241/過去編――二〇〇二年~夢の守り人
過去編――二〇〇二年/
スヴャトが「S市」の狭間の空間――「紫の館」の一室で虚空を見つめている。
幾年の月日を生きて、老齢に差し掛かるこの頃、スヴャトの「世界」の謎にまつわる研究は、一定の見解を示しつつあった。もっともそれは、「分からないことが分かった」という類の理解ではあったのだけれど。
手紙をしたため、手紙を読む時間を取る。
本日読んでいた手紙の送り主は、「S市」の影を生きる者の一人、少女・中谷理華であった。
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(前略)
ご推察の通り、一九九九年に途絶えた「S市」の三つの武家、弓村、甲剣、槍間の本質能力は、一時的に私が預かっています。
下記、三点について。
一:弓村の「映認」を「宇宙の果て」の探索に使用すること。
二:甲剣の「破認」の刀を譲り渡すこと。
三:槍間の「操認」の能力の一部を引き続き使用すること。
これらをスヴャトポルク様――宮澤新和様とお呼びした方がよろしいでしょうか……がこれまでに集めた世界中のオントロジカの半分を「対価」として、許可することについて。
了承いたします。というのも、伝承の観点からも、これら三家の本質能力の一部を、私以外が分割して継承しているということは、大事だとも思われるからです。
(後略)
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孫のカレンやジョーと近い六歳の少女が書いた文章とは思えない。スヴャトは自分自身の少年時代を思い出した。存在変動者としての資質と、年齢にそぐわない卓越した知性。彼女もまた「特別」たり得る者で、幼少期のスヴャトと似ている。彼女は、道を違えなければ良いのだけれど。
(ともあれ)
準備の一つは片付いた。
何故、三家の本質能力を借り受ける必要があったのか。それは、「守る」ことを意識し始めたからである。
二〇〇一年に空瀬アスミの「再臨」を行って以来、スヴャトの左手首には昇竜を想起させるアザが浮かび上がるようになった。昇竜は、スヴャトという存在と不可分でありつつ、時にその存在自体を食らい尽さんとするように、強い痛みを発することがあった。あの日、空瀬アスミを「再臨」させると決断した時に生じた「代償」であると、スヴャト自身は解釈していた。
あの時、空瀬アスミが背にした「S市」の並び立つツインタワーを追想すると、今では二本の沙羅双樹が連想された。
(諸行無常……盛者必衰であるか)
今、スヴャトは自分自身の「死」を意識し始めている。
何事にも、終わりはある。
人にも。
花にも。
星にも。
地球にも。太陽にも。銀河系にも。
そして、大いなる大宇宙にさえも。
そのやがて訪れる終わりの時までの僅かな時間に、スヴャトは「世界」を旅して、様々な「想い」に出会った。
喜び。悲しみ。
嬉しい。寂しい。
陽気だ。静かだ。
熱情。平安。
好き、時には嫌い。
一つとして同じ「想い」はない。また「想い」は微細なものが繋がり合いながらグラデーションを形成していたりする。「色」にたとえるなら、百色、千色、萬色が千変万化し続けているのだ。
この限られた命の中で、この限られた「世界」の中で、どれだけの「色」に出会えただろう。分けて貰っただろう。
全ては、やがて「過去」に流れていって、「夢」のようなものになる。
確かにあったものなのか、よく分からなくなってゆく。
それは、そういうものだとも思うのだけれど。
スヴャトは、この「世界」に存在する、小さかったり、独特だったりする「色」――オントロジカが、「過去」として消費されてゆく前に、その「意味」を残しておきたい。そんなことを考え始めていたのだ。
それは例えば、古い本を、そっと図書館の片隅に残しておきたいという願望と似ている。
やがて忘れられる「夢」だとしても、この「世界」のどこかで「意味」を保全し、いつか、再び開封されるかもしれない日を待っている。「過去」の「想い」が、この「世界」の片隅で、誰にも気づかれないような微細な音を残響させ続けている。そんなことが、あっても良いのではないかと。
かえりみるに「現在」の「世界」では、この「世界」を上位0.1パーセンントの強い「色」で染め抜こうとする暴力的な嵐が吹き荒れている。古かったり効率が悪かったりする本は、優れた本に淘汰されてしかりという、強い思想が全てを飲みこもうとしている。
暴風の裏の世界の中心――ヴァルケニオンは、スヴャトが死んでからも存在し続けるであろうし。また、たとえヴァルケニオンがいつか死滅する時が訪れても、また次のヴァルケニオンは現れるように思われた。それが、スヴャト自身も昔日に取りつかれた、この「世界」を取り巻く「進展」の衝動のようなものだからだ。
ささやかな。実ることもない、抵抗なのかもしれない。
それでも、思考を巡らせ、編み込んでいた。
できる限りの準備をもしてきた。
