幕間 運命の日
幕間・運命の日
神聖帝国は西方諸国の最東に位置する強国である。その歴史は古く、建国以来、北方の魔王領や、東方のアガレス教諸国からイブレーア教の盾としていくつもの戦争を乗り越えてきた、諸島連合王国や魔王領と肩を並べる三大国の一角である。
広大な国土の東部には商業都市などほとんどなく、豊富な地下資源の生産にいそしむ鉱山都市や東方防衛の為の軍事都市などがほとんどを占め、そのほかの地はやせ細く、耕作にも向いていない。それ故に人口の七割近くが帝都アステルブルクを中心とした西部で生活している。
人口百二十万人を数えるアステルブルクは内陸の都で、帝国最大の港市テリテアやフェン共和国へ直通の蒸気機関車が、二十年ほど前に開通した。ほかにも帝国各所へ繋がる主要線路が集合し、西方諸国の東部における最重要の交通網が集まっているといえる。比較的高地にあるアステルブルクの夜は例え夏であっても早く、深いのだが、近年、帝都圏に導入されたガス灯の光によって、深い闇夜の時でさえも人間の時間となったのだった。
ある冬の日の夜、帝都アステルブルクの交通の心臓とも云える、帝都中央という実にわかりやすい名前を持つ駅に一人の若者が降り立った。名前はツバサという。
「さむっ」
比較的温暖なラダナ帝国からやってきたツバサは汽車を降りた瞬間、思わずそう云ってしまった。既に冷え込んだ夜の冷気が、ツバサの息を白くさせている。その容貌は、見たものが思わずじっと見てしまうものだ。その理由は二つあり、まず、その容貌が間違いなく、美青年と称してよいものであること。第二に、多民族国家である神聖帝国であっても珍しい、短い黒髪と、翠の瞳だったことである。もし、ツバサの話す神聖語を聞けば、ラダナ帝国なまりがみてとれ、ツバサをラダナ帝国出身者だろ思うだろう。言葉のなまりの他にラダナ人は西方諸国の人間よりは黒髪や翠の瞳は珍しくないのだからなおさらだった。だが、その考えは半分だけ外れている。ツバサの両親の内、父はラダナの名門貴族だったが、母は西方諸国では蛮夷と見下される、大和帝国からの移民だった。ツバサの男だと柔らかな黒い髪は倭人の母ゆずりのものだった。
「冬の神聖帝国は始めてなのですかな?」
「ああ、他の季節には二,三度訪れたことがあるんだが。あんたは平気なのか?」
「まぁ、温暖なラダナとはまったく違うでしょうな。しかし、我らが諸島連合は北になると神聖帝国の比ではないくらい冷えますからな。あの魔王領もかくやというほどですよ」
ツバサと話をしているのは、スーツにシルクハットにステッキという、いかにも紳士という格好をした、少し太った中年の男だった。
「でも、寒いのは嫌いじゃないけどな。ラダナでは滅多に雪は降らないけど、西方諸国ではよく降るだろ? 羨ましい限りだ。幼い頃、雪遊びは年に一度か二度しかできない楽しみだったな」
「まぁ、子供の頃はそうでしたがね。この歳になると、汽車が走らなくなったり、電信が雪の重みで切れたり、商売の邪魔にしかならないのですけどね」
少し思い出に耽るツバサに苦笑しながら男はそう云った。ツバサはこの男と汽車で一緒になっただけなので詳しいことは知らないが、男は主に新大陸で採れる砂糖と綿を取引している貿易会社を営んでいると聞いた。改札をくぐったところで、男と別れる。
「貴方に神の祝福あれ、とあなたがイブレーア教徒ならそう云うところなのですがね」
男の言葉にツバサは苦笑した。ツバサ自身はラダナ帝国の国教であるアガレス教の祝福を得ていない。ツバサが祝福を受けているのは遥か東の倭国の神である。が、どちらにしろ、ツバサはイブレーア教徒ではないので確かにイブレーアの神々の祝福を受けるのはおかしいだろう。
「貴方の旅に幸あれ、といっておきますよ」
ツバサの苦笑を見た男はにっこり笑いながら付け加えた。
