243/過去編――二〇〇三年~仮初の少女
過去編――二〇〇三年/
スヴャトは「使命」の途中で休息を取るように、時々は「S市」を訪れていた。
その度に孫のジョーと「紫の館」で過ごす時間が楽しみでもあった。ジョーは、少しずつ成長していて、彼はそんなジョーを優しく見守っているのだ。それはとても穏やかな時間だった。ジョーと交わす何気ない会話の節々に、彼は喜びを感じていた。
一方で、そんな孫のジョーの存在こそが、スヴャトに「最後の旅立ち」の時が迫ってきているのを自覚させた。例えば、こんな会話があった。
「じゃあ。結局、『宇宙の果て』に何があるのか。どうなっているのか。全然分かってないってことなのか?」
「現在の科学の範疇でしか『解釈』できない、ということさ。だが、科学――あるパラダイムそのものが変わったり、拡張されたり、ということもこれから起こり得るだろう。それは歴史上も、何度も起こってきたことだからな」
「うーん。よく分からないな」
ジョーと話していると、温かい気持ちになれる。スヴャトにとってこの温かさは、この身を賭して守るに足るものに思われるのだ。
心に棘が刺さったまま旅を続けていた。
いつか決着を着けねばならないことは分かっていた。
最後に、スヴャトが向かうべき戦場は。
――アルティナードルグ城跡。
一九六三年に一度交戦したあの場所の附近に、この世界の全てのオントロジカを収奪せんとする者――今では「真実大王」とまで名乗るようになった――ヴァルケニオンの拠点があることを突き止めていた。
先延ばしにしてきたことを、そろそろやると、決断しなくてはならない。長い人生の旅路であった。スヴャトはようやっと「この世で最も確かなもの」を自覚しつつあったのだ。
しばし思索にふけっていると、いつものように扉の外に気配が現れた。ジョーであろう。
「どうぞ」
ゆっくりと扉が開くと、一つ、いつもと違う点があった。ジョーの隣に、一人の少女が佇んでいたのだ。
黒髪を左右で藍色のリボンにまとめた、俗に言うツインテールの髪型をしている。パッチリと開いた瞳と、柔らかな肌。細かい刺繍が入った白のブラウスと紺のスカートのコーデで、落ちついた印象を受ける。
少女はスヴャトと目が合うと、軽く会釈して自己紹介をした。
「空瀬アスミ、です」
スヴャトは、背中に稲妻が走ったような衝撃を覚えた。まごうことない、二〇〇一年に「S市」のツインタワーの下でスヴャトが「再臨」させた、人形師・空瀬アリカの娘であった。
「ようよう。ジョーよ。ガールフレンドがおったのか」
「そんなんじゃ……」
ジョーが言葉を言い切る前に、アスミが継いだ。
「ないですけど」
「ほっほ。若いのう」
陽気でファンキーなお爺ちゃんを演じながら、透徹に空瀬アスミの身体を観察する。
やはり、認識阻害のリボンをつけているが、身体の本体は空瀬アリカ作の何体目かの義体であり、左手の薬指にはあの日スヴャトが渡した指輪を嵌めていた。
少しだけ、あの「再臨」の事件のその後の経緯を語っておくのならば。
あの日、弓村理子と空瀬弓姫から譲り受けたオントロジカは十二年分である。しかし、空瀬アリカ作の義体は、その性質上一年分しかオントロジカを蓄積できない。空瀬アスミという存在は、一年が経つ度に次の義体へと「再臨」を繰り返す必要があった。
一方でスヴャトには世界を回る己の「使命」があった。必ずしも空瀬アスミの誕生日に立ち会って「再臨」を手助けすることができるかは分からない。
よってスヴャトは中谷理華の「本当の本質能力」の力を借りて、「構築物の歴史図書館」のうちの「再臨」の能力を、一つの指輪に封印した。同時に十二年分のオントロジカも指輪に紐付した。これで、例えスヴャトが死んだとしても、十二年間は指輪を次の義体に嵌めかえることで、「再臨」は続けられるはずだった。
その後。スヴャトは空瀬アリカにも空瀬アスミにも会ってはいなかった。無事ならば「S市」で暮らしていることは知っていても、こちらから特別に連絡を取るということもしなかった。しかるに、今、思いがけず目の前に現れた少女を見やるに。
(何体目かの義体か。どうやら、今の所「再臨」は上手く行っているらしい)
少女が左手の薬指に嵌めている指輪は、いつか約束した、妻のアンナに贈ろうと思っていたものでもある。あの日ツインタワーでの事件がなければ、何年遅れかは分からないけれど、一度妻の元を訪れて渡すつもりでいたものだ。
スヴャトは、空瀬アスミの未来に想いを馳せた。
(こんな。僕のような人間でさえ、アンナと結婚し、子や孫に恵まれ、幾ばくかの優しい「日常」を過ごせた)
しかるに、この少女の仮初の命は十二年分しかなく、数えるならばそう、二〇一三年の彼女の誕生日に、唐突に終わりを迎えるのだ。
どんなに幸せに暮らすことができていたとしても、ある日、破綻的な出来事はやってくる。「日常」は終わる。スヴャトだって、経験がある。この世界はそういうものだともどこかで思っている。それでも。
「スヴャト……さん?」
凝視するスヴャトをアスミは訝しんだ。
「ああ。いやいや。ジョーにはもったいないお嬢さんだなんて、考えていたのさ」
ああ。この自分が永遠に生きられたなら、いつまでもこの少女の「再臨」を手伝ってやることだって、できるかもしれないのに。
しかるに、この後訪れるアルティナードルグ城跡でのヴァルケニオンとの最後の戦いでは、自分が生きて帰れる保証はないだろう。
スヴャトは、自分が死んだ後のことに関して思考を巡らせ始めた。
干渉するならば、二つの可能性がある。
孫のジョーと空瀬アスミは、軽口を言い合いながら、笑い合っている。二人とも本が好きなのは好ましいことにも思えた。
スヴャトは一人、納得するように頷くと、一つの決意を固めた。
――この宮澤新和/スヴャトポルクの命が終わりを迎える前に、空瀬アスミの母。人形師・空瀬アリカに手紙を残さなくてはならない。
/過去編――二〇〇三年




