310.南西の地
火山の山を越え、アルスト教団本部があるという南に向かっているのだけれど、火山の煙が出る場所を通過すると小さな騒ぎになってしまった。
危険な時期に火山ガス放出地帯を越えてきたので、もう通れるようになったのかと村では確認の為に人を行かせてみると言い出したり、偶然風向きが変わって通れたと説明するのに時間が掛かってしまった。
「まったく、余計な手間がかかってしまったね」
イルレさんはため息を付きながら 荷車の御者台に座っている。
「準備できたよ」
ゆっくりと移動しているので南に向かったと言っても、少し高地なので肌寒いらしい。皆は仕舞っていた暖かい衣類を引っ張り出し、荷車の御者台にも久しぶりに中と外を分けるカーテンのような幌布が下げられる。
「ありがとう。 それにしても寒いねぇ」
「一旦変わります。 着替えてきてください」
アキュラさんが御者台に代わると、イルレさんは荷車の中に入っていった。
最近は顔を覆うベールだけではなく、鼻から下を覆うように追加でベールをつけるようになったので、もはや顔の輪郭なんてさっぱりわからない。それでもはっきりしているのは目立つ銀色のような長い白髪くらい。
「ベレッタさんとデュロが似た症状、頭痛の薬は効いていても、息苦しさはあまり効果がないと。 体を温めてみる?」
デュロとベレッタさんは少し調子を崩している、高山病にならないといいのだけれど、そこまで高い山と言う訳ではないので酷くはないはず。ここ数日頭痛が続き少し息苦しさを感じ、薬を飲みながらほとんど横になっていた。
アキュラさんにとってはそれも興味深いらしく、看病をしながらどのように対処し薬を作れば良いのかずっと考え、試作した薬は自分で飲んで試している。
その状況を木板に書き留めながら御者席で色々考えているのだけれど、ちょっとゆらゆらしてあぶなっかしい。それを察したらしいステアーは、車体の上から御者席に飛び移りアキュラさんのくっ付きながら横になった。
膝の上に前足と顎を乗せたのでさすがに不安定な体勢で居られず、アキュラさんは書き留めるのを一旦やめて御者席に置くとステアーを撫で始めた。
「ステアーは暖かいね」
高地とはいえ調子を崩したのは二人だけ、残りの皆はそのような様子もなく生活していた。そんな状態ながら数日かけて少しずつ高地を下る道を進んでいくと天気が良い日はかすかにだけれど地平線に海が見えてきた。
「もうこんなところまで」
「海なんて初めて見たよ」
「海と川の魚は違うと聞くから、これは楽しみだね」
「あれ全部が水なんて、信じられません!」
移動手段が限られ狭い地域で暮らすのが当然な文明、各地を回る旅商人や旅人でもそれほど広い地域には赴かないらしい。
イルレさん達にとっては話くらいにはおとぎ話の中で聞いた事があっても、実際見たなんて人など近くにいたこともなかった。
アルスト教団本部は南西の海辺にあるというから、あと少しで一つがおわるはず。まずは近くの町でみんなと一旦別れないと。
「港町はトオリナ子爵が納めているらしいから、ソミールレイル侯爵様への献上品輸送の手配をしてもらいましょう」
大きな船が港から少し離れた場所に停泊し、小舟で港との間を往復している姿見えることから大分大きな港みたい。
大分下ってきたのでデュロとベレッタさんも調子を取り戻し、御者席から遠くに見える海を眺めていた。
「海ってすごく大きい! あの小さく見えるのが船なんだ!」
「私も、海までは初めて来ました。 トオリナ子爵の所には友人が嫁いでいたわね」
貴族の繋がりは婚姻なども重要とあったはず。ということは、近くまで訪れたベレッタさんは良い服を着て領主の所に訪れるべきなのだろうか。
「港町に訪れた以上、領主にも話を通して挨拶に行かなければなりませんね」
ベレッタさんは男爵令嬢である以上、領主が直接納めている町を訪れた場合は正式に挨拶に行かないらしい。その辺りはやはり貴族社会であるゆえに避けられない事なのだろうけど、側使えというかそう言った役目の人がいないのはどうするのだろう。
