籠の小鳥はツバサを得る Ⅰ
ツバサはうっすらと自分の意識が覚醒したことを認識した。意識は覚醒しているものの視界は暗い。目を開けばいつもの世界がツバサの翠の瞳に飛び込むのだろうが、ツバサは休日の朝のまどろみのような感覚で、始めそれを拒否した。だが、ふと、記憶の端にメイドに殴られたことが思い浮かぶと跳ねるように身を起こした。
「ってメイド!?」
体を起こすと同時にそう叫ぶと、ツバサはまず、自分に掛かっている白い布団とシーツに目がいった。それは、窓から差し込む陽の光を欄々と反射するほどに白く、また、触れている手の感触も柔らかだった。
「絹……」
かつて高級品だった絹と木綿のうち、木綿は諸島連合王国の植民地や自由連合国で大規模な綿花栽培が始まったことと、機械による製糸等が発達したことで大陸西部の庶民の手に簡単に入るようになっている。その一方で絹は、その一大産地である大華帝国や倭と称される大和帝国との貿易が本格化し、昔よりは値下りはしたが、未だに庶民がやすやすと買える値段で取引されていないのだった。
「絹がそんなに珍しいですか? 貧乏人」
ツバサに向けて至極失礼な言葉を運んだ声は、内容とは裏腹に、心地よい優しい丸みを帯びた音だった。
「いきなり飛び起きたからびっくりしたじゃないですか~」
声がした右の方を見ると、そこにはツバサを殴ったメイドの格好をした女性が一点の雲も無い、太陽空のような笑顔で椅子に座っていた。朦朧としていたため、あまりよく見ていなかった彼女の姿を確認する。外見は彼女が人間だとしたら17、8ぐらいだろうか?ヘッドドレスを抱いた、肩まで伸びた銀髪はふんわりと柔らかなウェーブが掛っている。長い睫に縁取られた瞳は青というよりは蒼というべき、澄み渡った空を連想させる色で、とても優しそうだ。顔立ちも、あの赤毛の少女と同等に整っているが、赤毛の少女の美しさが一本の名刀のように切れるような美しさとは違い、くるくると見せる、さまざまな笑顔が印象的な、向日葵を連想させる可愛らしさが目だった。全体的に、甘い春風のような雰囲気を纏った女性だった。
「やっぱりメイドだ」
他にも言うべきことや聞くべきことがあるにも関わらず、ツバサが口にしたのはそんな言葉だった。
「あーあー、私メイドじゃないですよ~軍人さんですよ~。もう、銃とかバンバン、魔法とかドンドンうっちゃいます」
メイドは笑顔で手を振り、ツバサの言葉を否定した。
「えっ、でも格好……」
目の前の女性の格好はどうみてもメイド服といわれるものだ。群青よりも少し黒い色をベースに、白のフリルがついたものだ。ただ、大げさに可愛い可愛いしている風でもなく、あくまで着ている本人の持つ本来の可愛らしさが前面に出るよう、シックな雰囲気を抑えてあるようだった。はっきり言って、ものすごく似合っている。というか、タイプだ、とツバサは思った。
「おいコラてめぇ、捕虜の癖にあんまり調子に乗らないで下さいよー。こっちにもいろいろと事情があるですからー。モニカ様の趣味とかモニカ様の趣味とか」
メイドは人懐っこそうな笑顔のまま、メイドが声だけまるでのように豹変させた。巻き舌付で。怖い。本能と理性の両面でツバサはそう感じた。
「あ、林檎食べます?」
そう思っていたら、手際よく林檎の皮を剥いて、俺の方へと差し出した。ものすごくふんわりとした笑顔で。
(やっぱりメイドさんなんじゃないだろうか……)
そんな考えが表に出ないようにツバサは強く努力しなくてはならなかった。
「起きたかしら?」
部屋のドアが開くと同時に、凛とした、聖銀で出来た鐘の響きのような声がした。ツバサは、メイド(好みのタイプ)から視線を声のした方へ移した。声の主は当然、予想がついた。
「元気そうで何よりね」
