表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
17/30

十七 同じくらいに信じていても

長めです。すみません。


 社長とイレフ様。

 それに兄様まで突然現れて、ど、どうして睨み合われるのですか。空気が険悪に感じるのは私の気のせいですよね。それに先程のお言葉は。


 ばしばし。


「何している、アサツキ」

 ええと、巡りの悪い頭を働かせる為に頬を叩きました。

「頬が可哀想ですよ、セシカさん」

 軍曹さんに窘められて、い、いえ、それ程痛くございません。ちょっとじんじんするだけです。

 社長も軍曹さんも唖然となさって、でも、言い争いは止まりましたでしょう?

 なら、頬を叩いた甲斐もございました。良かったですとにっこりして、まずは、社長に向き合いました。


「社長」

「…何だ」

 社長は背がお高くいらっしゃるので、私はその大きな両手をぎゅっと握り締めました。失礼な行為ですが、こうすることで私の思いがより伝わるような気がするのです。

「いけません、社長」

 きちんと視線を合わせることも大事です。

「屑だなど、おっしゃってはなりません」

 人々に情報をお届けする版元は、言葉を大事にしなければならないと、社長ご自身がお教えくださったのです。

 私はとても感激いたしました、何て素晴らしいのでしょうと。

 だから。

「いけない言葉です。軍曹さんに謝罪してください」

 首を傾げて社長を促しましたが、ひくりと唇の端を歪められてしまいました。もう。では、私も一緒に謝りますから。

 ね?

「申し訳ございません、言葉が過ぎました」

「…すまない」

 軍曹さんに向かってまず私が先に頭を下げました、うん、ちゃんと社長も謝罪してくださいましたね。お声は小さいようでしたが、はい、良くできました。


 では、次です。


 今度は手袋に包まれた軍曹さんの両手を、きゅっ、握ります。嬉しそうになさらないで、ま、真面目なお話ですよ?

「ぐ、軍曹さんもいけません。正式に名乗られたお方に、名をお返しする礼儀はお持ちでしょう?」

「そうですね、セシカさん」

 小刻みに肩が震えていらっしゃいますが、くくくって、笑っておいでですね。もう。ぎゅううってしてしまいますよ?

「あなたも一緒に謝ってくれますか?」

 い、いいですけれど、あの。

 ゆ、指を絡められては謝罪できません。軍曹さん。

「も、申し訳ございません」

「謝罪します」

 結局、指は絡んだまま、私の隣で軍曹さんは謝罪なさったのです。

 

