十二 さあ一歩です
「手放すよ、君を」
少し寂しそうに、それでも、いつもの優しいお声でイレフ様は私の我が儘を許してくださいました。
「でも忘れないで、僕は君の味方だと。困った時や辛い時には、必ず教えて欲しい。今度こそ助けに行くからね」
イレフ様。
そして、侍女頭のオオテ様からも胸温まるお言葉をいただきました。
「侍女を束ねる者として今まで数多の女性と関わってまいりましたが、お嬢様は、高い資質が備わってございます。自分を卑下なさいますな、お嬢様はお嬢様。他の人と比べる必要はないのです」
どうしよう。
胸が一杯で、何も言えなくなりました。
丁重なご挨拶の後〈貴〉のお城を離れ、南区にある社長のお邸に向かいました。当然、社長と同乗です。
社長への感謝はどんな言葉でも表しきれません。
無言で窓の外を見つめられる社長と、結局、一度も視線が合いませんでした。でも潤んでしまった目を見られずに済んで、良かったのでしょう。
「社長?」
僅かに覗く頬から顎の線が、ええと、震えていらっしゃいませんか?
「…行くな」
「え?」
何かおっしゃたようですが、もしかして、馬車に酔ってしまわれたのでは。
お隣の座席、空けますから横になってください。襟元も緩められて楽なように、え、どうして手を握られるのでしょう。
お背中を、擦れませんよ?
そんなにもお辛いのでしょうか、首を傾げる私の手を、大きな手で包まれたまま、社長はご自身の頬へと押し当てられたのです。
ええと?
「お熱を測れとの意味ですか、そんなに熱くないようですよ?」
馬車は沈黙を乗せて、滑るように進みました。
帝都の門をくぐり南区へと入りますと、久しぶりの街並みに胸がつんといたしました。賑やかで、通りを歩くご婦人方の明るいお顔。
「ア、アサツキ殿っ」
降車すると、え、何故でしょう、部下の皆さまが揃いも揃われて、くしゃりと眉を歪ませられていらっしゃるではございませんか。
な、何か大事ですか?
「おっ、お許しくだされ、アサツキ殿。サージェット様がお守りできず」
「我らが謝ります。何度も謝りますから、どうかどうか」
「サージェット様を捨てないでくだされっ」
す、捨て?
威厳満ち溢れる皆さまにおいおいと泣かれ、どうしよう、何が起こったのでしょう。
「サージェット様は何処だ、どうしてアサツキ殿を説得せんのだ」
「執務室に籠ってしまわれた…酷い顔色だったぞ」
「…サージェット様、ようやく自覚なさったのに…」
がくり。
肩を落とされた皆さまは、もしかして、私を引き留めようとしてくださっているのかしら。
どうしよう、嬉しい。
ありがたくて、ありがたくて。温まる胸の内を拙い言葉でしか皆さまにお伝えできません。それに、私が社長の元を離れる理由も説明いたしました。
「うう、アサツキ殿」
「いっそのこと距離が奮起剤となるやも知れん」
「そうなることを願うばかりだ」
何故か皆さまの涙は止まることも無く、それでも、分かっていただけたようです。
これも持って行きなさい、あれも入れなさい、と滂沱の涙を流されながら荷造りを手伝って皆さまのお心、本当にありがたいです。
う、嬉しいのですが、鞄はもうぎゅうぎゅうです…。
用意が整った頃、部下の皆さまの目は真っ赤で、またしても私の瞳は潤んでしまいました。社長はもうお仕事に取り組まれており、お邪魔にならないよう、扉の前でお礼をいたしました。
「今まで、本当にお世話になりました。ありがとうございました」
大きな机に向かわれるそのお姿は、普段通りでした。
無言で書類を見つめられる漆黒の瞳も、難しそうに寄せられた眉間も。
大きな手も。
ああ。
