右手でしめあげ、うでをつかまれた。健二の足が地面からはなれる。あっというまのできごとだ。そして男がひくい声で言った。
「こぞう。さっきは、よくもでたらめなことを言ってくれたな」
「でたらめじゃない。べべ子の鏡を返せ」
「持ってなかったろうが。証拠もなしに、おとなを犯人あつかいするな」
「証拠はべべ子だ。さっき、そう言ってた」
「はあ?」
まゆげ男の声が、ひときわ大きくなる。わざと顔を近づけて、からだも、にじりよって来た。すかさず健二がキックだ。
「いてっ」
声をだして男がよろけた。それでも健二をつかんだ手は、はなさない。そこへもういちどひざをめがけてキックした。
こんどはまゆげ男が、うしろへたおれる。つかまれていた健二も、いっしょに植えこみのなかへころがった。
そこで男の反撃だ。
健二の肩と背中をつかみ、おもいっきり地面におしあてられた。口のなかに植えこみの土が入りそうになって、よこに首をひねる。健二はそのままひざをおりまげ、守りの姿勢をとった。
まゆげ男がまた健二を持ちあげた。
「これでわかったか。おとなをからかうと、いたい思いをするんだ」
「わかるもんか、悪ものめ」
まけずに言ったので、頭めがけてパンチが飛んできた。
ふっとんだ健二が、小山をころがって行く。止まったのは、池の手前だ。さくにひっかかった。
まゆげ男も坂をおりて来る、また健二につかみかかった。健二は手足をひっこめてまるまった。その背中を男につかまれる。
健二はもう泣きそうだった。
いそいで走ってきたから、タンちゃんを案内するはずの、ほかけ舟もつかってない。
また背中をけられた。
健二はひっこめていた手をだして、頭を守る。ちらりと左手首の腕時計が見えた。あせとドロでよごれている。
健二はそこに口をあてた。
「通信、通信。応答せよ、応答せよ」
それを見たまゆげ男がわらう。
「なんだそれ。ニセもの時計じゃないか」
「応答せよ。タンちゃん、ぼくはここだよ」
健二がアンテナボタンをおして、はなしかける。
そのとき、空のなかから声がした。
「りょうかい! SOS受信」
グローブ頭が、まゆげ男の背中につっこんだ。タンちゃんの必殺頭つきだ。
「タンちゃん!」
健二が背中をのばした。小山の上には、べべ子のすがたも見えた。
たおれていたまゆげ男が立ちあがり、こんどはタンちゃんにつかみかかる。健二もいそいで立ちあがって、うしろから男のうでを引っぱった。まゆげ男が声をあらげた。
「またおまえか。しつこいぞ、はなせ」
「はなさない。返せ」
タンちゃんも足をつかむ。バランスをくずした男が、またたおれた。うでと足をふたりにつかまれて、地面でからだをよじっている。
だからかもしれない。まゆげ男のズボンがずれてきた。
足をつかんでいたはずのタンちゃんが、男からはなれてゆく。男も気づいた。
「こら、おまえ。なにをする。はなせ、ズボンをはなせ。こら」
すでに男のパンツはまる見えだ。
「うわあー。ちくしょう、このやろう」
男の右手がズボンを引っぱった。左うでは健二がつかんだままだ。そしてバランスをくずして、さくのあいだをぬけてしまった。
「あっ」
――ボッチャーン。
まゆげ男だけが、池に落ちた。
すぐに大声をだす。
「うわぁ、冷たい。たすけてくれ」
音をたてて水面をたたいている。健二とタンちゃんは、さくにつかまったままだ。
「たすけろ。こごえ死にさせる気か」
からだじゅうを動かして、まゆげ男がさけんでいた。このあたりは、健二でも足がつくほど、水の浅い場所だ。
健二のよこから、男の人の声がした。
「ヤレヤレ、年の瀬に寒中水泳か。命知らずにも、ほどがある」
その人は片手でさくをつかんで、もう片ほうの手を、まゆげ男の前にさしだした。
「ほれ、つかまれ。ゆっくりなら、からだを動かせる」
「たすかったぜ」
手をにぎろうとしたまゆげ男の手が、いっしゅん止まった。
さしだされた手には、親指がなかったのだ。まるでちぎれたような、ぶかっこうな手だった。その人が、もういちど手をのばして言う。
「つかまれ。こごえ死にたいか」