「じゃあ、俺からは貴方の商談に幸あれ、と云っておくよ」
男はそれを聞いて愉快そうに笑い、ステッキを突きながら駅前にあるホテルへと歩いていった。
☆ ☆ ☆
男とは、汽車の中で席が向いになっただけで、名も知らない。ツバサがただ、黙って外の景色を見ているときに突然、話しかけてきたのだ。西方諸国では汽車で同席した人と会話するのが流儀だとは聞いていたが、見るからに異教の国の出身であるツバサに積極的に話しかけてきたのは、何度か汽車に乗ったことがあったのだが――彼が初めてだった。その事を男に告げると、男は人懐っこい笑みを浮かべて答えた。
「これからは科学の時代ですよ。異教徒だろうが魔族だろうがビジネスのパートナーに成り得るのですよ。もはや肌や瞳、髪の色で争う時代ではないでしょう」
そして、自信満々に断言した。
「さっきも言いましたが、これからは科学の時代です。魔術やら宗教やらに縛られて、それが理解できない輩は今後十年で物置のガラクタになるでしょう」
ふと、ツバサは辺りを見回した。駅前はガス灯が燐々と輝き、彼の背後からは鉄の巨大な車――汽車の汽笛と走行音が聞こえる。人々が身に纏っているのは機械によって織られた綿の服で、ホテルの横には公衆電報所があり、魔王領やラダナ帝国は別にしても、西方諸国中にメッセージを送れる。これからは科学の時代、という男の台詞に、ツバサは心の中で同意した。
そして、科学や技術の時代の足音は戦場に於いて特に顕著だった。遠距離攻撃の魔術は石弓や軽火器で代用され、城壁を打ち破るのに必要だった強力な魔術は大砲で代用されるようになった。それでも、魔術に対抗できるのは魔術だけ、という図式だけは残っている為に、騎士達は衰退しつつも現存していたにだった。
そして、ツバサはその衰退しつつある世界に生きる人間だった。
ツバサは、ただの人が見れば、異国出身の美青年となるだろうが、ツバサのとっている動きを正確に認めれば、ツバサの職業を絞ることができる。ツバサのすらりとした、少しだけ小柄な身体は、常に隙のない身のこなしで帝都アステルブルクを移動し、極力、瞳を動かさないように、辺りを確認している。そして、視覚だけではなく、常に雑踏の中の”敵意””殺意”を感じ取ろうと心を研ぎ澄ませている。ツバサの職業は、ラダナ帝国の軍人だった。それも、西方諸国では騎士と呼ばれる、魔術という、科学と相反する力を使う軍人だった。
ツバサが今回、アステルブルクに滞在する時間は、僅か一日にも満たない。今回のツバサの任務は地道な情報収集や工作ではなく、暗殺であるからだ。暗殺というものは、時間を掛けた緻密な計画を元にやるのだが、ツバサが行うのは実行のみで、計画等は別の機関(軍に命令できるような、そしてその機関がどこかはツバサには知らされていない)が立てている。ツバサは頭に叩き込んだ計画書通りに、まず、駅前に止まっている辻馬車に乗り込んだ。
辻馬車に揺られながら、ツバサはこれから行う仕事について思いをめぐらしていた。ツバサが今回の仕事に対して抱いた感情の全ては負の感情で、とりわけ嫌悪感がもっとも多い割合を占めた。
「なんだかな、気が進まないな」
「ん? なんです? お客さん」
微かに、ツバサの愚痴を聞き取ったらしい、御者が尋ねた。
「いや、なんでもない」
そう答えておきながら、一人愚痴ってしまうのも仕方ないではないか、とツバサは思った。なぜなら、今回のツバサの仕事は年端もいかないような少女を殺すことだったからだ。ツバサは、自身が善良な人間とは思っていない。だが、冷酷非道な人間とも思っていない。ツバサは自身を舞台裏で活躍する軍人である、という一点を除けばごく普通の人間であると思っている。今まで受け持った暗殺は厄介な敵国の要人たちだった。だが、この少女は資料を読む限りはただの貴族の娘だ。なぜ、彼女を殺さなければならないのか、納得がいかない。もしかしたら、彼女が死ななければならない理由がラダナ帝国にはあるのかもしれないが、少なくとも、ツバサにそれは知らされていない。
