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22 L’arrière de la lune

またもや別視点です。


「賭けをしよう、ニイタカ」


 帝学生時代を彷彿とさせる友の声。

 縁の無い眼鏡の奥では剣吞な光が宿っているけれども、当然、引く気はない。賭けるのは、友が最も大事にしている存在。

「否、と言う訳ないだろう、セーリク」

「言っておくけど」

 セーリクはにやりと余裕の笑みを浮かべる。

「妹の理想は僕だからね。ニイタカ、君みたいな男は苦手だよ?」

 君には不利な賭けだねと、友の妹莫迦は未だに健在だ。

「助言、感謝する。彼女はきっと私を好きになるよ」

「爽やかな顔をして、全く、君は質が悪い」

 そうかな?

「社交界で培われた君の手管は、妹に通用するかな。まあ、せいぜい頑張れ」


「でも、セシカは手強いよ?」



 その通りだった。

 彼女は可愛くて、手強い。私の手札など彼女に何の効果も無く、むしろ怯えられて、ぴょんと逃げられてしまう。

 白い頬に触れたくても、ほらまた、振り払われた。

「それほど私が嫌いですか」

 こんな恨みがましい台詞、友が聞いたら嗤うだろう。嗤いたければ嗤え。こうして彼女の情に訴える以外に手はないのだから。

「前に大嫌いと言われましたね。今もまだ、そうだと?」

 人に向かって、嫌いと言える性格を彼女はしていない。以前は余裕を失くしていたからこそ出て来た言葉だと知っている。

 けれど。

 答えを誘導する質問は卑怯だ。理解していても、止められなかった。私が誇る鉄壁の自制心も、彼女には敵わない。

「き、きらい、ではない、です…」

 何故こんなに可愛いかな。

 真っ赤な頬で潤んだ瞳を向けるとは。

 無自覚に私を煽るあなたは本当にいけない人だ。だから、こんな嫉妬深い悪い男に攫われてしまうのですよ。

 逃げられないよう鍵をかけて閉じ込められてしまうのです。

 ああ、男の生理について教えて差し上げないと。私の部屋で。

 そろそろ言って頂けないでしょうか?