池の半分には、氷がはっていた。からだが冷えて、もう自分では足もうごかせないみたいだった。
まゆげ男は手をつかまれて、池から脱出した。そして、健二たちを見つけると、また大声だ。
「おまえら、ぜったいにゆるさねえ」
とびかかろうとしたまゆげ男の肩を、さっきの人がつかむ。
「なんのさわぎだい。大のおとなが、パンツまるだしじゃないか。それも、氷の池で遊んでるときた」
それでタンちゃんが声をだした。
「遊んでなんか、ないやい。悪ものだもん」
「なんだって」
ズボンをはきながら、まゆげ男があわててわらう。
「いや違いますって。ただの、ごっこ遊びよ」
ギロリと健二たちをにらむ。健二は大声をだしたい気持ちをのみこんで、ゆっくりはなしはじめた。
「あんたは悪ものだ。だから、あんたが池に落ちたとき、ざまあみろっておもった」
もしかしたら、目の前で人が死んでしまうところだったかもしれない。それがいまになってわかって、だんだんこわくなってきたのだ。
「だからごめんなさい。そのことだけは、あやまる。でも、ほかはべつだ」
まゆげ男をつかんでいた人が、健二の顔を見た。それからもういちど男に目をむけて、「ほほう」と声をだした。そのあとにも、なにか言いたそうだったが、さきにまゆげ男が口をはさんだ。
「あ、あやまればいいんだよ。じゃあな、オレは行くぜ」
つかまれていたうでをふりほどく。健二はまだまゆげ男を見ていた。そこでやっと男がふり返った。
「わかった、わかったよ。空き地の木箱のなかさ。とは言っても、こんな広い上野さ。空き地なんて、ごまんとあるぜ。さがせるもんなら、持っていきな」
言い終わらないうちに、走って行ってしまった。のこった男の人が健二に聞く。
「いいのか」
「うん。場所ならわかる。たぶん、あそこだ」
タンちゃんもうなずいた。べべ子も近くによってきて、三人で男の人に頭をさげた。それから健二が言った。
「おじさん、だよね。地下でくつをみがいていた、黒いおじさんだ」
おじさんがふしぎそうな顔をする。
「ぼくだよ。去年、ヘータイさんに追いかけられて、迷っておじさんのところへ行った」
「おお、あのときのぼうずか」
やっとおじさんがわらった。健二の頭を、ぐしゃりとなでる。
「たくましいな、あっというまに大きくなるぞ」
「そしたら、おじさんのところで、くつをみがいてもらうんだ」
「来るなと言ったはずだ。それに、あのときの約束、おやじさんのくつは、みがいているか」
「あ、それは……」
言葉につまる。そんな約束は、すっかりわすれていた。
「それにな」
おじさんがつづける。
「もうくつみがきは、しまいにしたのさ。東京オリンピックのころよ。地下街のテレビで、ひさしぶりに日の丸を見てな。戦争をしてたもんどうしが、スポーツってやつをやってるじゃないか。それを見ておもったね。オレも地上にでて、青空の下ではたらこうってな」
「うん。東京オリンピックはすごかったよ。ブルーインパルス隊も、かっこよかった」
「ああそうだな。ぼうずも、かっこいいおとなになれ。じゃあな」
おじさんのうしろすがたは、まっすぐに空をむいていた。
地下であいそわらいをしていた人とは、べつじんのようだった。顔はもう黒くない。でも手はよごれたままで、土とセメントがこびりついていた。太陽のにおいがしそうな手のひらだった。
§ べべ子の秘密
健二たちは、まゆげ男がジュースをのんでいた空き地に行った。
すみにつんであるビールの木箱を、いくつかひっくり返したら、べべ子の手鏡がでてきた。ほかにも、だれかのサイフや腕時計もある。
べべ子がすぐに手鏡をひろいあげた。ていねいにハンカチでふいてから、自分の顔をうつしていた。タンちゃんがたくさんのサイフを見て、健二に言う。
「どうするの、これ」
「ああ。返してあげたいけど、交番には行けないんだろ」
べべ子にむかって言った。べべ子は聞こえないふりで鏡をみていたが、そんなのはムリだ。健二がくいつく。
「つぎはべべ子の番だ。ぼくたち、ものすごく大変だったんだぞ」