予想した通り、そこにはあの赤毛の少女が居た。その顔は余裕と優越感に満ち足りていた。けれど、不思議とツバサは腹が立たなかった。それは、それらが芸術品染みた少女の顔に、一種の生気のようなものを与えている印象を受け、その少女を、美しいと思ったからだった。
「まずは、そうね、あなたの名前を聞こうかしら?」
上から目線でそういう少女は腕を組みながら、片方の手の指で血のように紅い髪を遊びながらツバサに尋ねた……というよりは答えるように命令した、と言った方が正確だろう。それは、さっきメイドに言われた通り、ツバサが捕虜であることは状況からして明らかで、立場は少女たちの方がずっと上なのはツバサも理解していた。だが、卑屈になろう、という気はツバサにはサラサラなかった。そんな気質こそが、軍の同僚達に疎まれた原因の一つでもあったのだが。
「ちょっとまて、人に名前を尋ねるときは自分からだろう?」
敢えてツバサが反抗して見せると少女はますます悦に入ったようにクスリ、と笑った。
「一般的にはね。でも、あなたは私の眷属になったのよ。いわば我が下僕。主の方から名乗るのは妙じゃないかしら?」
「なっ! 眷属?」
少女のその言葉にはさすがにツバサも動揺せざるを得なかった。
眷属。魔族の下僕。魔族の血を与えられたことで、本来の在り方を魔族の在り方の方へと引きずられたもの。具体的には、魔族と同様に身体の老いが精神の老いと共鳴するようになる。つまり、心が老いなければ身体も老いない。ただ、心の在り方に魔族も人間も大差ないので、多くの魔族は数百年も生きれば心が摩耗し、衰弱死する。また、魔族が持つ人間がなかなか持ち得ない魔力をえられる。その魔力によって身体能力も向上する。一見いいことずくめだが、眷属は所詮、魔族の下僕。眷属をどれだけ支配できるかは、その魔族の力と眷属の力のバランスによるが、概して魔族は自らの血の入った眷属に対して強制力を発揮することができるのだ。
つまり、ツバサは起きると、人間でなくなっていたのだ。動揺しない方がおかしい。
「何を驚いているの? あれだけの傷をして眷族化以外にあなたが助かる術があるとでも?」
「それはそうだが……」
そう簡単に人を捨てたことを受け入れられるのか、とツバサは自分に問いかける。魔力が上がったり、寿命が延びたりすることはプラスかもしれない。けれども、これから少女の命令に強制的に従わせられるということを考えるとあまり良い気がしなかった。
「じゃあ何か? 今後、俺はお前のいうことに絶対服従なのか? お前の睡眠欲を満たすために添い寝したり、お前の食欲を満たすために愛情たっぷりの手料理を作ったり、お前の性的欲求を満たすために体を差し出したりしないと駄目なのか?」
「今すぐ全裸で帝都フルマラソンさせようかしら」
少女の黄金の瞳が冷たくツバサを射ぬいた。
「すいません。調子に乗りました」
ツバサは残っていたプライドを残らず捨てた。
「冗談よ」
おかしそうに少女が言った。
「ですよねー」
そうは思えなかったけどな、とツバサは思いつつも口ではそう云った。
「本当よ」
心外だという風に少女は形のよい眉をしかめた。
「なっ! おまっ。魔族って眷族の心が読めるのか?」
心を読まれたかのような展開にツバサはまたしても動揺した。
「そんなわけないじゃない。顔に書いてあるだけよ」
「そんなに顔に出るか、俺?」
一応、軍人として尋問等の受け答えの訓練などを受けているツバサには、自分がそんなに心内を顔に出しているとは思えなかった。
「まぁ、これでも何百年と生きているから、そのくらい分かるわ。魔族なら」
「ですねー」
少女の言葉にメイドも追従した。メイドの方も魔族か眷族かは判らないが、数百年を生きているらしかった。
「そもそも、眷属化は犬とか狼とか猛禽類にするものだし。人間みたいに自我が強い生き物が相手だと強制力に対する抗力があるし。まぁ、魔王ほどの力があれば人間を完全に強制力の下に置くこともできるでしょうけど」