「〈華〉のニイタカ メネリック、それは失くした私の名です」


 雲間から差し込む月光。

 同じ亜麻色の髪は、風に吹かれ、悲しく輝きました。


「遠い異国の地で、私は私で無くなりました。身に覚えのない罪、銃殺刑に処された父、弁明も許されませんでした。打たれた銃弾の数は、逃亡を贖うに足りませんでしたか?」

 闇に染まる鳶色の瞳。

「ぽたりぽたりと大地に落とした血も少なすぎましたか?底の見えない断崖から転落し、何故、そのまま奈落に行かなかったのかと高貴な方は思うのでしょう」

 切り立つ断崖。

 風に吹かれてからからと落ちる石たち。情景を思い起こして、私は縮み上がりました。

「自分が死にゆく音が聞こえました」

 遠い異国の地。

 軍曹さんがたった一人で受けられた苦しみ。

「僅かな光明もない暗闇の世界で、少しずつ自分が死んで行く。何もかも失くし絶望の果てに思うのは、あなたのことだけでした」


 セシカさん、あなたのことだけ。


 あなたの元へ必ず帰ります。セシカさん。


「その思いが私を生かした。西国から練国に渡り、安寧な生活を送ることも望めましたが、あなたがいない日々は耐えられなかった」


 あなたは私のそら。

 あなたを失くしては息もできない。


「たった一目で良かったのです、セシカさん、あなたに逢いたかった」


 もう限界でした。

 軍曹さんが苦しまれる中、私は、のうのうと暮らしていたのです。どうして西国へ飛んで行かなかったのでしょう。

 あなたのお傍が私の居場所なのに。


 必死で留めていた涙が、ぽろりと一粒、頬を伝いました。


 あなたが苦しむなら私も。

 どうか一緒に。


「一目だけ。一目あなたの姿を目に焼き付け、それで全てを諦めようと思っていました。私の存在は混乱を招くだけで、誰も幸せにできないと知っていましたから」

 ゆっくりと瞬いて、鳶色の奥で立ち上がる炎。

「ですが」

 社長とイレフ様に向けられた光は鋭く刺すようでした。

「あなた方がセシカさんの隣に立つことだけは許せません。どうしても」


 メネリック家を無実の罪に貶めたあなた方。

 〈貴〉のウィアヌス家。

 私の全てを奪い、次は、セシカさん。あなたまでも。


「戯言も大概にしろっ」

「アサツキ少尉、彼を拘束せよ」


 イレフ様の命を受けたとはいえ、兄様が軍曹さんを拘束される姿に、私の頭から血の気が引いて行きました。

「に、兄様っ」

 手を伸ばしましたが、社長、どうして邪魔をなさるのですか。大きな体でぎゅっとされては軍曹さんに届きません。

 放してください。私、軍曹さんの元へ行きたいのです。

「連れて行け。アサツキ、お前はこっちだ」


「軍曹さん、軍曹さん、軍曹さんっ」

 もう滅茶苦茶に暴れました。

 肘打ちに膝蹴り、どうして脛を蹴られても社長は平気なのでしょう?

 長身の社長は壁のようで、悔しいけれど私の力などちっとも通じません。アサツキ、と何度も名を呼ばれ宥められましたが、いやっ。

「放してく」

「放さん。二度と放さない」

「や」

「暴れるとサージェを煽るだけだよ、ウサギさん。食べられたくなかったら大人しくしていなさい」

「食べられてもいいですっ、それよりも」

 冷静さを欠いた発言でした。

 社長のお心を逆撫でしてしまったのでしょう、うんと低いお声が耳元を掠めました。

「…ほう、食っていいと」

「か、噛みついたら、や、やり返します、から」

 毅然としたつもりでした。

 けれど、ぎらりと光る社長の瞳に身体はぶるぶる震えるし、見上げる目は潤んでしまうしと自分でも情けない有様でした。

「…限界だ」

 そう呻かれた社長は、何故か、私を抱きかかえたまま走り出したのです。


 何処へ、とか。

 私の靴と鏡は、とか。

 イレフ様を置いて、とか。


 全て喉の奥で詰まって、出て来ません。

「あの男は卑劣な犯罪者だ。アサツキ、お前に信じろというのは酷かもしれん、だが、真実だ」

 少しの隙間もなく私の身体を引き寄せられた社長は、現在の状況をお教えくださいました。その言葉を裏付ける光景が、私の目に飛び込んできたのです。

「見ろ、あいつらを」

 光揚館の象徴、時計塔のある本館を取り囲まれていたのは、見知らぬ制服を纏われた方々でした。

 右肩から下がる金の飾緒。

 それに怯えるように呆然と項垂れる人々は、品の良い社交服に身を包まれて、如何にも身分高そうな方ばかりです。

「身分を利用し、光護国の女を不当に売買して利益を得ていた者どもだ」

 え…?