「デュロ、教えたことを実践する良い機会です。 友人との茶会に見習いとして連れて行くので粗相も許されるでしょう。 良ければアキュラさんも楽師として来て欲しいのだけれど」
ベレッタさんは礼儀作法を教えていたデュロを連れて行くらしい。もちろん礼儀作法を教えていたのもあるだろうし、侍従などを連れていなかったと言うのもあると思う。アキュラさんはハープを奏でる事が出来るのでちょうど良いのかもしれない。
「不安ですけど、がんばります」
「音楽は良いのですけれど、ヴェールを付けたままで大丈夫でしょうか」
女性ばかりが相手だったとしても、ステアー商会の皆以外の前ではアキュラさんはヴェールを外さない。女性の皆から見ても綺麗な人なので、ゴタゴタと声をかけてくる男を避ける為。
「顔に怪我をしていると伝えるので問題ないでしょう」
皆はベレッタさんが貴族の下に訪れると言う事で、ソミールレイル侯爵に贈る献上品を纏め、茶会を行うというトオリナ子爵に取次と献上品輸送の礼品と決めていた。
・味噌の詰まった壺
・ソミールレイル侯爵にだけ渡す自分が納入品一覧から取り出したレース生地のカーテン
・特製バターミルク石鹸の詰まった箱
・売り上げから決められた割合の献上金
・エイケさんとアウグさんが考えた料理のレシピ
・ベレッタさん直筆の現状をまとめた書面
ソミールレイル侯爵には契約通り品、ステアー商会の安全と生活の保障。
・お酒に漬け込んで甘くなった干し果物
・高価なお茶だとベレッタさんが判断した麦茶
・ハチミツ石鹸
ベレッタさんが訪ねる時に持っていく品物。旅をしているとはいえ男爵令嬢である事から、友人を訪ねると言っても遠方の場合は友好の品物くらいは持っていくのが常識らしい。
子爵には正式に話を通してソミール侯爵に送る献上品の輸送を正式に頼み、久しぶりに会うベレッタさんの友人が嫁いでいると言う事でお茶会も開かれるだろうと言う事でその準備も行っている。
社交や露店などは皆でやってもらうとして、イルレさんに情報を集めてもらい、アルスト教団の本拠地に自分は向かわないと。
トオリナ子爵領地 港町トバム
外国からも立派な石組の防壁に囲まれた町は、イルレさんが入場料を支払い中に入ると大通り沿いは開かれた商店で活気に溢れ、多くの人達が街道を歩き商店に出入りしている。意匠が異なる服を着ている人達も多くいるので、ここは海外貿易港にもなっているのだろうか。
イルレさんが門で入場料を支払う時に少し追加のお金を支払い、町についての雑談の中で露店を開くための許可が門横にある出張所で出来る事を聞いた。
「ありがとね。 それとこれで一杯やっとくれ」
お礼として兵士の人にイルレさんは酒一杯分くらいのお金を渡すと門を抜けてすぐに停車、出張所で屋台及び露店を開く許可を購入して出てきた。
「この町を案内するよ」
「美味しい店なら内にたのみな」
「良い品物を取り扱ってる店だって知ってるよ」
この町でも案内をする人たちがいるのはいつもどおり、町にはいる人達に声をかけてお金を受け取り案内する一人にイルレさんは声をかけ、銅貨ではなく銀貨を6枚取り出して案内を頼んだ。
「今日一日案内を頼むよ。 まずは屋台を開ける広場でそれが終わったら食品を売る店、その後は護衛を雇えるギルドだよ」
案内されながら広場へと向かう最中、皆興味があるらしく御者席の隅から交代で町を眺めている。
「見たこともない魚が置いてるね。 あっちは何かしら」
「お茶になりそうなものは……あるでしょうか」
警備を担当してくれているハスタルさんやグリーナーさん、そして恐竜族のチェスカさんが警戒しているので比較的皆が安心しているのがわかる。
案内された旅人や旅商人が留まれる広場には、多くの旅商会が留まり大きな広場なのにほとんど一杯になっていた。
端の一角に荷車と屋台車そして護衛の人達の馬車が止まり、皆は手慣れたようすで荷物を下ろしながら屋台車と繋がった屋台と露店の準備を進める。
「柱はそちらに立てて」
「ロープはまだ買い直さないで大丈夫」
「調理道具を下ろすから手伝って」
「川はないから、井戸まで水を汲みに行かないとだね」