やっぱり社長は素晴らしいお方です。落ち着きがあって、頼りがいがあって、お仕事に真摯に向き合われる姿勢は尊敬せずにいられません。
社長。
お傍でお仕事させていただき、幸せでした。
たくさんの感謝を込めて、深々と頭を下げ、扉を閉めました。
ぱたん。
見送りは悲しくなりますからとお断りさせていただいて、社長のお邸を離れました。何度も振り返り、礼をして、門の外に一歩踏み出した時。
足は止まってしまいましたけれど。
「アサツキ」
社長のお声が聞こえるなんて、有り得ませんのに。
心細くとも、一人で頑張らなければ。
さあ一歩です。
長屋に帰りたい。
心の奥から湧き上がる思いは、けれども社長と離れ、ウィア版元の社員でも無くなった今、押し込めるしかございません。
私は、自分の足で立たなければ。
自分自身の居場所を求め、帝都を捨て、ここまで来たのですから。
また、新しい場所を探すのです。
初めての道を迷いながら、歩いて、求人票を探しました。目についたお食事処や小売店、勇気を出して、飛び込んでみました。
が。
「間に合っているよ、すまないね」
「あ、あんた、ウィア社長の…っ」
「いやいや、ウチではちょっと」
お断りされてしまいました、うん当然ですが、やっぱり紹介状がございませんと不利です。社長に、いえ、せめてどなたかに一筆書いてくださいと甘えるべきでしたでしょうか。
だって。
兄様のおっしゃる通り、私は、意地っ張りなのです。
考えなしだって叱られそうですが、だって、結婚なんて持ち出して揶揄われたのですよ。く、悔しく思ってしまって。
結局この日は、部下の方々にご紹介いただいたお宿に一旦身を寄せました。
三日間、頑張りました。
でも。
手元は段々寂しくなってまいりましたし、うう、イレフ様にいただいた入都許可書を使うべきでしょうか。
幌の付いた荷馬車の停留所へと向かう足取りは、ちょっぴり重く、だからお野菜の並べられたお店の前で立ち止まってしまいました。
「シ、シャテください。主人がどうしても食べたいって言うんです」
少し高めの女性の声。
「そんな事言われても、ウチでは扱ってないよ」
「それじゃあ困るんです、絶対に買って帰らないと」
何だか大層困った様子に聞こえました。
「シャテが食べたいって、癇癪を起されて」
「はて何だろうね、異人さんの食べ物は分からんねぇ」
「あの」
つい、お店の暖簾を潜ってしまいました。前掛けをされたお店のご主人と、ぷっくりした頬が愛らしい女性の四つの瞳が向けられます。
「その方は栗が食べたいのではないでしょうか?」
シャティーニュ、つまり、栗?
折しも、青い空は高く、白い雲は鱗のように綺麗な季節となりました。遠い列強の国々では、大変親しみのある食材です。
「異国語が分かるの?ええと、アサツキ、さん?」
「はい。でもほんの少しだけです。リンさん」
素敵なお名前がお似合いのリンさんは、可愛らしい方でした。
田舎から出てきたのよ、八番目の娘だから働かなくちゃいけないの、今は異国のご夫婦にお仕えしているけどとっても大変なのよ。
くるくるとお話しくださるので聞き入ってしまいます。
「栗って茹でるだけでもいいの?駄目よね…」
「じゃあ、何かお作りしましょうか?」
「本当?」
くるんと明るいお顔になられるリンさん。
「ウチに来て作ってくれる?わぁ助かったぁ」
あたし料理苦手なのとぺろっと舌を出される愛らしさに、益々、私はにこにこしてしまいました。
甘藷も追加で購入しました。
リンさんとおしゃべりしながら街並みを歩けば、すぐに大き目の商家に辿り着きました。裏口の門を抜け、お庭の離れへと案内されます。