「そうだよ、正義の味方だって、つかれるんだ」
タンちゃんも言った。鏡にべべ子のいやそうな顔がうつる。やっと口が動いた。
「こんどね、大すきないとこのお姉さんが、結婚するの。この手鏡は、そのお姉さんにもらったものよ。わたしが小学校に入学したときかしら」
べべ子はそっぽをむきながら、はなしつづける。
いとこのお姉さんは、とても美人さんで、べべ子のあこがれの人だった。手鏡をくれたとき、お姉さんがべべ子に言った。
『女の子はね、鏡を見るたびに、きれいになっていくのよ。一回ずつ、ほんのすこしずつだけど、かならずね。だから鏡をのぞくときは、いつもいちばんいい顔をうつしてあげてね』
そして自分がつかっていた銀の手鏡をプレゼントしてくれた。
その日からべべ子は毎日、いちばんの笑顔で鏡をのぞいていた。お姉さんみたいに、美人ですてきなおとなになれると信じていたから。
「なのに」
よこをむいていたべべ子の顔が、健二を見る。
「それなのに、健ちゃんのせいで、ガマガエルよ」
「なんだよ。ぼく知らない」
「とぼけないで。大事な鏡にガマガエルをうつしただけじゃなく、カエルがジャンプして、ぶつかってきたじゃない」
どうやら、春のガマ作戦のときのことのようだ。健二も、あっと声をだした。
あれ以来、べべ子はこの鏡を見ると、自分の顔の前にガマガエルの顔もいっしょに見えるようになってしまった。そして見るのをやめたそうだ。
なんヵ月も鏡をしまいっぱなしにしていたべべ子のところに、お姉さんがたずねて来たのは、この冬休みがはじまったころ。結婚が決まった報告と、お相手さんをつれて、べべ子のおじさんたちのところへ、あいさつに来てくれた。
べべ子はガマガエルのことを、泣きながら言ったそうだ。するとお姉さんが、べべ子といっしょに鏡をのぞいてくれた。
『ほら見て。鏡も尚子ちゃんのことが、すきなのね。だってわたしよりも、尚子ちゃんのほうがすてきにうつしてくれているわ。このまましまいっぱなしでは、かわいそうよ。いままでのぶんも、もっとわらいかけてあげなくちゃ』
このとき鏡には、べべ子とお姉さんしかうつっていなかった。
『カエルがいない』
べべ子が言うと、鏡のなかのお姉さんが楽しそうな顔になった。
『カエルが住んでたなんて、楽しいじゃない。またいつか、会いにくるかもよ。きっとこれからの尚子ちゃんを、わらわせてくれるわ』
いつのまにか、鏡のなかのべべ子もわらっていた。
「女って、めんどうくさいな」
健二がひとことで、かたづけた。
うっとり顔だったべべ子のほっぺたが、赤くふくらむ。
「うるさいわね。やばん人の男子には、わからないのよ」
「やんば星人?」
「宇宙人か」
タンちゃんも言い返す。べべ子が木箱をたたいた。わざと大きなため息をついて、立ちあがる。空き地をでて行こうとしたから、健二が言った。
「こらべべ子、だまされないぞ。いまの話、交番とぜんぜん関係ないじゃないか。どこ行くのさ」
今日の健二隊員はさえていた。
背中をむけていたべべ子が、肩を動かす。それからまた、もどって来て言った。
「今日、わたしが易者のところに行ったことは、だれにもナイショなの、お父さんとお母さんにもね。なのに、交番に行ったら、ぜんぶバレてしまうじゃない」
「えきしゃ? なんだそれ」
「地下街の占いのおばさんのことよ」
「あの魔女か」
タンちゃんが目をかがやかせる。べべ子はまた頭をふった。そして、いきなりはなしはじめた。
「だから、だれにもバレないように、遠回りして地下まで行ったの。ちゃんとお金も持って行ったわ。なのに、子どもからお代はとらないって言って、いきなりわたしの手相を見ようとしたのよ。失礼しちゃうわ、わたしだって立派なお客なのに。そしたら、仕事の手伝いをすれば、賃金のかわりに占ってくれるって言ったの。だから、ビラをくばって・い・ま・し・た。もんくある?」
まるで聞きとってほしくないような、早口ことばだ。
健二の耳のなかで、まだべべ子のキイキイ声がひびいていた。ごくりとつばをのみこんだら、耳がかゆくなった。やっとのおもいで健二が言う。
