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終…? Please、Please、Me 

大変、大変遅くなってしまいました…。

お待ちくださった方、本当に、申し訳ございません。


「告白いたします」


 傾き沈没間近の船の細い手摺りから白い頬を覗かせた彼女は、にこり、綻んだ花に似た笑顔を彼に贈った。いつもの優しい笑顔を。


 潮風に舞う彼女の長い髪。

 小柄な彼女は彼が抱きしめるに丁度良く、頬も肩も何もかもが柔らかい。胸をくすぐる香りに、口づけたい衝動をどれ程我慢しただろう。


 だのに。


「あなたは私の初恋です、サージェット ウィアヌス様」


 そんなことを言う。


 耳を疑った俺がおかしいのか。

 そうでなくとも、彼女の口から零れた自身の名は途方も無く甘く、胸が掻き毟られる心地だと言うのに。

 はつ、こい?

 心臓がどくりと音を立てて拍動し、恐ろしい速さで暴れ出す。胸元の服を固く握り締めたが、冷静は一向に帰って来なかった。

 まさか、嘘、だろう…?

 小舟から見上げれば、夜の闇に包まれた彼女の小さな耳殻が見えた。赤く色づいて、それは恥ずかし気に震えている。


 本当に?

 本当に、お前が俺を?


 あの時、イクノの葬儀で出会った女が、アサツキ?