自分も駆り出されて車体に積んである木材を柱に使い、皆はロープを張って幌布を掛けたり、広場に面するお店で追加の木材や薪などを買いに出かける。
「さてと、交代で買い出しの護衛にも着くけれど、酒や武具を買いに出る順番も決めるよ」
「買い出し……護衛につく」
「ここを守るよ」
護衛の人達も順番に休憩や自分達の買い出しの話も進め、それが決まるとエイケさんとアウグさんが護衛の人達やデュロ共に買い出しに出かけた。
イルレさんは巡回していた兵士に話しかけ、銀貨を一枚渡し領主の元にベレッタさんの書面を持っていくよう伝える。
みんなはもう手慣れているので滞りなく準備が進められていくのをカイと共にただ眺めるているだけになっていた。
「ちょいとギルド獄門の提携先に顔と依頼を出してくる。 運が良ければ良い奴もいるかもしれんからな」
「同族ガ居たら言エ」
グリーナーさんは大きな斧を背負い直し出かける中、チェスカさんは身を繰りつつ間食で焼いて塩をふった肉を骨ごと食べている。
「ステアー、毛並みを整えましょうね」
ステアーはシグさんに毛並みを手櫛で整えられ、上機嫌に御者台で横になっている。体長も2mを越えた立派な大人の狼、商会という群れの一員で皆を守る一番の存在。
「ほーら わしゃわしゃ」
そしてシグさんに全身マッサージを受けて、だらけるように横になりなすがままにされている。群れ敵には厳しくとも群れの仲間には心を許してくれていた。
夕方になる頃には屋台と野営の準備が整い、食事をしていると身なりの整った人が訪ねてきた。
「奥方様がベレッタ様を茶会に招くと仰られております。 明後日の昼に尋ねるよう、こちらにしたためられております」
ベレッタさんへのお茶会の招待であり、正式にソミールレイル侯爵について話を通す事が出来る機会にもなる。イルレさんが丁寧に頭を下げながら招待の木板を受け取り、伝えに来た人は帰っていった。
「明後日までにデュロは礼儀作法と側使えの仕事を再確認しましょう。 礼儀作法を覚えておけば、これからもずっと役に立ちますからね」
ベレッタさんにとっては侍従を連れない状況で、貴族の夫人となった友人と会うのは大変なはず。ここはカイと一緒に自分が送っていくのが一番だろうか。
意識をデュロから別に向けられるかもしれないし、神官として指導しているカイもいた方がベレッタさんも事情を伝えやすいかもしれない。
肝心のアルスト教団本拠地についてはまだ何もわからず、明日からイルレさんが町で話を聞いて回ってくれることになっている。わかるまでは時間があるしそれまではステアー商会に関わる事が優先、ベレッタさんも今は商会に協力してくれている一員なのだから。
「ところで、デュロに合う側仕えの服なんてあるかい?」
「……うっかりしていました」
イルレさんの言葉に礼儀作法は教えていても、そういった服は用意していない事に今更気付いたベレッタさんは困った表情を浮かべた。
「これだけの港町です、側仕え服に似た物も輸入品か古着を取り扱っている商店はあると思います。 探し回ればデュロが着れる物があるでしょう」
石臼を回す手を止めサベージさんは皆の方を見ずに言葉を続ける。
「少なくとも服は富豪にも貧民にも売れますし、貴族の従者が使った服なら富豪は買い求め、自らの使用人に着せようとするでしょう。 何人か買い求めてきた富豪も居ました」
「サベージさん、なんでそんなことを知ってるの」
比較的話していたことが多かったダリエルさんが驚きながらも訪ねると、サベージさんは表情を変えずに俯く。
「貴族も取引先にする商会で下働きしてました。 最後は私が教団に売り飛ばされましたが」
サベージさんはそれ以上何も言わず、石臼に小麦を追加しゴリゴリと音を立てながら回し始める。みんなそれぞれの事情や境遇には深くは触れない、それは精神的出血を伴う行為で気安く行っていい事はではないし、そしてみんな同様にそれぞれの事情でアルスト教団に囚われていたから。
「……とにかく、明日は港町の商会を回って服を探す。 見知らぬ商会には売らないと言っても、金貨20枚も積めば売るでしょう」




