いなくならなかった世界線
騒動から数ヶ月。未だ公爵家にいる自分を、イヴェットは持て余していた。
────ずっと、いなくなるべきだと信じてきたの。
もちろん、ある意味ではイヴェットの独りよがりな、一方的な思い込みではある。
けれど、ずっと信じてきたものがいきなり否定されてしまうと、途端に身の振り方がわからなくなってしまった。
ヒロインは、貴族としての振る舞いや教養を学ぶため、領地の本邸へと送られた。
彼女とイヴェットが顔を合わせないよう、家族や使用人たちは徹底している。
フランソワは、定期的に交流のため公爵邸を訪れては、イヴェットをあちこちへと連れ出した。
「イヴ」
柔らかい声音が、ほんの少し照れながら愛称を口にする。
その昔、母が時折り呼んでくれた愛称は、心にほんのりとぬくもりを灯すから、困ってしまう。
腕を組むのではなく、手を結ぶようにして歩くようになったのは、いつの頃からか。
ふと。本当にふと、ぽつりそんなことを考えて、足が止まった。
いつの間にか、季節は移ろい呼吸は白く。公園よりも、温室や絵画展などの室内を歩くことが多く。
紫紺の髪の毛が、腰よりも長く伸びた。手袋は、いつでも厚手で、婚約者の家紋入り。
ピアスや髪飾り、ドレスさえ水色や深い青の色が増えて。並ぶ肩が、体温を伝えるほど近い。
好みのお茶や食べ物を、互いにいくつも知っている。もしかすると、些細な癖でさえ。
「…………わたくしは、ここにあるのですね」
「ええ」
ほろり、こぼれ落ちた欠片を、拾い上げる人がいる。
わずかに震える手を、包む人がいる。
確かめたくて、イヴェットは言葉を重ねた。
「ここに、続いていくべきなのですね」
父の娘として、弟の姉として、公爵家の者として、フランソワの婚約者として。
ぽんぽん、優しく手の甲を宥めたフランソワが、ほのかに色っぽく微笑む。
「共に続けていきたいのですよ」
ええ。そうですね。あなたはいつも、何度もそう言ってくれていた。
長い人生を、共にゆきましょう。酸いも甘いも、共に味わいましょう。
隣り合わせで、時にぶつかって、また背中合わせにゆきましょう。
年老いたその時、来世も共にと約束しましょう。
「そうですね……そう、したいです」
イヴェットの中に巣食う不安は、自分自身が固執する架空の世界だ。
やっと、わかった。やっと。
ここにあるために、ここから続けていくために、必要なのは。
イヴェット自身の勇気だ。
筋書きのない物語は、何一つ定まらなくて恐ろしい。終わりすらわからないから。
役どころが割り振られていない世界を、自分の手で創作していかなければならないから。
────幼子のように怯えるのは、もう終わりにしなければ。
取り替えられた存在ごと、イヴェットは世界に受け入れられた。
それを怖がっているのは、イヴェットだけ。本当は、たったそれだけ。
「フラン様」
初めて口にした愛称に、どこか少年っぽい無邪気な笑みを浮かべた婚約者に、イヴェットの口元も緩む。
「よろしくお願いします」
きっと、ずーっと先まで。