「べつに、ナイショにすることないのに」
「いいの。ごっこ遊びばっかりのお子さまには、わからないでしょうね」
「なんだそれ」
「いそぐから。わたしはこれで、失礼するわ。ビラをほとんどくばれなかったこと、地下に行ってあやまらないといけないから」
べべ子が空き地をでて行った。
さいごに大あらしのような声をあびせられて、健二とタンちゃんはぐったりだ。そのまま木箱にすわりこむ。
するとまたべべ子がもどって来た。
健二たちが背中をのばす。こんどのべべ子はキイキイ声じゃなく、けれど早口はかわらずで。
「ふたりのおかげで、宝ものがもどってきました。ブルーインパルス隊のみなさん、ありがとうございました」
こう言ってぺこりと頭をさげ、そのまま走って行ってしまった。
いっしゅんのしずかな時間のあと、健二とタンちゃんが顔を合わせる。それから大きな声でわらった。手でおなかをかかえて、それでもたりなくて、足もバタバタさせた。からだじゅうで、大わらいだ。
ひとしきりわらったあと、健二がゆっくり言った。
「タンちゃん、さっきは助けてくれて、ありがとう。ほんとうは、ものすごくこわかったし、いたかった。そしたら、これでタンちゃんを呼んでたんだ」
腕時計型トランシーバーを前にだす。
タンちゃんもおなじポーズをして言った。
「わかれたとき、空にむかって手をグーにしたもんね。あれは、また会おうの合図だもん」
「うん」
「だから健ちゃんのSOSが聞こえた。ブルーインパルス隊員は、ふたりでひとつだからね」
「うん。つぎは、ぼくが助けに行く」
「つぎもぼくだよ」
「ぼくだ」
ふたりがまたわらった。
同時におなかもなる。
「いけね。お昼ごはんの時間、わすれてた。母ちゃんがカンカンだぞ」
健二は立ちあがり、木箱のなかにサイフや腕時計をもどした。タンちゃんが聞く。
「どうするの」
「うん。いつか交番にとどけようとおもう。そのときは、タンちゃんもいっしょだよ」
「それまでに、あのまゆげのスリが、持って行っちゃうかもよ」
「だいじょうぶさ。いちどバレた基地には、にどともどらない。スパイの常識だよ」
「そうだね」
「……それからさ」
健二がタンちゃんの前に立つ。
「あしたの、神社の火の番、がんばってね。ぼくもこんどの元旦は、父ちゃんと初もうでに行けることになったんだ」
「ほんとう? それなら健ちゃんも楽しみだね」
「うん。タンちゃんががんばっているところ、見に行くよ」
「わあ、どうしよう。へまできないね」
「そうさ」
「待ってるね」
ソワソワしていた健二の頭のなかが、やっとしずかになった気がした。
§ 晴れた日曜日
タンちゃんにとってのはじめてのお正月は、小さなわらい話としっぱい談、そして大きな達成感で幕をとじた。健二も家族そろって、初もうでや映画館へ行き、楽しいお正月だった。
べべ子はあのあと、易者に占ってもらったらしい。でも、いくら健二たちが聞いても、内容はおしえてくれなかった。
あっというまに冬休みが終わり、新学期がはじまっても、まだ早起きに慣れない。
そんな一月も、残りあとすこしの日曜日。
今日はべべ子のいとこのお姉さんの結婚式だ。
花よめさんは、阿部旅館でしたくをしてでかける。べべ子の家は、朝から大さわぎだ。だから朝ごはんを食べている健二の家も、母ちゃんの声でにぎやかだった。
「いいねえ、女の子は花よめごりょうだものね。うちは男ばかりだから、楽しみもなにも、あったもんじゃない」
今日も慎一兄ちゃんのからっぽのどんぶり茶わんをそっちのけで、はなしている。
「おかわり!」
柔道部に入った兄ちゃんが、三ばい目のごはんをほおばった。母ちゃんの声は、まだつづく。
「あとで見にいこうかしら。ツノかくしに花よめ衣装。美人さんだって評判だからね、すてきだろうねぇ」
「お茶」
こんどは父ちゃんのさいそくだ。
日曜日だから、みんなで朝ごはんを食べているけれど、このあと父ちゃんは仕事にでかける。
それがいつも健二にはつまらなくて、もんくを言ったこともあった。
「ごちそうさま」