確かにモニカの発言は正しかった。人間を眷属にして完全に”強制”できるのなら、魔王領に住む人間を全員眷属にしてしまえばいい。だが、現実として魔王領がそうしないのはそういった理由からだろう。
「それに、私、半魔族だから、人間の血が濃いとき――つまり、眼が黄金色の時は眷属への強制力を持たないわ。魔族の血を濃くしたら、強制力を持てるけど、私、魔族の血が濃くなると理性がなくなるからあんまり有効な命令できないし」
「なるほどな」
「何より、あなた、我が強そうだからどちらにしても、大して強制できなさそう」
「なんだ。だったら俺、魔力上がって、身体能力上がって、不老ってこと? いいことずくめじゃん」
まぁ、ラダナにはもう居場所はなさそうだけどな、とツバサは口には出さないで思った。
「……ひとつ忠告しておくけど」
「なんだ?」
「精神的な老いには本当に気をつけておきなさい。魔族ではしばしば、人の五歳児ぐらいの子供が次の日におじいさんになってたこともあるのよ」
「でも、俺、なんか大丈夫そうじゃないか?」
異国風の容姿のおかげで学校ではたびたびイジメにあったおかげで図太い精神の持ち主成長した、とツバサは自分で思っているし、事実としてそうであった。そして、それは、ツバサの身体から活き活きとしたモノとして滲み出ており、少し本音の付き合いをすれば他者もそれを簡単に理解できるに違いなかった。・
「それもそうね」
少女もそれを感じたのか、あっさりツバサの言葉を肯定し、その事についてはもう触れなかった。そして、次に少女がその可愛らしい唇を開き、尋ねたのは会話の始まりの事項についてだった。
「それで、あなたの名前は?」
その問いかけで、一連の会話の発端となった話題を思い出したツバサは短く答えた。
「ツバサだ。ツバサ。籍はラダナ帝国だから姓はないぞ」
「ふーん。いい名前ね。倭人とラダナ人のハーフ?」
ツバサというのは倭……即ち大和帝国の言葉である。大陸西域の人間の多くは大和の言葉を解さないので、彼らにとって変ったこの名前を褒められても、今までは明らかに社交辞令でしかなかった。けれど、今度はエンオウの意味を解していた少女なら、本当に意味までわかって言ってツバサという名前を褒めているに違いなかった。
「ああ。母が倭人だった。それで――」
「ええ、私の名前ね。私の名前は――」
「いや、お前じゃなくて、先にこっちのめちゃくちゃ可愛いらしいメイ―」
「あーこんなところにさっきまで林檎を剥いていたナイフがありますー」
ド、と続けようとしたところで、なぜかいきなり、ベッドの横にあったナイフをメイドが手に取った。なぜか、その刃の輝きと笑顔に危険なものを感じたので、ツバサはとっさに回避行動をとった。
「じゃなくて……む、胸の大きなおねーちゃんの名前を……」
だが、それは、百人中百人が回避行動に失敗したと判断せざるを得ないだろうと考えられるレベルの言葉だった。
「私を性的な目で見ないで下さい」
ところが、メイドはそう言って胸の前で隠すように腕を組んでみせただけで、特に怒りだす気配もなかった。下ネタは怒られないのだろうか、とツバサは思った。
「何? あんたセルシみたいな子がタイプなの?いっとくけど腹黒いわよ」
「えーそんなことないですよ~」
てへへ、と締まり無い顔でメイド――セルシという名前らしい――は笑った。けれど、少女の言うとおり、ツバサはセルシからどことなく黒いものは感じてはいた。だが、むしろ、あれほど乱暴な言葉を掛けられてどことなくしか感じていないツバサを少しズレていると考える人も多いに違いなかった。
「いいから、セルシ、自己紹介なさい」
頬、というより、顔全体を緩めて可愛らしく笑っているセルシに対して、少女は凛とした声で命令した。ふと、ツバサは少女の凛とした声は、誰かに命令するために与えられたのではないか、という印象を受けた。