「では好き?」


 どうか言って。

 好きだと。

 そうしたら、セシカさん、あなたは私のもの。


「それは…だめ、です」



 私は賭けに負けた。

 ついに彼女から言葉を引き出せず、西国へ出兵し、何もかも失った。

 直前に父から届いた密書の通り、陰謀に巻き込まれたのだとしても、誰が潔白を信じるだろう。

 光護国に仇なしたメネリック家に、幾ら篤実なアサツキ少将とセーリクでも、彼女を託したいと思う訳がない。

 彼女はもう、私のものではない。

 手放さなければならない。


 それでも、心の何処かで、信じていた。


「軍曹さん」

 柔らかい声。

 温かい微笑み。

「お帰りになられる日を、ずっと、ずっと待っております。軍曹さん」


 温かい心が込められた手紙を残し、逃亡など考えられなかった。彼女らしい繊細な手蹟だけが、今の私に残された全てだったから。

 セシカさん。

 けれど、銃創から流れ出た私の黒い血がぽたぽたと白い紙片に落ちた。

 この血のように、私の中身は黒くて醜い。母に捨てられた自己憐憫や、受け入れられない遺恨が絶えず渦巻いている。

 セシカさんの傍でだけ、そんな私でも許される気がした。

 なのに、青空のように私の心も温める彼女を、私が汚している。醜い滲みが文字を塗り潰すように、私が彼女を。

 そう感じたこの瞬間、多分、ニイタカ メネリックは死んだのだ。


 彼女を守れなかった自分に絶望した。


「ねぇ、貴方のお父様の仇を討とうとは思わない?」

 ティルニに唆されたとは思わないが、この頃の私は空虚で、生きる意味など失っていた。もしかしたら、国に帰る口実が欲しかったのかもしれない。

 けれども。

 船から見える空は、どこまでも青かった。

 高く澄んで、私を包み込む。

 まるで彼女のように。

 白波の合間に緑の大地が垣間見えて、一際高く、胸が高鳴った。ああ、あの地には彼女がいる。にこりと笑う、私の黒ウサギが。


 逢いたい。

 逢いたい。

 彼女に。


 そうして、やはり、彼女には敵わなかった。




「全く、君は質が悪い」

 吐き出したセーリクのため息は、僅かに欠けた月の夜に解ける。

 帝学時代から変わらない明哲な友は、私の両手首に絡みついた拘束具を外した。多分、彼には与えられていない権限だろうに。

「いいのか?」

「いい訳ないだろう?」

 にやりと嗤ったのは一瞬だけで、隣を歩くセーリクの表情は硬く強張った。


「…君は間違えたよ、ニイタカ」

 

 右肩に金の飾緒を付けた特殊警護員が、捕り物劇を終えた光揚館に、今なお点在していた。

 その別館の小部屋には椅子と机しか置かれておらず、セーリクと二人きりだった。あの苛烈な〈貴〉の兄弟ならば、尋問の為に屈強な人物を取り揃えていると思っていたのだが。

「君の取り調べは僕に一任されている。その理由は、分かるだろう?」

 座れば目の前に、かたん、杯が置かれた。

 まさかとは思ったが、予感的中、中身は酒だった。

「セシカだ。飲まずにいられないね、付き合えよ。ニイタカ」


 セーリクにだけは経緯を包み隠さず、書面を送った。

 〈華〉を巻き込んだ大罪を引き起こすには、頭脳と資金と野心が必要だ。それを持ち合わせる人物は、集められた情報からも〈貴〉のウィアヌス家で間違いなかった。

「そのウィアヌス家から、僕宛に、正式な申し込みが届いた。驚いた余りに、平凡を自負する僕はこうして敵の掌中に飛び込むしかなかったという訳だよ」

 申し込み、それは。

「〈貴〉のサージェット ウィアヌスはセシカとの結婚を申し込んで来た」

 ぎり。

 噛み締めた奥歯が不覚にも低い音を立て、そんな顔をするなと、友に窘められる羽目になった。

「君の推理通り、ウィアヌス家が黒だとしたら絶対に認めないけれどね。ところがそうでないみたいだ、正直、対応に困っている」

 ウィアヌス家に潜入した結果、ウィアヌス家は事件の黒幕ではないとセーリクは語る。

 互いにため息を吐き出し、一気に杯をあおった。純度の高い酒は、通過した喉と終点の胃を、焼き尽くすようだった。


 頭が回らない。

 ウィアヌス家が敵ではない?


 それに。


 意図的に意識から切り離していたけれど、一度考え出せば、制御不能に陥った。涙で潤んだ大きな瞳が胸から消えない。

 軍曹さんと、私を何度も何度も呼んでいた。

 セシカさん。


 とん。


 軽い音が一度だけ響き、返事を待つことも無く、扉が開いた。

 長身の男が大きな歩幅で入り込み、咄嗟に立ち上がったセーリクは、敬礼を返した。その空いた椅子に、さも当然と腰を下ろした男の名は。


 〈貴〉のサージェット ウィアヌス。


「取り調べは終了だ。場を移し、兄を交えてメネリックから話を聞く」

「は?」

 戸惑うセーリクは珍しい。

 この高貴な男が、この小部屋を訪れる予定はなかったのだろう。提案も想定外であるし、つい、思ったままを口にしてしまった。

「正気ですか?」

「お前を信用した訳ではない。だが、胸襟を開くよう説得された」

「セシカさんに、ですね?」

「…そうだ。あいつが言った」


 あれ程懐疑的だったこの男を陥落した。

 口で説得しただけでは済まなかった筈だ、きっと無茶したに違いない。


 全く、セシカさんは。


「…お前は、俺と全然違うな」

 浸っていたい彼女との思い出は、低音の声によって断ち切られた。闇よりも深い色が切り込むように向けられる。

「顔も声も甘ったるい」

 かちんと来なかったとは言えない。

 帝学時代、彼は魔王と呼ばれていた恐怖の監督生だった。殆どの生徒は彼に心酔していたが、どうも私とは相容れない。

「だが、女にとってはそこが魅力的に映るのだろうな…あいつにも」


 その掠れた声に滲むのは、羨望だ。

 この高貴な男が、私を羨ましい?