ツバサは今回の仕事を命令されたときからそのことを不審に思っていた。暗殺する理由さえ、知らされていないのは、この任務がはじめてだったからだ。だが、それでも。ツバサは歯車として仕事をこなすという選択肢がもっとも無難であることには変わらない。心は痛むが少女には死んでもらわなくてはならないのだった。
☆ ☆ ☆
馬車で揺られること二時間、御者に金を支払い、帝立公園の辺りで降りた。ここからターゲットである少女の家へは、まだ、歩いて二時間ほどかかるが、これも足をなるべく残さないようにする為の行動である。もっとも、ラダナ軍部も、ツバサ自身も、異国の美青年の容姿であるツバサの痕跡を完全に消せるとは思っていない。やらないよりはマシ、というだけだ。
深夜になろうという時間になって、ようやくツバサはターゲットの屋敷へたどり着いた。屋敷は郊外の森の中にあり、辺り一面を切り開いて立てられている。景色を損なうのを、屋敷の主が嫌ったのか、屋敷の周りに塀はない。この夜の月は満月で、月明かりで、はっきりと間取りも見て取れた。
科学の力によって夜さえも自分たちの時間へと組み込んだ人間たちだが、この時間に外を出歩いているものはほとんどいない。多くのものが自宅で休んでいるか、酒場などで一日のストレスを発散している。まして、都心から外れた郊外の屋敷となれば尚更人気はない。ターゲットである少女の家系は資料によれば二流で、それゆえ、実際にツバサの見たところ、警備もザルだった。襲われることはまずないが、家門の体裁として警備員を雇っている、という感じだ
「”影”」
ツバサが呟いたのは、光を遮断する呪だった。つまりは、姿を消す呪いだ。もっとも、音は消せないし、気配も消せない。それに、ある程度魔力を持つものには歪みが見えてしまう。だが、警備の者は騎士ではなく、ただの近衛兵のようなので、問題はないだろうとツバサは考えた。
ツバサは、音を立てないように、玄関の扉の方へと歩いた。警備の男は、目の前にツバサがいるにもかかわらず、退屈そうにあくびをかみ締めている。その男を平然と横切り、しばし、玄関の扉の前に立つ。ここの正面玄関の警備が、あと十分ほどで交代することは、命令書にも記されている。
しかし、それから十分たっても特に動きはなかった。警備の男は軽くいらだっているようだった。小声で、誰かの名前と罵声を口にした。
ツバサは多少の誤差を考えて、早めに行動したのだ。だが、ツバサ自身、遅くなることはあっても、早くなることはないだろうとは思っていた。自分だって寝ずの番などという仕事は少しでも遅刻していきたいとツバサは思った。
そのとき、扉が開いた。出てきた男と、今まで警備をしていた男とが、すぐさま軽い言い合い――ふざけあっているようなささいなものだが――をはじめた。
(いける!)
ツバサは、自然に閉まっていく扉の隙間にサッと身体を滑り込ませ、屋敷への侵入を達成した。
玄関に入って直ぐにある単調な飾り気の無い廊下を歩く。ツバサの頭の中には外から確認した少女の部屋の場所が正確に記憶されていた。後五歩で、少女の部屋のはずだ。4、3、2、1、と頭の中でほとんど正確にツバサは距離を測る。歩みを止めると、ツバサの目の前には扉があった。鍵穴はついているが、無用心にもかかっていない。否、そもそも屋敷自体に警備がいるのに部屋に鍵を掛けるのはよほど警戒心の強い人間だけだろう。ツバサは扉を静かに開き、そっと身体を忍ばせた。
そこで見た光景に、ツバサは言葉を失った。
そこには、絵画で見たときよりも、ずっと美しい少女が居た。
冬の間に集中的に更新しようと思っています。
キリシア大陸物語の方は春までに、こちらは冬のうちにひと段落できると思います……