 少々手荒になるだろうが隙を突き、この沈みかけた船から彼女を引き摺り降ろそうと画策していたサージェットだったが、ついに遂行できなかった。

 こうして手の平で押さえなければ、口から心臓が飛び出しそうだったから。


 くそ。

 覚えていろ、アサツキ。

 一刻も早く戻って、動揺させた礼を貰うからな。


 苦々しい思いで舟の側面に付いていた古い浮き具を放り、彼は陸に向け、全速力で櫂を漕いだ。ともかく、託された少女を安全な場所へ避難させることだ。そうして。

 愛しい彼女を、腕の中に抱きしめる為に。


「…嫌だと言ってももう知るか。この莫迦め」


 あの密やかな雨の中。

 緑生い茂る庭で、彼は彼女に出会った。

 渦巻く悪意に、溺れるような息苦しさを感じた彼は、爽やかな一迅の風に似た女に救われた。女が傍にいる不快感は少しも無く、むしろ、不思議な程心が凪いだ。

 あの時。

「名前を教えてくれ」

 若しくは。

「また会えるか?」

 そう素直に言葉を紡いでいれば、辿る運命は違っただろう。彼女が落とされたように、彼もまた、彼女に落とされていたのだから。


 初めての想いに。

 恋に。


 互いがそうだと気付かなかっただけ。


「莫迦は俺もか…くそっ」

 いずれにしても、彼は、そうとは知らずまたも彼女に落とされた。二度目の恋は、苦くて甘くて、とても切ない。

「…選択を間違わなければ、お前は俺のものだったのか」




「ウィアヌス様?」

 岸に辿り着く前に軍の所属らしき小型艇が急接近して来た。敵かと身構えたが、彼の名を呼んだ声に聞き覚えがあった。

 額の真ん中で髪を分けた青年、セーリク アサツキだった。

 軍属の証である軍服を纏っているが、彼は彼女の実の兄であり、こちら側の人間だ。妹が行方不明となったと軍本部で聞き及び、浜辺まで急行したのだろう。

 状況を説明すると、セーリクは唇を歪めた。

「仕方がありません。他に民がいれば、我々〈武〉は守らなければなりません」

「救助に向かえるか?」

「そうしたいのですが、小型艇があの船を取り囲み、近づけない状況です。命令系統が麻痺していて…」

「小型艇に乗り込んでいるのはおそらく、ニルススの手の者だ。あの船を沈没させ、証拠隠滅を図る気だな」

 おそらく、船にはニルスス家の今までの悪事が搭載されているのだろう。アサツキと一緒にいた女もニルススに属し、加担していたに違いない。

 だからこそ、必死になって消そうと目論んでいる。

 同じ光護国軍であるが、陸軍少尉のセーリクに海軍を指揮する権限は無い。つまり、彼の妹を救うには最悪の状況にある。

「どうしたらいいのか…」

「この少女を連れて陸に戻れ。多分、イレフが来ている筈だ。保護と助力を求めろ」

「助力、ですか?」

 サージェットに向けられたセーリクの瞳には、ありありと疑心が浮かんでいる。

 〈商〉を司るウィアヌス家に、軍部を掌握するニルススを制することができるのか。セシカを助けられるのか。

 そう語っていた。

「イレフは雷電隊の生き残りだ。永劫英雄の勲章者に、そこら辺の将軍令では太刀打ちできんだろう」

「雷電…血塗れ部隊かっ?」

 思わず叫んでしまったセーリクは、はっと我に返り、敬礼した。


 雷電隊。

 それは最前線に送られる部隊名で、身体が細切れになるまで戦うことを命じられた死の部隊だ。通称、血塗れ部隊。

 その名は陸海空、全ての軍属に首を垂れさせる。


「で、ではそのように。ですが、陸に向かう前に一つお聞きしても?」

「何だ?」

 一呼吸開け、セーリクは真っ直ぐにサージェットを見つめた。

「畏れ多くも帝直々の書状を頂きました…その、貴方とセシカを婚約させたと」


「ああ。もう届いたのか、早いな」

 アサツキの願いを受け、あの男を救命する為にサージェットは帝を頼った。見返りに何を要求されるか、それは予測が付いていた。

 それが現実になっただけ。


「結婚しろ、サージェット。そして、私の指名を受けろ」

 帝の言葉に驚きは無くとも、サージェットは躊躇した。

「…あいつの家族に同意を得ていない。それにあいつは、他に」

「私の名の下に、この光護国で逆らう者がいると言うのか。サージェット?」

 その瞬間、彼とアサツキの婚約が成立した。

 家族の反対など、最早関係しない。あいつが誰を想おうと、〈武〉のセシカ アサツキは〈貴〉のサージェット ウィアヌスの婚約者なのだ。

 帝は生温い笑みをサージェットに向けて、結婚してから彼女を口説き落とせ、と宣ったのだった。

 あいつには言えなかった。

 権力に屈して婚約を受け入れたのだとアサツキに思われたくなかった。俺の身分を厭っているだけに、帝の勅命をあいつはどう思うのだろう。

 もしも、それで嫌いだと言われでもしたならば。

 俺は。


 サージェットは初めて恐れを抱いた。


「現帝はどうしても帝位を俺に譲りたいらしい。煩わしいことだが」

「あ、貴方はセシカを側室にと、そうお望みなのですか?」

「側室だと?」

 ふざけるな。

 吐き捨てた言葉が、地を這う。

「俺はあいつ以外の女を傍に置くつもりは無い。あいつだけだ。側室など冗談にもならん」

「で、では」

 真っ青になったセーリクは、震えた声で問うた。

「セシカを、せ、正妃に…?」


「ああ、そうなる」



 少女を乗せたセーリクの小型艇が、離れて行く。

 寒村で手に入れた粗末な舟は衝撃に激しく揺れ、昏い波飛沫を撒き散らしながら、ようやく治まった。まるで、サージェットの心のように。

 彼女を想い、揺れて揺れて。