こんどは健二の声だ。
「あら、もう。おかわりは」
母ちゃんに言われたけれど、健二はいそいで茶わんを流し台へ持って行った。そのまま玄関にむかう。
うしろから母ちゃんの声がした。
「まったく。日曜日だからって、まいど遊びっぱなしじゃないか。今日は坂本さんとこの神社に行っちゃいけないよ。お式の準備でいそがしいだろうからね」
結婚式はタンちゃんの家の神社でおこなわれるのだ。そこで花むこさんが準備をして、花よめさんの到着を待っている。耳にタコができるほど、学校でべべ子から聞かされていた。
健二が玄関にこしかけると、模様ガラスのむこうに人かげが見えた。あわただしく動いている。きっとそのなかに、べべ子もいることだろう。おめかしをして、はりきっているに違いない。
想像したらおかしくなった。
するとまた茶の間から、母ちゃんの楽しそうな声がひびいてくる。
「そういえばねえ、この結婚は易者がむすんだご縁らしいのよ」
はなしている相手は、兄ちゃんか。健二がすわったまま、耳をすませる。
「いえねえ、およめさんが地下街の易者に結婚運を見てもらいに行ったらしいよ。すると、西方に縁ありって言われたらしくてね。そっちへ旅行に行ったら、運命のであいがあった、ってわけさ。ほかにも、そういう人がごまんといるらしくてね。いまじゃ婚期を占ってほしい女の人で、そこの占い屋は大いそがしだそうよ」
「そんなものなの。女の人ってめんどくさいな」
慎一兄ちゃんの声がつづいた。前に健二がべべ子に言ったのと、おなじことを言っている。
健二がにやりとした。
「おませべべ子の秘密、見つけたり~」
小さく口ぶえをふきながら、くつずみのフタをしめた。ブラシをかたづけて、大きなくつをきれいにそろえた。
「さてと」
健二が立ちあがる。
模様ガラスの引き戸を開けた。今日もいい天気で、結婚式にはぴったりだった。
家をでると、すぐにべべ子が立っているのが見えた。あんのじょう、おとなにまざってすましている。よそゆきの白い洋服を着ていた。健二はべべ子のうしろに近づく。
「よっ、べべ子」
「キャーー」
すまし顔がふきとんだ。
「あはははは」
健二は大わらいだ。健二の顔を見たべべ子もわらった。
「ちょっと、そのまっ黒な手で近よらないで。顔まで黒いじゃない」
健二が鼻をこすったので、また顔が黒くなる。それでもまだわらっていた。
「えへへへ」
「もう、あっちへ行って。もうすぐお姉さんがでて来るんだから。花よめ衣装をよごしたら、しょうちしないわよ」
まもなくはくしゅがおこった。それを聞いた健二の母ちゃんも、玄関から飛びだして来る。
「ああ、まにあった。おや健二、なんだいその黒い顔は」
母ちゃんが健二に近よる。そこへ白いウエディングドレスを着た花よめさんがあらわれた。
「まああ~」
歓声をあげたのは、母ちゃんだけではない。
「神社でお式だっていうのに、西洋風とは。さすがにモダンだね」
「ツノかくしも、べべ子がもらったのか」
「バカ」
健二とべべ子の声に、あつまった人たちのわらい声が、かさなった。
「そう言えば」
べべ子が言いだす。
「あのスリ、つかまったらしいわよ。また隊員たちのお手がらかしらね」
「まあね」
こすった指で、また健二の顔が黒くなった。もう顔中くつずみだらけだ。
そこへ父ちゃんもでて来た。もう仕事の時間だ。
父ちゃんは健二を見つけると、大きな手で頭を、がしがしとなでてくれた。天然パーマの髪の毛が、よけいにくるりとまるまって、へんな感じだ。
けれどとても気持ちがよくて、健二はそのままエヘヘと言った。
「ありがとな。健二、父ちゃん仕事に行ってくるぞ」
「行ってらっしゃい」
手をあげる。
歩きだした父ちゃんのくつは、みがきたてで、ぴかぴかにひかっていた。
第6話「正義の味方参上」おわり
いつもお読みいただきまして、ありがとうございます。
次回以降の投稿が、最終話の予定です。
これまでの応援に感謝申し上げます。
あともう少し、健二とタンちゃん、べべ子の小さな冒険にお付き合いくださいませ。
(ざらめ)