「異国のご夫妻と言っても奥様はこの国出身なの。異人と結婚するなんてふしだらよね、だから、あたしの他にお手伝いさんがいないの」
苦労するわと唇を尖らせるリンさん。
女性は家の繁栄のため尽くすべしと、私たちは、小さな頃から教わります。異国と交流が盛んになった今でも、男性はともかく、異国の方と結婚する女性は本当に稀なのです。
家名に泥を塗ったと思われます。
リンさんのように忌避される方も、まだ多いのでしょう。
あの二人のお姿が、脳裏を掠めました。
お勝手から上がらせていただいた台所は小さなものでしたが、ガスも完備され、真新しい調理器具も一揃えございました。
では。
袂の襷をきゅっと絞めて、よし。
リンさんが栗の皮を上手に剥いでくださったので、茹でて湯を捨て、三度繰り返して、次は砂糖とお塩を入れて。
甘露煮の完成です。ふかした甘藷は笊で濾し、最後に甘露煮と合わせます。
できました、金色に輝く栗きんとん。
そ、素朴過ぎるでしょうか。
「そんなことないよ、すごくおいしいっ」
味見されるリンさんの表情にほっとして、戸棚に仕舞われた異国製の茶器と茶葉もご用意しました。熱々のお湯も。
「ね、お茶も淹れてくれる?異国の物って慣れないの」
リンさんから背中を押されて、廊下を通り、居間へ向かうこととなりました。え、い、いいのかしら。
「奥様、リンです」
襖も障子も異国仕様ではございませんが、お部屋には照明が灯され、背もたれのある椅子も、足の長い机も素敵でした。
ですが。
敷かれた絨毯の上に広がる鮮やかな衣装たち。高価そうな宝飾の数々。それに、え、華やかなレースのあれは、し、下着?
「遅いわ、リン。シャティーニュはあったの?」
緩やかに結われた射干玉の髪に輝く翡翠、まるでそのお方自らのよう。
あ。
先程、脳裏に浮かんだお方が、そこにいらっしゃいました。
ニダカ トエルフ リーク様、の、奥方様。
「あら、あなたは確か、交流会の時の天女ね?」
香り立つ色香に圧倒されて、はっ、慌てて礼をいたしました。何をお話ししたらいいのでしょうか。と、取りあえずお茶を。
こぽこぽ。
可愛い音と、立ち上る柔らかい湯気。
「奥様、お知り合いでしたか?町で出会った親切な方です」
「シャティーニュね。リン、は、作れないだろうからあなたが作ったの?」
優雅に座られるその椅子の上には、お化粧瓶が乗っており、さっと取り上げました。異国製のガラスは薄く、お尻を乗せたなら、割れてしまいます。
ひやりとしたのは私だけで、奥様もリンさんも、ちっとも気にされていらっしゃらない。
「まぁっ、美味しい」
素手でぱくりと一口で食べられる奥様、え、あの楊枝は横にございます。必要なかったですか、そうですか。
私は、無意識に、足元に落ちていた衣装を畳んでいたようです。いえ、し、下着は女性同士とはいえ、恥ずかしいものですから。つい。
「奥様、あたしにも残してくださいね」
お茶をいただく奥様の横で、じっと視線を栗きんとんに固定されたリンさん。誰も咎めませんので、そのまま、お部屋の片づけを始めた私でした。
だ、だって。
「あなたってすごいわぁ」
奥様もリンさんも、しきりに褒めてくださいました。
あちこちに散らばった衣装を吊るし、宝石を布で磨いて箱にお入れしただけなのですが、何故。
「あたくし、片づけって大嫌いなの。リンも役に立たなくて」
「異国の物の手入れ方法など、知らないですもん」
「ねぇ、あなた、あたくしを手伝ってくれないかしら?」
は?
この日、私は、新しい居場所を手にしたのです。
身を切るように、切なくなる居場所を。
お読みいただき、ありがとうございました。
GWですので、ほのぼのしてみました。