「はい、魔王領陸軍、”魔王の目”所属セルシウス・イェルエル大尉です。セルシと呼んで下さい」
「ああ、軍人だったのか」
少女に命令されてセルシはどこか誇らしげに平均よりも大きな胸を張り、敬礼しながら言った。どうやら、セルシがメイドと呼ばれて怒るのは軍人という職業に誇りを持っているかららしかった。もともと軍人というのはその傾向が強い。しかも、俺の記憶が正しかったら、魔王の目は魔王直属の部隊だったはずだから、その想いも一際大きいに違いなかった。ツバサは本人がいる前でメイドというのは控える方針でいこうと決めた。
「で、あんたは――」
ツバサはセルシから、赤髪の少女へと目を移した。ツバサの視線を確認すると、少女はセルシと同じように高らかに胸を張って――セルシと違ってだいぶ平らだけれども――名乗った。
「わたしの名前はモニカ・スカルズガルド。モニカでいいわ」
「スカルズガルド?」
ツバサも耳にしたことのある姓だった。
(そう、確かオルキア大公国の……)
「私の父の名前はマティアス。”オルキアの夜主”マティアス・スカルズガルド」
それは、今から三百年ほど昔に、今はラダナ帝国領であるオルキア地方に君臨した魔族の大公の名前だった。魔族でありながら、イブレーア教徒の国民に慕われた、偉大なる名君。当時、自分以外、全て下僕だと言って憚らなかった魔王ですら敬意を払った盟友。ひと呼んで”オルキアの夜主”。ツバサは、まさか、その血脈がいたとは思っていなかった。ツバサはオルキアへは度々訪れたことがあるが、未だにマティアスの名は人々の口に上り、その統治を懐かしむ人も多いのだ。
「だから、か」
偉大なる王の血を引く娘が生きていたとなると、オルキア地方における影響は計りしれないものがある。だからこそ、ツバサはラダナ帝国軍にモニカの暗殺を命令され、一方で神聖帝国も魔族の血を引くにも関わらずモニカを匿っていたということだろう。
「しかし、いくら魔族とはいえ、お前幼いなー。本当に三百歳以上あるのか?」
低い身長、どことなく凛としているものの、幼さを残した顔立ち。そして、時折浮かべる、悪戯好きな子供のような笑み。オルキアの夜主が生きていたのは三百年は昔のことだ。少なくともモニカは三〇〇歳を超えていることになる。一概には言えない、が魔族といっても、300歳となれば、初老に差し掛かる歳のはずである。
「幼いとは淑女に向って失礼な奴ね」
「人の唇を奪っといて自分が淑女だなんて、なんつーずうずうしい奴なんだ」
ツバサの質問が気に食わなかったのか、少しだけモニカは不機嫌そうに口をつぐんだ。あまり聞いてよいことではなかったのか、とツバサはセルシの方を見て目で問いかけてみたが、セルシは我関せずと云ったていで、いつの間にかエンジェルスマイルを浮かべながらリンゴの皮むきを始めていた。このメイドさんはどうやら見た目ほど優しくない、ということにツバサは今さら気がついた。
「ああ……そういえば、あなた、わたしの魅了の呪いが利かなかったわね」
モニカは不機嫌さを隠そうとしたようだが、その声は最初のころよりも明らかに、不機嫌さの成分があることは誰でもわかった。だから、微妙に話がずらされたような気もしなくもないが、とりあえず、空気が悪くなることは回避されたらしいのでツバサはよしとして、モニカの外見に触れることは止め、魅了の呪について考えを巡らせた。
魅了の呪い……モニカにキスされたときに感じた妙な感覚か、とツバサはモニカの柔らかな唇の感触を思い出しながら思った。ツバサもあのキスが呪いだったということは薄々感じてはいた。けれど、ツバサは自分にそれが効かなかった理由には心当たりがあった。なぜなら……
「まぁ、そんな立派なのをつけていれば、わしの魅了の呪いから抜けたことも納得よね」