「そして、黒幕はメネリック。軍部から寄せられた情報の数々に裏付いた事実だ」


 私の脳裏を駆け巡る思い出。

 異国のお城のようだったメネリック家。本物のお姫様マァヤ様が住まわれて、厳しくココノエ様が守られておりました。

 至らない私を、若奥様と呼んでくださった皆さま。お友達になってくださったウルさんとカイエさん。

 今も私を支えてくださる、大切な思い出です。


 軍曹さんの大切な家族。

 あの方々を悲しませるなんて、軍曹さんは、絶対になさいません。


 ぴたりと長い脚を止められて、揺れが治まりました。何処に辿り着いたのでしょう、聞こえていた喧騒も遠ざかったようです。

 熱を孕んだ吐息が、私の髪に絡みました。

「こっちを向け、アサツキ」


 できませんでした。

 だって。

 涙が溢れて止められないのです。

 〈武〉は決して泣いてはならないのに、目から押し出された涙は次々と頬を伝い、覆った掌にぽとぽと落ちておりました。

 どんなに頑張っても、わたしはやっぱり弱虫のまま。

 意地っ張りで強情で。

 矜持だけは高くて、卑屈な私。本当の私はそんなみっともない女で、誰にも知られないよう隠して参りました。

 大恩ある社長であっても、お見せできません。


 でも、軍曹さんだけには。


 軍曹さん、あなたは私のそらです。

 どんなにみっともない姿も、あなただけに。

 涙は、あなたの胸で流したいのです。


「アサツキ、頼む。顔を」

 懇願されても、駄目なのです。

「お前の顔が見たい」

 私に巻き付いた硬い腕が、ふと緩みました。

「俺は、お前を」

「やっ」

 出来た隙間に手をねじ込んで、どんと突き放しました。私もたたら踏んで、行き止まりの壁にぶつかってしまいましたが、何とか体勢を整えます。

 僅かな灯りに照らされた社長の、強張ったお顔。

 傷つかれたような。

「大丈夫か。どこか怪我をしなかったか」

 それでも心配を滲ませて、腕を伸ばされる社長の姿に、私はぎゅっと身を竦めました。

「軍曹さんは、そのような方ではございません。誤解です」

「…俺を疑うのか。お前はあいつを信じるのか」

「私は」


 私は、軍曹さんを信じます。

 けれども。

 同じくらい、社長を信じております。


「私にとって社長は、厳しく深く、海のように包んでくださるお方です。誰よりも尊敬しております。信じないなんて、有り得ません」

「ならば、俺の傍に」

 仄かに熱を帯びた瞳で、一歩。

 詰められた距離に、私は、右手の欄干の上に飛び移りました。綺麗な彫刻が施された欄干の下に広がる暗い闇。

 こちらに来てはいけません。

「降りろ、アサツキっ」

 ふるふると首を振りました。

 だって。

「だって、社長は私を信じてくださらないのでしょう?」


 腕の中に囲い込んで、何も言えないようぎゅうと締め付けて、私の話を聞いてくださらない。それではいけないのです。

 適切な距離が必要なのです。

「距離、そんなもの必要ない」

「では私を信じてくださいますか。社長も軍曹さんも、お互い、誤解なさっておられるだけです。きちんとお話しする時間をください」

「…その必要は、ない」


 お言葉は、私の胸に刺さりました。


 必要ない。

 何て辛い言葉でしょう。

 

「アサツキっ」

 酷く緊迫したお声を背に、私は、暗闇へと身を躍らせました。


 乏しい灯りでしたので目測を誤ってしまいました。

 お庭の下草に着地を失敗し、勢いのまま転がってしまったのです。うう。灌木に引っ掛かり、ドレスの破ける音がしました。

 この裾さえ短ければ、もう少し上手にできたのに。

「アサツキっ、無事か。何処だ」

 ひ。

 多分、社長も同じ様に欄干から飛び降りられたのでしょう。直ぐ近くでお声が聞こえ、私は飛び上がって逃げ出しました。

「何処だ、何処にいる。頼む。出て来てくれ」

 アサツキ、アサツキと呼ばれるお声に、私の心臓はきゅうと痛みます。心配してくださると理解しておりました。

 大丈夫ですと、本当は言いたいのです。でも。


 私が信じていても、社長は私を信じてくださらない。


 社長に拒否されたのです。

 悲しい気持ちで胸が塞ぎました。

 いいえ、だめ。

 今、考えるべきは軍曹さんのこと。


 私にできることをしなくては。

 ああ、そうだわ。

 兄様に。


 ざざ。

 背後に威圧感を感じながら、背丈ほどの垣根を割りました。枝にあちこち引っ掛けながら、ようやく飛び出した先には。

「きゃあっ」

 ど、どなたかがいらしたようです。辛うじて身を躱しましたが、驚かれた女性の高いお声がいたしました。

 も、申し訳ございませんっ。

 がばりと頭を垂れて謝罪する私の耳に、歌うようなお声が届きます。

「あなた」


 このお方は。




お読みいただき、ありがとうございました。

第一稿では部屋に連れ込まれたセシカ。

だめぇと冷や汗を流しました。

何度も書き直し…あ、危うく回避。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