 それでも諦められない。

 だから、もう、仕方がない。彼女にはこれが運命なのだと受け入れてもらおう。初恋と告白したのだから、俺をそう嫌うことも無い筈だ。

 …多分。


 あいつを思い出にかわるまで、俺は待つから。

 だから。

 いつか、遠い未来に、俺を好きになってくれ…セシカ。


 だが。

 顔を上げた時点で、事態は急変していた。


 そこにあった筈の船は、夜空に、ほぼ垂直に立っていた。

 頭から血の気が引いて行き、急いで、セーリクから渡された特殊照明を点灯した。気付け、アサツキ。この青い光に。

 俺は此処だ。

 此処まで戻って来い。

 風と海流に阻まれて、漕いでも漕いでも思う様に舟は進まない。目を凝らしたが、昏い空を映した海面には彼女の姿を見つけられなかった。


 どれだけ時間が経過したのか、櫂を持つ手の平にも背中にも脂汗が滲んでいた。視界の端に、色褪せた古い浮き具が見えた時、思わず彼は神の名を呟いた。

 浮き具に掴まる人の手。

「アサツキっ」

 無我夢中で手繰り寄せればそれは、白い単衣を着た女だった。

 だがしかし。

 アサツキではなかった。引き上げたのは血の気を喪った顔で、船にいたもう一人の女だった。理解するや否や、彼は己の失敗を悟った。

 彼が残した浮き具は一つだった。

 それをアサツキが使用すると、何故、思い込んでいたのだろう。

 ウィア版元で働いていた頃、人数分に足りない菓子を、あいつは何時だって他の誰かに譲っていた。彼はそれを知っていた。

 あいつが浮き具を使う筈がない。


「あ、あいつは何処だ…」

「あの子は、まだ」

 自問すると、女が掠れた声で答えた。

 つい。

 細い指で指し示した先、海に突き出しているのは船の主柱だろうか、小さな影が寄り添っている。サージェットの黒い瞳に、それは魚に見えた。

 ちっぽけで無力な。

「アサツキっ」

 櫂を取ろうとし、けれども、その前に女がそれに取り縋った。

「行かせないわ」

「放せ…っ」

 力任せに引き剥がそうとしたが、小舟が揺れ、転覆する勢いだ。せめてもと、祈る思いで照明をぐるぐると回した。

 此処まで泳いで来てくれ。

 願いも空しく、小さな光が軌跡を描いてアサツキに突進する。それが火矢だと理解した時には、海に飛び込むつもりだった。


「放せっ、邪魔するな、女」

「駄目よっ、あの子の努力を無駄にするわ」

「何を言っている、お前、助かりたいが一心であいつを身代わりにしただろう」

「違うわ。これを見て」

 女は足に片手を絡めたまま、髪を結んでいた布地を解いた。見覚えがある白いそれは、あいつに渡したハンカチだった。


 さらり。


「これは…髪?」

「そうよ、あの子の髪。貴方に渡すよう言われたの」

 光護国の女は特別な相手にしか大切な髪を贈らない。特別な行為。

「あの子の心、分かるでしょう?貴方は託されたのよ」

 生き方と同じ、真っ直ぐ綺麗に伸びた黒髪を、アサツキはサージェットにと願った。潮風に散らさぬようそっと包み込めば、彼の指にやわらかな温度が伝わる。


「社長」


 あいつの声で、優しく囁かれた気がした。


「社長。どうか、どうか」


 そう。

 自ら進んで、あいつはこの女の身代わりになったのだ。そしてこの女を俺に託した。今回の事件における最重要人物を。

 いや、そうでなくとも、あいつは。


「こうすることが、私の幸せなのです」


 …だが。

 だが、アサツキ、目の前に繰り広げられる光景は余りにも惨いだろう。こんな。数多の火矢で無力なお前を追いつめる光景は。

 余りにも惨過ぎだろう?


 お前を救えない俺の無力さを噛み締めろと?

 どんな想いでそれを見つめろと?


 アサツキ。

 俺はお前を。


 好きだ、好きだ、好きだ。


 言葉に出来ない位、お前が好きだ。

 どうか、どうか、俺に。


「…やめろ」


 止めろ止めろ止めろ。

 俺の女だ。

 この世でたった一人、あいつは俺のかけがえのない女だ。


 神よ、どうか。


「やめてくれ…っ」


 まるで神の返事のように風が吹く。

 空を閉ざす厚い雲を押し流し、僅かな間から差し込む光。

 それは天へと続く階。


 神々しい光に包まれた彼女の、にこり、天女の微笑み。

 明け行く藍空に向かい、両手を伸ばした。


 そらへと還るように。




「アサツキっ、頼む、止めてくれ…っ」


 けれども、願いは届かない。

 幾年の昔から伝わるように、どんなに願っても、どんなに祈っても天女はそらへと還ってしまうものだから。


 ぱしゃん。


 届く筈もない水音が、サージェットの耳に確かに響いた。


「アサツキぃっ」




 光護国に伝わる物語。

 一人の男の元へ、天から遣わされた天女。

 いつしか心から天女に思慕した男は、二度と空へ還さないように羽衣を取り上げてしまったのです。悲しみに暮れる天女。

 それで男はつい、固く閉じた拳を開いてしまいました。

 するりと指の間から零れた羽衣。

 羽衣を手にした天女は男の元を飛び立ち、天へと還って行きました。

 そうして決して戻ることは無かったのです。


 光護国に伝わる物語は、今、ここに。



 そらへ還らなければなりません。


タイトルからお分かりかもしれませんが、お、終わりませんでした。

次こそ、完結したいと思います。

お読みいただき、本当にありがとうございました。

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