242/本との再会
中谷理華と別れてから、どれだけの時間が経ったのか、あるいは経っていないのか、分からない。この「狭間」の空間である「紫の館」では、時間が本当に過去から未来へと流れているのか、原因の次に結果が来るのか、そういった「世界」の前提が、何だか曖昧なものに感じられてしまうのだ。扉が開き切るまでにどれだけの時間が流れたのかも、既によく分からない。
自分も「世界」も何だか不確かだ。そんな感覚を感じながらジョーが開いた扉から館の内部に踏み込むと、一階は開けており、すぐに天井まで届く書架が整然と並んでいる光景が目に入った。この場所は「天文台」であると同時に、「図書館」でもあるのだ。
古い本の香りに懐かしさを覚える。やはりジョーは幼い頃に、この場所に来たことがあるのだ。
スヴャト。もうその呼称が迷いなく思いだせるくらいに、記憶が復元され始めている。この場所でいつか誰かが再び読みに来てくれるのを待っていた本たちは、彼の、スヴャトの蔵書であった。
二階への階段に向かう途中で、何だか呼ばれている気がして、何度か立ち止まって本棚の方に視線を投げた。すると決まって、いくつか幼い頃にジョーが読んだ本のタイトルが目に留まるのだ。
(ここに、あったのか)
譲り受けたと思っていたのに、いつの間にか見つからなくなっていた。それでもここで待ち続けてくれていた本たちのタイトルは。
ガリレオ・ガリレイ『星界の報告』。
ジュール・ベルヌ『月世界へ行く』。
H・G・ウェルズ『宇宙戦争』。
そして、
コンスタンチン・エドアルドヴィチ・ツィオルコフスキー『エチカ』。
(スヴャトのやつ、子供にずいぶん容赦なく難しい本を読ませてたんだな)
一歩一歩、歩を進める度に、記憶が、過去が、受け取り直されていく。
理華が言っていた望遠鏡は館の最上階にある。そこでジョーは何を知ることになるのだろう。何を選ぶことになるのだろう。不安は、ある。それでも、行かなくてはならない。
最後に階段の手前の書架で、やはり呼ばれた気がして立ち止まった。硬質な書物が多い中、ここだけは児童書のコーナーだった。
ジョーに呼びかけてきたその児童書のタイトルは。
――人間の記憶って頼りないものね。
七夕の日にアスミは、幼い頃、ジョーと一緒にこの本を読んだことがあると言っていた。あの日は、作者名を検索するのまでは思いとどまったのだが、今、背表紙には作者名も作品タイトルも記されている。
森絵都『宇宙のみなしご』。
(「S市」の図書館でじゃ、なかったんだ。アスミとこの本を読んだのは、ここでだったんだ……)
『宇宙のみなしご』の一場面が、フと頭に蘇った。
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「本当はあんた、人類滅亡の日を待ってたんじゃないの?」
わたしは一気にはきだした。
「こんな世界、さっさと終わっちゃえばいいって。みんな死んじゃえばいいって、思ってたんじゃないの? あんたいつも平気な顔してたけどさ、本当はあんたのこと無視したり、使いっぱしりにしたりするみんなが憎くて、うらんで、死んじゃえばいいって」
森絵都『宇宙のみなしご』より
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「過去」との、「真実」との再会まで、あと少し。ジョーは最上階の「観測所」を目指すべく、階段を昇りはじめた。