スヴャト自身が死んでしまってからも、これまで世界中から分けて貰ってきた微細だったり、偏向していたり、そのままだと見出されなかったりする十人十色・百人百色のオントロジカが、守られていくような作戦を、だ。
その点で、まず「S市」の三家の縁者の協力が得られたのはありがたかった。保険のようなものだろうか。いざという時、スヴャトが実行するつもりでいる「最後の手段」には、この三家の本質能力が必要だったからだ。
その時、スヴャトが作業をしていた「紫の館」の二階の書斎のドアを、ノックする音がした。
(おいおい。この空間には、誰も入ってこれないはずだぞ)
訝しみながらもドアを開けると、廊下に見知った少年が立っていた。
「あ、スヴャトだ」
蒼黒い髪を少し乱した童子は、鼻筋が通っていて、少々異国風の顔立ちをしている。茫洋とした瞳は捉えどころがなくて、「特別」な中谷理華とは違う。煌びやかではない少年。ただそう。スヴャトの妻の、アンナの面影がある。
孫のジョーであった。
「おやおや。ジョーよ。いったいどうやって、ワシの館に入ってきたんだ?」
スヴャトはジョーやカレンと接する時用の、「ファンキーなお爺さん」としての自分を演出しながら問いかけた。
「キラ星を追ってきた」
ジョーは顔を上げて、まっすぐな視線をスヴャトに送っている。
「落ちて行った方に走って。この辺りだと思って探してたら。なんだか、この館の前にいた。スヴャトの家だったのか」
そんなことを語るジョーを注視してみると。
孫のジョーとはこれまでも数度会っていたが、今、ようやく理解したことがある。ジョーの身体が、薄く、淡く、存在変動律に覆われているのだ。
この「紫の館」に入ってこられたのだから、間違いがないだろう。娘のカンナも、その長女のカレンも違かったので油断していた。だが、認めないとならない。ジョーは存在変動者の資質を持っている。しかも、「色」はスヴャトと同じ藤色だ。
「流れ星か。何だってそんなことを。人間が走ってキャッチしたりは、できない類のものだぞ?」
いずれ存在変動者として目覚めるであろう孫に、どう接していこうか。方針がすぐには定まらないまま、雑談のようにスヴャトはまた問いかけた。
「守らなきゃって思った」
「流れ星を?」
「うー。よく分からない。明るくて、綺麗だった。もうすぐ消えちゃうって思ったら。追いかけてた」
言葉が追いついていないけれど、ジョーはジョーなりに自分が感じたことを真面目に伝えようとしてくれていた。
「ふーむ?」
例えば、童心からくる無邪気な好奇心。子供が舞う蝶に惹かれて、自分がいる場所が分からなくなるくらい夢中になって追いかけていってしまうなんてことはあるだろう。だが、この小さなジョーという少年は、何かこの少年なりの内側の衝動があり、それゆえに走ったのだ。そんなことを語ろうとしている。娘のカンナとも、最初の孫のカレンとも違って、なんか掴みどころのないやつだなぁと思っていたのだが、「情」という名前の通り、何か強い情念を持っていたりはするのかもしれない。それがどういう類のものなのか、今はまだスヴャトにも分からなかったのだが。
「フッフ。ジョーよ、知ってるか? キラ星の正体はな……」
スヴャトに静かに湧き始めたジョーへの気持ちの方が、童心からくる無邪気な好奇心めいていた。一方で、孫である。普通に、可愛いと思ってる。
「人工衛星の燃えかす、じゃよ」
「星じゃないのか?」
「もちろん、隕石の落下の場合もあるがね。経験上、明るいのは人工衛星、つまり人間が自分たちで作った星の破片のことが多い」
スヴャトがシル・ダリヤの河岸で人類初の有人宇宙船が飛び立つのを見たのは、一九六一年だった。もはや、数多の人工衛星が地球を囲み、日々消滅してもいる時代だ。科学の「進展」の速さには、目覚ましいものがあった四十年あまりだった。
「カケラは光って、どうなるんだ?」
「やがて、燃え尽きるだろうなぁ」
「儚いな」
「難しい言葉、知ってるじゃないか」
ジョーは小さな子供なりに、何かに納得したようだった。深くうなずいている。
「今度は、キャッチするぞ!」
「フッフ。お前、面白いヤツだな」
存在変動者としての孫とどう向き合っていくか、まだ方針は明確じゃないなりに、スヴャトはこの少年としばらく話がしたいと思った。
「上の観測所に、望遠鏡があるぞ。覗いてみるか。宇宙には、まだまだ色んなものがある」
「おお……」
望遠鏡という技術を使って、観る力を上乗せして星を観測するという発想がこれまでなかったというように、ジョーは感心している様子で。
スヴャトが観測所へ続く階段に向かっていくと、ひょこひょこと後をついてきた。
この孫に、智慧を授けておくことにしようかなぁ。いつか、役に立つことがあるかもしれないし。
「なあ、ジョー」
「おう」
スヴャトは「語り」始めていた。数多のピンとくることと、ピンとこないことを経験してきた彼の長い人生の旅路の中で、それでもなお残った本当にピンとくること、大事だと思うことを。
――このジョーという少年が「守り人」であることに、スヴャトはまだ気づいていない。
孫と一緒に過ごす時間。スヴャトの最後の穏やかな日々が始まった頃だ。
/過去編――二〇〇二年




