運命の時
家族の誕生日には、決まって公爵家の屋敷で夜会が開かれる。
今日は、イヴェットが主役の日だ。そして、最後の日。
父から贈られたドレスは、繊細なレースと刺繍がそれはもう見事な、淡い翡翠色。
白金の布地に紫紺の糸が飾られた髪飾りは、思春期らしくむすりとした弟からもらったものだ。
「こんなにも麗しいあなたの隣にいられる栄誉を、心より感謝しています」
そして、なぜかエスコートは、婚約していないはずのフランソワ。いつの間にか決定していた。
紫紺の正装は、あちらこちらに翡翠色が差し色に使われていて、揃いであることは一目瞭然。
色気滴る青年の柔らかい微笑に、そわりと弾む胸を抑えつつ、イヴェットは笑みを返した。
「イヴェット嬢。私からは、こちらを」
そっと手を取られ、隠していないそれにするりと手袋をはめられた。
淡い白金と、手首の裏にさりげなく彼の瞳と同じエメラルドの家紋の刺繍。
「あの、これは……」
家紋入りのプレゼントとは、求婚と同義だ。
慌てて顔を上げるイヴェットを、フランソワはただ静かな微笑みで留めた。
「お守りとして、今夜は身につけていてください。あたたかいでしょう」
確かに、普段つけている手袋よりも少し厚手で、寒さはマシかもしれない。
呆然と頷きながら、イヴェットは混乱していた。
────なぜ、今日なの。
その腕を許されるのは、今夜で終わりなのに。
終焉のその時、彼の証を纏っていたなら、失う瞬間がより痛いのに。
けれど、ならば拒否できるかと問われれば、やはり答えは否だった。
父もフランソワも、今夜が終われば婚約を結ぶつもりでいる。終わりを知るのは、イヴェットだけ。
「…………嬉しい、です」
こぼした声には、本心だけが滲んだ。ええ、そうなの。とても嬉しいの。どうしようもないわ。
いっそ泣きたいほど、あたたかくて、罪深さすら甘やかしいくらいに。
「ありがとうございます」
あなたの名を口にできる人と、どうか幸福になってほしい。
心は引きちぎられんばかりに痛むけれど、それでも、確かに願っている。
和やかな誕生祝いのパーティーは、時間が経つにつれ人が集まり、王家主催の夜会に次ぐほどの規模になった。
王家からも王太子夫妻と第一王女が参加し、陛下からも祝辞をいただくほど。
笑顔でそつなく社交に勤しみながら、イヴェットは、これ以上ないほどの怖気を自覚していた。
前世の記憶を思い出してから、常に纏わりついているそれだが、今はひと際凍える。
すでに芯は凍りつき、冷たさより鈍痛と重圧を感じた。
すべての感覚が遠く、現実味が薄い。自分だけが世界から切り離され、隔たっているよう。
進行役が声を張り上げ、当主である父から報告があると告げる。
父の隣には弟が、フランソワに連れられてわずかに遅れつつ、イヴェットも並んだ。
「ここに、我が娘イヴェットとフランソワ・エルドラ侯爵令息との婚約を報告する。調印を」
高位貴族は確かに、重要な契約を結ぶ際には証人が必要である。多ければ多いほど、もちろん確実だ。
けれど、まさかパーティー中に調印をするとは思わなかった。
どこか別世界での出来事のような心地で、イヴェットは半ば放心してその様子を眺めた。
父の指がペンを持ち、さらさらとサインを書く。フランソワの父である侯爵も、陛下の名代である王太子も同様に。
そして、父が手袋を外しかけた、時。
「見つけたっ! あの……っ!」
澄んで響く声が、厳粛な場を切り裂いた。
咄嗟にびくりと掴まる手に力が籠ったのは、気づかれてしまっただろう。
ざっと招待客たちが道をあけた先、町娘姿でもどこか気品を漂わせるヒロインが、そこにいた。