 こほん、咳払いをしたセーリクが、発言の許可を求めた。

「構わん、何だ」

「妹の理想は僕です、お間違え無きように。婚約当初の妹はニイタカに怯え、彼の元から家出しました。父が苦肉の策でもって絶縁しなければ、今頃、僕と暮らしていたでしょう」

「セーリク…」


 事実だが、それは明かさなくてもいいだろう?


 苦々しい思いが零れてしまい、それは高貴な男を喜ばせたようだった。にやりと口角が上がる。

「なら、俺にも可能性が」

「有り得ません」


 即答してしまった。


「今はお前が優位だが、同じ婚約者となれば、あいつは俺に傾くと思わないか?」

 昔から少しも変わらないこの男の闊達さは、身分により培われたと言うよりも、生れ備わった資質だ。ニイタカの態度は格上に対するそれではないにも関わらず、ウィアヌスは全く咎めない。

 尊大なのか、そうでないのか。

 測りかねる所がこの男の魅力なのだ。

 それは無性にニイタカを苛立たせ、だが反対に魅了し、だからこそ一層気に障る。男として敗北を感じるのだ。


「貴方は、一体どこまで本気なのですか。一時を楽しみたいだけなら何も」

「本気だ」

 静穏な声だった。

「あいつ以外、考えられない」


 全身が沸騰した。


「身分が違うでしょう…っ」

 この国で最も高貴な血を誇る〈貴〉が、一介の〈武〉の娘を望むなど正気ではない。

「身分、それが何だ。関係あるか」

 瞬間。

 熱く煮えたぎった頭は、固く凍った。


 何も知らないくせに。


「貴方は、セシカさんのことを知らない」

「何だと?」

「彼女が、身分をどれ程煩わしく思っているか、知らないくせして」

 身分は栄誉、特権、誉れ。

 けれども彼女にとっては、重く絡みつく鎖だ。もがいても、深い海の底に囚われて、息も出来ない苦しみを感じていた。

 それでもじっと健気に耐えていた。


 遠い世界に行きたい。

 胸に秘められた彼女の願いを、ただ、叶えたかった。青く何処までも澄んだ空の下で、私の傍で、屈託なく笑ってくれたなら。

 どれ程幸せだろう。

 なのに。


「貴方は身分そのものです。彼女には相応しくない」


「知らないのはお前の方だ、メネリック」


「何を…」

「身分を、何故、辛く思うのか?」

 漆黒の瞳は、刃。

「それはあいつの資質が高いからだ。人を上下に差別する判断に身分を用い、特権だと愚かな勘違いが横行する中、あいつは正しくあろうする。だから苦しく思うのだ」

「貴方に言われなくても、彼女の健気さや気高さは存じています」

「いや、知らない」

 ぴしゃりと低い声が投げつけられて、びくり、肩が震えた。気圧されたのは私だけでなく、セーリクの軍靴も怯んだ音を立てた。

 それ程の威圧。

「では、何故攫うと言った。煩わしい身分を、この国を何もかも捨て去ることが、あいつの真の望みだと?」

「そうです」

「違う。あいつの望みは、自身を受け入れてくれる居場所だ」


 居場所。


「真実あいつを想うならば、逃げ出さずに間違った周囲を正すべきだ。お前自身が、あいつの居場所となる筈だ」


 ひゅっ。

 喉の鳴る音がしたが、返す言葉は何も出て来なかった。


「メネリック、お前はあいつに相応しいのか。俺たちに証明してみせろ」


 開け放たれた扉から差し込むのは、月の光。

 夜を照らすその清浄さは表だけで、決して見えないその裏側は、深淵の闇。


「…あの人は可愛くて、私は全然敵わないのです」

「ああ、俺も、敵わん」


 私は、彼女に相応しいのか。


 答えは。




お読みいただき、ありがとうございました。

冒頭は軍曹さんとの婚約前。

セシカとのやり取りは、前作「泡」の十八話辺り。

最後は、十九話の少し前になります。

相変わらず、分かりにくい構成になっております。


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