「ですよねー立派なのをつけてらっしゃいますよね~」
モニカとセルシの視線はツバサの身体の一点を見つめている。
「へっ?」
ツバサがよくよく自分の身体を見ると、身体を覆っているのはツバサがこの屋敷に来たときに着ていた服とは違う、幾分か上質な生地で出来たシンプルな寝巻だった。ツバサには自分で着替えた記憶は、当然ながらなかった。つまり、この二人のどちらか……おそらくセルシが、着替えさせたに違いなかった。
「見たなっ!」
「そりゃ、ね。あんな血まみれの服のままベッドで寝かすわけにもいかなかったし。それにぃー、そんな立派なのを隠す必要でしょう?」
「ですよね、ですよね、普通サイズぐらいなんですから気にすることないですよー」
「こっちは起き抜けだってのに、そんな下品なこというな」
自分の幾つかの発言を棚に上げておいて、ツバサがそう言うと、モニカは心底不思議そうに首をかしげた。
「ここには女しかいないのだからいいじゃない」
「ですよね、ですよね~♪」
「おい!」
ツバサが抗議しようと声をあげても、モニカは可愛らしく微笑みながらツバサをからかう作業を続けるだけである。
「えっ、もしかして私が下ネタを言っていることに、劣情を催しているのかしら?」
「黙れ。俺は普通に女が好きだけど、ロリコンじゃない」
「……普通に?女が?」
ツバサは、確かにモニカは美人だと思っていた。信じられないぐらい鮮やかな血のような赤毛。超一流の人形師が作った造形に、命を吹き込んだのではないかと疑いたくなるほど端整な顔立ち。恐ろしい白く処女雪のような肌。どことなく、鋭いものを感じさせる、黄金の瞳。モニカを構成している部位すべてが美しい。しかしそれは、触れることをためらってしまうような棘のようなものが感じられた。
それよりは、とツバサはセルシの方を見た。それよりは、セルシの方が好みといえた。柔らかそうな女性的な丸みを帯びたライン。胸は大きすぎるわけではないが、自分が女だと主張するには十分な過ぎるふくらみがある。何より、顔の造りが、芸術家を唸らせるつくりのモニカと違い、人を癒してくれるような空気を纏っている。
「お願いですから私を性的な目で見ないで下さい。私にはそっちの趣味無いんで。ていうかアレですよ? 官憲に通報しますよ」
「……」
ツバサは反論できなかった。官憲騒ぎになるような行為をするつもりはないのだが、さっきセルシを見た目が果たして性的な目であったかなかったについては自信がいまひとつ無かったのだ。
「しかし、よく堂々と女が好きって言えるわね」
「別に下品なことじゃないだろう。偽らざる自分、って奴だ」
堂々と言い切る。ツバサは自分が特殊なのはわかっている。それでも、そういう風に育ったのだから仕方がない、と思っていた。
「わーおまわりさーん、変態がなんかカッコよさげなこと云ってます~。文脈読むと全然カッコよくないですが」
このメイドさん、俺のこと嫌いなのかな? ツバサはそう思った。
「で、あなたこれからどうするの? わたしとしては、そろそろ腕の立つ用心棒が欲しいと思ってたところなんだけどね」
ツバサが心中でセルシの自分に対する好感度はいか程か、ということについて思索しようと思ったところで、モニカが話しの流れを区切るように言った。
「と、いうと?」
「数十年のうちに必ずラダナ帝国は崩壊するわ。今のうちに見放すのが得策よ」
ツバサが産まれ育った国の暗い未来を、モニカは冷たく断言した。
「神聖帝国と魔王領という二つの強敵の前に今のラダナ帝国は成す術を持たない。そして、ラダナ帝国が崩壊すれば……」
「各地でかつての王家が復権するかもしれない、か」
ラダナ帝国は征服によって多くの国家を滅ぼして現在の広大な姿になった。そのラダナ帝国が崩壊すれば、滅ぼされた旧主家が各地で復活する可能性はかなり高いと云える。
