もう、慣れた冷たさのはず
背の中ほどまで伸びた水色の髪を一つに結び、どこか色っぽく笑う青年に、イヴェットはいつもと同じ淑女の笑みで応えた。
ゲームのお色気担当、フランソワ・エルドラ侯爵令息。
着崩しているわけでもないのに、目線というか仕草というか、とにかくどこもかしこも色気のある人だ。
ふらりとどこかへ行ってしまいそうな、掴もうにも掴めないような、そんな雰囲気を持っている。
なるほど、これはさぞモテるでしょうとイヴェットは納得した。
一度目は父を含めて顔合わせをしたものの、二度目の今日は外出に誘われた。
名前で呼んでほしいと言われたので、定型文としてイヴェットも同じ言葉を返す。
流れるようにスマートな手に導かれて、優雅にエスコートされる。
初デートに王立博物館を指定された時は、少々意外だと思ってしまった。
偏見で申し訳ないが、庭園でボートに乗るとか、花々に囲まれつつ散歩とか、そういうのが似合う人だと思ったから。
実際、彼に関する噂はそういった類のものが多い。
「イヴェット嬢、『モディロ戦記』はご存知ですか? 敵国の将が討たれたオーガル川の絵があるのです」
「まあ……」
「ああ、やはりご存知でしたか。では、『偽証のノクゾイ』は?」
「ええ」
「よかった。今はもうありませんが、過去にノクゾイの像が建っていた頃の……」
フランソワは想像以上に博識で、イヴェットは普通に楽しんでしまった。
こんなに楽しいのはいつ振りか。ふと、我に返って背筋が冷たくなっても、また新しい知識が出てきて楽しくなる。
ずいぶん長い時間、博物館にいた。それでもまだ見れていない箇所があって、次の約束まで交わす。
帰りの馬車でも話題は尽きず、彼の話に相槌や返事をするのが主だったが、本当に楽しかった。
エントランスまで送り届けてくれたフランソワの深い青の瞳が、柔らかく微笑む。
「イヴェット嬢。あなたはもう少し、自信を持っていい。とても魅力的ですよ」
お色気をだだ漏れさせた青年に言われるには、少々複雑ではあったが、イヴェットは淑女の笑みで応じた。
「フランソワ様も、博識で魅力的な方ですわ」
そういえば、つい先日父にも似たようなことを言われた。
完璧な淑女として振る舞っているつもりなのに、イヴェットはそんなに自信なさげにしているだろうか。
帰っていく馬車を見送りながら、ひんやりと足元から凍りつくような感覚に襲われる。
幼い頃、自分の行く末を悟った時から、イヴェットにまとわりついて離れない怖気。
いつの間にか、もう、これが当たり前になってしまった。
ぴったりと身体に張りつくそれは、頭のてっぺんから足の先までを覆い尽くして、芯すらも凍えさせていく。
まさか、イヴェットの婚約者が攻略対象者だとは、さすがに考えていなかった。
ゲームの中のイヴェットは、婚約者にまで切り捨てられてしまったのか。そうか。
あと三ヶ月。十八歳の誕生日、誕生祝いの場にヒロインが現れる。
祝福されるために帰って来るのだ。世界の中心は、彼女だと。
「そうね……知っているわ」
イヴェットの名は、本来、彼女に与えられるもの。
幼い頃から何度呼ばれても、それが自分のものだとは、未だに思うことができないでいる。
────だから、こんなにも寒いのかしら。
ふるりと肩を震わせて、でもいつものことだとやりすごす。
何ひとつこの手には残らないのに、今のイヴェットに差し出されるものを受け取るのは、いつでも少し息苦しい。
イヴェットは、どこへも行けない。ここから動けない。
自分のことだけを優先するなら、とうの昔に飛び出している。
未成年の令嬢が家出をしたらどうなるか、わからないほど子供ではない。
筆頭公爵家の名に泥を塗り、父に恥をかかせてしまうことは、絶対にしたくない。
だから、完璧と言われるほどの教養を身につけ、社交界もそつなく泳ぐ。
もっとも望ましいのは、不要になったイヴェットを公爵家の方から捨てること。イヴェットから捨ててはいけない。
迫りくる怖気に身体を震わせて、イヴェットはじっと息を潜めた。