そうなると、旧オルキア大公国の王族であるモニカはその中でもとびっきりの名門に当たった。モニカのいうようにラダナ帝国崩壊の兆しは各所に見られていた。そうすると、列強が彼女の身を欲する傾向は今後も強まっていくに違いし、用心棒とやらを必要とするのも納得がいった。
「まぁ、俺も今さら軍に戻ろうとかいう気はないし、別に用心棒になるのは構わない」
ツバサは眷属となったのが国にバレたら、どうなるか考えただけでもゾッとした。近年、ラダナ帝国では、魔王領に日々脅威を感じているためか、急速に魔族迫害が進みつつあったからである。だから、ツバサは用心棒になるのは構わないと思った。構わないのだが――。
「けどな、その前にぶん殴ってやらないといけない奴がいるんだよな」
「へぇ、誰よ」
モニカはツバサの言葉に興味を持ったようだった。
「俺は、お前が半魔族とは知らなかった。そもそも、今回の任務は妙なところが多かった」
「確かに、それは気になったわね。あなた、わたしの名前も知らなかったみたいだし」
モニカもツバサの考えに同意し、その横ではウンウン、とセルシが首を振っていた。
「けど、こんな重要な事、普通は事前に知らされるはずだ。なのに、実際に俺は何も知らなかった」
「つまり――」
「嵌められたってとこですかねー」
そういうことだろう、とツバサは思った。異国風の容貌で、倭国の神の祝福を受けた異教徒。そんな自分を嫌う同僚が数人、すぐに頭に思い浮かんだ。彼らは連絡の途切れた自分を死んだと思って祝杯でも挙げているのかもしれない。ツバサは想像してたらますます腹が立ってきた。ツバサは絶対に彼らをぶん殴ってやろうと決意した。
「というわけで、俺は俺を嵌めた奴をぶん殴らないと気がすまない。必ず戻ってくるからとりあえずラダナへ行かせてくれ」
「そうはいいますけど、信じられませんよーそんなこと」
モニカの代わりにセルシがそう答えた。ものすごい笑顔で信じられないとかいわれると、ひどく傷つく。だが、それは当然のことだった。ツバサが戻ってくるという保証はどこにもないからだ。
「それは俺を信じてくれるしかないな」
「うーん。わかったわ」
予想外な事に、モニカは了承した。その隣で、セルシは驚いたように尋ねた。
「えっ?いいのですかモニカ様?」
「ええ、その代わりに私も一緒にラダナに行くけれどね」
燃えるような腰まで伸びた赤毛を掻きあげながら宣言した。
「はっ?」
「はいっ?」
「なっ! どうしてですかモニカ様!」
「ねぇ、ツバサ」
「なんだ?」
「あなたの名前”ツバサ”って”翼”って意味でしょう?」
「ああ、確かにそうだが」
言葉にそれがどうかしたのか? というニュアンスを含ませてモニカの言葉をツバサは肯定した。
モニカはツバサの含みには答えぬまま、優雅な動作でバルコニーへのガラス戸の方へと歩みよった。今まで意識していなかったが、もう時は昼近いらしく、燦燦と光がガラスを通して部屋へと差し込んでいる。
その光を白い肌で眩しそうに浴び、物欲しそうに、寂しそうに、金色の瞳を外へと向けながら言った。
「わたしはね、籠の小鳥だったのよ。もう、何十年もこの屋敷にいる。その前は魔横領。その前はジャフニア。ずっと同じ飼い主に飼われていたわけではないけれど、私は所詮籠の小鳥。そんなことに翼がやってきた。これが飛ばずにいられないでしょう」
「理由になっていません、姫様!」
セルシがモニカの言葉に対して言い返した。ツバサもまったくもってその通りだと思った。
「雅びというものがわからないのかしらね」
「ミヤビ?」
やれやれ、という風にモニカが言った言葉の一部をそのまま疑問形にして、口にしたセルシが首をかしげた。
「倭人の血を引くあなたならわかるでしょう・」
「ミヤビ? ああ……えーと”雅”だったっけ。確か、趣があるとか」
ツバサは曖昧な記憶を掘り起こし、そんな意味だった気がするなぁー、と思った。
「まぁ、だいたいそんな感じだけれど……。倭人の血を引いているくせに雅もよく理解できてないの」
ツバサは自分がラダナ生まれのラダナ育ちなので少し難しめの倭語の意味を知らなくても仕方がないのではないか、と不満に思ったが、となりでセルシは『オモムキ?』などと首をさらに傾げていたセルシをその翠眼に収めるとその感情は霧散した。その姿はリスがエサを食べるように頭を揺らすような愛らしさがあった。
ツバサがメイドウォッチングをしていたのには気づかず、ミヤビやオモムキについて悩むのを辞めたセルシは今までで一番強い声をあげた。
「とにかく、そのミヤビというわけのわからないものは、姫様がラダナへ行く理由にはなりません!」
口には出さないが、ツバサの表情もあからさまにセルシに同意しているのがモニカにも見て取れた。それを認識すると、モニカは途端に不機嫌になって冷たく言い放った。
「……セルシ、あなた、調子に乗らないで」
一瞬にして場の空気が凍りついた。瞳は黄金眼のままだったが、その威圧というか、空気というか、身にまとっているものは瞳が紅いときのモニカほどもあった。
「私は魔族だけれど魔王に忠誠を誓ったことはないわ。あなたは魔王が勝手に送ってきた護衛・兼・監視。わたしの決定に反抗することは許されてないわ。それに、いいたくないけど、あなたは私の眷属なのよ」
魔族が魔族を眷属にした話は聞かないから、セルシは元は人間だったのだろう、とツバサは頭の中で推測した。そこまで怒りに身を任せて言葉を発していたモニカは少し、冷静になって付け加えた。
「それにあなた、本当にツバサとわたしが出会ったことが運命ではないと断言できるのかしら? できないわよね? あなたには」
その言葉は、ツバサには意味がよく理解できなかったが、セルシには効果があったらしく、少しの間押し黙ってしまった。それでも、結局、精一杯の抵抗として、口を開いた。
「……ですが、神聖帝国側もそれを許すとは思えません。かといって、黙って出て行ったら、もう二度とここには帰ってこれなくなります」
「それはわたしが今から説得しに行くから問題ないわ」
それはとても難しい事だとツバサは思ったのだが、モニカは自信満々に言い放った。主にそうまで言われては、セルシもこれ以上何も言えないようすだった。それを少し不憫に思って代わりにツバサがセルシの立場でモニカの真意を探る役目を買って出た。
「でも、本当にどうしてラダナに行こうと思ったんだ?」
「三百年ぶりの里帰りをしてみたくなったのよ」
思ったより素直にモニカは答えた。が、それならばセルシにも最初からそう言えばよかったわけで、恐らく、丁度よく言い訳が思い浮かび、それを答えただけだ、とツバサは考えた。
「それじゃあ、あなたもそこにある服に着替えて。もうしばらくしてから皇帝を説得しにいくから」
モニカが目で示した先には、神聖帝国の若者がよく着る服装の上下があった。これらが、男物だったのでツバサは安堵を覚えた。しかし、それと同時にこのようなラフな格好で皇帝に会いに行ってよいのだろうか、とか、そもそも自分も皇帝に面会するのか、という考えがツバサには浮かんだ。
だが、それらの考えよりもモニカに聞きたい事があったのを、モニカとセルシの2人が部屋を後にする直前に思い出した。
「最後に聞いておきたいんだけどさ、あれってお前の趣味なの?」
セルシ、というかセルシの着ているメイド服を指差して尋ねた。
「ええ、可愛いでしょ」
「ああ、グッジョブだ」
真剣な表情で、ツバサはモニカに親指を立てた。
「あなたも着てみる?」
「……」
モニカのその言葉に、ツバサはモニカの趣味はあまり良くないのかもしれない、と思い直した。
どうでしょうか?
感想等お待ちしています。




